ミスター円盤投げ
“ミスター円盤投げ”そう呼ばれる男がいる。
男の名は円谷聡。三十八歳。全日本陸上選手権の円盤投げ競技において十八年間連続入賞を成し遂げている、この競技の第一人者だ。
しかし、それだけの実績にも関わらず、彼はオリンピック出場どころか、選手権優勝という栄光すらまだ掴んだことがない。
「僕の大学および二十代の時代には、同い年に選手権で八連覇を成し遂げた岡野雄三さんがいましたからね。彼が引退して自分の時代が来たと思ったら、どんどん若い選手に追い抜かれていってました」
滋賀県内の練習場で円谷にインタビューに答えて貰った。間近で見たその肉体はとても40近い男のものではなかった。頭髪はすでに禿はじめ、悪くなった視力を補うため底の深い眼鏡をかけているどこにでもいる普通のおじさんの顔つきではあるが、その体はまるでギリシャ彫刻のヘラクレスのようにどっしりとしていた。
「僕の年でこの競技を続けている人間はいないですよ。だいたいみんな普通のサラリーマンになったり陸上コーチになったりしていますね。円盤投げ選手のピークは世界的には三十歳前半と言われていますが、日本では二十代で見切りをつける人がほとんどですね」
ならば何故競技を続けるのか聞いてみた。円谷は少しだけ遠くを見つめるような仕草をしたあと答えた。
「やっぱり一番になったことがないからですかね。自分の好きなもので頂点に行きたい。まだその夢が諦められないんだと思います」
円谷が円盤投げを始めたのは中学生の時だ。才能ある選手ではなかった。筋肉がつきにくに体質であったためだ。
中学時代には滋賀県内の大会にすら記録不足で出られていない。
高校に進学した後も、彼は円盤投げを続けた。学業そっちのけで練習に精を出し、筋肉をつけるために一日五食のご飯を食べた。
「円盤投げは楽しいんです。幼い頃からくるくる回るのが好きででした。手を広げて回ると、遠心力がかかって指先に感覚が集まる。その感じが好きなんです。だから円盤投げに出会った時は、まさに天職と思いました」
だが記録はそれでも思ったよりも伸びなかった。高校時代の最高成績は県の大会四位である。
「大学に進んでも円盤投げをやると言ったときには周囲に驚かれました。その程度の成績で続けている奴なんてだれもいないぞと。でも僕にはそれ以上に面白いものがなかたんです」
しかし大学の陸上部でホームを改造すると、記録は劇的に伸びた。
二十歳の時に初めて全国大会に出場。八位入賞をはたした。二十二歳の大学四年生時には三位で初の表彰台に昇っている。
「嬉しかったですね。自分のしてきたことが無駄じゃないんだと思いました。でもそこで満足せずに欲が出てきました。もっと上を狙ってみたいと。でも上手くはいかなかった」
円谷は大学卒業後は県内の自動車ディーラーの営業の仕事に就いた。しかし休日には円盤投げの練習に明け暮れる彼の社内での評判は悪く、一年ほどでクビになってしまう。しかしその後も仕事を転々としながら円谷は円盤投げ選手としての練習を積んだ。
一方大学時代に選手権で三連覇し、オリンピック代表にも選ばれた岡野は、企業の支援を受けて記録を伸ばし続けた。そして怪我で引退するまでの五年間、大学時代からも数えると八年間日本の絶対的王者として君臨する。
円谷はこの間、四位、二位、三位、四位、二位と好成績を残すが世間的には岡野の影に隠れた目立たない選手であった。
岡野引退後には一時期日本円盤会の次を背負うかとも言われたが、若い選手、後のオリンピック銅メダルの鈴木や十八歳歳高校生で全日本制覇をした佐古らの奮起もあり、五位、三位、五位と成績は伸びなかった。
「三十にもなってくると自分でも体が上手く動かなくなっていることは分かりました。岡野さんの引退の直接の原因は怪我だったけど、自分は若手以上には伸びないなという予感もあったと思います。自分もそれは強く意識しました。だけど、どこか楽観論があったのも事実です。自分は芽が出るのが遅かったから、まだピークは先なのではないか、いつか殻が破れるのではないかと」
殻を破る、その微かな感覚だけを頼りに彼は競技を続けた。
未だにしっかりとした定職には就いていない。給料は月単位二十万を超えたことがない。両親とも不仲になり、ここ数年は連絡もとっていない。結婚もしていない。
ミスター円盤投げは競技場から離れれば孤独だ。しかしそんな数々の代償を払い、彼の円盤投げの記録はこの十八年大きくは伸びずとも、ほとんど落とすこともなくキープし続けた。
彼の打ち立てた十八年連続全日本選手権入賞は、まさに人生を円盤に捧げてきた証拠だ。彼は今年十九回目の全日本選手権に挑む。
「十八年連続入賞は名誉なことではありますが、見方を変えれば十八連敗と一緒ですから複雑です。僕が狙うのは常に優勝、それ以外にないです。今年こそ殻を破って一位をとりたいです」
十八年間破れなかった殻がはたして今年破れるのかは疑問ではあるが、殻を破り頂点に輝く瞬間を信じ続けることが彼の人生だった。
全てを円盤に捧げた男、円谷聡。彼の人生が充実していたとはお世辞にも言うことは難しい。
少なくとも『今』は。