第44話 「度重なる誘拐」
「……は……ふぁ……あっくしょいっ‼」
せっかく気持ちよく寝ていたのに自分のくしゃみで目が覚めた。朦朧とする意識の中、アレクが最初に思ったのはそれだ。
……しかしまだ眠い。もう1度寝なおそうと思った時、やたらとベッドが固い事に気付く。ついでに寒い。
(ん~……? ま、いっか……)
しかしアレクは眠気が勝り、細かい事を気にする事なく2度寝に挑む。
だが、アレクの2度寝を阻害する声が聞こえてきた。
「…………さまっ…………姉さまっ、起きてくださいっ!」
妹の……、ミーアの声だ。薄目を開けるがまだ暗い。朝にはなっていないのだから、学校にはまだ早い。
「んぅ~……、まだ朝じゃないよ~……。朝になったらもっかい起こして…………」
「姉さまっ‼ 寝ぼけてないで起きてっ‼」
ミーアの声が更に大きくなる。まだ眠いというのに……、仕方の無い妹だ。
「ふぁ~~~っ……。わかったよぉ、起きる……、あれっ?」
ミーアのしつこさに負けて、アレクはようやく起きる決意をする。大きなアクビを噛み殺し、身体を起こ……そうとした所で異変に気付いた。
身体が起こせない。手足が思うように動かせない。それも当然だ。アレクの両手首と両足首はロープで縛られていたのだから。
「あれっ? なにコレっ? どうなってんのっ?」
「姉さまっ! 起きてくれましたかっ⁉」
「……ぶぇっきしょいっ‼ ……ここ、ドコ? ……ミーア、そんな服もってたっけ?」
自分の状況が理解できず、まるで陸に打ち上げられた魚のようにバタバタと暴れるアレク。
そこにミーアの声が聞こえて顔を向けて見れば、見た事の無い服を身に着けていた。……辛うじて服の形をしているボロ布のようなそれは、決して裕福ではないバーネット家であっても着る事は無いような服だ。
寒くないのだろうか?アレクの方はというと少し寒い。再びくしゃみをして周りを見渡してみれば、そこは辺り一面森の中。夜の野外で薄手の毛布1枚では道理で寒い訳だ。一応、目の前に焚火はあるが……。
「たき火……? あっちにも、2つ……」
自分たちの焚火と含めて合計3つ。向こうの焚火の周りには無数の人影。状況を整理しようとするアレクにどんどんと新しい情報が入ってくる。しかしその情報は断片的で、なかなか理解には繋がらない。
アレクは再度、状況を理解しようと眠る前の事を思い出そうとする。が、その時向こうの焚火の方から1つの人影が近づいてきた。
暗くて顔は見えないが、身長的に子供だ。それも自分たちと同じくらいの。
「やぁ、アレク。目が覚めたかい?」
「アベル……。そうだっ! ボクはアベルに……。って、あれ? ボクの服は?」
アベルの登場に、ようやく状況を理解する事が出来たアレク。
そして縛られて不自由な手足を使って何とか体を起こすと、身体から落ちた毛布の下はミーアと同じくボロ布のような服だった。……服の上から確認してみるが、どうやら下着も着けていない。
「あぁ、すまないね。武器を隠し持ってないか確認する為に服は処分したよ。案の定、ミーアは火の魔法陣を隠してたしね」
「……っ‼」
「あぁ、リストバンドのっ。あれ、ミーアの宝物なんだ。返してあげてくれないかな?」
アベルは悪ぶれる風もなく、2人を着替えさせた理由を説明した。
確かに『戦闘魔法』は武器と言って差し支えない。しかも紙1枚あれば使用できるのだ。となれば、アベルが下着まで脱がしたのにも納得がいく。
ミーアは自身の持っていたリストバンドの話題になって、毛布で身体を隠しながら歯噛みした。それを見たアレクは、何とも呑気な頼み事をアベルにしたのだ。
「……君、話は聞いてたかい? 僕は「処分した」って言ったんだよ。リストバンドはもちろん、君たちの着ていた服は全部、灰になったよ」
「えーっ、燃やしちゃったのっ? 武器じゃないのが分かったら返してくれればいいのに……」
「何処に何が仕込まれているか、分からないからね。……それと、あのリストバンドは立派な武器だよ? 仮に燃やしてなかったとしても返せる訳が無いだろう?」
アベルの説明にアレクは文句を言う。というか、アレクは緊張感が無さ過ぎだ。自分の状況を理解しているのだろうか?今、アレクたちは盗賊に捕まっているというのに……。
「あー、そりゃそうか。ボクの剣は? あれは燃やせないでしょ?」
「……あれは僕の仲間が持ってるよ。……あれに刻まれている魔法陣はどういうものだい? 魔力を流しても何も起きないけど?」
それでも態度が変わらないアレクは、今度は自分の剣の所在を気にしだした。もはや、何を言っても彼女の反応は変わらないのだろう。
ならばとアベルは、アレクの剣に刻まれた魔法陣を持ち主に直接問い質した。
アレクのショートソードの刀身には魔法陣が刻まれていた。火や水を生み出すようなメジャーな魔法陣ならそれを見ただけで何となく分かるが、アレクの剣に刻まれた魔法陣は初めて見る文様だった。
試しに魔力を流してみても、魔法陣は光るものの何も起きない。見た目が変わらないのなら、恐らく硬度や切れ味などが増しているのだろうとも考えられたが、その様子も無い。本人に聞いてみるのが手っ取り早かった。
「あー、アレ? アレはエメロンとユーキが考えて付けてくれたんだよねっ。えっと、アレはね……」
「姉さまっ!」
この場に及んでも警戒心を持たずにアベルと話すアレクに、ミーアが割り込む。
アベルは盗賊の一味なのだ。そのアベルに、自分の武器の情報を得意気に話すなど……。ミーアは己の姉の無警戒ぶりに頭を抱えた。
「おっと残念。もう少しで教えてくれる所だったのにね。……しかしアレク、随分と普通に話してくれるけど、自分がどういう状況か分かっているのかい? これから自分がどうなるのか、想像が出来てるのかい?」
「……どうなるんですか? いえ、どうするつもりですか?」
アベルの問いに答えたのはミーアの方だった。こちらは歳不相応に落ち着いてはいるが、その反応は普通だ。明らかにアベルを敵視しており、警戒を露わにしている。いっそ、こちらの方が話しやすいとさえ思えた。
「僕たちは盗賊だからね。盗賊に捕まった貴族のお嬢様……、その末路は、言わなくても分かるだろう?」
「身代金でも取って……、その後は外国で奴隷として売られる、といった所でしょうか?」
「そうだね。君たちは姉妹だからね、きっと同じ主人に買われると思うよ。良かったね、奴隷になっても姉妹一緒だよ」
ミーアの推測をあっさりと肯定するアベル。実際には身代金を取ろうとすると危険が増す為その気は無いが。
アベルの口調と表情からは罪悪感などは一切感じられない。奴隷になっても姉妹一緒なども、皮肉にしか感じられない。ミーアの敵意はより一層、強くなる。
なのにミーアとは逆に、アレクの心に敵意や憎しみといった感情は相変わらず見られない。
「ねぇ、奴隷って何するの? ボク、やらなきゃいけないコトがあるから奴隷とか困るんだけど」
「……どこまで呑気なんだい君は? 君の都合なんか知る訳がないだろう? ……それにしても」
「奴隷は嫌だ」と言われて「じゃあ止めます」とは、当然ならない。そもそも、自分から奴隷になりたがる人間などいるものか。奴隷の大半……いや全ては、やむなく奴隷になるか、気付いたら奴隷になっていたかのいずれかだ。
未だに現状への自覚が乏しいアレクに、アベルは近づいて……。
「アレク、君本当に女だったんだね。こうして目にするまでは中々信じられなかったよ」
アレクの小さく未熟な胸を指先でつつき、なぞる。殆ど膨らみも無いその胸は見ただけでは男とそう変わらない。だが、薄い服の上からでも確かに指に残る柔らかな弾力は男のソレとは違っていた。
アベルの行為を受けても尚、アレクの表情には……その心にも変化はない。我慢をしている訳でもなさそうだ。
そんなアレクに若干の興味を覚えた。「どこまで無表情でいられるだろう?」「アレクの泣き叫ぶ顔はどんなだろう?」と、そんな嗜虐心を刺激されたアベルは、胸を弄る指を腹部、そして下腹部へと移動させ……。
「姉さまから汚い手を放しなさいっ! さもないと……」
「さもないと、お仕置きが必要だよなぁアベル?」
「……ハーゲン父さん」
「まぁさか、テメェで作ったルールを破る気じゃあねぇよなぁ?」
アベルの蛮行を止めようとミーアが声を荒げる。だが手足を縛られ、武器の1つも持たない12歳の女の子に出来る事など何も無い。
しかしミーアのセリフを引き継いだのは、アベルが父親と呼ぶ男・ハーゲンだった。ハーゲンの言葉が効果があったのかアベルは手の動きを止め、その指をアレクから離した。
「まさか、ちょっとしたイタズラだよ。盗賊といえども団内の規律は必要……、発案者の僕がそのルールを破る訳がないだろ?」
「発案者? ルール?」
2人の会話の内容が分からず、アレクが疑問の声を挟む。
アベルが作ったという疑問、ルールの内容に対する疑問、2つの意味での疑問にハーゲンは後者のみを答えた。
「……捕えた雌奴隷に手を出したヤツには罰を与えるってな。初物なら死刑、お古ならリンチだ。それをさせねぇ為に、全員が監視できる場所で見張るってのもなぁ」
ハーゲンに対して弁明の態度を見せるアベル。
どうやら2人の会話によると、盗賊団に規律の必要性を説き、その為のルールを敷いたのはアベルのようだ。アレクやミーアと同年代のアベルがそのような事を出来るとは、にわかには信じがたい。
「初物? それに「手を出す」ってどういうコト?」
「……ぐへ。そいつぁなぁ……」
しかしアレクは、ハーゲンの説明には理解できない事がいくつかあった。それをそのまま口に出すと、ハーゲンは下卑た嗤いで下品な視線をアレクに向ける。……が、アレクの身体を上から下まで舐めるように見た後、急に無表情になってしまった。
どうやらハーゲンには、アレクの小柄で起伏の無い幼児体型に対する趣味は持ち合わせてはいないようだ。
「ハーゲン父さん、そろそろ約束の時間だから僕は行くよ。お供に2人程と、馬を持っていくけどいいよね?」
「おう。だが、団員はともかく馬は持って帰れよ。……しかしテメェを疑うわけじゃあねぇが、本当にいんのかぁ?」
「疑う気持ちは分かるよ。僕もこの目で見るまでは信じられなかったからね。でも、ハーゲン父さんも目にすれば分かるよ。……そういう訳だから、アレク、ミーア。僕は少し席を外すけど、変な気は起こさない方がいいよ」
それだけを言ってアベルは1人、離れて行く。その場にはアレク、ミーア、そしてハーゲンの3人だけが残された。
アベルとハーゲンの会話の内容はよく分からない。しかし先程からの会話内容を鑑みるにハーゲンは口が軽い。少しでも情報を、と考えたミーアはハーゲンへと会話を試みる。
「「約束」って、「誰」と「何の」です?」
「さぁな。オレも詳しくは知らねぇよ。だがアベルのヤロウの話がフカシじゃなけりゃ、大金が手に入る。ヘタすりゃ、オメェらを売るよりもずっとデケェ金がなぁ」
睨んだ通り、ハーゲンの口は軽い。しかし肝心の情報が役に立たなかった。
盗賊が儲けようがどうだろうが、この窮地を抜け出す話とは繋がらないし、何よりハーゲンからの情報が断片的すぎて、アベルが何をするつもりなのか、誰と会うつもりなのかすら分からない。
空振りに終わった情報収集に内心溜息を吐いたミーアだったが、アレクの方はというと、窮地の打開策とは全く繋がりようのない質問をハーゲンへと投げかけた。
「おじさん、「父さん」って呼ばれてたけど、アベルの父さんなの?」
「あぁっ⁉ あんなクソ気味のワリィガキが、オレのガキのワケがねぇだろうがっ! アイツは半年ほど前に拾ったんだよっ! 団員はオレの事を、「ダンナ」か「オヤジ」って呼ぶ決まりなんだが、アイツはあんな呼び方をしやがる。何でも「下品だから嫌」なんだとよっ」
ただ気になった事を聞いただけだった。
アベルとハーゲンは似ても似つかない。顔つきや身体つきは元より、髪の色も、瞳の色も全然違う。これほど似ない親子がいるのかと、ずっと疑問に感じていたのだ。
疑問が晴れたアレクはスッキリした。……現状の打開には何の役にも立ってはいないが。
「あ、やっぱり違ったんだ。全然似てないもんねー。それはそうと、何か食べ物ない? ボク、お腹空いちゃってさ」
「……保存食しかねぇぞ。……テメェもいるか?」
「……頂きます」
気持ちがスッキリしたアレクはついでと言わんばかりに、図々しくも食料を要求した。恐らくは盗賊団の団長であろうハーゲンに向かって。
場合によっては相手の怒りを買いかねない。しかしハーゲンは意外に人が良いのか、それともアレクの言動に呆れただけか、その要求に素直に応じた。しかもミーアにまで問いかけてくる。
ミーアは一瞬逡巡するが、「まさかこの状況で毒を入れるなどしないだろう」「脱出するには、まず体力が必要だ」と考え、ハーゲンの渡す食料を受け入れた。
「むぐむぐ……。ユーキたち、心配してるかなー」
「そうですね……。でもお兄さまならきっと、すぐに助けに来てくれますよ」
「やっぱりミーアもそう思う?」
バーネット姉妹は、毛布に包まり焚火に当たりながらオートミールを焼しめた保存食を、縛られたままの手に持ち口へ運ぶ。後ろ手ではなく、前で縛られていたのは幸いだ。
姉妹は、味気の無い保存食を咀嚼しながら友人たちを、ユーキを想う。2人のユーキへの信頼は絶対のものだった。「こんな時、ユーキならば絶対に来てくれる」、と。
なぜなら、ユーキはピンチの時には必ず助けてくれたから。なぜなら、ユーキは『英雄』なのだから……。姉妹の想いは同じだった……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
時刻は20時過ぎ、シュアーブ西の森の中。カーラはアベルとの約束を果たす為に布で覆われたカゴを持って、森の中でもひと際高い木の下にいた。
……いや、果たすべきは約束ではない。「復讐」だ。
「……遅いわね。あいつ、まさか裏切る気じゃ……」
「僕が君を裏切って、何か得があるのかい?」
時間になっても姿を現さない待ち人に疑惑の声が漏れた時、まるで最初からその場に居たかのようにアベルが話しかけてきた。
「遅いじゃない。焦るあたしを見て笑ってでもいたの?」
「そんなに性格が悪いように見えるかい? 遅れたのは悪かったけど、僕も色々と忙しくてね」
確かに「笑っていたのか」と聞いたのはただの嫌味だ。しかし、アベルの性格が悪いと思うかと問われれば答えは「Yes」だ。
自分の手を汚さずに、「このようなマネ」を人にさせる人間の性格が真っ当な筈が無い。
「それで、「例のモノ」は?」
そういって、早速とばかりにカーラの成果を確認するアベル。
カーラは益々気に入らない。結局、アベルの興味があるのは「こいつ」であり、自分への興味など微塵も無いのだ。こんな性悪に興味を持たれても困るのだが……。
しかしいくら嫌っていても協力者である事には変わりが無い。
復讐を果たす相手はあいつ……ユーキだけではない。「こいつ」も同罪だ。しかしカーラには「こいつ」をどう処分して良いか分からないし、結局アベルに頼るしかない。
「こいつ」を捕える機会も、アベルが教えてくれたのだから。
「……ここよ。……ホラ」
そう言ってカーラは手に持っていた、カゴの布を取る。さほど大きくない鳥カゴの中には妖精……リゼットが居た。
いつも口うるさいくらいの妖精は鳥カゴの中で大人しくしており、カーラとアベルの顔を交互に見て溜息を吐いた。
「なんだか元気が無さそうだね。カーラ、何かしたのかい?」
「してないわよ。……最初は暴れてたんだけど、急にピタリと大人しくなったのよ。あたしだって理由なんか知らないわ」
「アンタ、友達を殺された復讐が目的でしょ? ベルがあんなコトしなきゃ、友達は死ななかったもんね。でもベルは帰っちゃって手が出せない。だから代わりにアタシを狙った。違う?」
突然話しかけてきたリゼットにカーラは驚く。捕まえた時、僅かに抵抗されたかと思えば急に大人しくなり、その後は一言も喋る事も無かったのだ。カーラも話しかけたりしなかったから、かも知れないが。
そしてリゼットの質問の内容だが……、全て当たりだ。本当なら、あの小さな妖精を殺してやりたい。八つ裂きにしても、まだ足りないくらいだ。
でも、あの妖精は『妖精の国』とやらに帰ってしまった。だから標的をリゼットに代えた。
客観的に見れば……リゼットから見れば、それはただの八つ当たりだろう。
確かにベルはレックスが死んだ事件の大きな原因を作った元凶とも言える。だが、リゼットに復讐をされる程の過失などどこにも無い。
ただ同じ妖精というだけで復讐されるなど、リゼットの身からすれば堪ったものでは無い筈だ。
そんな事はカーラにだって分かっている。だが……。
「そうよっ! あんたの仲間がレックスを殺したんだから、あんたが償いなさいよっ!」
頭で理解出来るからと、身体も心もそのように動ければどれほど楽だろうか。
カーラは、レックスを失った哀しみを……、痛みを忘れられない。その原因のユーキとベルへの、怒りと憎しみを抑えられない。
だがユーキはともかく、ベルへの手出しをする手段は皆無だ。ならば……、同族のリゼットに、この怒りと憎しみをぶつけるより他に一体どんな手段があるというのだろうか?
それからも続くカーラの罵倒をひとしきり浴びた後、リゼットはアベルに話しかけた。
「で、アベル。アンタは何でカーラと一緒にいるのよ? まさかカーラの境遇に同情して、なんて言わないわよね?」
「僕かい? そりゃあ、君を売れば大金が手に入るだろうからね。おとぎ話にしか居ない生きた妖精なんて、好事家や研究者なんかが幾らでも出してくれる筈さ」
「はぁ~っ、なるほど……」
アベルのセリフと態度で、リゼットはおおよその事情を把握する。レックスの事件を忘れられないカーラに、アベルが入れ知恵をしたのだろうと。
もしアベルの思惑通りに売られてしまえば、しばらく監禁生活は免れないだろう。だが、それまでだ。
不老不死であるリゼットには、メスを入れようとしても注射をしようとしても不可能だ。そして尽きる事の無い寿命もある。いずれ、隙を見つけて脱出する事は可能だ。
かつて同様の経験をした事があるリゼットに、アベルの言葉は大した脅威では無かった。
ただ……、脱出の機会がいつ訪れるのかは分からない。1年後か、10年後か、はたまた100年後か……。もしかするとアレクたちとは、もう2度と会う事は出来ないかも知れない。
それだけが、リゼットにとっての心残りだった。
「まぁ、しょうがないっか。じゃあね、カーラ。……ユーキに仕返しするなとは言わないけど、ほどほどにしときなさいよ」
「……はっ? な、何言ってんのあんた?」
心残りではあるが、仕方ない。リゼットにはカーラの気持ちも分かるのだ。
それに、血は繋がっていないがベルも大事な弟分だ。弟の失態の責任は、姉である自分の責任でもある。だから、カーラの復讐は自分が甘んじて受けようではないか。……ベルには再会したらお説教をするが。
ただ、ユーキへの復讐はあまりやり過ぎない方がいいだろう。ユーキは自分と違って寿命があるし、ケガもする。ヘタな事をすると冗談ではすまないし、きっとそうなればカーラにとっても良くないだろう。
何となくだが、リゼットにはそう思えた。
一方でカーラにはリゼットの気持ちが一切伝わらない。
なぜ、抵抗もせずに諦めているのか?理不尽に思わないのか?怖くは無いのか?きっと、一生カゴから出る事は出来ないのだろうに。なのに、最後に言う言葉が「あいつ」の心配?
リゼットのあっさりした別れの言葉をカーラは受け止められない。だが、受け止める必要は無かった。なぜなら……、
「リゼット、お別れの挨拶はまだ早いよ。……少しだけ、ね」
「……え? …………けふっ⁉」
不意にそう言ったアベルは突然、カーラの腹を殴る。カーラの身体は「く」の字に折れた後に、ゆっくりと崩れた。
あの姉妹とは違い、カーラの商品価値は高くない。2人のように、神経質になって傷つけないようにする必要は無い。その扱いも相応で十分だ。
「アベルっ⁉ アンタっ、何やってんのよっ⁉」
「だって、君を手に入れたらカーラはもう用済みだし? だったら、このまま帰すより売った方がお金になるじゃない?」
激しく詰めるリゼットに、アベルは飄々と言った。
軽々しい雰囲気のままリゼットに答え、そしてその態度と同じく軽く指を鳴らすと茂みの奥から2人の男が現れた。
「まったく、いつまで待たせるかと思ったでやんすよ」
「さすがに僕も、1日に3人も女の子を気絶させるのはどうかと迷ってしまってね」
現れた男の片方が言う文句にアベルは答える。が、その言葉とは裏腹にその表情には罪悪感など一切感じられない。当然だ。アベルには、その様な感情など無いのだから。
「けっ、噓つきは泥棒の始まりでやんすよ?」
「なら問題無いね。僕たちは盗賊なんだから」
だから、男の言う皮肉にも一切動じない。むしろ上手い事を言ってやったくらいの感覚にさえ聞こえる。
「アベル……、アンタひょっとして、アタシを捕まえる為にシュアープに来たの? 孤児院や学校に入ったのも、アレクたちに近づいたのも?」
「まさか。君みたいのがいるなんて思いもしなかったよ。妖精の存在を知ったのは偶然……、このカーラのおかげだよ」
「カーラの……?」
「そうさ、獲物を探す為の情報収集といった所さ。まぁ君の推測も、全くの見当外れっていう訳でもないけどね」
アベルの言によれば、アベルは盗賊団の一員であり、シュアープには金になる獲物を求めて潜入をした。子供であるアベルなら、町の中に潜り込むのも難しいものでは無い。幸い、先の「ボーグナイン紛争」の影響で孤児も増えている。
そんなアベルはカーラと出会い、何らかの形でリゼットの存在を知った。創作物の中にしか存在しない妖精となれば、売れば幾らの値が付くか想像も出来ないだろう。
しかも、その妖精は多くの人間には姿を隠してアレクという子供と一緒に住んでいるという。だからアレクたちに近寄り、リゼットを捕える為のチャンスを待った。
アベルは更に、リゼットだけでなくバーネット姉妹のどちらかも捕えるつもりでいた。妖精ほどでは無いだろうが、貴族の娘も高値が付く。そして実際には、どちらか一方という事も無くアレクとミーアの2人共を捕える事に成功した。
そして今、アベルの手にはリゼットの入った鳥カゴが握られている。
言う事なしの大成果だ。
「さ、グズグズしてるとダンナにドヤされるでやんすよ」
「わかってるよ。カーラを運ぶのは任せたよ?」
気絶しているカーラは元より、リゼットも叫び声の1つも上げはしない。もはや諦めてしまったのか?
そしてアベルと2人の男は、リゼットとカーラ連れてその場を去る。盗賊団の仲間たちがいる野営地に向けて、真っ直ぐに……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アベルたちの去った、誰も居ないその場に1人の足音が鳴った。
アベルと盗賊たちがカーラとリゼットを攫う、その一部始終を見ていた足音の人物は、無言で盗賊たちの去った方角を見つめる……。
なぜ、こうなったのかは分からない。どうしたらいいのかも分からない。自分はどうにかしたいのか?それすらも分からない。
ただ、分かる事はただ1つ、無力な自分には何も出来ない。
ただ、思う事はただ1つ。彼女は自分の生きる意味だ。彼女がいなければ、自分は死ぬしかない。
……死ぬのは構わないが、それは彼女に自分が必要ないと確認してからだ。だから、今はまだ死ねない。だから、彼女を取り返さなくてはいけない。だから……。
「…………カーラちゃん」
自分以外の誰も居ない森の中で、シンディは連れ去られてしまった大事な人の名を呼んだ。




