0006
少女が落ち着いた頃、レヴィは確かめるようにアリアへと問う。
「お前が元住んでいた街へ、帰りたいと望むか?」
「⋯⋯⋯」
帰りたいと言うなら、帰してやるつもりでいる。しかし望まないのであれば、あんな西の辺境ではなく東へ⋯そう考えていた。
「⋯どうしたいのかな、私」
「分からないのか」
静かに首肯する少女は、真っ直ぐに泉へと視線を向けている。
「あの国は実力主義でね。力と才のある者なら誰でも取り立ててもらえるわ。だから私も頑張ったの」
「魔法の創造と改良、か」
「だけどね⋯盗られちゃったの。こんな小娘に、そんな大それた真似が出来るはずないだろうって、地位のある人達が、私の魔法を自分達が創ったんだって、言い張って⋯」
「⋯⋯⋯」
あの時現れた、伯爵と呼ばれていた男を思い出す。奴はアリアを『飼い慣らした』とまでほざいた。最初から利用するつもりで、彼女に接触していたのだろう。
「そしたらね、私が盗人扱いされちゃってね。潔く処分してくれればいいのに、私の事⋯罪人として、閉じ込めようとして⋯」
「黙れ」
聞くに耐えなかった。
こんな少女が、自嘲しながら言っていい話ではない。レヴィの元へ逃げてきたのも、そうした輩から追われたせいだろう。
そして服が裂かれていたのは⋯奴らが彼女の身を汚そうとしたから。
「レヴィ⋯?」
片腕で抱き寄せて、アリアの言葉を遮る。
同胞の膝元であるあの地でなければ、灰燼に帰していたところだ。それほどまでに、レヴィは怒りを覚えていた。
「怒って、くれてるの⋯?」
「当然だろう。そんな下衆な人間、滅ぼしても飽き足らない」
「優しいのね、レヴィは」
大きく頼もしい胸に凭れ掛かって、しかしアリアはレヴィが発した言葉を指摘する。
「でも、私も人間よ」
「お前と奴らは違う」
「違わないわ。逆の立ち位置だったなら、きっと私も酷い事を平気でしたかもしれないもの」
人は、環境によって行動が左右される。今回はアリアが搾取される側だったが、地位を持つ側だったならどうしていたかは分からないから。
「仮定の話に興味は無い。私が助けようとしたのは、今のお前だ」
レヴィは迷わず断言する。隣に座る少女は、彼女を害そうとした人間とは違うのだと。
抱き寄せた華奢な肩へ触れる手に力を込めたところで、押し殺すようなか細い呻き声が聞こえた。
「っ、すまない。痛かったか?」
慌てて肩から手を離し様子を窺う。目を閉じて堪える素振りを見せた少女は、しかしすぐに笑みを浮かべていた。
「だい、じょうぶ⋯」
「まだどこか怪我をしているのか?」
アリアはこの時、理解してしまった。隣に居る竜は、とても心配性なのだと。無愛想に見えて慈愛に溢れた、とても優しい竜だと。
「本当に大丈夫よ。怪我なら、自分で治せるもの。レヴィも知っているでしょう?」
「それは知っているが⋯」
彼女は自身を蔑ろにしがちだと、短い時間ながらに気付いている。例え自分が傷を負っていても、周りに怪我人が居ればそちらを優先してしまいそうだ。
だからこそ分かってしまう。今のアリアが、まだ怪我を隠していると。
「見せろ」
「えっ?」
「隠している傷を見せろ」
金色の瞳は、真っ直ぐにアリアを見つめている。人間とは違う存在のレヴィが邪な理由で詰め寄っている訳ではないと分かっていても、抵抗感は拭えない。
本来は竜だとしても、目の前にいるレヴィは紛れもなく男だから。
「だっ、大丈夫だから!本当に!」
「嘘をつくな。今も痛がっていただろう!」
心から案じてくれている。それが分かるからこそ、アリアは困ってしまう。正直に話せば、彼は納得してくれるのだろうか。
人とは違う感覚を持つ竜に、通じるのかは分からないけれど⋯。
「そうよ、怪我は残ってる!でも⋯見せられないよ」
「何故だ?」
「脱がなきゃ見せられないもの!」
「⋯⋯⋯⋯」
その瞬間、レヴィはぴたりと動きを止めた。自身が男の姿であり、目の前にいるアリアが少女だと、正しく認識しているから。
彼女に渡したローブが仇となる。あらゆる魔法を付与したその服は、回復魔法さえもその効果を減衰させてしまうから。
「⋯怪我があるのは、身体のどこだ?」
「⋯⋯あ、あちこち。本当に、たくさん⋯」
盛大な溜め息を吐くレヴィは、方法を考える。こうしている間にも、彼女は身体の痛みを我慢しているに違いないのだから。
「後ろを向いたままでいい。脱げ」
「えっ!」
「何なら目を閉じておく。それなら良いだろう」
視覚に頼らずとも、魔力を追えばアリアを見失う事は無い。彼女の身体に治癒魔法を掛けるだけなのだから事足りる。そうしてレヴィは、先に瞼を閉じていく。
「早くしろ」
「う⋯目、開けないでね?」
閉ざされた視界。しかし耳に届く音で、アリアがゆっくりと服を脱いでいるのが分かった。翳した手の先へ魔力を込めて、魔法を発動させる準備を整える。
身動きの音が止まり、アリアが服を脱ぎ終えたのだと判断したレヴィは、すぐさま治癒魔法を放つ。同時に、勘づかれないよう薄らと片目を開けて傷の状態を確かめた。
瞳に映ったのは、あまりにも痛々しい後ろ姿。血を流すほどではなくとも、赤く腫れた痕は鞭のような物で打たれたのだろうと想像出来る。さらに各所へ残る青い痣は、彼女がこれまで受けてきた残酷な仕打ちを物語っていた。
「⋯痛みは、もう無いか?」
心の奥底で怒りの火種が燻っている。何故、こんな少女をここまで痛めつけられるのか。
「もう、大丈夫よ⋯ありがとう」
再び聞こえてくる布の擦れる音を耳にして、薄く開けていた目を閉じる。急に振り返られでもしたら、見ていた事に気付き彼女は怒るだろう。
「目、開けていいよ?」
許可が降りたところで、今度は普通に目を開けてアリアの姿を確かめる。渡した上着も肩に掛かっており、元の状態に戻っていた。
「もう我慢はしていないか?」
「心配しすぎよ、レヴィ。言ったでしょう?私はこう見えても丈夫なのよ」
言いながら、不自然に開いていた距離を埋めるようにアリアが座る位置をずらしていく。しっかりと手の届く所まで来ると、大きな蒼い瞳は真っ直ぐにレヴィを見上げた。
「どうした?」
じっと、何かを窺うような視線がレヴィへと縫い付けられている。
「⋯きっと、見たんだよね?あの痕を⋯」
表情を変えてはいない。視線を彷徨わせた訳でもない。しかし少女は、レヴィが目を開けてアリアの裸を見た事に何故か気付いている。
「見ていない」
「でも、真っ直ぐに魔力が流れてきたよ?」
「目を閉じたところで、魔力を追えば方向を見失う事は無い」
「見えないところだから、気付かれないと思ったんだけどなぁ」
「いずれ気付いた。あれほど腫れていれば⋯」
「どうして腫れてるって分かったの?」
「⋯⋯⋯⋯」
しまった⋯。
内心でそう呟いてしまうほど、上手く乗せられて白状してしまった。見たのだと。
ばつの悪さに視線を逸らすレヴィだが、アリアはまた笑っている。
「ごめんね、こんなに簡単に引っ掛かるとは思わなくて⋯」
肌を見られた事は気恥ずかしいが、怒ってはいない。ただ、人間を良く思っていないと分かるからこそ、これ以上人間の醜さを彼に知られたくなかった。
「こんな傷はね、ずっとだから⋯もう慣れちゃったの」
「ずっと⋯?」
笑顔の裏に見え隠れする闇。それは色濃く彼女の精神を蝕んでいる。やはり、あの地にアリアを帰す事は出来そうもない。
「先程は尋ねたが、今度は訊かない。お前を攫って、どこか遠い場所へ連れて行く」
東にあるあの街なら、きっと彼女も平穏に過ごせるだろう。人間の興した街だが一つだけ、他よりも幾分か心を許せる場所をレヴィは知っているから。
「ありがとう、レヴィ」
いつしか、笑顔は消えていた。何故か涙を流す少女はレヴィの隣で、小さな身体を震わせている。
「本当は⋯帰るのが、怖かったの⋯また、殴られるのかなって⋯⋯」
「お前を虐げる者はもう居ない」
「うん⋯レヴィが私を、攫ってくれるから⋯」
「⋯⋯少し眠れ。目覚めたら移動する」
腕を伸ばしてアリアの身体を抱き寄せ、自分へと凭れさせた。肩に掛かる上着の布ごと包み込んでしまえば、彼女が寒さに震える事も無いだろう。
「⋯レヴィ」
「何だ」
「⋯夢が⋯あるの⋯」
どこかふわふわとした声は、アリアの意識を睡魔が乗っ取ろうとしている証拠。喋らずそのまま眠ればいいのに、彼女はぽつりぽつりと呟く。
「⋯⋯家族が、欲しいなって⋯」
「居ないのか⋯?」
「最初から、ね⋯⋯会ってみたかった、なぁ⋯おかあさん⋯」
やがて声は途切れ、代わりに静かな寝息がレヴィの耳へ届く。ようやく眠った少女の身体を抱きかかえて、座る自身の膝の上へと乗せた。
ローブに守られているとはいえ、地面は冷たく硬い岩が剥き出している。そこに座ったまま眠っても身体の疲労は癒えないだろう。
「やはり、軽いな⋯」
膝の上に乗せていても、全く重さを感じない。あの街へ移動したら、まずは何か食わせるべきだ⋯幼い寝顔を見下ろす竜は、そう心に決めていた。




