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第49話 「アベル=ユークリッド」


「お母さん、なんで僕の右目は紅いの?」


「それはね、アベルがお父さんの子だからよ」


「お母さん、また本を読んでよ。僕、『英雄王伝説』がいいな」


「アベルは小さいのに、難しい本が好きなのね」


「お母さん、友達が(いじ)めるんだ。僕の目が紅いから魔物だろって……」


「そんなことないわ。アベルはとっても良い子よ。ね?」


「お母さん、また引っ越すの?」


「次に行く所は港町だから、きっとお魚が美味しいわよ? お母さん、頑張って美味しいお料理をたくさん作るからね」


「お母さん、これを目に入れるの? 怖いよ……」


「大丈夫、お母さんが手伝ってあげる。ほら、これでもう魔物だなんて言われないわよ?」


「お母さん、食欲ないの?」


「うん……。風邪かしら? お母さんは気にしないで、アベルはしっかり食べなさい」


「お母さん、お父さんってどんな人だったの?」


「……」


「お母さん、僕、お腹空いたよ」


「…………」


「お母さん、また本を読んでよ」


「………………」


「お母さん、お母さん。ねぇ、お母さん。ねぇってば……」




△▼△▼△▼△▼△




 母親と別れた後、アベルは1人で生きて行く事になった。

 頼れる大人も、心を許せる仲間もいない。だがアベルにとって、それは苦痛では無かった。幸い、アベルには1人で生きていく「力」があったから。


 『根源魔法』……。この魔法はアベルに2つの「力」を与えた。

 1つは、身体強化。この力があれば、盗みを働いても捕まる事は無い。戦いになっても負けはしないが、ノロマな大人に追いつかれる事などそもそもあり得ない。

 もう1つは、見えないものを見る力。魔力を眼に集中させれば、魔力が、人の感情が色になって目に映る。透視の様な事だって可能だ。思考そのものを読む事までは出来ないが、この力があれば、人を(だま)す事など容易(たやす)いものだ。


 1つ目の力については、母から聞いた事があった。父も、身体強化が使えたらしい。

 だが、2つ目の力は父にも無かったらしい。アベルは、自分だけのこの能力を≪悪女の魔眼(ラヴェンツァの瞳)≫と名付けた。

 「ラヴェンツァ」とは『英雄王伝説』にも登場する、かつて帝国の皇帝を(たぶら)かして内戦に導いたとされる、実在した人物である


 アベルはこの2つの力で、盗み、(だま)し、時には殺して生きてきた。

 人に追われる事など日常だが、捕まりはしない。(たわむ)れに、わざと追いつかせて戦いになった事もあるが、どいつもこいつも弱すぎる。大人と言っても身体強化を使ったアベルには手も足も出ない。


 そんな日々を過ごしたある日、アベルはイェール盗賊団と名乗る集団と出会った。

 その日暮らしの生活にも飽きてきた。彼らを利用して何か大きい事をしてみるのも一興だろう。……アベルには目的も何もなく、ただの興味本位で盗賊団に加わった。


 幸い、盗賊団は誰もが頭の悪い能無しばかりだ。感情を読み取りつつ言葉を選べば、容易(ようい)にコントロールする事が出来た。

 団にルールを設け、行動指針を示す。外見が10歳程度の子供に容易(たやす)く誘導されて、しかもそれに気付いていない。本当に愚かな連中だ。


 大きな事を()すためには「力」がいる。それは単純な腕力では無い。「数」という名の力だ。「数」を動かす為には金が必要だ。大量の金を手に入れる為には、旅人や小さな村を襲っていたのでは(らち)が明かない。だから町を標的にする事を提案した。

 最初は団長のハーゲンは渋ったが、「子供の自分が孤児として町に潜入して獲物を探す」事を懇切丁寧(こんせつていねい)に説明して、何とか説得に成功した。


 標的の町・シュアープへの潜入に成功し、獲物を物色する。程なくして、貴族の令嬢が居るという事を知った。身代金誘拐が思いつくが、リスクが高い。それよりも他国へ奴隷として売った方が安全だろう。貴族の娘なら高値が付く筈だ。


 どうやって令嬢に近づき、誘拐のチャンスを得るか……、そう考えて数日を過ごしていると、孤児院の中で「ある物」を見つけた。

 「それ」は孤児に与えられた部屋の机、その引き出しから見つけた。別に物色をしていた訳では無い。孤児の私物に価値のある物などありはしない。ならば、なぜ見つけたかというと、偶然≪悪女の魔眼(ラヴェンツァの瞳)≫を使った際に「それ」からある種の「感情」見えたからだ。


 物に人の感情が宿る事は(まれ)にある。相当強い感情の念を込めなければそうはならないが、事実としてあるのだ。

 そして、そういった物には値打ち物が多い。有名な彫刻、名工の刀剣……、それほど多くを目にした事がある訳では無いが、それらには他人には見えない「感情」が宿っているのをアベルは知っていた。


 だから、「そんな物は無い」と思いながらも部屋の主の不在を見計らって引き出しを開けた。「それ」は案の定、価値のある物などでは無かった。「diary」と表紙に描かれた文字を見れば一目瞭然だ。

 分かっていた事とはいえ僅かに落胆を隠せなかったが、物に宿す程の感情に興味が湧き、中身を(あらた)める事にした。……アベルが日記を読んだのは只の興味本位だった。


 「感情」の源泉は、最後の日付にあった。文字から強い「恨み」と「殺意」を感じる。

 だが、改めて読んでみると妙な一文に気付く。「ようせいに殺された」。「ようせい」とは「妖精」の事だろうか?妖精が実在するとでも?

 実に馬鹿馬鹿しいと切り捨てそうになるが、日記から見える激しい「憎悪」がその考えを押し止める。これ程の感情が込められた文章にデタラメを書くだろうか?


 だから、アベルは日記の持ち主に接触する事にした。もし妖精が実在するのなら、それを売れば大金が手に入るのは間違いない。それに妖精など、実に心が(おど)る話ではないか。

 万が一、日記の持ち主が邪魔になったら始末すればいい。


 日記の持ち主・カーラの話では、妖精は貴族の令嬢と共にいるらしい。

 これは好都合と見るべきだろうか?どちらにしても貴族の令嬢には近づく必要がある。だからアベルはカーラを利用する事にした。


 カーラにはまず、恨みの対象であるユーキという少年と仲直りする事を指示した。当然、激しい反発を受けたが「ユーキと妖精に近づく為だ」と言って説得した。

 そして同時にアベルも貴族の令嬢に接触をする。本来なら同じクラスの令嬢と接触するのが自然だが、なぜか警戒をされている。仕方なく上のクラスの兄に接触した。こちらの方は妹とは違い、警戒心の欠片も無い。


 カーラの仲直りに紛れて、令嬢の仲間たちの中に紛れ込む。そこで本物の妖精を確認した。本当に実在したとは驚きだ。

 これでターゲットは決まった。貴族令嬢と妖精、両方手に入れば言う事は無いが、どちらか片方でも十分だ。


 それから2週間、情報収集と誘拐のチャンスを待った。

 2日置きに盗賊団と連絡を取り合うが、奴らは(こら)え性が無さ過ぎる。「正面から誘拐すればいい」などと言い出した時は殴りそうになった。たった20人足らずでそんな事をすれば憲兵に捕まって終わるだけだ。


 馬鹿を抑える日々に頭を悩ませたが、それだけの収穫はあった。

 1つ目は、アレクが実は女だったという事。女だというのならコイツも金になる。

 2つ目は、妖精が時々1匹でいなくなるという事。その際にバーネット家の窓が開いている事が目印になる事も重要だ。

 3つ目は、アレクと他2人は冒険者で、しょっちゅう町の外へ出ているという事。町の外ならば盗賊団を使う事も容易(ようい)だ。


 カーラには妖精の捕獲を指示した。「妖精は、復讐として僕の知り合いの見世物小屋にでも売ってやろう。ただ僕にも少し、分け前を貰えるかな?」と、そう言って。

 カーラには人間の誘拐は無理だろうし、アベル1人で令嬢と妖精の両取りを狙うのは難しい。盗賊団も、条件が揃わなければ只の馬鹿の集団だ。

 非常に惜しいが、妖精は運よく捕える事が出来れば儲けもの程度と考えるしかない。


 自然、令嬢の誘拐はアベルが担当する事になる。

 アベルは非常に単純な作戦を、懇切丁寧(こんせつていねい)に馬鹿共に教え込む。こんなに簡単な作戦すら実行できなければ、馬鹿どころか役立たずだ。もしそうなったら遠慮なく見限ろうと心に決める。


 そして数日後、決行の日は来た。その日はアレクたちが町の外へ行き、妖精は不在だという。一挙両得を狙うなら今日しかない。

 慌ててアレクたちへの同行を頼み込むが、なんとそれを見たミーアまでもが同行を宣言した。願っても無い展開だ。(あらかじ)め考えていた言い訳で時間を稼ぐ。盗賊団とカーラに決行を知らせなくてはならない。


 買収していたスラムの浮浪者に団員への言伝(ことづて)を任せ、カーラにはアベル本人が知らせる。

 だが、ここで少しだけ予定外の事が起こった。カーラの(そば)に邪魔者が居たのだ。それはカーラに懐いている心の壊れた少女だ。若干の不安を感じつつ、時間が無い事も相まってアベルは仕方なく少女の前でカーラに決行を告げた。


 その後は予定通り……、いや、予想以上に上手くいった。我ながら雑な作戦だったとは自覚しているが、最低でも令嬢を1人だけでも手に入れば十分だと考えていたのだ。それなのに、令嬢姉妹と妖精の総取りだ。内心、笑いが止まらなかった。

 ……だが、そのすぐ後に予想外の出来事が起きた。


 アレクが突然、手足の拘束を引き千切って掌から光の魔法を放ったのだ。魔法陣も使わずに……。

 アベルにはアレクの使った魔法の光に見覚えがあった。それも当然だ。自分の使う『根源魔法』を放出した際の光と酷似(こくじ)していたのだから。ただ、魔力の放射の苦手なアベルにあれ程の出力の光線など放つのは不可能だったが。


 その後、アレクが再び捕らわれたり、アレクの友人たちが助けに来たりなどがあったが、アベルにはどうでも良かった。

 アベルにとって、他人とは常に見下す存在だった。身体強化して殴れば簡単に壊れる脆い身体……。感情を読まれているとも知らず、子供に(だま)される間抜け共……。次々と倒れる盗賊たちも、それを為すアレクの友人たちも、興味は無かった。

 ただ1人、自分と同じ存在。『根源魔法』で常人には出せない膂力(りょりょく)を発揮し、魔法陣無しでの魔法を放つアレク以外は……。


 アレク……。始めて出会った『根源魔法』を使う仲間……。

 彼女も魔族の血を引いているのだろうか?どのような境遇で過ごしてきたのだろうか?どんな事を考えているのだろうか?何が好きで、何が嫌いなのだろうか?

 あぁ、あぁ……。アレクをもっと知りたい。アレクにもっと触れたい。……アレクが、欲しい。


 自分と同じ『根源魔法』を使うアレクの登場は、アベルの心に予想もしなかった衝撃を与えた。だが、その衝撃の正体を知らないアベルは、只々(ただただ)アレクに執着する……。

 心に与えた衝撃の正体……、それを人は「恋慕」と呼ぶのだとアベルが認識するのは、もっとずっと後になってからの事だった……。




△▼△▼△▼△▼△




「ぅわっ、わわっ⁉」


 アベルに放り投げられたアレクは宙を飛んでいた。このままでは木か地面に叩きつけられて大ケガは(まぬが)れられない。

 だが、アレクには『根源魔法』による身体強化がある。それで全身を防御すれば問題は無い筈だ。


 度々(たびたび)アレクが魔法による反動のダメージを受けるのは、衝撃を受ける箇所の強化が不十分な為だ。かと言って、全身をガチガチに固めてしまえば動けない。アレクには適度に強化を調整する精度が無い為がゆえだった。

 だが、今回に限れば全身を固めてしまっても問題無い。それくらいならアレクでも出来る自信はある。


「よぉし……、ふんっ!」


 まるで息を止めるように、全身を万遍(まんべん)なく強化する。鉄のように、鋼のように……。


”バキバキバキィッ‼ ゴッ! ガッ! ガッ!”


 木の枝をへし折り、地面を転がる。その音は、とても人間が転がる音には聞こえない。

 着地から10m以上の距離を転がったアレクは、身体強化を解いて何事も無かったかのように起き上がった。


「ふぃ~っ、あ~ビックリしたぁっ」


「……随分(ずいぶん)と不格好な着地だね」


 立ち上がったアレクに話しかけたのは、アレクを投げ飛ばした張本人のアベルだった。


「あっ、アベルっ! ユーキたちは?」


「まだ向こうにいるよ。今頃、人形遊びでもしてるんじゃあないのかな?」


 常人なら大ケガは(まぬが)れない程の所業(しょぎょう)を受けたアレクだが、そのような事は些事(さじ)とでも言わんばかりに普通にアベルと会話をする。

 だが頭の悪いアレクでも、今の状況くらいは理解している。アベルの言う「人形遊び」も文字通りの意味で無い事くらいも分かっている。


「ユーキたちは戦ってるんだね? じゃあ、アベルはボクの足止め?」


「へぇ、ちゃんと物を考えられるんだ? でも少し違うね……。いいや、事情が変わった。僕の狙いはアレク……、君1人だけだよ」


「……どういうコト?」


 アレクには、アベルの言葉の意味が理解できない。

 アベルの……、盗賊団の目的は、自分とミーア、リゼットを売ってお金を得る事だった筈だ。なのにアベルは、アレクだけが目的だと言う。「事情が変わった」というのも気になる。何がどう変わったのか?なぜ変わったのか?アレクには分からない。


「アレク……、僕の物になれ。これから君は僕が死ぬまで、ずっと一緒に居るんだ」


「それはムリだよ。ボク、もう少ししたら旅に出るし……。アベルも一緒に来る? そうすれば一緒にいられるよ?」


 アベルの言葉の意味はアレクには伝わらない。アベル自身も、アレクに固執するこの感情が何なのか理解出来ていないのだから当然と言えよう。


 しかしアレクの提案も突飛(とっぴ)な話だ。つい先程まで、自分が誘拐されて囚われていたのを忘れてしまったのだろうか?


 アレクの提案は一瞬、魅力的にも感じた。

 盗賊などには未練はない。人生の目的も特に無い。ならばアレクの目的に手を貸すのも一興だろう。アレクが共に居るというのなら、別に他に優先させるものも無いのだから。だが……、


「それはユーキとエメロンも一緒に、だろう?」


「そうだよ?」


 当然のように答えるアレクだが、アベルにそれは許容できない。感情を読む事の出来るアベルには、エメロンがアレクをどう想っているのかお見通しだ。ユーキも邪魔者以外の何者でもない。

 それにアレクがアベルの同行を許可したとしても、あの2人がそれを許すとは到底思えない。


 だから、アレクの提案を受け入れる事は出来ない。


「残念だけど、それは無理な相談だね。だから……」


 だから、アレクを手に入れる為には……、


「力づくでも、君を手に入れるっ!」


「……っ!」


 宣言と同時に、アベルはアレクへと突進を開始した。

 気の抜けた会話を続けていたアレクだが、決して気を抜いていた訳では無い。むしろ、こうなる事を予想して臨戦態勢で警戒していたのだ。


 アベルの動きは確かに速い。だが、警戒をしていれば(とら)えられない程の速度ではない。たとえ迎撃や回避が不可能でも、受ける時に力を込めて耐えるくらいは……。


”ガツンッ‼”


 アベルの拳がアレクの腹に激突する。それは、とても人の拳と腹で鳴ったとは思えない音だった。


”ガッ、ガガンッ! ガァンッ‼”


 アベルの拳が、蹴りがアレクに降り注ぐ。その度にまるで硬い物同士をぶつけ合ったような音が響いた。

 だが、アレクはいくら攻撃を受けても微動だにしない。


 有効打を与えられていないと悟ったアベルは一度距離を取り、≪悪女の魔眼(ラヴェンツァの瞳)≫を使用する。

 その目に映ったのはアレクの全身を包む、あり得ない程の膨大な魔力だった。あれ程の魔力で強化したのならば、アレクに打撃による効果は無いに等しいだろう。だが……。


「……大したものだね。強化した僕の打撃は岩でも削り取れるんだけどね。……でも、それじゃあ動けないだろう?」


「っぷはぁ~っ。……そうなんだよね~」


 アレクの魔力操作は(つたな)い。アベルの攻撃に合わせて被弾箇所を強化して防御するなど不可能だ。だから全身を(くま)なく強化する。潤沢(じゅんたく)な魔力を誇るアレクだからこそ出来る芸当と言えるが、あまり良い戦法とは言えない。

 理由の1つはアベルが今言ったように、使用中は満足に動く事が出来ないからだ。


「それに、かなり消耗したんじゃないかい? いくら魔力が多くても、そんな無駄遣いしてちゃあ長くは持たないよ?」


「そーゆーワリに攻撃を()めて話をするなんて、アベルの方こそ疲れたんじゃない?」


 そしてもう1つの理由は、魔力の消費が激しすぎる事だった。

 もし、アベルが同じ事を行おうと思えば20秒も続けられないだろう。全身から垂れ流しのように魔力を放出するこの防御法は、まさしく魔力の無駄遣いとしか言いようがない。


 しかしアレクの顔にも感情にも、疲労や焦りの色は(うかが)えない。それどころか、アベルの疲労の方を疑ってかかる。


「まさかだろ? 次に攻撃に移ったら、君が強化を解くまで攻撃を続けると宣言するよ。僕の攻撃を強化無しで受ければ大怪我は(まぬが)れられない。……だから、その前に降伏するなら()めてあげるよ?」


 だがそれはアレクの勘違いだと、この会話は致命的な攻撃を加える前の最後通告なのだと、そう言った。

 それを聞いたアレクは不敵に笑い……、


「そーいうコトなら……、ボクの答えはこうだっ‼」


 アレクは、アベルに向かって突撃した。

 アレクの突進は速い。もし不意を突いたのなら、バルトスであっても容易(ようい)()ける事は出来ない位に。

 だが、アベルはアレクの行動を予見していた。いや、誘導していたのだ。


 防御をしていてもジリ貧だ。魔力の消費も激しく、時間稼ぎ以上の意味は無い。

 そして、アレクの性格から降伏を受け入れるとは思えないし、逃亡するとも考えにくい。アベルの右眼に映る、アレクの感情からもそれは明らかだ。

 この状態で取れる行動など、アレクの方から攻撃に打って出るしか考えられなかった。


 魔力を込めて集中したアベルの≪悪女の魔眼(ラヴェンツァの瞳)≫は、様々な情報を見通す事が出来る。筋肉の動き……、魔力の流れ……、アレクの感情……。


(右手で殴りかかるように見えるけど、それはフェイントで本命は左……。筋肉も魔力も、感情すら見える僕には当たらないよ)


 アベルの予測通り、アレクは途中で右手を止め、左腕を振り抜く。だが、そこにアベルの身体は無かった。

 アレクの拳とアベルの身体の距離は僅か10cmほど。だが、アベルにとっては余裕を持っての回避だった。そして、避けざまにアレクの横っ面に拳を放つ。


「あがっ!」


「奇襲のつもりだったなら、残念だけど見え見えだよ? それにしても、随分(ずいぶん)とお粗末な強化だね。それじゃあ仮に当たっても大したダメージにはならないよ? それとも「友達」の僕に怪我をさせないように、気でも遣ってくれているのかな?」


 アレクの左腕が(まと)った魔力は、防御の際の魔力量とは比べ物にならない位小さかった。魔力の流れがぎこちない事から、アレクは魔力の操作が苦手なのだろうという事がアベルには分かる。


 そしてアベルも攻撃時に魔力を殆ど使ってはいなかった。それはアレクとは違い、操作できなかったからではない。必要が無かったからだ。

 完全防御態勢の先程と違い、攻撃をしようとしている時ならアレクにダメージが入る。むしろ加減をしなければ壊してしまうだろう。


「くっそーっ! なら、もう1回っ!」


「はははっ! 何度やっても無駄だよっ! すぐにそれを分からせてあげるよっ!」


 そう言いながら、アベルの心は歓喜に打ち震えていた。

 愛する人がもう1度、自分の元へと来てくれるというのだから。きっと、その感情が「絶望」に染まるまで、何度でも来てくれるのだろうから……。


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