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二月三十日の待ち合わせ  作者: さらさら
一.陰鬱なき時間
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山頂の急転

 あと十八秒でホームルーム開始の鐘が鳴る。そんな頃に、祐はまだ更衣室を出てすぐの所に居た。

 細マチオは賢明にも、授業終了の七分ほど前に解散の号令を掛けてくれた。祐はすぐに、一目散に更衣室へと飛び込んで着替えを始めたのだが、そこで事件が発生した。

<俺の財布がねぇ!>

 と、体育館に声がこだました。更衣室に貴重品を置いておくのは危険だという事で、生徒によっては体育の授業中先生に預けておくのだが、そうして預けられた筈の財布が、細マチオの貴重品袋からなくなっていたのだ。

 ここで、一番に怪しがられたのが、急いで着替えを済ませて駆けつけた祐だった。誰よりも最初に、更衣室へと走り去った祐の行動は異常で、疑わざるを得ないというのだ。祐は、そもそも貴重品袋が先生の近くに置いてあった事を挙げ、自分はむしろ最も犯人から遠いのだと反論したが、激昂した当の被害者には理解されず、

<この泥棒め!>

 と、被害者は祐を口汚く罵った。祐は多少ムッとしたものの冷静で、細マチオも静かにそれを諌めたのだが、そこへ隆志が飛び出してきて、強く握られた拳で被害者の男を殴り飛ばした。

 細マチオがすぐに止めに入ったものの、被害者の男は頬に酷い打撲傷を受けて、保健室へと運ばれていった。一撃で受けた傷とは思えないほど、その頬は腫れていた。

 隆志は、被害者の男が貴重品袋に財布など入れていなかったと証言し、祐を陥れようとしたので殴ったのだ、と言った。

<たとえそうだったとしても、勘違いかも知れないだろう?>

<勘違いで罵声を浴びせてええんやったら、勘違いで殴ってまうのもええんやろ?>

 普段は先生に従順な隆志が、強い口調でそう言い返したので、それが屁理屈だとは分かっていながらも、細マチオは押し黙った。隆志はそれを見てから、祐の肩を二度叩いた後、体育館を出ていった。

 もちろん、隆志は着替えを終えてすぐに、細マチオによってどこかへと連れ去られていったのだが、その間に祐は隆志と顔を合わす機会があった。隆志はそして、柔らかく笑っていた。

 そうして、今に至るのである。祐はほんの十分ほどの時間に起きた事態にすっかり急ぐ気を失くし、丁寧に汗を拭いて体操服を畳んで更衣室を出てきた。何となく気だるい。それは恐らく隆志のせいに違いなかったが、祐に隆志を責める気は毛頭なかった。ただただ、彼に対する疑問が大きくなっただけである。

 チャイムの音がスピーカーから鳴り響く。他の生徒達がとっくの昔に走り抜けた廊下をゆっくりと歩んでいく祐は、じっと考えていた。

 自分を庇護しようとしている。それが、今回の件と最近を合わせ考えて、祐が辿り着いた結論だ。つまり、そこにどんな経緯があるのかは分からないが隆志が祐に対して庇護欲を感じており、その表れが最近の行動や今の事件に繋がっている、というのである。だがそうすると、何故この時期になって突然に庇護欲に目覚めたのか、という疑問にぶつかってしまう。祐はその疑問の答えを、精一杯に探していた。しかしどうもそれはピースの揃っていないジグソーパズルのようで、どれをどのようにはめ込んでいっても、どうしてもどこかが足りずに完成しないらしかった。

 今回ばかりは、隆志に訊いてみようと祐は決めた。ここまですっきりしない事が続くと、ノート作りにまで悪影響を及ぼしかねない。それは後々、美樹と祐との関係をもおかしくしかねないのである。庇ってくれるのはありがたいが、それで大事なガールフレンドを失わされては堪らない。

 祐が教室に着いたのは、結局十五分しかないホームルームの三分の一が経過した頃だった。

「遅い。遅すぎる。祐、君は何か理由があってこんなにも遅れたのか」

 静かに教室へと入った祐へ、黒板に明日の連絡を書こうとしていた先生……若くて胸にボリュームがあり、生徒にまで謎の色香を放ってくるので『お姉様』と呼ばれている彼女が、振り向きはせずにそう言った。

「廊下を走らないようにしていました」

「遅いのも時には良いがな。待ち合わせに遅れる男は最低だぞ」

 一部の生徒から笑い声が漏れた。祐は、すいませんとだけ謝って、自分の席へと座った。当然、前の席は空いている。祐はすぐ前の机を、じっと眺めた。

「さて、明日は水曜日だが、ちょうど図書委員会によるショートストーリーコンクールの締め切りだ。私も出したんだが、なんでも学校の健全化の方針に反するとかで断られてしまってな。このクラスから優秀賞を出したい私としては、君達に頑張って貰いたいんだ。頼むぞ、こういう細かな事が、私の校長からの心象に大きく関わってくるんだからな」

 お姉様先生の一つの特徴として、話の一区切りが長い事が挙げられる。自分で決めた終わりに至るまでは、生徒が手を上げようが口々に不満を漏らそうが、知った事ではないという態度である。これが功を奏して、お姉様先生は静かにホームルームや授業を進められる環境と、数十人の熱狂的なファンを手に入れた。

「お姉様の作品は、どんな物だったんですかー?」

「人妻、寝取られ、近親相姦。まあ、こんな所だ。君も読んでみるか、静」

 その一員である女子生徒へのお姉様先生の返答に、教室がざわめいた。

「そんなにも駄目だったか。いやはや、図書部の先生が苦い顔をする訳だ。……とにかく、誰か明日までに素晴らしいショートショートを仕上げて、私の成績を上げてくれ」

 そうお姉様先生が締めたと同時に、チャイムが鳴った。お姉様先生は事情を知らないらしく、祐に何か言うでもなく、真っ直ぐ教室を出ていった。

 次の、三時間目の授業は物理である。休憩時間は五分しかないので、隆志の帰還が間に合うかは微妙なところだ。祐は物理のノートと教科書をカバンから取り出しつつ、隆志の現在を想った。

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