第37話 「昼メシ抜きの理由」
「ユーキっ! 昨日のケガ、ダイジョーブなのっ⁉」
模擬戦でバルトスに失神させられた翌日、学校の教室でアレクから掛けられた第一声がこれだった。
朝に目を覚ました際に孤児院の先生から聞いた話だが、気を失ったユーキをバルトスが担いで運んで来たらしい。アレクとエメロンも同行していたらしいが、ユーキが目を覚まさない為、しばらくして帰ったという事だ。
「あぁ、別に何ともねぇよ。心配かけちまったな」
「オメェ、またケガかよ?」
「ロドニー……、今回は模擬戦の事故だよ。危ねぇコトなんかしてねぇって」
「ユーキが言っても説得力が無いっスね。経緯はアレクとエメロンから聞いてるっスけど、2人ともピンピンしてるのに、何でユーキだけ怪我してるんっスか?」
心配するアレクに大丈夫だと返しただけなのだが、ロドニーとヴィーノのツッコミが入る。
弁明をしてみるが、全く信用されていないようだ。数々の前科を思い出せば、仕方の無い事とも思えるが。
「それで、その師匠って人、大丈夫なの? 話を聞いてると悪い人じゃなさそうだけど、その……、実力、とか……」
遠慮気味にクララが尋ねてくる。
3人がバルトスから師事を受けて半年近く。当然、仲間たちにもその話はしているし、バルトスの人柄なども話している。
昨日の件にしたって、ユーキを孤児院へと運ぶ前に病院へ行って医者に診てもらっているのだ。もちろん診察料はバルトスが出した。
医者から「問題無いだろう」「目が覚めて、違和感を感じるようならまた来なさい」と言われた時、バルトスが僅かに安堵の表情を浮かべた事をエメロンは見逃さなかった。バルトスの顔を立てて、誰にも言ってはいないが。
だが、クララが疑問視しているのはそこでは無く、バルトスの師匠としての能力の方だった。
聞けば、修行の内容は体力作りと座学。模擬戦を始めたのは昨日だという。
始めたばかりの模擬戦で、いきなり弟子を気絶させるとなれば、バルトスの師匠としての資質を疑うのも当然ではあった。
「ダイジョーブっ、ボクの目に狂いは無いってっ! シショー以上のシショーなんて、そうはいないってっ!」
「オメェのその自信は、一体どっからくんだよ……」
アレクが根拠の無い自信を披露するが、速攻でロドニーにツッコまれる。
バルトス以上の師匠はそう居ないと豪語するが、その根拠はアレクの直感だ。直接バルトスと会っていない3人が理解するのは難しいというものだろう。それは、バルトスの弟子の1人であるユーキでさえも同様だった。
だが、エメロンはアレクと同意見だった。
「師匠は問題ないと思うよ。体力作りも、知識も、旅をするには必要なものだし。それに昨日の件は、本当に事故だったと思うよ。実際、模擬戦じゃ3人とも師匠に手も足も出なかったし、戦闘技能は冒険者じゃあ上位なんじゃないかな?」
エメロンはあえて、昨日の事故についての自身の考察を話さなかった。
実際、あの時バルトスがユーキに対して手加減を誤ったのは事実だろう。ユーキが一晩以上気を失った事からも、気を失った時にバルトスが僅かに取り乱した様子を見せていた事からも、その事実が窺える。
しかしあの時の事故は、本当にバルトスの技量不足から起きたのか?エメロンの目には、そうは映らなかった。
あの時、もしもバルトスが反撃していなければ、ユーキはバルトスに深刻な怪我を負う程のダメージを与えていたのではないか?それが理由でバルトスは手加減を誤った……いや、バルトスはユーキの実力を見誤ったのではないか?
エメロンは昨日の事故を、そんな風に考えていた。
だが、確証は何も無い。確信すら出来ないでいる。だから口には出さなかった。
「そりゃ、ユーキのオヤジよりかよ? ユーキのオヤジも昔は冒険者だったんだろ?」
故人の話題を無遠慮に出すロドニーをクララが咎めようとするが、それはユーキが制止した。
確かにロドニーはもう少し配慮を身に付けるべきだが、自分は父親の死を既に受け入れ、乗り越えている。仲間内でなら、少しくらいの無遠慮もいいだろう。
ユーキはそんな風に考えたのだが、クララは頭痛を抑えるように頭に手を当てた。
「そりゃ、サイラスおじさんの方が強いと思うよ?」
「そうかぁ? あのクソ親父、サルみてぇに素早かったが、強ぇってイメージは全くねぇぞ?」
アレクの評価には一定の疑問があった。ユーキの父・サイラスは確かに元冒険者で、シュアープの兵士長でもあった。身のこなしは中年とは思えないものではあったし、いくらケンカをしても勝つ事はおろか、本気を出させた事など皆無だ。
しかしアレクが即答する程、バルトスとの差があるとは思えない。歳の差を考えれば、バルトスの方が強いのではないかと思うくらいだ。
「そりゃユーキが知らないだけじゃないっスか? 兄ちゃんが言うには、ユーキのパパは『疾風のサイラス』なんて呼ばれて相当強かったらしいっスよ?」
しかし、そこにヴィーノの横槍が入る。ヴィーノの兄・ブローノはシュアープ軍の兵士で、サイラスを心酔しているのは仲間内では周知の事実だ。
恐らくヴィーノは、兄からサイラスの活躍を聞いたのだろうが……。
「ぶっ⁉ し、しっぷう~っ⁉ あの親父いい年こいて、そんな恥ずかしい名前を人に呼ばせてたのかよ~っ⁉」
『疾風』の二つ名が初耳だったユーキは腹を抱えて笑う。
しかしそれは誤解だ。サイラスが『疾風』と呼ばれたのはユーキが生まれるずっと前の話だし、そう呼ばれたのはサイラスの戦闘スタイルを指して周囲が呼び始めたもので、決してサイラス自身が名乗った訳では無い。そもそもサイラス自身もユーキと同じく、この二つ名を恥ずかしいものとして忌避していた。
……死んだ後にこのように事実が曲解して伝わるなど、とんでもない風評被害である。
「ユーキ、死んだお父さんの事をそんなに笑うのは……」
「お、おう。そうだなエメロン……ぶはっ⁉ む、無理だろっ⁉ あのムサイオッサンが「『疾風のサイラス』だっ!」って名乗ってるトコ想像してみろよっ⁉」
故人を笑うのは息子と言えど流石に不謹慎、とエメロンが諌めようとするが、残念ながら効果はいま一つのようだ。
ユーキも口ではエメロンに同意するのだが、どうしても笑いが込み上げる。
「え~、カッコいいと思うけどなぁ、『疾風のサイラス』なんて。ボクも何か考えようかな~」
「それだけは止めろ。変な名前を名乗ったら、俺は一緒に旅しねぇぞ」
予想通りというか、アレクは『疾風』の名が気に入ったようだ。そして自分も二つ名を名乗ろうか、などという事を口にする。それを聞いたユーキは突然ピタリと笑うのを止め、アレクを制止した。
一緒に冒険者のパーティを組んで旅をするというのに、一緒に居る相手が妙な二つ名を名乗るなど恥以外の何物でもない。
そんなアレクとユーキを見て、ヴィーノは兄から聞いたもう1つの二つ名、『降雷』の名は秘密にする事にしたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
授業が終わり、放課後。いつものように弁当を食べる為に広場へと移動しようと、ユーキは仲間たちに声を掛けた。
「あっ、ゴメン。言うのを忘れてたよ。昨日、師匠から指示があったんだ。今日の昼食は食べてくるなって。だから僕はお弁当を持ってきてないんだ」
「なんだそりゃ? あのオッサン、何考えてんだ? アレクは?」
「ボクもお弁当はないよ。シショーの命令は絶対、だからね」
アレクとエメロンの2人は、バルトスの命令で弁当を用意していなかった。気絶をしていたユーキは当然その事を知らず、弁当を持ってきている。
さて、どうしたものか。アレクは「命令は絶対」などと言うが、ユーキはその命令を耳にしていない。いつも通り、ロドニーたちと昼食を摂っても問題は無いと思う。しかし1人だけ弁当というのも疎外感が拭えない。
かと言って、せっかく用意した弁当が無駄になるのも我慢できない。元料理人志望としては、食材が無駄になるなど絶対に許せない。
「それでねユーキ。よければそのお弁当、ミーアに譲ってくれない?」
「どういうことだよ?」
弁当の処遇を悩んでいた所に、アレクが妙な提案をしてきた。
詳しく話を聞けば、ユーキは昨日の指示を聞いていない為、弁当を用意してくるだろうとアレクは予想した。ここはいい。事実だし、予想の通りだ。
だからアレクはミーアも弁当を持たなければ、ユーキの弁当をミーアに渡して万事解決すると考えた。
話を聞いたユーキは頭を抱える。なぜそうなるのか、と。
ケガが思ったより重傷で学校を休んだり、弁当の用意を忘れたらどうするのだ、と。ミーアが昼抜きになってしまうではないか。
その事をアレクに指摘したが、どうもミーアの方が乗り気だったらしい。なんでも「お兄さまのお弁当を味わえる機会を貰えるなら、喜んで」などと言っていたらしい。
この姉妹には言うだけ無駄か、と諦めたユーキは弁当をクララに託して、アレクとエメロンと共に冒険者ギルドへと向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おぅ、来やがったか。クソガキ、身体は問題ねぇな?」
「テメェの蹴りなんざ、大したコトねぇよ。昨日は不覚を取ったけど、そのうち借りは返してやるよ」
「それだけ言えりゃ上等だ。ま、オレに追いつこうなんざぁ10年経っても無理だと思うが、せいぜい頑張るんだなぁ?」
開口一番、悪態を吐き合う2人。いや、バルトスは口は悪いが、その内容をよく考えてみるとユーキの身体を気遣った言葉でしかない。
そんな2人を見て、アレクは不意に思った事をエメロンに告げる。
「ねぇ、シショーってサイラスおじさんと似てない?」
「え? 別に似て……。あぁ、ユーキとのやり取り? 言われてみればそっくりだね」
サイラスとバルトスに共通点など殆ど無い。顔も体型も年齢も、髪や瞳の色も全然違う。声や性格も似ても似つかない。でも、ユーキとの関係だけはそっくりだった。
口を開けば軽口や悪態の応酬。それがユーキとサイラスの日常だった。それが今、ユーキとバルトスの間で繰り広げられている。
アレクは、サイラスとバルトスが似ていると言ったが、実際2人のユーキへの態度はまるで違う。
サイラスはひたすらにユーキをからかい、馬鹿にするのにたいして、バルトスは乱暴な言動とは裏腹に、その内容は親身で優しさに溢れている。
似ているのは2人が、ではなく、2人に対するユーキの態度だった。
「おう、テメェら。指示通り、昼メシは抜いてきたか?」
「うんっ、おかげでお腹ペコペコだよ」
「俺も食ってねぇよ。一体、何する気だ?」
バルトスが昼食をご馳走してくれる……などとは考えていない。恐らくこれも修行の一環なのだろう。考えられるのは、空腹状態での運動に慣れるとかだろうか?
「そいつは後のお楽しみってヤツだ。さぁ、行くぞっ」
ユーキの問いには答えずにバルトスは号令を出す。
答えを明かす気が無いのならこれ以上の問答は無駄だと、諦めて移動を開始した。到着した先は、町の郊外の草原。昨日、模擬戦をした場所だった。
「何だ? また模擬戦でもすんのか?」
「慌てんな。まずはエメロン、テメェの最大の欠点を克服する」
「は、はいっ! ……僕の、欠点……ですか?」
いきなり名指しで「欠点」と指摘されたエメロンは困惑する。自分の欠点とは、一体何の事だろうかと。
思いつく事ならいくつかある。エメロンは自分に欠点が無いなどと自惚れてはいない。その中でも、最も有力なものと言えばエメロンの「武器」だろうか。
エメロンの武器は、手製の魔法陣ノートである。1ページに1つずつ魔法陣を描いており、その総数は数十種類に及ぶ。エメロンはこれらを全て記憶しており、目当てのページをめくるのに5秒もかからない。しかし、戦闘中の5秒というのは致命傷にもなり得る時間だ。
この事はエメロン自身も危惧しており、その対策も考えてはいた。……その対策は、未だに実現に移してはいないが。
「おい、オッサン。エメロンは名前呼びで、俺は「クソガキ」、アレクは「バカガキ」かよ?」
「オレはテメェと違って、見所のあるヤツにはそれなりの対応をする主義でなぁ。名前で呼んで欲しけりゃ、それなりのモンを見せるんだなぁ」
「それでシショー、エメロンの欠点って何っ?」
バルトスの、エメロンに対する態度にユーキが文句を言う。
思い起こしてみようとするが、過去にバルトスがエメロンを名前で呼んだ記憶は無い。というか、エメロンを個別に呼んだ事が無かった。控えめなエメロンは、バルトスとの会話で矢面に立つ事は少なかったからだ。
しかし、バルトスのエメロンへの評価は意外に高いものだった。いや、昨日の模擬戦で高くなったのだろうか?ユーキと同じくバルトスに翻弄されるだけで、特に良い所は無かったと思うのだが。
そんな事を考えるユーキを余所に、アレクはエメロンの欠点を問い質す。
「おう、エメロン……」
「はいっ!」
改まって声を掛けられたエメロンは、緊張から無意識に声が大きくなる。
ユーキとアレクも、固唾を飲んで静聴した。
「今日はテメェに、メシを作ってもらう」
だがバルトスの口から放たれた、あまりにも予想外の言葉に3人は揃って目を丸くしたのだった。




