第8話 「将来の夢と醜い嫉妬」
「んー、どーしようかなー?」
「何がだ? アレク?」
入学から1年弱が経過したある日の下校途中。脈絡なく呟いたアレクにユーキが問いかける。
「今日、出された宿題。『親の仕事と将来の夢』をテーマに作文を作ってきなさいってヤツ」
「あぁ、あれなぁ」
「んなのぁ、そのまま書くしかねぇじゃんか。大体のヤツぁ、親の仕事を継ぐもんだろ? オレもきっとそうだしな。ヴィーノやエメロンもそうだろ?」
「そっスね。ウチのパパは役人だから家業を継ぐとかじゃあないっスけど、後を継げるように今から勉強してるっスね」
「ぼ、僕はまだ分からない……かな……」
「わたしもお父さんたちのお弁当屋さんを継ぐつもりだけど、エメロンは違うの? お父さん、商売してる人だっけ?」
アレクとユーキと共に下校するのはロドニー・ヴィーノ・エメロン・クララの4人だ。
彼ら6人は家も近く、また入学前後の一件からいわゆる仲良しグループとなっていた。
ロドニーは付き合ってみれば意外に仲間想いのいいヤツだった。
ユーキのパスタ作りにも親身になって教えてくれたし、あれ以来誰かをいじめるといった事もない。
相変わらずの乱暴な口調で短絡的にものを言うのだが……。
「うん、僕……。お父さんの仕事の事、よく知らないし……」
「んなことあんのかぁ? 自分の親だろ?」
「……ご、ごめん」
「ちょっと! 今の言い方は良くないわ! ロドニー、謝って!」
「お、おう……。エメロン、悪かった……」
ロドニーは1年前に初めて出会った頃とはまるで別人のように素直に謝った。
このように失言をした場合、誰か(主にクララかアレク)が矯正をするのが常態化するようになっていた。
初対面の頃との印象が違うといえば1番はクララだ。最初はおとなしい女の子といった雰囲気だったのだが、いつ頃からかハキハキと物を言うようになり、特にロドニーに対しては当たりがキツイ。
ロドニーも(ユーキの見立てでは)惚れた弱みからか、クララには頭が上がらないようだ。
「ん~、実はボクも父さんの仕事のコト、よく知らないんだよね」
「じゃあ、今晩にでも聞いてみれば?」
「それが父さん、先週から王都に行っちゃっててさー。帰ってくるのは再来週なんだよね」
「んじゃあ母親に聞くか、それか将来の夢に絞って書けばいいんじゃないっスか?」
エメロンと同じく、アレクも自分の父の仕事のことを知らないようだった。しかも間の悪い事に出張中のようだ。
それを聞いたヴィーノが言った提案に対して「あっ、そうだねっ」と採択する。
自身の問題が解決してスッキリしたアレクは、先程から黙っているユーキに疑問を感じた。
「そういや、ユーキは? ユーキの父さんは何してる人?」
「前までは冒険者で、今はこの町で兵隊やってるよ。俺はどっちもなる気はねぇけど」
「えーっ! 冒険者っ⁉ カッコいいじゃんっ、何でならないのっ?」
「よせよせ。兵士ならまだしも、冒険者なんてそんないいもんじゃねーよ」
冒険者と聞いて興奮するアレクをユーキは窘める。どうせアレクの冒険者への認識は、冒険物や英雄物の小説による偏った知識だろう。だが、実際の冒険者はそんな華やかなものではない。
基本的に冒険者とは、非正規の日雇い・短期労働者の事を指す。
確かに魔物退治や護衛などの仕事もあるにはある。しかし冒険者の大半は荒事には携わらず、人足や接客、清掃なんかの仕事をしている者がほとんどだ。
昔はともかく現在の冒険者とは名ばかりで、ほとんど冒険などとは無縁だった。
そして非正規とはいえ信用がなければ仕事を受けられないし、失敗をすれば信用を落とす。そして冒険者の生活に一切の保障はない。いつ仕事を失うかも分からないのだ。
冒険者とは生活の安定とはかけ離れた職業なのだ。こんなものにわざわざなろうとするのは仕事を選べない食い詰め者か、相当の変わり者かのどちらかだろう。
ユーキの父・サイラスがどちらかと言えば、恐らく後者だったのだろうが。
「それじゃあ、ユーキはどうするの?」
「そうだなぁ……。料理人になりたいかな……」
「料理人? そーいえば、まだロドニーの家でパスタ教わってるの?」
「聞いてくれよっ! コイツ、ウチを破門になったんだぜっ!」
「は、破門になんてなってねーよっ‼」
ユーキは幾度となくロドニーの家に押しかけ、パスタの作り方を教わっていたのだが、それを見たロドニーの父や兄までもがユーキに指導を始め、半ば弟子のような状態になっていた。
しかし先日、ロドニーの父から「もう来なくていい」と言われたのだった。
突然の事にユーキも「破門」の2文字が頭を過ぎりショックを受けたものだったが、ロドニーの父曰く、「基礎は大体教えたから、今は他の事を学んで見聞を広めろ」「学校を卒業してウチに就職しに来たなら、秘伝を教えてやる」との事だった。
その事をユーキは必死になって説明した。
「じゃあ、ユーキはロドニーのトコでパスタ職人になるの?」
「う~ん、親方からは見聞広めろっつわれたし、卒業までまだ7年もあるしなぁ……」
ロドニーの製麺所に就職するのは悪くない。パスタは奥が深くて面白いし、ロドニーの父や兄も尊敬している。乾燥麺の作り方は教えてもらえなかったし、まだまだ知らない事も沢山ある。
しかし「他の事を学べ」と言われたが、一体何を学べばいいのか。
さてどうしたものか、と元々の作文の話題から思考が逸れたユーキに閃きが走った。
「……そういやさっき、クララの家は弁当屋っつったか?」
「えっ? うん、ウチはお弁当屋さんやってるけど?」
「頼むっ! 俺に親父さんの料理を教えてくれっ‼」
「え、えぇーっ⁉ そ、そんなこと急に言われてもお父さんに聞いてみないと……」
「あ~ぁ、ユーキの病気が始まったっスね、ロドニー。……ロドニー?」
ユーキの突然の提案に戸惑うクララ。それに呆れる面々と、1人呆然とするロドニー。
「じゃあ、今から聞きに行こうっ!」
「えっ⁉ ちょっと! わかった、わかったからっ! 手を引っ張らないでっ!」
「ま、待てっ! オレも行くっ‼」
駆け出す3人と見送る3人。
ユーキたちはあっという間に走り去って、見えなくなってしまった。
「……僕たちは帰ろうか?」
エメロンはそう声をかけて、残された3人は帰路に戻るのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「——なので、僕は将来、王都に行って騎士になりたいと思います」
翌日の2コマ目の授業で作文の朗読が行われた。
生徒たちは自分の親の仕事への想いや将来の夢を誇らしげに、時には恥ずかしがりながら発表していく。
(ロドニーはああ言ったけど、親の仕事を継ぐつもりのヤツは半々ぐらいだな)
既に自身の発表を終えたユーキはクラスメイトの発表を聞きながら感想に耽っていた。
一体何人のクラスメイトが作文通りの将来を歩む事が出来るだろうか。
親の仕事を継ぐつもりの子はそうなる可能性は高いのかもしれないが、そうでない子は険しい道を歩んでいく事になるのだろうか? 今の子は騎士になりたいと言っていたがその道は険しそうだ。
もし、夢に破れた時はどのような人生を歩む事になるのだろうか? その時、その人生は「失敗」したという事になってしまうのだろうか?
もし料理人になれなかった時、自分は何をしていて、そんな自分をどう思っているのだろうか?
「カッコいい夢ですね。ぜひ人々を守る立派な騎士になって下さい。ではアレク君、あなたで最後になりますね」
思考の渦に吞まれていたユーキを、ケイティ先生の言葉が現実に引き戻す。
指名されたアレクは「はいっ」と元気よく返事をして起立した。
(そういや昨日、アレクの夢って聞いてなかったな)
ユーキは意識を切り替え、アレクの言葉に注目する。
クラスメイトたちも静かにアレクの発表を見守っていたが、作文の1文目……それをアレクが口にした次の瞬間、静寂は崩された。
「ボクの父さんは、この町の領主をしています」
「へ? えええぇぇぇぇぇーーーっ‼」
「りょ、領主っ⁉ ……って、貴族ってコト?」
「じゃあ……、アレクくんも貴族……?」
クラスメイトたちの、誰もが予想もしていなかった暴露に教室内が一気に喧騒に包まれる。
ケイティ先生が「静かにっ‼ 静かにしなさいっ‼」と珍しく大声で叱責したおかげで一応落ち着きはしたものの、ひそひそとした話し声までは消える事はない。
「ねぇ……ユーキは知ってた?」
「……いいや、俺も初耳だ」
普段は授業中に私語をする事のないエメロンが、ユーキに聞いてきた。それだけ衝撃を受けたという事だろう。
ユーキは気のない返事を返すものの、その心中は決して穏やかなものではなかった。
ユーキは、アレクと親友だと言える自信があった。もちろん、エメロンたち他の4人も親友だと思っている。
慰霊祭や収穫祭も6人で行動したし、2週間後の聖誕祭も一緒に行動するつもりだった。夏には虫捕りも一緒にしたし、パンツ1枚で川に入りクララに白い目で見られたのも今となっては良い思い出だ。放課後にはマト当てや駆けっこで勝負をし、ケイティ先生から出される宿題に共に頭も悩ました。
この1年でユーキは5人の事は大体解っているつもりでいたし、特に性格の単純なアレクの事は何でも知っているつもりでいた。
しかしユーキはアレクが貴族である事実を知らなかった。
いや、よくよく考えてみればユーキはアレクの家族に関する事を何も知らない。
父親の事、母親の事。兄弟はいるのか? 祖父母は? その他の親戚は?
そういえばアレクの家に行った事すら無かったと、今更になって気付く。
仮にユーキが大人であったなら、これほどショックを受けはしなかっただろう。
しかしいくら大人びていても、ユーキはまだ9歳だ。自分の知る事が全てでは無いという事を理解は出来ても、納得するのはまだ難しい。
それでもユーキは、自分の内に沸く不快感を表に出さないように必死に抑え込んだ。
理解はしているのだ。自分に湧き上がるこの気持ちが、アレクにとっては理不尽以外の何物でもないという事を。
能天気なアレクの事だ。ただ言い忘れていただけだろう。それどころか貴族という事を理解していなかった可能性すらある。
家族や家の事だって、きっと機会が無かっただけだ。
きっとそうだ。自分だって父親を直接みんなに会わせた事なんて無かった。
ユーキは自分の負の感情を抑えるために、1つ1つ理屈を考える。
そうしてようやく気持ちを落ち着けたと思った時、既にアレクの発表は終わろうとしていた。
「———ボクは物語に出てくるような英雄になりたいなって思います」
「はい、良い作文でした。バーネット男爵は良い領主だと私も聞き及んでいます。お父様に恥じない様な立派な大人になる事を期待します。……これで全員の発表が終わりましたね。では少し早いですが、お昼休憩にしましょう」
ケイティ先生がそう言い終え、教室を出ていくと同時にクラスメイトの大半が一斉にアレクに群がる。
みんな口々に「アレクって貴族なのっ?」「貴族って偉いの?」と質問攻めをするが、当のアレクは戸惑っているようだ。
「ユーキはアレクの所に行かなくていいの?」
「……わざわざ今じゃなくても後でもいいだろ。エメロンもそうだろ?」
「うん……そうだね……」
クラスメイトに囲まれるアレクを見てそう言った言葉とは裏腹に、ユーキの心に再び不快感が湧き上がる。
これは醜い嫉妬だ。
みんなに囲まれるアレクが、自分を差し置いてアレクと話すクラスメイトが妬ましくて仕方がない。この気持ちはいけない。なのに気持ちが抑えられない。
このままではいけない。嫉妬心、疎外感、独占欲……。そういった醜い感情が今にも口から溢れ出てきそうだった。
違う話題で気を逸らそう。そう考えたユーキはエメロンに話しかける。……が、何を話そうかを考えもせずに、ただ自分の心を誤魔化したい一心で口を開いたユーキは、言葉の選択を間違ってしまった。
「しっかし、将来の夢が英雄になりたいってのは流石にねぇよなーっ!」
話題を変える事に必死で、思わず出た言葉はガヤガヤと騒がしい教室内に響き渡る。
ユーキは自分の口から出た、思っていたよりも大きな声に自分自身で驚いていた。