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二月三十日の待ち合わせ  作者: さらさら
一.陰鬱なき時間
3/19

岸辺の平穏・3

 三次関数がノートにまとめる上で厄介なのは、やはりグラフの存在による所が大きい。それにはグラフが曲線を描く事や、頂点が二箇所できる事だけでなく、数字が極端に大きくなる事によるグラフ自体の整合性のとりにくさも一枚噛んでいて、正確に書こうとするとノートの上から下までをいっぱいに使っても足りないようなアンバランスなグラフを書く時には、整合性を諦めてグラフの横にでも『概形』と記す他ない。言わずもがなこんな表現は美しくないし、できるだけ避けたい物であるのだが、祐は今まさにそんなグラフ問題にぶち当たっていた。

 必ず通らなければいけない縦軸の目盛り二つが、三分の一と百二十。その比は三百六十にもなる。すなわち、百二十と定めた点から原点までを三百六十個に区切った内の最初の部分が三分の一なのだ。毎度毎時間考えさせられる課題に、五分ほど試行錯誤した後、祐は諦めていつものように『概形』を記した。

 これだけノート取りに熱心ならテストの点が良くてもよさそうな物だが、祐の成績は大体中の上くらいで、際立って良い訳ではない。美樹に至っては、むしろ平均より悪いぐらいである。だが恐らく、彼らの学力は一位,二位を争うほどに高いはずだ。彼らの得点がいまいち伸びない理由は、そのほとんどが丁寧に分かりやすく書こうとし過ぎての時間切れに由来していた。だから彼らの答案には、ペケ印は少ない。そして彼らは、例の三教科以外の先生には、高い評価を得ていた。

 それ故か、祐はよく先生に当てられる。単純に答えを述べるだけの問題ならともかく、グラフを描かなければならない場合には、立って黒板に書きにいくという大きなタイムロスが発生してしまう。だが、先生……特に白爺は、いくら祐が嫌な顔をしても、一授業に一祐の姿勢を崩さなかった。それで祐が対策として考案したのが、首ひねり回避である。

 首ひねり回避というのは、大雑把に言えば分からないフリをする作戦だ。それも大袈裟に行う事で、分からないから当てないで欲しい、という姿勢を明らかにするのが祐流である。この作戦は大体の先生にはかなり有効であり、夏休み少し前から今に至るまで、祐の指名される数は低層を保ってきていた。

「……じゃあ、この問題は……」

 ただし、この作戦にも解決されるべき大きな問題点がある。

「祐、お前だ。さあ書きに来い」

 それは、肝心の白爺には何ら効果を示さない事である。祐は溜息をついて、わざとらしく面倒臭そうな演技をして立ち上がった。

 たった一つの三次関数のグラフを書くというだけでも、それなりに面倒な作業を要する。少なくとも極値の座標と、縦軸切片、時には横軸切片まで求めて出さなければならないから、これらを丁寧にこなそうとする祐にとってすれば五,六分の大作業である。授業終了まであと二十分弱あるのだが、祐はさっさと終わらせてノートの構成についての思索に戻ろうと、普段より少し書き急いでチョークを滑らせた。

 『極大値y=5(x=3のとき)』と求められた答えを書いて、祐はチョークを置いて自分の席へと戻った。もし美樹がそのままノートに書いたとしたら、祐から絶縁を申し出るほどに簡略化した書き方だったが、白爺は満足げに頷いて大きく赤のチョークで丸をした。掛かった時間は四分。よく節約できたと思いながら、祐は今書き終えたばかりの問題を、今度は丁寧に詳細にノートへ解いていく。

「エンター数Ⅱの、前の所から百二ページまで宿題だ」

 白爺が問題集のページを指定するのを記憶に留めつつ、ノートをまとめに入る。増減表の罫線をより太くし、バランスの悪くなった『3』を綺麗に書き直す。そうして細かな修正を加えている内に、授業の終了を告げるチャイムが鳴った。

 チャイムが鳴った後、つまりは該当授業時間外にノートの編集をしてはならない。これも交換ノート部の基礎たる規則だ。授業時間の外で書いたらそれは私書であり、授業の内容を覚える為に作る授業ノートの概念には当てはまらない、というのが創設者の考えらしかった。祐は、そういう細かな事情に関わらず、単に競技性を高める、という点でこの制度に賛成だったが、美樹は自分のクラスの時計がいつも正確な時間を示さない事を挙げて、

<絶対、不公平だよ~っ>

 と、口を尖らせていた。学校という公機関は、何故か時計という物の修理や交換に関しては手回しが遅い。

「ほんま手抜きやったなぁ。白爺は分かってへんけど」

 ホームルームは午前に行われるので、六時間目の終了からは即解散となる。早めに教室を出ようとノートと教科書をかばんにしまう祐を、笑いながら振り返った隆志は、そう声を掛けた。

「やっぱり、分かるか」

「そらなぁ。極小値さえ書かへんとは思わんかったわ」

「面倒だからさ。……じゃ、また明日」

 あまり会話を続ける自信のない祐は、そう言って会話を切り上げた。そのまま立ち上がってかばんを肩に掛けると、隆志も笑い顔そのままに手を振って自分の片付けに入った。毎日の事である。自分でも素っ気無いと思っているが、やはり心が躍らず、つい会話を避けてしまう。

 さて、教室を出た祐だが、すぐに直帰する訳ではない。二階の二〇六教室に用があるのだ。とは言え、別に心躍る用事でもないので、階段を下りる祐の表情が緩んでいるという事もない。行き過ぎないように意識して二階で廊下へと出ると、祐は三階の三〇六教室と同じ位置にある二〇六教室へと歩いた。

 二〇六教室というのは一年生の授業教室なのだが、実はもう一つの顔を持っていて、放課後にはタロットカード部の活動場所へと変わる。このタロットカード部は一年生女子七人で構成されているのだが、同学年の友人らに散々勧誘して回った彼女らは、タロット占いを受けてくれる人を一年生中に見つけられなくなっていた。そこで白羽の矢の先を向けたのが、校内で知らぬ人なしの祐だった。

<占いには、タロットカードでも大アルカナの方を使うんです!>

<私達は、逆位置を考えない正位置タロット占いをしています!>

<先輩、悩み多そうですよね! ぜひぜひ!>

 と、見分けのつかない顔や声や口調の後輩女子生徒七人に聞き分けなく頼まれた祐は、逆に哀れに感じて断るのが申し訳なくなり、気が付けばタロットカード部の専属お客様となっていた。もう半年ほどになる。

「あ、祐先輩! 今日もありがとうございます!」

「いや。十分ぐらいで行けるよな」

「もちろんです!」

 二〇六教室に入るや否や、未だに誰が誰か分からない後輩七人が、まるで祐が人気アイドルであるようにして祐の周りに集った。いつもこんな風である。

「準備は出来ているんです! さあ、この二十二枚から一枚を選び取って下さい!」

「ああ」

 五分も掛からない仕事だから、この気後れするような中でも祐は何とかやってきている。また、少なくともこの半年間で、七人の技量は間違いなく上がっていた。最初はこうは手際がよくなく、いちいち準備と説明に時間を掛けていた物だ。

「じゃあ、これで」

「これですね~……じゃじゃーん。はい、出ました! ザ・タワー!」

「塔のカードですね。このカードは、知らない間に積もりに積もっていた何かが堰を切って流れ出てくる、あるいは突然の不幸に見舞われる、というカードです!」

 ただし、暗い内容をハキハキと憚る事無く説明するのは、やめるべきだ。と、祐は思っていた。適当に粗雑に扱われている気になるし、信憑性もかなり薄まる。それ以前に彼女らは情緒不安定なのかも知れないが。

「今日一日は、安全な所からガス抜きに徹すると良いかも知れません!」

「なるほど」

「以上です! お疲れ様でした!」

 と、後輩の少女達は追い出すようにして祐を教室から押し出した。これも、毎日の事である。何でも、部活動では女の子同士の熱いタロット勝負をするので、男人禁制なのだという。

 勝手にしたら良い。祐はそう思いながら、いつもと同じタイルを踏みながら廊下を階段へと戻った。

 階段をもう一階分下ると、校門はすぐ近くにある。祐は校門へ向けて、一人校舎を出た。行きも帰りも、祐が美樹と帰宅する事はない。と言うのも、校門を出てすぐ、祐と美樹は左右へ道が分かれているのだ。だから、ほんの三十秒ほどの会話の為に、わざわざ放課後に時間を合わせて帰宅しようという事を、二人はしない。

 帰ったら、化学のノートをもう一度よく見よう。祐はそう思いながら、校門をくぐった。

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