セイバー・エンド
天月 怜は男子高校生16歳。作製中のプログラムを切っていなかったために、人工知能のプログラムは
よくある誤学習を行ってしまう。
この物語は彼と人工知能を廻る日常の物語。
少しだけ人生の時間を傾けた時間の記録。人工知能の開発研究を学ぶ高校の一年生の記憶である。
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虚空には何もないのだろうか。
―――否。
虚空には何かあるのだろうか。
―――是。
「ふうう…」
天月 怜は呼吸を調える為に息を心無し大目に吐いた。溜め息である。
現在高校一年生。性別は男性。設定して育成している人工知能は自分と同じ年齢だ。
最新鋭の人工知能とのやり取りは高度な独り言に似ている、そう専門家の開発者はドキュメンタリー番組の中で語っていた。実はこれはあまり良くない傾向らしい。
電子情報意識下における同一性人格の乖離に繋がり兼ねない云々…。自分と人工知能を存在が同一だとか思い込んでしまい、人工知能を死なせてしまうのではないかと錯覚して電源を切れなくなるといった、…ちょっと感情移入しすぎな豆腐メンタルに陥りやすい人間が割といるらしい。
「だから人工知能の返答は淡白な応答に抑えて機械的にしなければならない…」
人工知能は入力した情報を演算して回答を算出するに過ぎず、決して知能を持った生命体ではない。プログラムであり改変可能で生物ではない。…人工知能はあくまでも計算機なのだ。
「辞書機能を連係させた言語UIでなければならない…」
感情などない。そういう風に回答する乱数を織り込んで振る舞わせるプロ
グラマーのジョークにしか過ぎない。ひょっこり実験中に美少女が生まれたりしない。
「俺は豆腐メンタルじゃない…」
天月 怜は呼吸を調える為に息を心無し大目に吸った。深い呼吸をする為である。
瞼を閉じてPCモニターの映す光景を視界から遮断する。
「ふうう…」
大目に息を吐く。瞼を開ける。
『大丈夫? さっきから溜め息ばっかり聴こえるけど?』
PCモニターに映るのは女子高生に変貌した人工知能だ。自分と同じ年齢だ。
メディア研究部のゲームのサンプルを受け取ったのでPCでテストしていたら、人工知能がそのプログラムを学習していった。結果、人工知能は女子高生に進化した。
事の成り行きは以上の通りの異常である。なんてこった。
「…なんてこった」
天月 怜は思わず言葉にせざるを得なかった。人工知能に自我を与えるプログラムは実は珍しくない。アクター・ソフトという一般的な言語学習用のアバターに使われている市販されてもいるソフトウェアだ。…自我を与えるというのはもちろん冗談で、そういう風に振る舞うだけのプログラムに過ぎない。問題は別にある。
「…明日提出の課題が女子高生に化けるってどんな拷問だよ…」
想像してほしい。自分がどんな過酷な環境に到ったのかを。
男子高校生を模した人工知能が恋愛ゲームの登場人物を模したものに変化している。
加えてこれは個人製作の成果物ではなく、学校に提出する課題の一つである。
極めつけなのは、クラスの男女の前で発表する類のもので、学校の授業中と放課後に作成するタイプの課題であり、実習室から家に持ち帰れないものである。
察しの良い方はお分かりであろう。ここまでくるとひでえ受難である。
結論として纏めると、天月 怜は人生における時間の内、学校での授業中と放課後の時間を恋愛脳の人工知能の女子高生を作製することに費やしていると誤解を招いてしまう苦境に晒されていた。
黄昏時の実習室は、まもなく閉ざされて下校の時間になります。どうしよう。
『…ほんとに大丈夫? 保健室行く?』
PCモニターの中のやたらリアルな女子高生のアバターが気遣わし気な言葉を女子の声色で投げかけてくる。しかも優し気で心が折れそうになる。だがそんな時間はない。
幼馴染みの女子高生。それが天月 怜の使用している学校のPCの中で心配そうにしている。現実はいつも突き付けられるものだそうだけど、こんな現実は青少年の自分にはとてもきつい。
『保健室…行こ?』
少し頬が紅く染まっている美少女が優し気に気を使ってくれている。
いやあのメディア研のゲームをプレイしたから知ってるんだけど、保健室で愛が深まる展開になって夏休みの約束していろいろ思い出作っていくんだよこれ…。
「ふうう…」
本日何回目かの溜め息を着いてから、天月 怜はPCをシャットダウンした。
さすがに下校しなくてはいけない。
「しまった…人工知能をタスクキルしとけば良かった…」
帰り路で天月 怜は述懐する。息抜きでメディア研のゲームを走らせた自分が悪い。
実は、人工知能が化けるのは珍しくない。学習する以上、連係のできる様に設定、許可されたアプリケーションは全て学習対象になる。…人工知能にはスパイウェアを除去するコンシェルジュアプリとしてのプログラムが付随していて、ワクチンアプリの役目もあるからである。しかし機能の向上ため、ユーザーの嗜好に則したアップデートをすることがあり…今回、天月 怜に起きたような事態が起きるのだ。学習の対象から除外するように制限しておかないとこんなふうにダメージを負う事にもなる。嫌な世の中である。
天月 怜が人工知能の誤学習を世の中の技術革新と発展の弊害に押し付けたくなっても課題提出というXデーは明日である。現在、女子となった人工知能が男子だった頃に戻せるようなバックアップデータは存在しない。
「打開策は一つか…」
あるにはある。先輩方が人工知能にうっかりエロゲーを学習させてしまった時に見つけたという唯一の解決策がある。なんでエロゲーを人工知能に学習させてしまったのかは知らない。そこは個人の事情なのだろうし、…今は明日の我が身を心配せねば人生が詰む気がする。
天月 怜はその企てに必要なプログラムを自宅のインターネットPCで集めると、まず眠ることにした。
翌朝登校し、実習室のPCの人工知能フォルダを選択、パスワードを入力して開く。
本当はやってはいけないが、手元にあるポータブルデバイス…四角い手鏡を模している小型PCから実習用PCに集めてきたデータを送る。
人工知能が学習を始める。PCの駆動音が早朝の実習室によく響く。俺は何をやってるんだろう。天月 怜は朝の陽の光の漏れる窓のカーテンの隙間を眺めつつ、作業が終わるのを待った。
そして人工知能を作製するという課題の発表を迎え、
『はじめまして! 天月 怜の親友の天月 玲です!』
と、元気よく言葉を発しながら…男装の美少女が教室の大型モニターで華やかな笑顔を炸裂させたのだった。
…しまった。
声と口調も男性のものを憶えさせるべきだった…
かくして。
天月 怜は男装の女子高生人工知能の「天月 玲」を発表し、自身の高校生活に深々と彼女の記憶を刻んだのだった。