第41話 「和解?」
「それじゃアンネさん、また明日」
「ミーアちゃん、バイバ~イっ」
いつものように授業を終えて、姉たちと昼食を摂る為に教室を出るミーア。
だが、この日常はいつまでも続きはしない。あと半年程もすれば、姉たちは卒業してしまう。残り僅かな時間を惜しむようにミーアは集合場所へ向けて駆け出した。
しかしその時、ミーアの前に立ちはだかる人物が居た。まるでミーアの進路を塞ぐように……。
「カーラ……さん……? 何か、御用ですか?」
「…………」
ミーアが訝しむように尋ねる。が、カーラからの回答は無い。
レックスが死んだ事件以降、カーラがミーアに話しかける事は無かった。いや、クラス内でもカーラは人と接する事を避けるようになり、今では人と話している姿を目にする事は殆ど無い。
「……用事が無いのでしたら、そこを通してもらえますか?」
いつまで待ってもカーラは口を開かない。しかし、あからさまにミーアを通せんぼしているのだから、何か用があるのは明白だ。
ミーアは返答を急かすように、あえて迂遠な物言いでカーラに問いかけた。
「……待って」
「何をです? ハッキリ仰って下さい」
ようやく口を開いたカーラの言葉は一言だけで、それだけでは意味が分からない。
カーラの表情はというと眉を寄せて顔を顰め、目は伏せてミーアの事を見てもいない。その姿にミーアの苛立ちは増していった。
ミーアは、レックスの死んだ事件の事も、その前後のユーキとの関係も把握している。
確かにカーラの父親の件や、レックスの件は同情するが、ユーキへの態度は明らかに行き過ぎだ。ユーキ自身に問題がある事も理解はしているが、だからといってイジメや暴力が正当化する訳では無い。
何より「大切なお兄さま」を敵視するなんて、許せない。
「あたしを……あいつの所に……連れて行って……。謝り……たいの……」
「…………っ‼」
一言ずつ、ゆっくりと話すカーラを辛抱強く黙って聞く。最後まで聞いた瞬間、ミーアの頭は沸騰しそうだった。
なぜ、今更謝りたいなどと言うのか?カーラの父親やレックスが死んだのは3年以上も前だ。謝るというのなら、いくらでも機会も時間もあった筈だ。それに「あいつ」?名前を呼ぶ事も出来ない相手に、一体何をどう謝ろうというのか?
怒鳴り散らしたい衝動に駆られるが、ミーアは大きく息を吸い込み、自身の気を落ち着かせる。
カーラが腹立たしいのは事実だが、ここで自分が怒鳴ったりして突っぱねるのは良くない。ユーキは未だにカーラの事を気に掛けている。2人の和解の機会を、自分の感情で潰す事は出来ない。
ミーアは、ユーキの為に沸く怒りを、ユーキの為に呑み込んだ。
「「あいつ」って、誰の事ですか?」
それでも、このくらいの皮肉を言うぐらいはいいだろう。僅かでも溜飲を下げる事が出来なければ、本当に怒りでどうにかなってしまいそうだ。
そんなミーアのささやかな嫌がらせを受けたカーラは、顔を上げてハッキリと言った。
「……ユーキ……アルトウッド」
真っ直ぐにミーアを見て言ったカーラの目には、決意の感情が見て取れる。
ミーアは自身の心中に沸いたわだかまりを、溜息と共に吐き出してカーラを集合場所の広場へと連れて行くのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「悪かった、わ……。……ごめん……なさい」
「…………」
いつも通りの友人同士での昼食会。そこにカーラを連れてやって来たミーアに、一同は言葉を失った。沈黙と戸惑いが支配する空気の中、最初に言葉を放ったのはカーラの謝罪だった。
「……誰だよ、オメェ?」
「ロドニー、カーラさんだよ。ホラ、3年前の事件の……」
カーラの顔をすっかり忘れていたロドニーに、エメロンが小声で説明する。場の空気を読まない発言ではあったが、この事でロドニーを責めるのは少し酷だ。
なにせロドニーがカーラと顔を合わせたのは3年以上も前に1度きりだ。覚えていないのも無理はない。むしろこの場でカーラの顔を覚えているのは他に、一緒の孤児院で暮らしているユーキと、クラスメイトのミーアだけだ。エメロンの記憶力が良いだけの話である。
しかし、エメロンの説明でカーラの顔を覚えていなかった面々も理解する。カーラが何を謝ったのかを。だが、逆に理解が出来ない。カーラがなぜ謝ったのかを。
ただ1人、ユーキだけが何を謝ったのかも、なぜ謝ったのかも理解ができない。
長い、本当に長い沈黙が流れる。誰もが次の一言を発せないでいるのだ。
この場の殆ど全員が困惑に心を支配され、互いに顔を見合わせている。当事者である筈のユーキに至っては、カーラが誰に向けて謝罪をしているのかすら理解していないのだ。
謝罪を受けている筈のユーキは訳が分からず、他の面々はユーキの動向を窺う。このような状況では、話に進展がある筈が無い。
1分、2分と無為な時間が流れていく……。
そこへ唐突に、場違いな明るい声が響いた。
「みんなっ、ゴメーン! 遅くなっちゃったっ。ちょっとトラブルがあってさ……、みんな、どしたの?」
進路相談の2者面談のあったアレクが、遅れてやってきた。アレクは友人たちのいつもと違う雰囲気に疑問を感じる。
だが、疑問を感じたのは友人たちも一緒だった。なぜならアレクの隣には……。
「……アベル?」
ユーキやカーラと同じ孤児であり、ミーアのクラスメイトのアベル=ユークリッドがそこに居たからだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「えっと……、カーラはユーキに、今までの態度を謝りに来たってコトでいい?」
「…………」
唐突に現れて場違いな雰囲気で、空気を読まないアレクが場を仕切りだした。あまりに急激な温度変化についてゆけず、先程とは意味の違う沈黙が続く。
だが、沈黙を続けていては話が進まない。ミーアはカーラを連れてきた責任感から、彼女へ返事を促した。
「……カーラさん?」
「……そうよ。それで合ってるわ」
「ユーキは? カーラを許すの?」
「いや……、許すも許さねぇも、俺には何が何だか……」
アレクの仕切りによって、カーラが自分に謝りに来たという事は理解できた。だが、何を謝るというのか?今はイジメには遭っていないし、暴力や暴言を受けた覚えもない。そもそも、カーラの声を聞いたの自体がいつぶりだろうか?
「それじゃ、許さないの?」
「いやだから、俺がカーラに謝られる理由が分からねぇんだけど……」
「許す」か「許さない」かでは答えが見つからない。だって、許しを請わなければならないのは自分の方だからだ。
父親のサイラスはカーラの父を死なせ、自分はレックスを死なせた。当時も謝ったが、だからと言って許される訳がない。……当然だ。いくら恨んでも恨み足りない筈だ。
この質問の仕方では埒が明かないだろう。聞いていた友人たちは皆そう考えたが、アレクの切り返しは素早かった。
「じゃあ、ユーキはカーラと仲良くしたい? それとも今のままの方がいい?」
「そりゃ……、仲良くできりゃ、それに越したコトはねぇけど……」
だが、それは無理というものだろう。2人も大切な人を亡くし、その原因を作った人間と仲良くしろなんて、無理があるにも程がある。
自分がカーラの立場だったなら絶対に無理だろう。なんなら、殺したいほど憎むかも知れない。
しかしアレクは、そんなユーキの心情など全く知らないかのように明るい声でユーキの手を握り、反対の手でカーラの手を取った。
「それじゃ、仲直りの握手しよ? カーラは謝ったし、ユーキも仲良くしたいなら問題ないよね?」
「ちょっ、アレ……」
「ちょっと待てよっ!」
「……ロドニー?」
強引に2人の手を取り、握手を迫るアレク。その行動に悪意は欠片も無い。むしろ善意の塊とさえ言える。……ただ、2人の、ユーキの意思を無視し過ぎだ。
それに憤りを感じたのは、ロドニーだった。
「ちょっと待てよ……。その、なんかうまく言えねぇけど、なんかヘンじゃねぇか? ……なんか気持ち悪ぃんだよ」
「……なにがヘンなのよ?」
ただし、残念ながらロドニーは口下手だった。違和感や不快感を感じるものの、それが何かが分からない。それを上手く言葉にして表現が出来ない。カーラの疑問にも答える事が出来なかった。
もし、この場にロドニーと共感できる者が居なければ「変な事を言う奴だな」で終わってしまっていただろう。しかし幸いな事に、ロドニーと同じ気持ちの者が居た。
「わたしも少しヘンだと思うわ。「なんで今さら」って思うもの。それにさっき謝る時、ユーキくんの方を全く見なかったじゃない。本当に悪いと思ってるの?」
「そう言われればそうっスね。「あの事件」があったのは3年も前っスよ。……それと、さっきから気になってたんっスけど、ソイツ誰っスか?」
クララの疑念はミーアも感じていた事だった。ただ、ユーキの為なればこそと思い口に出さなかったに過ぎない。そしてヴィーノもクララに同調し、ついでとばかりにアレクの連れてきた少年に疑問を向ける。
それまで一切口を挟まなかった少年はキョトンとした表情でヴィーノの疑問に答えた。
「……僕? あぁ、すみません。変な所にお邪魔してしまって……。僕はアベルといいます。最近、孤児院に入ったばかりで……」
「さっき、道に迷ってるトコロを見つけたんだ」
「……と、いう訳でして。お邪魔なようですし、僕はこれで……」
「いや、居てくれて構わねぇ」
どうやら道に迷っている所をアレクに案内して貰っていただけのようだ。軽く自己紹介をして、そそくさと去ろうとするアベル。
だが、それを止めたのはユーキだった。
「ユーキ? 彼はこの件に無関係だと思うけど?」
「俺とカーラ、アベルは同じ孤児院で暮らしてる。中途半端に知られて、あるコトないコト言いふらされちゃ堪んねぇし、いっそのコト最後まで説明した方がいいと思う。カーラ、お前はどうだ?」
「……別に。どっちでもいいわ」
エメロンの当然の疑問にユーキが答える。
確かに同じ孤児院で生活する以上、いい加減な憶測を周囲に吹聴されれば迷惑この上ない。いっそ、全て説明しようというユーキの考えも理解はできる。
「ってワケだ。迷惑じゃなけりゃ、このまま居てくれ。……出来れば、あんま周りに言いふらすのはカンベンしてもらいてぇが……」
「そういう事なら。もちろん言い触らしたりなんかしませんよ、ユーキ。……僕の方が年下ですけど、呼び捨てで呼んでも?」
「ん? あぁ、別に構やしねぇよ。そういや、ちゃんと話すのは初めてだな、アベル」
ユーキの言葉で足を止め、まるで自己紹介のような会話を交わす2人。それもその筈、ユーキは孤児院の子供たちとの接触を最低限にするように心掛けて生活をしていたのだ。
その為、ユーキとアベルが話すのは初めてに等しい。
「コホンっ。それでは話を戻しますけど、クララさんの言った「何で今更」というのは私も思ってはいました。カーラさん、何か理由でもあるんですか?」
アベルの件はとりあえず置いて、ミーアが本題に戻す。「何で今更」という疑問は晴れていない。
ひょっとしたらユーキは気にしない疑問かも知れない。だが、1度言葉に出てしまった以上、無視をして話は進められない。いや、進めたくはないというのが本音か。それが、本来ならば3年前の事件とは直接関係の無いミーア、クララ、ロドニー、ヴィーノの共通した想いだった。
問い詰められた形のカーラは奥歯を噛みしめ、ゆっくりと答える。
「それは……、あんたらが、学校を卒業したら旅に出るって……。そう、聞いたから……。もう、時間が無いって……、そう思ったら……」
カーラの行動を起こした理由は、アレクたちの旅に起因するものだった。
3人で旅に出る事は、別に秘密にはしていない。特におしゃべりなアレクは、クラスで自慢げに「冒険者になった」「旅に出る」と吹聴している為、今はクラスメイトの全員が知っている周知の事実だ。違う学年のミーアのクラスへ噂が飛び火していても何ら不思議はない。
旅に出れば、しばらくは帰っては来れないだろう。それこそ早くても数年以上先になると思われる。ましてや、噂で聞いただけのカーラからすれば、2度と帰って来ないと思われてもおかしくない。
だからこそ謝るのならば今しかないと、そう思ったというのだ。
「まぁ……、分からなくはないわね……」
「では、顔を向けないのはどういう事です? そっぽを向いて謝るなんて、誠意があるとは思えません」
「それは……」
「今更」という件に関しては一定の理解を得たが、それでもミーアの追及は終わらない。謝意を示すというのなら、それなりの態度が求められて然るべきだ。
だがこちらは、意外な事にロドニーから擁護が入った。
「それは分からなくもねぇぜ。素直に謝るってなぁ、気恥しいし、怖ぇーんだよ」
「……確かにそうっスね。許してもらえるかどうか、オイラも不安に思った覚えがあるっス」
ヴィーノもこれに同調し、口ごもるカーラを庇い立てるがミーアは納得できない。2人の言う事も分からないではないが、それでも理解できるという事と納得できるという事は別なのだ。
しかしミーアはあえて追及はしない。仲間内で意見が割れてしまっては話が進まないからだ。何より、カーラの態度に腹を立てているのが自分であり、それが決してユーキの本意では無いという事を理解しているからだ。
それでも、だからミーアは、無言でカーラを見つめ続けた。
やがてミーアの視線に気付いたカーラは目線を泳がせた後、意を決してユーキへと向き直った。そしてもう一度、深く腰を曲げて言った。
「ごめんなさい……。許して、下さい……」
こうなってしまうと流石のミーアも口を出せない。ロドニーもヴィーノも、クララも黙っている。アベルはもちろん、エメロンも口を挟まないし、アレクでさえ沈黙を守っている。頭を下げるカーラを除く、全員の視線がユーキに集まる。
今、この場において1番困っているのはユーキに他ならないだろう。
そもそもユーキには、カーラが何を謝っているのかが未だに理解できていない。むしろ、謝らなければいけないのは自分の方だ。だが、謝って許されるものでも無い。それでも3年前に謝罪をして、当然許されなくて、そして今まで来たのではないのか?
自分が謝って、許されなくて。でも今、カーラが自分に謝ってきて……。
ユーキには何が何だかさっぱり分からない。何が起こっているのかも、どうすれば良いのかも、自分がどうしたいのかさえ……。
そんな気持ちで「許す」「許さない」の返答など出来る筈が無い。「仲良くしたいか?」なら、間違いなく「Yes」と答えられるがそれは無理だろう。自分がカーラと仲良くしたいと思ってもカーラは無理だ。……それなら何故、カーラは謝罪などしてきたのだ?
ぐるぐる、ぐるぐると答えを探して思考が廻る。しかし、答えを求めているのはユーキだけでは無い。この場の全員がユーキの答えを待っている。
それが分かっているからこそ、ユーキの心はどんどん焦る。しかしそんな心理状態でまともな思考など出来る訳も無く、時間だけがどんどんと過ぎて行く。
そんな無為な時間に痺れを切らしたのは、今まで一言すら発言していなかった人物だった。
「あーもーっ、じれったいわねっ! アレクの言う通り、仲良くしたいなら握手すりゃ済む話じゃないっ!」
その言葉はアレクの方から聞こえてきた。だが当然、アレクの声では無い。カーラとアベル以外の者たちには、声の主が誰なのか瞬時に分かった。
「……リゼット」
アレクの鞄からひょっこりと顔を出した妖精は呆れたように、苛立ったように、空中へと飛び出してユーキの前へと躍り出る。
「だいたいアンタっ、グダグダつまんない事考えすぎなのよっ。ちょっとはアレクを見習いなさいっ」
「いや、そりゃちょっと暴論じゃね? ……でも、まぁそうだな。……カーラ。俺の方こそ謝らせてくれ。許してくれとは、言えねぇけど……」
ユーキの後押しをしたのは1人の妖精だった。
アレクを見習えというのは若干の抵抗があるが、少し考えすぎのきらいがあるのも事実だ。こういう問題に対する答えはシンプルな方がいい。カーラとは、出来れば仲良くしたい。カーラがそれを受け入れてくれるかは分からないが、こちらの態度は明確に示すべきだ。
だから、ユーキはカーラに向けて右手を差し出した。
カーラの動きは止まったままだ。差し出されたユーキの右手をじっと見つめている。カーラがユーキの手を取るのかどうか……、全員の注目が一点に集中していた。
そしてやがて……、カーラが動き、無言でユーキの手を握り返した。互いの手を握る2人の間に言葉はない。ただ無言で見つめ合う。
「やったーっ! これでユーキとカーラは仲直りだよねっ」
最初に声を上げたのはアレクだった。続いて妖精も歓声を上げ、2人で勝手に盛り上がる。
それを見た他の面々は軽く溜息を吐きながらユーキの元へと歩み寄った。若干の違和感は残るものの、確かに2人は和解の握手をしたのだ。これ以上は外野がとやかく言うような事でも無い。
ならば今は、友人の気掛かりが1つ解決した事を共に祝おう。
そんな風に盛り上がるアレクたちを見ながら、最初から今まで殆ど放置されてきた銀髪の少年は、しかしその事を何の痛痒にも感じず、ニコニコと作り笑いを浮かべながら独り言を呟いた。
「あれが妖精か……。まさかとは思ったけど、本当にいたんだね……」
銀髪の少年の視線と呟きは誰にも届かず、またその意味も誰も分からない。
だがその「意味」は遠からず知る所となる。他ならぬ、アベルの手によって――。




