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昨日まで続いていた晴天と打って変わって、今日の空には厚い雲が広がっている。今にも降り出しそうな天候だが、レヴィは変わらず同じ場所でアリアを待っている。しかし空を見上げれば曇天。これから崩れるのが分かっている空模様の中では、来なくても仕方ないとさえ思う。
しかし、彼女は現れた。
あまりにも、無惨な姿で。
「⋯アリア?」
長く伸びた緋色の髪が、酷く乱れていた。元々綺麗とは言い難い身に纏うローブは更に汚れ、あちこちが破られており肌を晒してしまっている。そして彼女の顔には、目立たないが殴打の痕が残されていた。
「何があった?」
いつものように座って待っていたレヴィだったが、彼女の姿を見た瞬間に立ち上がり、立ち尽くすアリアの傍へと近付いた。
「⋯ごめん、ね⋯こんな、姿で」
「そんな事はいい」
翼を広げ、彼女の姿を覆う。誰も来ない場所ではあるが、万が一という事もある。
頬の少し下に見える腫れた箇所へ指を伸ばし、レヴィは少しの魔力を彼女へと向ける。治癒魔法を掛けてやれば、痛々しい殴打の痕は綺麗に消え去った。
「ありがと、レヴィ」
「この程度、自分でも治せただろう。何故⋯」
問い掛けてから気付いた。少女の首には、昨日まで見なかった金属製の輪が着けられている。即座に【眼】を発動させ、アリアの首に嵌められた物の正体を探った。
「どうして、こんな物を⋯」
魔力阻害の呪詛が込められた魔石が組み込まれ、首輪そのものにも強い呪いが掛けられている。こんな物を着けられていれば、自分で魔法を使う事は出来なかっただろう。
「外すぞ」
無言のまま僅かに頷くアリアの反応を見てから、ゆっくりと手を翳す。呪詛の源となる魔石と、金属で造られた首輪に向けて、高濃度の魔力を流し込んでいく。粗末な魔石ではレヴィの力に耐えられるはずもなく、首輪ごと瞬時に砕け散った。
呪詛から解放された直後、アリアの身体が傾いていく。気力だけでここまで辿り着いたのか、糸の切れた人形のように崩れ落ちる小さな身体を、レヴィは咄嗟に伸ばした腕で抱き留めていた。
「おい、アリア⋯」
「⋯⋯て」
「⋯え?」
「⋯たす、けて⋯⋯レヴィ」
初めて聞いた弱々しい声と、初めて見る泣き顔。乱れた呼吸は、彼女が必死にここまで逃げてきた証。白い竜が待っていると信じた彼女は、藁にも縋る思いでここまで走ってきたのだろう。
「何に追われている?」
「私を、拾ってくれた、人⋯」
「どういう事だ?」
やがてレヴィは気付く。この泉に近付いてくる数名の気配がある事に。
彼女のように清廉な魔力ではない。制御も出来ていない汚れた魔力の色を遠くに視認して、殺意を滲ませていく。
「葬る⋯」
「⋯だめ、殺さないで」
「は?お前にこんな真似をした人間共を、生かせと?」
「でも、だめ⋯お願い、レヴィ!」
「⋯ちっ!」
守るように抱きしめた少女は、涙の滲む瞳でレヴィを見上げ懇願する。助けを求めるほど痛めつけられ、自力で治癒する事も許されない状態に追い込まれ、それでも殺す事を拒否するのが何故なのか、竜には理解が出来ない。
「私に掴まっていろ。奴らに罰を下す」
「⋯え、レヴィ?」
そう言った直後、レヴィの身体が光に包まれた。次第に膨張していく輝きは、初めて見たあの時と同じ大きさまで広がるとゆるやかに光を収めていく。
「わぁ、あの時の、白い竜!」
『黙って翼の影に隠れていろ』
小さな少女は、いつの間にか白い竜の背に乗せられていた。言葉通り翼が動き、アリアを隠すように畳まれている。
やがて満を持して現れたのは、おそらくアリアを追っていただろう数名の男達。見るからに野蛮な出で立ちで武器を持っているものの、あまりにも粗末な構えにレヴィは溜め息を吐いた。
『何者だ、ここから去れ』
普段よりも低めた声を響かせて、現れた暴漢達を威嚇する。これで怯み退散してくれれば解決だが、この手の人間は諦めが悪ければ頭も悪い。
「うおっ!なんだコイツ!」
「おい、逃げ出した女はどこだ、探せ!」
眼前に立ち塞がる竜の存在に、武装した男達は怯んでいるものの、命令を出す上役らしき身なりの良い男は怒鳴り散らしている。おそらくアレが、アリアを傷付けた首謀者かそれに近しい者だろう。明確な標的と認識し、金色の瞳を細めて睨み付けていた。
「伯爵様ぁ、こいつ白竜だぜ!希少種じゃねえか!」
「黙れ役立たずが!あの女はせっかく飼い慣らした優秀な術者だ、絶対に逃がすな!」
「でもこの竜、こっち見て⋯」
「うるさい!高い金を払って雇ってやってんだ!そんなデカいだけの竜もまとめて殺してしまえ!」
喚き続けている伯爵と呼ばれた男の言葉は、文字通り竜の逆鱗に触れていた。
ここまで性根の腐った人間に、己を癒した恩人でもある少女が傷付けられた。その事実は【神】を冠する竜を本気で怒らせていく。
『言葉の通じぬ下衆が⋯』
最初から分かっていた事なので、驚きはしない。
本当は塵も残さず消し去ってやりたかった。しかし殺すなと言われたので、レヴィは極力加減をして魔力を解き放つ。
逃げられないよう足元を凍らせて動きを封じ、泉から浮き上がらせた水を男達の周囲へと撒き散らす。弾けた飛沫もまた凍りつき、目の前の竜を狩ろうと意気込んでいた人間達は唐突なブリザードに包まれ、視界も身動きの余地すらも奪われていた。
さらにそこへ、風の力を加えていく。大気を操り彼らの呼吸を遮れば、窒息と奪われた体温のせいで順に気絶していった。
「凄い⋯こんな、一瞬で⋯」
大勢の人間の意識をまとめて刈り取る場合によく使う魔法の組み合わせ。アリアを害そうとしていた人間達は等しく地面に倒れているが、彼女の頼み通り命までは奪わず泉の畔へと捨て置く事にした。




