第40話 「カーラの日記」
聖歴1357年7月11日(晴)
パパが6さいのプレゼントに日きをくれた。とてもうれしい。これからまい日かいてく。
(中略)
聖歴1358年8月11日(晴)
最近、日記をサボっていたのがパパにバレた。いい年したおじさんが泣いてるのがうっとおしいから、たまに書く。誕生日プレゼントは服だった。
聖歴1358年8月13日(曇)
プレゼントされた服を着たらレックスに笑われた。スカートなんて、もうはかない。
聖歴1358年11月27日(晴)
最近、レックスがあたしをさけてる。聞いてみたら「女といっしょはダセー」って言った。あたしのカッコいい所を見せてやる。
聖歴1359年1月1日(雨)
せっかくの新年の祭りは雨だった。けどパパとレックス、レックスのおじさんと4人でカサをさして祭りに出た。まあ、楽しかったかな。
聖歴1359年2月9日(晴)
パパが戦争に行くと言ってきた。行かないでって、泣いておねがいしたのに聞いてくれなかった。
聖歴1359年3月20日(晴)
パパが戦争に行っちゃった。レックスのおじさんも一緒だ。あたしとレックスは教会で住むことになった。他にも同じような子がいるらしい。……レックスと一緒なのが少し楽しみなのはナイショだ。
聖歴1359年4月3日(曇)
教会の子供は全員で15人、その中でシンディという子と仲よくなった。5才の女の子だけど、すごいオテンバだ。あたしよりレックスになついてる。ライバルじゃ……ないよね?
聖歴1359年7月11日(雨)
今日は誕生日。パパはいないけど教会のみんなで祝ってくれた。レックスがくれたドラゴンの顔のキーホルダー、センスは最悪だけど大切にしまっておこう。
聖歴1360年1月2日(晴)
パパが死んだ。
聖歴1360年1月3日(曇)
あたしとレックス、シンディの3人は新しく出来る孤児院に移るらしい。2人とも落ち込んでる。あたしがガンバらなきゃ。
聖歴1360年2月1日(晴)
今日から孤児院に引っ越しだ。あと1人、遅れてやってくるらしい。仲良くできるといいな。
聖歴1360年2月23日(曇)
遅れてくるヤツは、パパたちの上司の子供らしい。パパを死なせたヤツの子供なんかと仲良くできない。レックスたちにも言っておこう。
聖歴1360年3月8日(曇)
パパを死なせた無能の子供がやってきた。レックスがけって、あたしはビンタをしてやった。いい気味だ。
聖歴1360年4月16日(晴)
あいつがやってきて1月以上たつ。いくらイジメても全然こたえないし、今日は晩ごはんを作りだした。だれが食べてやるものか。
聖歴1360年4月24日(晴)
2日に1度、あいつが晩ごはんを作ってる。3人でガンバってたのに、シンディがとうとう食べちゃった。仕方なしにあたしとレックスも食べた。おいしかったけど、ぜったいに口に出して言ってやらない。
聖歴1360年6月9日(晴)
あいつがきて3ヵ月。悪いヤツには見えない。少し反省してる。明日、あいつと親しいクラスメイトに話を聞いてみようかな。
聖歴1360年6月10日(晴)
レックスが死んだ。顔が、頭が無かった。あいつに殺された。ようせいに殺された。死ね。死ね。誰かあいつらを殺してくれ。パパもレックスも殺された。頼むから誰か殺してくれ。神様でも悪魔でもいいから殺してくれ。代わりにあたしの命をくれてやる。なんなら全部消えてしまえ。あたしも、あいつらも、世界の全部消えてしまえ。死ね。死ね。死ね死ね死ね死ね死ね――(この先は文字として読めない)
『カーラの日記』より一部抜粋
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聖歴1363年8月。日が最も高く昇り、暑さに身体が参りそうになってしまう時期。ユーキたちが冒険者となって既に1年半が経過していた。
あと半年と少しでユーキたちは学校を卒業する。そうすれば、アレクとエメロンの3人でリングを求めてシュアープの町を出て行ってしまう。その事実が実感として、あるいは焦りとして、子供たちの胸に訪れていた。
「ミーアちゃん、宿題見せてーっ」
「……もうっ、アンネちゃん。いい加減にしないと先生に怒られますよ?」
「そんな事言わないでー。親友じゃないー」
そんなある日の授業前の教室。先生が来るのを待つミーアの元へ、いつものように宿題を写させてもらおうとクラスメイトのアンネがやって来た。ミーアは注意はするものの、毎度のように宿題を見せてあげる。
喜んでミーア宿題を受け取るアンネは、その内容を書き写しながら世間話を始めてきた。
「そーいえば今日、編入生が来るらしいよー?」
「編入生、ですか?」
唐突なアンネの話題にミーアは首を傾げる。
言葉の意味が分からない訳では無いが、編入生など滅多に居るものでは無い。何か特別な理由でもない限り、町を移動しての引っ越しなどそう多くは無いのだから。
「そーそー。何でも、スラムで育ったから学校に行ってなかったんだって。最近、孤児院で引き取られたって話だよー」
ミーアの疑問を見透かしたかのようにアンネが解説する。
そう言えば、ユーキが住む孤児院はスラムの孤児も引き取っていると聞いていた。今回の編入生とやらも、その1人という事だろう。
そんな話をしていると、しばらくして担任の先生が教室へと入ってくる。その後ろには少年が一緒だ。顔に見覚えは無い。
「皆さん、揃ってますね。今日から一緒に勉強をする、新しいお友達を紹介します。さ、前に出て自己紹介なさい」
「アベル=ユークリッドです。学校は初めてなので緊張してますが、仲良くしてくれると嬉しいです」
そう言って編入生……アベルは柔らかい微笑みを浮かべる。スラム育ちという割には綺麗な顔立ちで、落ち着いた丁寧な自己紹介からも知的な雰囲気が窺える。あまりに美しく整った顔は、一見しただけでは男女の区別すら難しい。
印象的なのは輝くような銀色の髪に、真っ黒な瞳。珍しい組み合わせのその色は、彼に何とも言えない神秘的な印象を感じさせた。
だが、ミーアは一目見ただけでアベルに嫌悪感を覚えた。
顔は笑っているが、目には冷たい印象を感じる。まるで、その瞳だけが別の生き物のようだ。知的な印象もその瞳の所為で、まるでクラスメイト達を見下しているかのように感じる。
「スラム育ちっていうからどんな人かと思えば、意外とカッコイイねー?」
「え? えぇ……、そうですね……」
しかし、隣のアンネはと言えば全く違う感想のようで、カッコイイとすら言ってくる。全く好印象を抱いていなかったミーアだが、わざわざ口にする必要はないと、この場はアンネに同意した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「それでウチのクラスに編入生がやって来たんですけど……。お兄さま、アベルさんってどんな方ですか?」
「んだぁ? ミーア、ユーキからソイツに乗り換えかよ?」
「ロドニーさん、ちょっと黙っててくれませんか? 冗談に付き合う気はありませんので」
いつも通りの放課後の昼食会。ミーアはアベルの事を、同じ孤児院に住むユーキに尋ねてみた。ロドニーが茶化してくるが即座に撃退する。無視をしないだけ温情的だ。
「アベル? 最近来たばっかで、あんまり詳しくねぇけど……、普通の子だよ。ただ……」
シュアープに孤児院が出来て3年以上が経つ。当初はユーキとレックス、カーラとシンディの4人だけだった孤児たちも、スラムの子供を受け入れる事で徐々に人数を増やしていた。アベルも、その中の1人だ。
しかしユーキは、新たな孤児の仲間たちとの交流には積極的では無かった。それは、レックスの一件がある種のトラウマになっているからだろう。
もちろん露骨に避けるような真似はしていない。会話も普通にするし、食事も朝は一緒だ。ユーキと他の孤児たちの関係は決して悪いものでは無かった。……カーラとシンディを除いては。
カーラは今でもユーキを露骨に避けるし、シンディはそんなカーラにベッタリだ。2人の、他の孤児たちとの関係は気にはなるが、こちらからは踏み込めないでいる。
他の孤児たちも、ユーキと2人の間に何かがあるのは察しているようで、深くは突っ込んでこない。
そんな孤児院生活でのユーキのアベルの感想だが、口に出した通り「普通の子」だ。
落ち着いた丁寧な物腰で、明るくよく笑い、来たばかりだというのに孤児たちの輪の中にも溶け込んでいる。……ただ、ユーキはアベルに違和感を覚えていた。
「ただ、何っスか?」
「いや、なんつぅか……。上手く言えねぇんだけどよ、少し「普通」すぎるっつーか……」
孤児たちは心に、多かれ少なかれ痛みを抱えている。当然だ。親を亡くして身寄りのない子供が、何の不安も痛みも持っていない筈がない。それはユーキも、他の子供たちも同様だ。
スラムから来た子の中には物心ついた時から親がいなかったという子もいたが、その子は最初、まるで「言葉の通じる野生動物」のようだった。先生たちにも孤児たちにも警戒心を剥き出しにして、食事も睡眠も1人だけ別室で取っていた。
その子も最近では孤児院での生活に慣れ、他の孤児たちと同様の生活を送れているが。
だがアベルには、そのような心の傷が一切見えない。スラム育ちとは到底見えないような、穏やかな笑みで周囲に馴染んでいる。
その表情からは攻撃性も、猜疑心も、不安すらも一切窺えない。もしかすると、アベルはそれらを上手く隠して演技しているだけかも知れないが……。
「ま、ただの俺の思い込みだ。気にしねぇでくれ。それよりエメロンは今日、事務の仕事だったよな? 俺も印刷所に仕事の面接に行くから、途中まで一緒に行こうぜ。面接対策を一緒に考えてくれよ」
「いいけど……、ユーキなら普通にすれば受かるんじゃない?」
最近は、旅の資金を溜める為に『冒険者』として仕事を開始していた。あくまで『冒険者』としての仕事である。決して事務員になった訳でも、印刷所の従業員になる訳でもない。
もちろん師匠……バルトスに許可は取ってある。師弟関係となった時に3人の報酬は無しと言っていたが、それはユーキが「荷物持ちの報酬が無し」だという事にしてゴリ押した。
旅に出るまであと半年……。もう、グズグズしているような暇は無い。少しでも多くの旅費を稼がなければ。
そんな思いでユーキとエメロンは仕事を始めていた。
「ふ~ん、なんかユーキも大変だね~」
「若い内からそんな悩んでばかりだと将来ハゲるわよ~っ」
ユーキの思案を察したのかどうなのか、アレクが弁当を頬張りながら呑気に言う。ついでとばかりにリゼットが野次を飛ばしてくる。
別に悩んでいる訳では無い。ただ、気になった事は考え込んでしまうタチなだけだ。……ただ禿げるのは嫌なので少し考え事は控えよう、とユーキは密かに思うのだった。
しかし、それはそうと……。
「アレクっ! てめぇは他人事じゃあねぇだろーがっ‼」
太陽が照り付ける中の広場の木陰で、ユーキの叫び声が響いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから数日後の、ある日の深夜。カーラは1人で孤児院の裏手を歩いていた。既に他の孤児たちは寝ている時間だ。いつも一緒のシンディも寝かしつけた。
昼間は暑くてたまらないが、夜になると少しはマシだ。深夜にもなれば涼しくもある。カーラは、気持ちの良い風を感じながら歩を進めた。
こんな時間に外を出歩いているのには、当然理由がある。
カーラは、その「理由」をポケットから取り出し、忌々し気に見つめた。
”君の大切なものを預かっています
返したいと思うので、今夜12時に孤児院の裏手まで来てください
アベル=ユークリッド”
カーラの自室に置かれていた書き置き……。宛名はアベル……。
「大切なもの」とやらに心当たりは無い。強いて挙げるならシンディだが、彼女は今ベッドで眠っている。それ以外に「大切なもの」などありはしない。きっと3年前にレックスが死んだ時に、シンディ以外の「大切なもの」は全て失ってしまったのだ。
本当ならば手紙に従う必要など無い。無視をしても構わない。だが、カーラはそれをせずに手紙の呼び出しに応じた。
それはただの興味だった。シンディ以外の全てを失った自分に、一体どんな大切なものがあるというのか?しかも、最近来たばかりの新人が自分の何を知っているというのか?教えてくれるのなら教えて欲しい。教えられるのなら教えてみろ。
そんな、半ば挑戦的な感覚でカーラは目的地にやって来た。
「やぁ、遅かったね。来てくれないかとヒヤヒヤしたよ」
暗闇の中。木箱の上に腰かけた少年が語り掛けてきた。
少年……アベルの美しい銀髪が月明りを反射して、まるで絵画のような妖艶さを醸し出していた。
「ヒヤヒヤしてるように見えないわね。……で、どういうつもり? こんな時間にわざわざ呼び出して。家の中じゃダメな理由でもあるの?」
アベルの余裕の態度が癪に障ったのか、カーラは攻撃的な姿勢で詰め寄る。
しかしカーラの疑問にも一理はある。落とし物でも拾ったのかどうかは知らないが、持ち主に返すというのなら別にいつでもどこでも良い筈だ。それをわざわざ書き置きで、しかもまるで脅迫文か、さもなければ告白でもするような文面で呼び出して、だ。
ちなみにカーラは告白をされるなどとは微塵も思っていない。
レックスが死んでからシンディ以外との交流は殆ど断ったし、クラスメイトの友人たちも離れて行った。自分は美人でも可愛くも無いし、気が強いだけで愛想も無い。誰からも好かれる事は無いし、好きになる事も無い。
……しかしそれでいい。レックスが守ったシンディを、今度は自分が守っていくのだ。他には何もいらない。
「いやぁ、みんなの目があるとキミが嫌なんじゃないかと思って、さ」
そう言ってアベルは一冊の本を取り出した。
その本は革製のブックカバーで覆われていて僅かながら装飾もされており、少し高級な印象を受ける。カーラは、その本に見覚えがあった。
「これ、は……」
カバーに大きく書かれた「diary」の文字。それは、カーラが父から誕生日にプレゼントされた日記だった。
喜んで受け取ったプレゼント。すぐに飽きて書くのを止めたプレゼント。落ち込む父を見て、「特別な事が起こった日」だけを書くように再開したプレゼント。レックスが死んで書くのを止めた、プレゼント……。
「これ、キミのだろう? 悪いけど、中身を見せてもらったよ。持ち主が分からなかったからね」
「…………」
「いやぁ、キミも若いのに中々に可哀想な人生だね。父親が死んで、その後すぐに好きな子も死んじゃうなんて。心中察して痛み入るよ」
「……だから、なに?」
ペラペラと、よく喋るアベルに短く言い放つ。勝手に人の日記を見ておいて、勝手に感想を喋るいけ好かない男に。
だいたい、一体どこの目線で喋っているのだ?「キミも」?自分もそうだとでも言いたいのか?「中々に」?まるで、自分の方が可哀想だとでも言いたげではないか。そもそも、勝手に人の人生を可哀想だなどと評論するな。何より、「心中察する」?お前に、あたしの一体何を察せるというのだ?
言葉には出さずとも「目は口程に物を言う」という言葉もある。アベルは、カーラの不満と怒りをその全身から感じ取っていた。
「……改めて謝るよ。勝手に中身を読んですまなかった。あと、感想も余計だったね」
「……ふんっ、別にいいわよ。……用は済んだわね? 一応、お礼を言っとくわ。それじゃ」
カーラの怒りを感じたアベルは、当のカーラが拍子抜けする程あっさりと謝罪を口にした。口だけではなく、頭も下げて。
このような態度に出られればカーラの方も態度を軟化せざるを得ない。元々、アベルは善意で日記を届けてくれたのだ。好き嫌いで言えばアベルのような男は嫌いだが、素直に謝っているのに怒りをぶつける程ではない。
それに、拍子抜けしたのはアベルが謝ったからだけでは無い。「大切なもの」が何なのか僅かに期待してみれば、たかが日記だったのだ。
確かにそれはかつて宝物だった。そして、人に見られれば恥ずかしい内容だったと思う。だが、今はもうどうでもいい。
もはやそれは宝物では無いし、誰に見られようとどうとも思わない。燃えて無くなろうと、誰かに拾われようと、どうでもいい。
だから、乱暴に日記を受け取り踵を返す。もうアベルに用は無いとばかりに。
「あれぇ? まだ、用件は済んでいないよ?」
「……なに? まだなにかあるの?」
用件は終わった筈だ。アベルは「カーラの大切なもの」を返した。カーラにとっては大切でも何でも無かったが、アベルの用件は済んだ筈だ。それとも、書き置きには書いていなかった用件があるとでもいうのだろうか?
うんざりするカーラだったが、先ほど謝罪を受け入れて礼を言ったばかりだ。ここで無視をするのは、流石に心苦しい気にもなる。
「「まだ何か」……って、僕はまだキミに「大切なもの」を返していないよ?」
「……? 日記なら返してもらったわよ?」
会話がまるで通じていない。今さっき、日記を返して貰ったばかりではないか?なのに「返していない」?
混乱するカーラよりもいち早く、アベルはカーラの混乱の意味を理解して手を叩いた。
「ああっ、その日記を「大切なもの」と勘違いしたんだね?」
「……違うっていうの?」
アベルの指摘でようやくカーラも理解に及ぶ。
だが、そうなると逆に理解が出来なくなる。今までのやり取りは何だったのだ、と。
再び怒りが込み上げてきたカーラを、まるで嘲笑っているかのようにアベルは口端を持ち上げ、少年とは思えない妖艶さを醸しながら言った。
「そんなのより、ずぅっと「大切なもの」さ。少なくとも、キミにとっては……ね」
「い……、いったい、なんのことよっ?」
まるで舞台役者のように仰々しく両手を広げ、まるでカーラをどこかへと誘おうとするかのように言葉を紡ぐ。
アベルのその姿に異質な空気を感じてカーラは身構えるが、もはや逃れる事は出来ない。無視する事が出来ない。カーラの目は、心は、今この瞬間、アベルだけを見つめていた。
「『復讐心』……。それを、キミに返そう……」
月明りに美しく浮かぶアベルの銀髪……。だが、その黒瞳は全ての光を吞み込んでいるかのように、深く、深く澱んでいた……。




