ネバネバテロ
無人運転車が朝の都市を走る。
『目的地 アイウォールグランタワー に到着しました。料金は 10$80¢ です』
座席の肘掛けに備え付けのICリーダーに、手首に埋め込んだチップを翳す。
『お支払いありがとうございます。良い1日を』
自動音声に見送られながらオートタクシーから出る。
正面には、天を衝く超々高層ビル街の中で尚、抜きん出た威容を誇る巨大な摩天楼。
アイウォールグランタワー、その全高は優に4000mを超え、内部では食事、娯楽、医療、教育、果ては居住区さえ内包する半アーコロジー型建造物だ。かくいう俺もここの社員寮に住んでいる。
エントランスホールを突っ切って社員用エレベータに乗ること1分、350階に到着した。この階より上は全てアイウォール社の専用フロアだ。
その後も何階か昇って仕事場に到着。自動ドアを潜るとオフィスにはいつもの班員達。
「ちーす」
「うぃー」
「うぇっ、ちょっとケージ!なんでそんな全身がパクチー臭いのよ!」
「あーそれ弁当の匂いやな姐さん。こいつ最近はタイ料理にハマってるみたいでさ」
「タイだけじゃねえぞ、エスニック系全般だ。今日はインド料理だって買ってある」
「食い気味の訂正きっも」
「…またボコボコにされたいようだな」
「昨日のままやと思ったら大間違いやぞパクチー怪人、泣いて侘び入れさせたるけんナァ!」
「そうか、死ねぇ!」
「キィアアア!!」
「点呼の時間だぁ!ケージとタガロー、ここは闘技場じゃねんだ。もうちょっと大人らしい落ち着きをだな……」
今日もいつも通りの1日が始まる。
随分と遅れたが自己紹介をしよう。
俺の名前は伊波 系次。純日本人だが訳あってロサンゼルスに住んでいる、小麦色の肌が黒髪に映える自称ナイスガイな技術屋38歳だ。
そしてそんな俺の勤め先が、アイウォール社。自立思考AIの生みの親が創業した小さなベンチャーも、ここ数十年で急速に事業の手を伸ばし今や立派なガリバー企業だ。
そんな会社で俺は運良くそこそこ初期のメンバーだったおかげか、役員待遇でこそは無いものの、昔では考えられなかったくらい裕福な暮らしを享受出来ている。入った企業を間違えなかった過去の自分に感謝だ。
で、そんな俺の主な仕事が、レコーデッドの開発、修理だ。元々アイウォール社が開発した自立思考AIは、ある種狂気的ですらあるデータコピー対策が施されている。
その為現在そのシェア率は堂々の100%を誇っているが、そうなると製品の修理も機密保持の観点からアイウォールで一括して行わなければいけない。だが増え続けるレコーデッド市場に対応するには、現行の修理屋では明らかに人手が足りない。かといってアンドロイドにアンドロイドを修理させることは社則に禁止されている。
だからいつの間にか、俺たち開発部門にも修理依頼が舞い込んでくるようになった。今ではそれが常態化していて、今では俺達開発部の修理が一番質が高いとまで言われているらしい。
本職じゃないのに。
おかげさまでここ数年は、毎日一体のレコーデッドを二時間近くかけて修理することがが班のノルマになっている。天下のアイウォールがそれでいいのか。
「別にいいだろ。そもそも俺達下っ端が考えてどうにかなるもんじゃねえ」
「そうは言うがなマハマハ、このままいけば確実に修理のノルマも増えていくだけだぞ。鉄人形のスクラップを弄り倒すだけの毎日なんて俺は嫌だね」
「開発だってそう変わりゃしねえじゃねえか。それに案外、そのスクラップの中から新技術のアイデアが浮かんでくるかもしれないぜ?発明ってのはそういうもんだろう。
……このタンドリーチキン美味いな」
「だろ?この独特なスパイスが気に入ってんだ………はぁ、今日もお医者さんごっこか…」
「人を救う立派な仕事じゃねえか、気に病むなよ」
「…人ってなんだろうな」
「知らねえよ、哲学者にでも聞いてろ」
二人でチキンを頬張る。味はいいが、いかんせん量が多過ぎるから手伝ってもらっているのだ。
ヤタドゥイ=マハマハの祖先は、元々アフリカの少数民族らしい。残念ながら近代化の波によって部族は完全消滅してしまったみたいだが、せめてもの名残として名付けの慣わしだけは残っているんだとか
「あ、いたっす!すいませんマハ先輩!マグ主任がマハ先輩のこと探してたっすよ!」
「そうか、これ食べ終わったら行くわ。ありがとなシオン」
「おうシオン、丁度いいな。ちょっとこのチキン食うの手伝ってくれよ」
テーブルにはローストチキンと見紛う大きさの真っ赤なチキン。
「うわあ!デカくて美味しそうっすね!タンドリーチキンっすか?」
「なんでもニワトリ一羽丸ごと漬け込んで作ったらしい。こいつが一人で食べきれないわけだわな」
「遠慮しないで好きなだけ食っていいぞ。どうせ保存したりはしないしな」
「ケージさんって味に煩い割に小食っすよね!」
「料理を一口ずつ味わって食べているとな、自然と少量で満腹になるもんなんだよ。どこぞの味音痴馬鹿食い野郎とは食に対する考え方が根本的に違う」
「またケンカの火種になりそうなことを……」
「本当のことを言っているだけだ」
「へーひへんはいっへひほんへほうっふよへ!」
「なんて?」
そうしてタンドリーチキンも残りわずかになってきた頃。
「そういえばお前らチーフに呼ばれてなかったか?」
「そうだな、そろそろ行くか。じゃあなケージ」
「あ、俺も行くっす。チキン美味かったです先輩!」
「おう」
食堂にはすでに俺以外の姿は無い。貸し切り状態かぁ、なんて考えながらモチャモチャとチキンを貪る。
ガラス張りの壁から見えるはは地上350階からのロサンゼルス。曇りの日ならば下に雲海が広がっているだけの景色は、今日みたいな晴れの日はビルの敷かれた絨毯に早変わりだ。
このビルの300階にある展望台が人気の観光スポットになる位には、綺麗な景色なのだ。
とはいっても数十年間毎日この光景と付き合っていると流石に飽きてくるものだ。
黙々と弁当を食べていた俺だったが、雨が窓を叩く音が食堂に響き始める。
はて、今日は終日晴れだったはずだが。
珍しく予報が外れたなあなんて思いながら首を上げると、窓には黒いタールのような、スライムのような粘液がボタボタと降り注いでいた。
は?なんあれ?え、なんあれ?
みるみるうちに窓が黒いヘドロに覆われていく。気味が悪いのでとりあえずこの場から離れようとすると
『全館に非常連絡です!館内にいる者は今すぐ窓から離れ順次ビル外に避難して下さい!当館はテロ行為を受けています!繰り返します!このビルは現在テロ行為を受けています!速やかに窓から離れ、ビル街へと避難…』
ビシッ と嫌な音の後、爆音が耳を劈く。
吹き荒れる爆炎に反射的に頭を守りながら、俺の意識はいとも容易く吹き飛ばされた。