0007
少女が目を覚ましたのは、それから数時間が経った頃。陽光の届かない地底の洞窟は時の感覚を狂わせるが、地上はまだ月が傾き始めたばかりだろう。
「あれ、あったかい⋯?」
「起きたか?」
寝ぼけ眼の少女は、瞼を開けたり閉じたりを繰り返している。彼女の年齢は分からないが、見た目通りなのであればまだ睡眠時間は足りていない。
「うん⋯でも、まだねむ⋯」
「眠たいのなら眠っておくといい」
長らく同じ姿勢でアリアを抱きかかえているが、重さを感じないせいかレヴィは疲れてもいない。人間とは桁違いの体力を有する竜にとって、彼女のソファ代わりを務めるのは苦ではなかった。
しかし寝惚けながらも、アリアは自分の状況に気が付いた。レヴィの膝の上に居るのだと。
「えっ、あれ?もしかして⋯ずっとこのまんまで?」
「そうだが?」
「重くない?」
「全く」
「ずっとこのままでいるの、疲れない?」
「全く」
「⋯無理、してない?」
「私を見くびっているのか?」
眠っている間ずっと飛び続けている訳でもなく、ただ座っているだけ。それでどうして疲れていると思われるのか、レヴィには分からない。
若干の不機嫌を滲ませるレヴィを見上げて笑う少女は、すっかり目が覚めたようで凭れ掛かっていた身体を起こし、座っていた膝の上から降りていった。
「もう寝なくていいのか?」
「うん、すごくスッキリしてるわ。本当にありがとう、レヴィ」
顔色はまだあまり良くはないが、それはろくに食べていないせいだろう。
「本当に平気なら、そろそろ地上へ戻るか?」
どうにかして、アリアに食事を摂らせる必要がある。この洞窟がある地点からならそれほど遠くない『あの街』なら、レヴィが頼めば彼女を丁重に持て成してくれるだろう。
「地上⋯どこか、いい所を知ってるの?」
「ああ。お前を苦しませる者の居ない街がある」
かつて、気まぐれに降り立った縁で救った事のある街。どこの国にも属さず中立を貫き続けている妙な街だが、人間にしては珍しく話の分かる者が多い。
「レヴィの、馴染みの街⋯なのかしら?」
「そうだな」
あれは今から千年以上も前の事だが、かの街は代々に渡り神話として語り継いでいる。かつて街を救った竜の存在を。
「レヴィがそこまで思うのなら、きっと良い街なのね」
ずっと暮らしていた地を出た事の無かったアリアは、これから向かう新天地へと思いを馳せる。
「ならば、行くか」
言いながらその場に立ち上がり、全身に魔力を纏わせていく。地上へ戻るのにも同じ転移魔法を使う必要があるからだ。
「こちらへ来い。離れていれば置き去りになるぞ」
「うんっ!」
元気よく返事をする少女はレヴィの腕の中へと飛び込み、大きな身体へと勢い良く抱きついた。無邪気な反応に苦笑しながらも、受け止めた小さな少女を両腕で抱きかかえると、四枚の翼を羽搏かせてその場に浮かび上がる。
「しっかり掴まっていろ」
「うん」
膨大な魔力が噴き出し、魔法の発動が近い事を悟ったアリアは言われた通りにレヴィへとしがみつく。すぐ側から感じる少女の息遣いに安心した竜は、即座に転移魔法を発動させた。
そして辿り着いたのは、まだ夜明けも遠い深夜の地上。蒼白い光を纏っていた竜は空中に静止していたが、やがてゆっくりと地面へ降り立った。
「成功⋯?」
「私が失敗するとでも思ったか?」
「ううん、思わないわ」
自らの足で立つ事を望む少女はレヴィの腕から降りて、地面を踏み締めて辺りを見回す。見覚えすらない景色に瞳を輝かせているが、しかし夜闇の中では見える範囲も限られる。
「街は、近いのかしら?」
「少しだけ離れた位置に出た。私がこのままでは目立つからな」
言葉と同時に、竜の特徴とも呼べる角と翼が光り輝き、直後にはアリアの視界から消え去った。
「えっ、え?消えちゃった⋯?」
角と翼が無くなれば、その姿は人間の男性そのもの。しかし人とは異なる雰囲気と美貌はそのままで、どう考えても目立つのは間違いないと思えた。
「昔から、人間の街へ赴く時はこの姿だ」
「⋯擬態?」
「そうとも言えるな」
あまり表情の変わらないレヴィが、柔らかく微笑みかける。しかし少女は角のあった頭部を凝視しており、興味津々の様子でレヴィの微笑みには気付かない。
大抵の人間の女性はこの見た目に絆され顔を赤らめるものだが、アリアには一切通じなかった。
初めて出会った時に抱いた感情が蘇る。やはりアリアは『おかしな人間』だ。
「目的の街は、どっちの方向?」
遠くを見回して街を探す素振りの少女が尋ねてくる。二人が到着したのは、目的地から僅かに北上した地点。人の足でも数十分程度の距離だった。
「あちらの方向だ。少し進めば、深夜だが多少の灯りも見えてくるだろう」
南の方角を指して答えると、アリアが楽しげに歩き出す。
「早く行きましょ、レヴィ!」
「前を見て歩け。転ぶぞ」
「大丈夫よ~」
遅れて歩き始めるレヴィへと振り返るアリアは、やはり何も無い平原であっても度々躓いていた。転びはしないもののギリギリで踏み止まる体勢を繰り返していれば、骨格を損傷してしまいかねない。彼女に着せた服によって外傷は防げても、身体の内側までは守れない。
「前を見て歩かないのなら、また抱き上げて運ぶぞ」
軽く忠告してやれば、アリアは素直に前を向いた。悟られないよう安堵の溜め息を吐いてから少女の隣に並び、すぐにもあちこちへ視線を向けるアリアの細い腕を掴んだ。
「前を見て歩けと言っているだろう」
安堵したのは束の間だった。まるで幼子のような少女は、あらゆるものへと興味を持ってしまっている。
「心配しすぎよ?」
「何度も躓いているからだ」
「そんな事ないと思うけど⋯」
「自覚が無いのか」
目を離せばその隙に、そこらで転んでいる気がする。掴んだ腕を離してはいけない⋯レヴィにそう思わせてしまうほど。




