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特許系エッセイシリーズ

日本で生まれ、世界の海洋汚染の進行を食い止めた革命的な船底塗料

船底塗料。

意外にも船舶の性能を大きく左右する存在であることは知られていない。

この塗料においては世界でのべ5回の技術革新があったとされる。


そんな中で直近の技術革新は世界で危惧されていた海洋汚染を食い止めた存在で、

さらにはそれが日本国によって開発され、世界中で大騒ぎとなったものであることは全く知られていない。


今回は別の小説で触れた存在をリバイスし、エッセイ風で再びこの内容について取り扱う。


特許世界、つまり発明の世界で言われていることがある。

「産業において1つのジャンルにおいて技術革新が起こるのは20年に1度程度」


それに対し、それらへと繋がっていく存在として登録される特許、つまり発明の数は少なくとも1万は超え、多いと数字を算定することすら難しい。

登録もされず公になることも無く消滅していった存在も多数あると思われる。


そして重要なのが、その1つにおいて技術革新が起こりうる手助けとなる発明自体が生まれるまでに何年費やせばならないかだ。(そして一体いくら研究費開発費が必要になるのか)


何が言いたかいというと、ジャンルにおいて生まれるのは20年に1度でも、それそのものを支える発明は様々な方向性からのアプローチによるものである。


例えばLEDを例にするならば、LED自体はかなり昔よりずっと存在したが、「青色LED」が生まれたことによって「フルカラーLED」が誕生したわけであって、フルカラーLEDに繋がる青色LEDの開発にどれだけかかったかと言うと数十年単位のレベルでかかっているわけだ。


そしてフルカラーLEDのために必要となったモノは様々な方向性からによって支えられているが、それらは長年研究されてきたものがパズルのピースが埋まるようにして完成へと向かっている。


今回話題にするのはそんな「基礎的な部分では100年近く前に存在したが、真の意味で工業製品として完成させるのに60年費やした」と言われる現在主流の船底塗料の話。


まずここで1つ重要な事を言う。

「日本で始めて登録された特許は高橋是清ら、当時の特許局が選定して船底塗料になった」


これは高橋是清の手記などを見てみればわかるが、第一号特許とは別に同日に7件登録されている。

これらは同時期に審査が終了し、後は登録してその情報を発行するだけとなっていた。

その中でも最も日本国における産業的な財産として重要だと思われるものを1号特許としたというのが実情である。


7件を見てもらえばわかるとおり、同日に登録されたものは蒸留器など愛好品関係の特許が多い。

その中で「特許1号たりえる何か」をもっていたのが船底塗料であったのだった。


当時の特許局がどのようにして船底塗料を1号としたかについては実は情報が極めて少ないものの、

わかっていることと言えば、この当時造船業といえば「それで世界一になることが出来れば列強とも対等な立場になることができる」と言われるその国の技術レベルを示す指標のような存在であり、


そのような中でこの特許の塗料は登録当時において突出した性能を秘めていたのだった。


そもそもがこの塗料は当時の船舶において「6ヶ月に一度入渠して塗りなおしが必要な貧弱なものを改善できれば世界をリードできうる」といった話を聞いた発明者が生み出したものだが、海軍にて試験利用された背景も踏まえれば、それなりに「何らかの力」が働いて1号になったのだということは言える。


ただ、産業の発達に寄与という観点でいえば確かに他7件と比較するとこれほどまでに相応しい存在も無く、歴史的背景から鑑みても1号として選定されるだけの魅力と論理を持ち合わせた存在ではあった。



問題は「コイツ自体は確かに性能自体はそれなりに優秀ではあったが、弱点が多く、また新たな船底塗料の登場により、海外では評価されなかった」ということにある。


実際にはコイツの基礎的な設計思想が真の意味で花開き、崩れかけた日本の造船業を一時的に持ち直させた存在にまで発展するのは100年以上かかってしまった。


この特許1号を「我が国の夢と発展をかけて未来へと繋ぐモノ」と評価した初代局長高橋是清は、100年後の先が見えていたのだろうか……


それはさておき、話を船底塗料に戻すのだが、造船業関係では栄えある特許第一号として船体塗料が登録されてからその種で5回技術革新があったと言われている。


その中で最もインパクトがあり、最も世界中で評価されたのが1990年代に日本国が開発に成功した存在であった。



筆者から言わせれば「なぜプロジェクトXで取り上げなかったのだろう」と思うような代物だ。


まず船底塗料の必要性について改めて簡単に説明する。

1つは、腐食への対応。


船舶に関する船体用の材料としては、今日まで様々なものが実験的に用いられてきた。

それこそアルミ合金だけでなくステンレスなどを含めて様々なものが実験的に使われた。


ただしそれらの結果は宜しくなかった。

例えばステンレスは「正に理想」と思われたが、海水による「孔蝕」は想像以上のものであり、この世に万能な金属など無いということを証明するキッカケとなった。

(塗装するという手もあるが、そうするとステンレスの利点が薄れる上にステンレスへの塗装は技術的、コスト的に悪い)


アルミ合金は水中翼船などの高速船などで評価され、実用化されたたのだが、それらの高速船自体が「コスパが悪くて収益性にかける」ということで近年では世界的に減少傾向にある。


これらの高速船においては「アルミ合金の方が理想的」と言われる一方、高速船の経済性の悪さを改善する一手が無いというのが実情である。


結局、現在でも殆どの船舶においては鋼製が基本となっているが、これらは極めて腐蝕に弱いため、その対応として船底塗料による防錆は不可欠となる。


2つ目が摩擦。

表面の凹凸を減らし、航行時の抵抗を和らげる。

水の抵抗というのは大気との比ではない。

船舶の大型化などにおいては船体の構造強度以上に重要となってくるのが摩擦係数である。


かつて世界において国力と国家戦力は「船」であった時代があった。

その時代においては「船舶の大型化と高速化」は必要不可欠であり、海運などによる貿易、人員輸送、そして戦闘力、それらにおいて最も重要な要素が「いかに水の抵抗を減らすか」にかかっていた。


これらは船体構造によってある程度緩和可能ではあるが、それでも限度があった。

より有利な構造にすればするほど細長くなり、積載面や横波への対応などの安定性において不利となるし、かといって双胴船にしようにも今度は転回性能など、様々な面で劣る上に「転覆したら復元しない」など、双胴船特有の弱点などもあり、長い間様々な船体構造が試されては消えていった。


ただし、双胴船においては後述することもある。


で、結局船舶においては1910年代から今日でも見るような構造のものが流体力学によってやや形変えながらも現在までスタンダードとなっているが、この摩擦というのはこの構造においても燃費や破損に直結したりするものであるので、非常に重要ではあるが1990年代までにおいては「摩擦はある程度で妥協する」というのが一般的であった。


なぜなら海水という存在は空気などとは比較にならない抵抗であるだけでなく、船体をやすりがけするかのごとく削り取ろうとする力が水中内では働く。(水圧など様々な要因によるもの)


よって、塗布した際に理想的な摩擦係数であっても、従来の船底塗料ではすぐ劣化してしまい、ある程度での妥協をする他無いとそれまでは思われていたのだった。


劣化する原因はそれだけではなかった。

船体表面に付着する忌まわしき存在によっても引き起こされ、「コイツをどうにかしなければ!」ということで船底塗料は進化していったのだ。


その「忌まわしき存在」とは何かというと「フジツボ」などの船体付着物である。

これらは船体重量を増加さるだけでなく、抵抗力も増やすという船においては天敵とも呼べる存在であり、船底塗料においては「こいつをどうにかする」というのも重要であった。


こいつらの付着の仕方によって水の流れが変わると、思いにもよらない過負がかかって船体の寿命を縮めたり、腐蝕によって船体に大ダメージを与えかねないのである。


だからこそ船体塗料においては古くより2つの方向性にて開発が進められてきたのだった。


1つは「劇薬を用いる」

もう1つは「摩擦抵抗を極限にまですり減らし、付着をさせない」



そうなのだ。

実は日本国の1号特許は「後者」を極めようとした存在だったのだ。

入渠の原因は塗料の剥離だけでなく「フジツボや海藻類の除去」であったのだが、日本で始めて登録された特許はこれを「摩擦係数などにおいて優位性を保つことで入渠までの期間を延ばす」ことを念頭に入れて開発されたものだった。


この塗料自体は優秀であったが、木製の船に用いるには良かったものの、鋼製の船に用いるには塗料が上手く付着せず、加えてその生産性の悪さから大型船には向かないという弱点もあった。


このような中で1号特許の発明者は米国などでもこの塗料を販売しようと挑戦していたが、米国や英国では前者の「劇薬」の方の塗料が既に完成し、軍用に用いられていたのだった。


それらは「ケミカル系」と呼ばれる今日では一般的な石油系塗料であったが、当時一般的に流通する石油系塗料は基本的になんら加工せずとも劇薬としての効果を発揮し、安価で船体への塗布も簡単で、弱点といえば「摩擦係数を低くしにくい」ぐらいであったが、抵抗を劣化させるフジツボなどに対しては十分な力を発揮し、世界標準になるのは当たり前のような存在だった。


自国で生まれたものだからと1号特許の塗料で何度も実験を重ねた日本の帝国海軍も、最終的には同様の塗料を軍艦などに用いるようになった。


そんなこんなで時は過ぎ、1950年代。

プラスチックなどが登場して様々なケミカル系の存在が産業製品に用いられるようになると、様々な研究者が石油系製品について研究するようになり、そこで気づくようになる。


「この劇薬、もしかして凄まじい海洋汚染を引き起こしていないか?」と。


丁度日本を含め、世界各国で「公害」といった存在が注目されだした時代であった。

1960年代に入ると船舶の流通が激しい海域において海洋調査が開始される。

そこで判明したのは「洒落にならないレベルの深刻な海洋汚染が起きていた」


趣味で見た1960年代の塗装材料にはこの当時の船底塗料に関する実験結果が載っている。

正直言って、「直視できないレベルのグロ画像」である。


メダカのいる水槽に当時の船体塗料を塗りつけたレンガを水につけて暴露試験を行った結果は、当時の船体塗料を使うとメダカのオスの精巣内に卵細胞が生まれオスの大半が生殖不能になった。

(人間で言えば精巣内に卵子が大量みたいな状態)


そして逆にメスの中には単一性生殖が可能になった突然変異種まで表れる始末。

そんなのをご丁寧に画像付きで解説してくれちゃってた。


これは所謂マスコミが30年後に騒いでいた「環境ホルモン」なる謎の造語の正体である。


「環境ホルモンというのはなんかカップめんの容器によって生殖能力がなくなる」とか言われてたアレね。

(ここ最近、成人男性の精子が減少しているとかいう話もあるのであながち嘘ではないのかもしれないが)


現在では殆ど無いとは思われるが、この当時の船体塗料は河川にも使われていた。

それは河川のための船だけでなく、「水門」などといった河川などに用いられる塗料として。

船体塗料はあくまで金属用の水中用の錆止めとして開発されていたものなので、そういったモノに対して応用できたのだった。


(水門なども水を放流する場合は強い水の抵抗を受けるため、適していた)


実は河川で発生した魚への被害というのは別段ゴミ処理場の「ダイオキシン」ではなく、同様の成分を持つ塗料だったのだ。


塗料関係の技術雑誌では1960年代の時点でこれに気づいてはいたが、「そんな存在を文字通り塗り替える塗料なんてものは無い」とされ、結果的に1990年代に入るまでは別段動きはなかった。


しかしこの1960年代の時点で造船業がオイルショックなどによって斜陽に入りつつあった日本国では「燃費改善と海洋汚染などを大幅に改善できる船体塗料は日本国の造船業の未来を変えてくれるかもしれない」と、すでにこの時には研究中であることを表明していた。


実は世界的にそんな流れで、その先導者となったのはドイツで、ドイツにおいては「次世代の船体塗料」として「海洋汚染せず、かつフジツボなどを退けるものが次世代の塗料として相応しい」と力を入れていたが、


その基礎的な設計思想は当然、日本においては「1号特許」で、実は60年以上もの間、夢の船体塗料に挑んできた日本のとある会社は、ドイツが提唱していた次世代船体塗料に古くから挑み続けていたのだった。


どれだけ古くからかというと、帝国海軍から戦時中に「一体いつまでそんなモンを開発してるんだ!もう戦時中だぞ!いい加減にそんな夢物語は捨てろ!」と言われて小バカにされたもので、少なくとも前身にあたる存在の開発は1930年代から。


完成した塗料自体は1960年代から基礎研究が始まった代物であるが、それ以外にもいろいろ試しており、様々な発明が結集して生まれたそれは遡れば第一号特許に辿り着く。

1号特許の塗料は漆であるため、環境汚染とは無縁に近い理想的な塗料であったのは事実。


それをケミカル系で達成したのだった。

1996年。


新聞の1面にファインケミカルが環境配慮型の次世代船体塗料の実用化に世界で初めて成功したとかいうニュースが出る。


同年の塗料技術では「長年の苦労の末、ついに完成した」と書かれたそれは、


「摩擦抵抗を極限にまで引き下げ、その上で海洋汚染を実質無害化に近づけ、それでいてフジツボなどの付着を一切許さない」というまさに「イノベーション」と呼ぶに相応しい革新的なものであった。


実験結果だけでなく実用面でもすぐさま結果が出たが、それをタンカーに塗布しようものなら「燃費が最大3割改善する」というぐらい摩擦抵抗を引き下げる代物である。


1990年代後半を境にしてタンカーなど、海運業関係の船舶が一気に大型化した要因は流体力学の発展と同時にこの塗料の開発成功が大きく影響しており、パナマ運河を通ることが出来ないような巨大客船などが次々に建造される要因にもなった。


それまで船体構造では限界であったものを大きく引き上げ、その上で「最低3年間は性能が一切落ちない」という、船体塗料としては十分な能力を保持していたため、


この技術はすぐさま世界に広まり国内の造船業が今日も何とか生き残る土台になったのだった。


が、環境面での部分では十分な性能を発揮したものの、他国ではそこまで燃費改善がするようなことにならなかった。


これこそがこの塗料の恐ろしい部分で、「摩擦抵抗を極限にまで引き下げて塗布させるための技術は当時は日本しか保持していなかった」


これは元々「塗料の塗布は日本国が世界で最も高い技術力があった」というのも理由の1つだが、この塗料はただ塗るだけじゃ同じ効果を発揮しない存在だったのだ。


現在では世界各国でも用いられてはいるが、この「日本ででしか燃費改善は再現できない」ということにより、バブル崩壊後でありながら日本の造船業は一時的に持ち直す。


最終的には他国もこれらの技術を確立したことで再び日本の造船業は苦境に立たされるが、それでもこの塗料が日本の造船業に対して果たした貢献度はすさまじく、筆者としては「第一号特許はこの1996年の革新的塗料の誕生のために存在したのだ」と勝手に言い切っている。


さて、今回の話はこのあたりで締めくくるが、最後にこの塗料は高速船の性能アップにも貢献したということを伝えたい。


例の塗料関係の雑誌を見ていると、「最新の流体力学と新型塗料を組み合わせた双胴船の開発」という話が出ているが、国外ではこの塗料と流体力学の発達により、それまで存在していた弱点をカバーした双胴船が登場し、そして実用化されていく。


これらの開発要因は「既存の船舶より低燃費化した上で40ノット近くの高速船とする」という新たな次世代の船舶の形を目指した物だったが、この開発において最も重要だったのが「船体構造」と並んで「船底塗料」であり、現在では世界各国の海軍がこの「塗料」を用いた「高速双胴船」を研究しているだけではなく、「高速輸送船」という形で日本でもカーフェリーなどで運用されている。


たかが塗料、されど塗料。

巨大タンカーという誉れある存在だって塗料ありきで存在していることを考えれば、「イノベーションだ!」といって高度な技術ばかりに目を向けず、高度な技術を支える何かについてもきちんを目を向けるべきだよ日本国総理大臣!

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[一言] 時事ネタ学術会議のニュースを見てこの話を読み返しに来ました 任命拒否しただけで別に北大の研究が再開したわけではなさそうですが、いつかこの話の続きを読める日が来るといいな
[良い点] 知らない話で凄く面白かった。 塗料でも日本の技術は世界一なんだなと感心した [気になる点] 日本の技術者の流出、後継者問題など訳の分からない補助金を海外に流すくらいならここに使ってほしい …
[良い点] プロジェクトXでは無かったですが 関西地方でだいぶ遅れて放送されてる タモリ倶楽部にて特集されてました 軍艦にはシリコン樹脂タイプがオススメだそうです
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