父がひとりで待つ家
幼い頃に住んでいた路地の借家が出てきた。出てくるときはいつもそこに住んでいた時分でなく、いまに近い自分だ。雨降りのあとなのか、そこら中が濡れている。水たまりができる処はわかっているので、そこをよけながら奥から二軒目に向かう。いつもよりも距離を使うせいか、表通りから奥までの歩みに少し味わいが足されている気がした。そんな何気ないものにいちいち立ち止まって咀嚼しているのが、いまに近いことを感じさせる。わたしは四十五なのだ。二十三十と大括りに刻んでいるうちに四十五になってしまい、こうしていまもひとりもののまま幼いころからの我が家に帰っていく。すでに母は亡くなり、父ひとりが待っているのは実と重なった。
引き戸を開けると、刻んだり煮たりを終日繰り返していた料理場の臭いが充満している。その割に、ちゃぶ台の上は、コンロにのった小さな鍋がひとりコトコトいっているだけだ。取り皿と伏せた茶碗のほか何も乗っていない。父は小さく丸く、わたしが声をかけるまで固まっていた。ずっと眠っていたのかもしれない。びっくりしたように急に起きたひとの顔で父が目を覚ましたのが可笑しくて、笑ってしまった。なんだかそれが二人とも嬉しかった。
残業残業でトウキビしか食ってないんだからいっぱい食べろと、父が鍋の蓋を開ける。みそ味の根菜やこんにゃくよりモツの多く入った煮込みだった。ひとくちすすると作りたての味噌の香りが拡がる。うまい。先程までは気にならなかった冷えた身体がぐんぐん温まっていく。些事をつらつら当たるのはしばらく味わってからでいいと、そのままにした。
母が亡くなってから、手間をかけるものがなくなった父は料理ばかりをしている。大して収まらくなった胃袋の二人暮らしなのに、毎日ニンジンや大根をさいの目に切り新鮮なモツをつてを頼って仕入れる。その繰り返しが、最新の業務用冷蔵庫に鍋ごといくつも入ってる。冷蔵庫を開ければ分かることなのに、「それなのに」と思ったときに、覚めた。




