第1章 再会 ―灯(あかり)― 受け継がれたぽかぽかの魔法 ―
午後のカフェ、渦を描くミルク、やわらかな光。
環が大切にしてきた言葉の“源流”に、あの日の笑顔で再び出会います。
「ぽかぽか」はどこから来て、どのように育ったのか――その答えがここに。
柊と凪とともに取引先とのミーティングを終えた帰り道、
環はふと、カフェの前で足を止めた。
「少し寄っていこうか」
そう言って三人で店に入る。
やわらかな午後の光がテーブルを照らし、
カップの中でミルクがくるくると渦を描いていた。
その時、入口の方で誰かが声をかけられているのが聞こえた。
聞き覚えのある声――。
環は思わず立ち上がった。
「あの……もしかして、灯さんですか?」
「え? あれ? 環ちゃん?」
驚いたように目を丸くした女性が、少し照れくさそうに笑った。
「よくわかったわね、私のこと。こんなになっちゃったのに」
右手には杖、左足には装具をつけていた。
それでもその笑顔は、昔と変わらない温かさを放っていた。
「三年前に脳出血でね、左半身が麻痺しちゃったの。
でも、こうして介助してもらえば外に出られるようになったの。
今はフルリモートで仕事してるのよ。
大好きなディズニーランドにまた行きたくて、リハビリ頑張ってるの。」
そう言って笑う灯の声は、どこまでも明るく、
むしろ以前よりも軽やかに聞こえた。
「障がい者になったけどね、今のほうがずっと幸せかもしれないの。
こんなでビックリしたでしょ、ごめんね。
でも声をかけてくれてうれしかった。久しぶりにぽかぽかしたよ。
……長話ししちゃったね。お連れの方、待たせちゃったでしょ。
ありがとうね、環ちゃん。会えて本当にうれしかった。」
灯はそう言って、変わらぬ笑顔で手を振った。
相変わらず、誰かのことを気にかけている人だ。
――そして今でも、「ぽかぽか」という言葉を使っている。
席に戻ると、柊と凪がこちらを見ていた。
「今の方、環さんのお知り合いですか?」
「はい。灯さんって言って、私が初めて入社した会社の先輩なんです。
すごく優しくて、強くて……ちょっと天然で。
私と同じ“失感情症”なんですけど、いつも表現がすごく素敵で。
“ぽかぽか”とか“チクッ”とか“ドキドキ”って言葉、全部灯さんの真似なんです。」
環は少し懐かしそうに笑った。
「灯さんは、誰かの罪をかぶって退職したんです。
私、その時たまたま休みで……職場で書類が紛失して、
休み明けに灯さんが辞めたって聞いて。
初めて胸がチクッてしたんです。
灯さん、ミスするような人じゃなかったのに。
いつも誰かを助けてて、短縮勤務の人に『私がやるから早く帰りなさい』って。
……助けられなかった自分が悔しくて。
でもそのことを話したら、灯さんこう言ったんです。
“環ちゃん、それは違うよ。誰かがやったことにすれば会社も楽でしょ。
私のことより、自分を責めないで。ありがとうね。”って。」
その時の灯の穏やかな声が、今でも耳に残っている。
「……環のやさしさは、その人のおかげでもあるんだな」
柊が静かに言った。
「いたんですね~、環さんの師匠!」と凪が笑う。
「はい。まさに師匠です。今でも、迷った時は灯さんならどうするかなって考えます。」
環が窓の外を見ると、灯がゆっくりと歩いていく姿が見えた。
一歩一歩を噛みしめるように、それでも笑顔で前を向いて。
「あそこまで歩けるようになるって、相当大変だったんだろうな。
でも“今のほうが幸せ”って言える人、ほんとに強い。」
柊の声に、環は小さくうなずいた。
「はい。あ、そうそう――この簪、灯さんの真似なんです。」
「そういえば、環さんと同じような髪型してましたね。」
「片手が使えないのに、どうやってるんだろうな。」
「そうですね……きっと、片手でもできる何かを見つけたんですよ。灯さん、かっこいいです。」
「環さんが“かっこいい”って言うの、柊先輩以外では初めて聞きましたよ!」
「はぁ? おまえは何を言ってるんだ。」
「ふふ。凪くん、灯さんの“かっこいい”と柊の“かっこいい”は少し違いますよ。」
「環……おまえもよくそんなことサラッと言うな。」
柊は頬のあたりが少し熱くなるのを感じた。
「……環さん、いい顔してますね。」
「そうだな。あの人に会えて、また少し強くなったんだろう。」
柊の横顔を見ながら、環は静かに窓の外へ目をやった。
外では、淡い光が街を包みはじめている。
髪に差した簪が、その光を受けてそっときらめいた。
それは、灯の笑顔のようにあたたかく、
ぽかぽかとした魔法の余韻を残していた。
――ぽかぽかの魔法は、今もここにある。
“今のほうが幸せ”と語る灯。
強がりではない、その静かな強さが胸に灯りをともします。
環が受け取ったやさしさの言語は、たしかに今も息づいていました。




