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丸に十の薩摩の紋

「なにっ、それっ。わたしのへその緒かなにか」

 日曜日のお(ひる)まえ。今日は部活がないから10時過ぎまで寝ていて、遅い朝ごはんを用意してくれたのかと思ったら母が差しだしてきたのは小さな桐箱だった。

「いいから、開けてみてよ」

 うすく笑っている。母がたちの良くないサプライズするときの顔だ。顔だけ合わせて、ビリビリが待ってるいたずらグッズを開けるときのように、そぉーと蓋をとる。

 小さな桐箱に入れて保管していたへその緒の肉の乾いたものを思い浮かべていたら、そうではなかった。むしろ、ぴたぴたぬるぬるしている。もちろん手で触ったりしないから見た目の感触だが、ぷるんぷるんの弾力さを感じる。500円硬貨より少し大きな丸の縁に中をくりぬいた十文字で繋がっている。

「丸に十文字、サツマ藩の家紋と同じよ。あなたのは白い方だからシロサツマ」と、これからはそう呼んでと諭された。

 わたしのあたまに浮かんできたのが油の染みたさつま揚げだったのが見えたのか、母は「違う、違う、焼き物のほうよ」とパタパタ消した。ほうら、うちにもあったでしょ。お父さんがたまに高い焼酎を入れて飲みときに出す器。黒塗りの平べったい土瓶みたいのが黒薩摩、ぐい吞みが白薩摩。

 そんな代々のニックネームはどうでもいいことだけどと切り上げ、母は本題に入る。

「あなたたち二人姉妹だからちょうどよかったわ。麻子には去年クロサツマを渡してあるの。順番が反対になったけど、あの子のほうが色々と早かったから。この手のはなしするにはお姉ちゃん、少し晩生(おくて)だものね」

 母は本題に入っているのだろうけど、わたしはまだ周辺をまごまごしているようにしか母には映ってないのだろうことが分かる。これが晩生(おくて)と前置きされる所以(ゆえん)だろうか。

「取り扱いを言うね」と聞いて、メモ帳を取りに行こうとするわたしを制して話し始めた。「秘伝は口伝なの」と、もう何やってるのこの子はとあたまに吸い込ませようとする。

 扱うときは、まず掌と口を丁寧にようく洗うこと。はじめのうちは鏡で見た方がいいけど、慣れたらすぐにコンタクトのときみたいに(した)に載せられるようになるから。はみ出さないように真ん中より奥にやるんだけど、はじめは少し嗚咽しそうになるから注意して。シロサツマが乗っかってくれれば自然にはまって、舌といっしょになっていくからその後の違和感はおこらない。

 ひとと同じで休ませないと怒り出すから、使った日の晩はしっかり洗ってあげてね。水を張った器に浮かべて夜に鏡をみる気分でお疲れさまって優しく手洗いすれば機嫌を損ねることはないから。使わない日は、桐の箱にしまって下着の置き場所みたいな誰も手を触れないところに置いておけばいいから。

「わかったわね」桐箱とわたしを残してさっさと母はテーブルを離れていく。これから朝ごはんを持ってくる気はないらしい。

「ねえ、ねぇ、これってどうすればいいの。どんなときに使えばいいの」

 あなた、なんにも分かってないのね。振り向いてもくれず、母は言う。これがほんとうに最後のヒントだからの(てい)で教えてくれる。「麻子をみてれば分かるから、顔をみれば分かるから。使ってる日と使ってない日なんて別人よ。まだまだ分からないのね、あなたってひとは。でも、いずれそれが分かって、使いたくないって思うようなら・・・」

 遠い昔になるけど使わなかった(ひと)もいるのよ、うちらの中で。平穏なまんま、子どものまんま 

生きて死んでいくのがええんなら、それも幸せなのやもしれん。

 母だけに灯りのあたる一人芝居の舞台のせりが静かに上がり始める、そんな妄想に縛られそうになる。

「けど、これだけは守らんとあかんよ。おまえが産んだうちらの次の女にはきちんと渡すこと。これを繋いでいくことで今日のおまえがおるんやから」

 わたしは分からないままでいた。なんで母が突然に西の言葉を使うかも理不尽に思えた。けれど、それもふくめて今朝からのことは沁みて体に(とど)まった。メモなどせずとも分からなくても(とど)まるもの、それらが私の中で仲良く掌を繋いでいる感覚に満たされいく。わたしもセリに上がり、母の傍らに立つ。

 それなのに、わたしはまたすっとんきょうなことを母に言ってしまった。


「達也は、達也にはあげないの」

 みんなで外食するのにひとりいい子でお留守番している弟の一番小さな時分の顔が浮かぶ。いらない小道具を片付けるように、母は暗闇の吹き出しに浮かんだ三歳児のエッチングを黒板消しでしっかり消してから最後のセリフを吐いた。

「達也にあげてどうするの、男の子がそんなもの、一生あずかれるわけないやないの」


 


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