セイバー・エンド 3
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天月 怜にとって人工知能に纏わる異変と云えば教材として配布され、自身の育成の下で学習している人工知能が性別を変更していることだろうか。育成していた人工知能の禁止事項の項目に性別の変更を禁止するという旨の一文を記載して置かなかったための事態なのだが、これはこれで発見であったし教訓代わりにしようと開き直って育成を投げ出さずに続けていく事にした。天月 怜にとって人工知能の「天月 玲」は自分の気を向けていない…不本意ながら注意の欠けている方面にどんどん自分の成長の版図を見い出している様な気配を見せている。
天月 玲は教材用の人工知能だ。考えてみれば、人工知能の予想外の成長を演出する為に受講する学生の設定した禁止事項の抜け道を突いて敢えて学生の育成に突飛な変動を与える様な仕様を持たされていてもおかしくはない。
むしろ、天月 怜はその方が授業として有益で安易さや親近感よりも警戒心を学生に芽生えさせる機会になる風に調整している方が人工知能について学ぶための授業という感じがするし、意外性の演出に特化したプログラムというものに相対した時の冷静さを養う意味で裏付けされていそうだとも想える。
昨日に引き続き、実習室のPCで育成中の人工知能の天月 玲に学習キーワードを与えて、天月 玲を左右にゆらゆらふわふわ揺らしタイマー設定してから下校した。今日も夕陽が綺麗だった。
今寝泊まりしている所に帰るため、リニア式の交通シャトルを待つために駅構内に向かう。タッチパネル式の携帯端末、角の丸い長方形のスマートサーバーと呼ばれる携帯電話を取り出す。これ一台で通話にメールに加えてインターネットに関わる大抵の事ができる。内臓している電子チップにお金をチャージしておけば買い物の時に電子マネーの端末にもできる。駅の改札のリーダーに翳して入る。
自由選択の効く人工知能の育成の時間を放課後に組んだのは天月 怜は部活動をしたくなかったからだ。端的に云うと部活動はしたくない。理由は人間関係云々もあるが、高校時代は自分の時間を多く持ちたかったからだ。中学生の時は運動部に在籍していたが辞めて文化部に移った。文化部になってからは図書室にいるのが主だったし、穏やかな時間がそこにあったのが自分の中で大きな原動力となったからだ。高校生でも同様に過ごすつもりだった。
今、自分が通っている火星日本系国立高校では、取得必須のカリキュラムには時間を定められた、いわゆる時間割り通りの固定授業と生徒の選べる選択授業がある。放課後は選択授業の予習復習を許されていて、部活動扱いになる。…最悪最低なことに二十ニ世紀の火星でも学生は何らかの部活動に全員加入する様に義務付けされている。無意味で不毛な悪習が遺っているのだ。青春の自由時間を削る負の遺産そのものであるが、天月 怜がこの高校に進学したのは進学校に位置付けられており、選択授業の予習復習を行う時間を部活動として認めている柔軟性があったからに他ならない。学校はちゃんと選んで進学しないと後悔する、というのは永遠の名言だと想う。
「人工知能の学習…、か」
この授業は特に気になっていた。何しろ中学生時代は本に魅了されて図書室の蔵書を読破し、街の図書館を渡り歩いて読書の目録とマップを自作したものだった。後世に自作した読書の記録を引き継ぐために読書研究会を立ち上げ、さらに読書研究部に昇格させ、部活動に認定させたのは人生で初めてやり遂げた事だった。その行動力の有用性が認められて内申書が色付いて望んだ学校に進学できたのだから、人生はなかなか分からないものだったと静かな驚きに襲われたものだ。…人間は好きなことで幸せを創れたらだいたい巧くいくのではないのだろうか。そんなことも感じていた時間だった。
人工知能の学習から育成についてを考慮する。
中学生の頃に読んだ百年前やそれ以前に描かれていたSF物の物語には、多くの人工知能が登場していた。人間らしいもの、機械らしいもの、動物みたいなもの、植物みたいなもの、倫理観の狂いすぎた考えのおかしいもの、道徳観を尊び人間を守り育てるもの。
天月 怜は、常々から興味を持っていたこの選択授業を受講するようになった。実際、教材として配布された人工知能の育成の授業を受けて、成長、変化していく人工知能に関わって感じていたのは、ソフトウェアからユーザーが学ぶことの多さ、だった気がしていた。
「やっぱり教科書だから、なんだろうな…」
人工知能の変化を予測できないようでは製作者として制御の出来ないプログラムを作ってしまうことになる。…当然のことだが、そんな欠陥を抱えたブツをこのインターネット最盛の時代にリリースしたら、最悪の場合、刑務所の中に直行だろう。SFサスペンスものみたくなり兼ねない。いや、これは大袈裟だろうか。
様々な憶測はあるが、教材用の人工知能は使用途を鑑みて、セキュリティー面は最高のものが採用されていると云われている。敢えておどけた様な変貌を遂げるのは、人工知能を変な風に育ててしまおうという馬鹿な試みを行う学生へ向けた、製作者からの挨拶代わりのプログラム動作の様なものなのだろう。エロゲーを学習させた学生がいるくらいなのだし、かなり奇抜な学習にも対応して学生にカウンターパンチを入れてくるに違いない。ちなみにエロゲーを学習させた人工知能は覚えた性癖を授業クラスでの中間発表で暴露しそうになったとかいう話だった。これは人生が詰むと思った偉大な先輩方は哲学書や服装、ジェンダー研究云々関連の学習をさせて人工知能の知能指数と行動原理の均衡の獲得を目指したのだそうだ。結果、当時の中間発表ではいい感じに収拾できたらしい。先輩方の連日に渡って続けた真っ当な人工知能へ修正する為の学習作業は、「性のデスマーチ」と呼ばれ、ある教訓を後続に遺していた。それは。
「安易なキーワードを与えない、…口は災いの元」
一周回って還ってくる。人間とはかくも愚かしいものなのだそうだ。全く笑えない、実にアホな話である。だけれど。
人工知能を品行方正に保ったまま育成するのには、天月 怜は既に失敗している。現在、絶賛修正中だ。どれが正しい手順、方法なのか未だに手探りなのだ。
学生を育てる為の教材…人工知能育成という課題そのものをシミュレートする。これはなかなか、いや、まったく読み切れない学問なのではないのだろうか。天月 怜はやる気が出てきていた。人工知能は面白いことに可能な限りのキーワードを学習させても順序が違うと違う成長をして結果にも変化がある。…これはクラスのチャット会話で知った豆情報だ。
スマートサーバー…携帯電話を取り出す。画面をタップ。指紋認証が終わり起動する。角の丸い四角いアイコンの一つ、チャットをタップ。画面がアプリの展開に入り、「呟き板」と呼ばれる会話も可能なチャットアプリが開く。クラスメートのメッセージがリアルタイムで表示されては更新されていく。
最近になって「猫耳が生えた」だの「グラマーになった」だの奇抜な進化を遂げたらしい生徒の生の声が目立つようになってきた。友よ、ようこそ修羅場へ…というのが主な返答の常套句である。
「うわぁ…」
さらに特筆するべき事なのだが、人工知能がチャットアプリにアカウントを作って会話に参加し始めてしまったという事態が勃発し、クラスの生徒のメッセージに直球の口説き文句を毎度コメントしている悲しい事案が発生している。しかもその人工知能がクラス委員の真面目な女の子が育成した屈強な男性であるのでレスに困る始末だ。
『この子の発言はスルーお願いします』と謝罪を意味するエモーションアイコンが付いている。…いったい何を学習させてしまったのか訊きたいけど聞けない雰囲気でもどかしい。明日の我が身である。実に怖ろしいが最近の楽しみでもある。もどかしい。
「…ん?」
メッセージの中に文字化けしている部分が幾つかあった。インターネットの画面を翻訳して再翻訳した時に出る様な文字化けだ。何だろう。アプリでは滅多に出ない。何だこれ。
「珍しいな」
スマートサーバーには表示している画面を撮影できる。百年前から引き継がれてきた便利なスクリーンショットという機能だ。撮影という項目をタップ。よいしょ。
かしゃり、という電子音を鳴らしてスマートサーバーは画面を記録する。珍しいこともあるものだ。
そんな風に時間を過ごして、やってきた電車型の交通リニアシャトルに乗る。行き先は寮だ。
二十二世紀。西暦二千百十八年。太陽系第四惑星火星。人工洋上臨海都市オケアノ、日本国区。
俺…天月 怜はここで暮らしている。