0003
「あっ、レヴィ!よかった、居てくれたのね?」
翌日、アリアは本当にやって来た。泉の傍に座り声の主へと振り返るレヴィは、怪訝に金色の目を細めた。彼女の顔色が昨日よりも悪い。
「お前が会えと言ったんだろう」
「うん、でももしかしたら、もう居ないかもって⋯」
他愛のない会話を重ねながら、アリアもまたレヴィの隣に座った。
「押し付けられただけだが、約束は約束だ」
冷ややかな言葉で返すが、アリアは何故か驚いた顔をしている。
「⋯何だ、その顔は」
「え⋯あっ、ううん!レヴィって、優しいのね」
「この程度は、人間でも普通の事だろう」
「普通⋯⋯だったらいいのになぁ」
何を言っても明るく朗らかなアリアだが、ほんの少しだけ表情を曇らせている。蒼い瞳には憂いの色が滲み、何か悩みがあるのだと他人事ながらに察した。
人間の事情に首を突っ込む気は無い。彼女が何を憂いていたとしても自分には関係ない。そう割り切ればいいと頭では分かっていて、それでも放っておけなかった。
「何かあったのか」
「⋯えっ?」
「昨日より顔色も悪いな」
「え~?そんな事、ないと思う⋯よ?」
否定しているが、図星なのは明白な反応だった。
「話せばいい。聞くだけならしてやれる」
「⋯⋯⋯⋯」
視線を泉へと向けて、相変わらずの無愛想な態度で促す。聞いたからとて何をする気もない。ただ、聞くだけ⋯この時は、そう心に決めていた。
「私の魔法が、認められたんだよね」
「⋯認められた?」
躊躇いがちに発せられた一言で、レヴィは逸らしていた視線をアリアへと向ける。真意を探るように表情を眺めていると、言葉とは裏腹に少女の声は沈んでいった。
「私ね、魔法を創ってるの。全く新しい魔法や、元からある魔法を改良したり、ね」
「人間にそんな事を出来るとはな」
彼女がしている事は、神の領域にも近しい。レヴィにとっては息をするのと変わらない感覚で行えるが、人間に出来る者がいるとは思ってもいなかった。
「認められたのなら、喜ばしい事ではないのか?」
能力を認められる事、それは人間が求める栄誉の一つと考えている。何を憂う必要があるのかと、レヴィは疑問を抱いた。
「認めてもらったのは嬉しいんだけど、ね⋯」
それから、アリアは少しだけ沈黙してしまう。話す事を躊躇っているのは、彼女を取り巻く環境が決して良いものではないという証だった。
「私に掛けた治癒魔法も、改良したものか?」
彼女の憂いを晴らす事は出来ない。だが、今ここでの時間くらいは余計な事を忘れてしまっても許されるだろう。
問い掛けてみれば、アリアは晴天の如き笑みを浮かべると俯かせていた顔を上げ、レヴィへと向き直った。
「うん、そうなの!」
「竜に効く回復魔法はそう多くはない」
背中の翼を動かし、既に元通りになったのだと示すように軽く羽搏かせる。翼の動きに合わせて吹く風が、彼女の長い髪を揺らしていた。
「⋯痕も残ってない?もう、痛くない?」
「あぁ、もう平気だ」
しかしあの傷も、人間によって負わされたものだと告げれば、彼女はまた表情を曇らせるのだろう。言うつもりは無いが、人間という存在に対して抱く悪感情をアリアに向けるのは筋違いだと理解している。
「良かった⋯あなたみたいな綺麗な竜に、傷は似合わないもの」
「⋯⋯」
また彼女は綺麗だと言った。人に似せているとはいえ、人とは異なる容姿の今も、そして竜の姿をも褒める彼女の美の基準が分からない。
「何か、機嫌悪くさせちゃった?」
「いや⋯」
「しかめっ面」
唐突に接近してきたアリアが、レヴィの眉間に指を当てる。
「せっかく美人なのに、こんなとこのシワ、勿体ない」
「⋯⋯⋯近い」
膝立ちでレヴィの顔を見下ろし、細い指先で眉間をぐりぐりと解そうとする。こんなにも人間に近寄られたのは初めてで、レヴィは密かに動揺していた。
「離れろ」
アリアの手首をそっと掴み顔から離させる。僅かに力を込めれば容易く折れそうなほどの細さに触れて、伸ばされたはずの皺が再び眉間に刻まれていた。
「お前⋯痩せすぎではないのか?」
世界を回った時に見かけた事がある。食べ物がなく飢えた人間を。触れた事は無いが、彼女の細さはそうした飢餓者に近いものを想起させる。
「えっ、そうかな?」
「細過ぎる⋯」
「心配してくれてるのね?」
「別に⋯」
「素直じゃないなぁ」
明るく笑うアリアが、かつて見た飢餓者のような状態とは思いにくい。細いが、僅かに柔らかさもあった。温かく小さな手を凝視して思案していると、再び笑う声が聞こえた。
「⋯何だ」
「ふふっ、レヴィあなた⋯女の子と接した事、あまり無いのね?」
「そもそも人間とは関わろうとしていない」
「なるほど~⋯だからこんなに私の手、まじまじと見て触ってるの?」
言いながら、手首を握るレヴィの手へと触れる。
「でも、私とは関わってくれるのね?」
「ただの気まぐれだ」
やがてレヴィは手を離し、視線さえもアリアから逸らす。
彼女の存在は、どうも調子を狂わせられる。傲慢で欲深く、心根の醜い者しか居ないと思っていた人間という種。しかしここに現れたアリアという少女からは、そうした不快なものは何一つ感じない。それどころか他愛のない会話とやり取りに、どこか心地良さを覚える。
全ての人間が彼女と同等でさえあれば、奴の言葉を心から否定も出来たはずなのに⋯。
「あっ、もうそろそろ帰らなくちゃ!」
唐突にアリアが空を見上げて呟く。頂点にあった太陽は僅かに傾き、時間の経過を報せている。
「ね、レヴィ」
「何だ」
「明日も⋯いる?」
「⋯何故?」
「また、会いたいなって」
一度は彼女の望みを叶えてやった。それは傷を治してくれた礼もあったから。しかし明日もとなれば、話は変わってくる。これ以上人間と深く関わるつもりが無いレヴィは、容赦なく彼女を突き放す気でいた。
「これで終わりだ。私はもうじきここを去る。会う事も無いだろう」
「⋯⋯レヴィ」
視線を逸らし、アリアの姿を完全に視界から外す。このまま諦めて彼女から見限ってくれれば、後腐れなくこの地を離れられる。
これでいい。ほんの気まぐれに話しただけの人間だ。彼女のような、純真で綺麗な心を持つ者もいると知れただけで十分。
そうして離れていくのを待っていたレヴィの身体に、突如として軽い衝撃が訪れる。
「⋯っ!」
細い少女の腕が、レヴィを抱きしめようと伸ばされる。油断していたせいか、大柄な身体は小さなアリアに難無く捕らえられていた。
「ッ、おい⋯離せ!」
横から抱きついてきたアリアの腕を引き剥がそうと掴むが、やはり細い。壊してしまいそうで、手荒に離させる事も出来なかった。
「もう会えないなら⋯もうちょっとだけ、私に思い出をくださいな」
レヴィの首元に抱きつくアリアは、少しだけ悲愴の滲む声で言った。無邪気な少女から発せられたとは思えない重みのある一言に、つい抵抗する気を削がれてしまう。
「⋯思い出が欲しいとは、どういう事だ?」
聞けば後戻りが出来ないと分かっているのに、黙ってはいられなかった。彼女を突き放した自分が、彼女の抱えているものに触れる資格など無い。
「⋯内緒」
「⋯⋯⋯」
そして逆にレヴィが突っ撥ねられる事になった。意趣返しのつもりかと視線を向ければ、彼女は笑っている。
どうやら、術中に嵌ったのはこちらのようだ⋯。
「分かった。明日も居れば良いのだろう?」
「やっぱりレヴィは優しいね」
「よく言う」
してやられた悔しさはあるものの、悪くない心地だった。彼女の仕掛けた罠は他者を害するものではなく、ささやかな願いのため。偶然に出会っただけの竜と『もう一度会いたい』という、あまりにも欲のない願い。
この程度の願いにすら応えてやれないようでは、自身が冠する『神』の名折れでしかない。
「待っていてやる。だから、離れろ」
「うんっ」
ようやく腕を離したアリアは立ち上がり、昨日と同じように踵を返して走り出す。やはり躓く事が多いのか、姿が見えなくなるまでの僅かな間でさえ、何度もよろめいていた。
危ないから走るな⋯と、明日は注意しておこう。




