第36話 「愛しい我が子に良い夢を」
「あー、ここらでそろそろ、オメェらの戦闘訓練でもしてやるかぁ」
「えっ、ホントっ⁉」
季節は移り、暦では既に秋へと変わっていた。
残暑のまだ残る暑い日のギルド内で、突然バルトスがそんな事を言い出す。アレクは無邪気に喜んでいるが、ユーキは疑いの眼差しでバルトスを見た。
別にバルトスが騙そうとしているとか、そんな風に考えている訳では無い。ただ、いきなり戦闘訓練を始めようと言い出した理由の方に疑問を感じているだけだ。
「最近じゃ、エメロンにお株を奪われちまって教えるコトが無くなったからって必死だな」
「ンッ、ンなワケねーだろっがよぉっ!」
そう、この時には既にエメロンはバルトスの知識の全てを追い越し、彼から勉強という点では、教わる事は無くなってしまっていた。ハッキリ言って師匠の面目丸つぶれである。
それに、今までバルトスが教えた事と言えば他には体力作りくらいである。そんなものは自分1人でも出来るし、このままでは面目どころか師匠としての存在意義そのものが危ぶまれる。
バルトスは否定をするが、残念ながら必死になればなるほど、その言葉に説得力は無くなっていた。
「まぁまぁ、ユーキ。……それじゃ今日は、模擬戦をしてから採取ですか?」
「確かにそのつもりだがよぉ、今日はオメェらは荷物はいらねーぞ」
「は? 何でだよ? 採取に行くんだろ?」
模擬戦を行ってから採取に行く。そう言っているのに、荷物が必要ないとバルトスは言った。その指示にユーキが疑問を挟む。採取の際は20キロのリュックを背負うのが、既にユーキたちの日常となっていたからだ。
「オメェらは今日は採取についてこなくていい……いや、ついてこれねーだろーからよぉ」
バルトスは、この半年近くで見慣れたその悪人面を、より一層悪そうに歪めてそう言った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ここらでいいか。とりあえず、全員いっぺんにかかって来いや」
「え? 一度に、ですか? 1人ずつ順番に見た方がいいんじゃ……」
町から出てすぐの、何もない原っぱで立ち止まってバルトスはそう言った。
エメロンが疑問を呈するが、それも当然だろう。弟子は何十人もいる訳では無いし、1人ずつ見た方がより丁寧に、正確に指摘も出来るはずだ。
「ンなチンタラやってられっか。テメェらの性格も戦い方も大体分かってんだよぉ。ついでに欠点もなぁ……」
「でも、3対1だよ? ダイジョーブ?」
「バカガキは算数も出来ねーのかぁ? テメェらは3人で3の力だがよぉ、オレは1人で10の力があんだよ。どっちが強ぇかなんて分かり切ってんだろーがよぉ」
「……バカはテメェだろ」
あまりにもヒドイ理屈にユーキの頭が痛くなる。後出しの数字を持ち出して相手をバカにするなど、まさしくバカの所業だ。
「いいの? ギルドで模造刀を借りたけど、当たると痛いよ?」
「ったるワケねーだろーがっ。そいつぁ、真剣を使っちゃあオメェらが本気を出せねーだろーから借りてきただけだ。オレに一太刀でも当てられりゃ、土下座して謝ってやんよぉ」
模擬戦という事で、アレクとユーキはギルドから模造刀を借りていた。元々の自身の得物と同じくらいのサイズの物をだ。もちろん、重量や細かいサイズなど違いはあるが、それは流石にどうしようもない。
バルトスは、さすがに斧槍の模造品など無かった為に、同じくらいの長さの棍を所持していた。
「あの、僕は……」
「テメェは必要ねぇ。どーせ当たりゃしねーから全力でかかって来い」
エメロンの主戦法は、後方から放つ『戦闘魔法』だ。当然、模造刀などは存在しない。
もしエメロンが本気で相手を殺傷しようと魔法を放った場合……、それが当たった場合、無事でいられる者はいないだろう。
その事を気に掛けるエメロンだが、バルトスは一切気にしていない様子だ。そもそも、模造品が無いのだからどうしようもないのだが。
「ああ言ってんだし、遠慮なくやっちまえ。万が一死んでも自業自得だろ?」
「いや、そういう訳には……」
「いらねー心配はちっとでも攻撃を当ててからにしろっつーの。……オラっ、いつまでもくっちゃべってねーで、さっさとかかって来いっ」
エメロンの懸念は晴れないが、確かに相談したからとどうなる問題でも無い。何よりバルトス自身が「問題無い」と言い切っているのだ。
バルトスの声で3人は気持ちを切り替える。
先程は自分たちの3倍以上の実力があるような事を言っていたが……。確かに自分たちより実力も経験もあるだろうが、3対1でも問題にならない程なのか?まずは、その実力差を測る必要がある。
「まずは様子見を……」
「それじゃっ、行くよーーっ!」
ユーキが慎重に動こうと、そう指示を出そうとした矢先にアレクが掛け声と共に駆け出した。
一直線にバルトスへと向かい、手にした模造刀を上段に振り上げる。虚を突かれたユーキとエメロンは完全に出遅れてしまった。
しかしバルトスもまだ構えていない。アレクの速攻に対応できていないのか、それとも余裕の表れか……。無防備なバルトスの脳天目掛けてアレクの腕が振り下ろされ――。
「視界が狭ぇ。足元も見えてねぇ」
「えっ?」
軽く、バルトスが前に出した足にアレクの前足が引っ掛かった。バランスを崩したアレクはその勢いのまま宙を舞い――。まるですり抜けるようにバルトスの後方の地面へとダイブした。
「――あべぇっ」
「動きも直線的だし、振りも大きい。ンな攻撃、目ぇつぶってても避けられんぞぉ?」
あっという間の……、一瞬の出来事だった。ユーキとエメロンの目には、バルトスが足を出した事さえ目に映ってはいない。ただ、アレクが1人で勝手に転んだように見えた。
あまりの実力差に固まったユーキとは打って変わって、エメロンの動きは素早かった。
エメロンは自身のノートのページをめくり、魔力を送る。使う魔法はゴブリンにも使った、草を伸ばす拘束の魔法だ。この魔法なら互いにケガをする事も無く、模擬戦を勝利する事も可能だ。だが……。
「――遅ぇっ!」
唐突にバルトスが走り出す。この魔法で動かす事の出来る植物の動きは遅い。動き回る相手には無力な魔法だった。
バルトスは一直線にユーキとエメロンに向かって走ってくる。ユーキはナイフを構え、エメロンは次なる魔法のページをめくる。
エメロンの次の魔法は、風の衝撃波を出す魔法だ。直撃でなくてもいい。ただ一瞬、動きを止める事が出来ればユーキが決めてくれる。
(今だっ!)
そのタイミングは絶妙だった。
バルトスの棍は届かず、こちらの魔法だけが届き、ほんの2、3歩でユーキがバルトスに接敵できる。ユーキは射線から僅かに外れ、バルトスのみを標的に出来る。これ以上のタイミングは無かった。
だがエメロンが魔法を発動しようと魔力をノートに送る、その直前に2人の全身を土の礫が襲った。
「なっ⁉」
「ぅわっぷ⁉」
バルトスは走りながら根を地面に突き立て、払う事で土を2人に浴びせたのだ。走る動作に変化は無かった。ましてや立ち止まったりなどしてはいない。バルトスは手首から先の動きだけで、あまりにもスムーズにこれをやってのけた。
一切の予備動作無く放たれた土の礫を予測する事は、2人には不可能だった。目に、口に、鼻に土が入り、思わず顔を背ける。
「やっぱテメェの魔法は当たんなかったなぁ?」
「っ‼」
すぐ真横でバルトスの声が聞こえた。思わず手を振り回すが手ごたえは無い。
「ホレっ、これで仕舞いだ」
「ぐぅっ⁉」
棍の先が首に当てられ、そのまま地面へと倒されてしまう。驚きに声を出してしまったが、身体にダメージは殆ど無かった。
「エメロンっ⁉ テメェ、きったねぇ真似しやがって……っ!」
「きたねぇ? そりゃ土の事か? それともオレの手段か?」
1人残ったユーキがバルトスに悪態を吐く。だがバルトスは、それに答えはするものの全く意に介してはいない。
それは当然だろう。今、バルトスに教わっているのは、試合や力試しで勝つための手段ではない。旅をして、冒険者として、魔物や無法者たちから生き残るための手段を学んでいるのだ。その際に、手段など選ぶ必要などない。
「さぁて、テメェ1人になっちまったが……、まだやるか?」
「っ……、ったりめーだろうがっ!」
アレクとエメロンは決して戦闘不能のケガを負った訳でも、疲労困憊で動けない訳でもない。だが、もしこれが実戦だったならば2人はすでに致命的な攻撃を受けているだろう。その事を理解しているのか、2人は既に戦線に戻る気は無いようだ。
バルトスの提案は、この事とユーキとの力量差を鑑みての温情のようにも見て取れる。だが、ユーキはこれを挑発と受け取った。
勝てるとは思ってはいない。痛い目を見るだけかも知れない。それでも、ここで言われるままに引き下がるなど、プライドが許さなかった。
「……ならよぉ。いつまで突っ立ってるつもりだぁ?」
「……っ⁉」
思ってもみなかった事を指摘され、ユーキは愕然する。
エメロンが倒されてから数十秒。ユーキはバルトスと2、3の会話を交わしただけで1歩も動いていない。決して、恐怖に足が竦んだなどという事は無い。しかしユーキには、なぜ自分がこの数十秒動く事が無かったのか、動けなかったのか、自分でも理解できていなかった。
ユーキは賢い子供である。少なくとも同世代の中では。だが賢さとは、時にマイナスに働く事もある。
人は、経験と共に危険を知る。自分で経験していない事でも、知識として知る事が出来る。……知識が無くても、予測という形で危険を察知する事が出来る。
賢いユーキには予測が出来る。……出来てしまう。「このまま無策で突っ込んでも勝ち目は無い」と。だからユーキは考える。自分の勝ち筋を、必死で。だが、いくら考えても見つからない。
人は、危険を避けて生きる。それは生き物としての本能だ。理由も意味も無く、分かっている危険に飛び込む人間はいない。……人は自傷や自殺をするが、それらにも理由や意味はきっとある。
無策で突っ込んだ結果の光景が容易に想像できてしまうユーキには、その行為は自傷や自殺と何ら変わらない行為だった。
「……重傷だなぁ、テメェ。ったく、メンドクセェなっとっ!」
「……っ‼ ぐっ……、くっ……!」
いつまで経っても自分から動こうとしないユーキに痺れを切らしたバルトスは、足を踏み出し棍を振るった。
”カンッカンッカンッ”と、木製の棍とナイフが打ち鳴らす音が響く。上段からの振り下ろし――、横からの薙ぎ払い――、正面からの突き――。次々に繰り出されるバルトスの攻撃を、ユーキは短いナイフで辛うじて受け流す。
1手受ける度に手加減されているのが分かる。
大人と子供の膂力の差。棍とナイフという得物の差。たとえタイミングが合っていても、渾身の力を込められれば受け流す事など不可能だという事は誰にでも分かる。
傍から見たならバルトスが手加減をするというのは当然だろう。大人が子供に本気を出すなど大人気ないし、これはケンカでも実践でもなく模擬戦だ。ましてや2人は師弟関係なのだから、弟子のユーキを師匠のバルトスが打ちのめす意味が無い。
だが、露骨な手加減はユーキの「怒り」に火を着けた。
「なっ……めんじゃあねぇーーーっっ‼」
ユーキは渾身の力でバルトスの棍を大きく打ち払った。そして左手を前方――、バルトスに向けて突き出す。……耐火グローブを着けた左手を。
バルトスとの距離は約2m。ギリギリ炎の射程距離内だ。ユーキの体勢も多少崩れているが、バルトスは更に大きく体勢が崩れている。それにバルトスには火の魔法は1度も見せていない。このタイミングでは躱せない――。
もちろん怒ったとはいえ、ユーキにも理性は残っている。
バルトスに大火傷を負わせる気など無いし、何より火力を強め過ぎると自分すら焼いてしまう。しかし模擬戦とはいえ多少のケガは付き物だし、バルトスも自分自身も多少の火傷くらいなら問題ないだろうと、そう思っていた。
たとえ火傷というリスクを負ってでも、手を抜かれたまま何も出来ずに終わるのが許せなかったのだ。
「くらえ――っ」
左手に魔力を込める。確実にバルトスにも当てるように、火が広範囲に広がるように。熱の影響の範囲内に自分も入っているが構いはしない。ただ、これでいけ好かないコイツに目にもの見せて――。
「ぶっ……!」
あと少しで魔力がグローブに届く、その刹那。体制を崩していた筈のバルトスは、身体を回転させてユーキの頭に後ろ回し蹴りを放った。自身も体勢を崩していたユーキにこれを防ぐ手段は無い。……元より、バルトスの攻撃に気付いてもいなかったが。
当然、遠心力が加わった蹴りがそこで止まる訳も無く……。
「ぐぁっ!」
バルトスの蹴りはそのまま振りぬかれてユーキを吹き飛ばす。地面に叩きつけられるように倒れたユーキはピクリとも動かなかった。
「「ユーキっっ‼」」
歪んだ視界に、自分の名を呼んで駆け寄るアレクとエメロンが見える。しかし、その光景を最後にユーキの意識は闇に吞まれた……。
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夢を、見ていた――。
何でもない日常の、何でもない1日の夢だ。
朝、母に起こされ、父と、だらしのない同居人と4人で朝食を摂る。父と同居人は仲が悪く、いつもケンカばかりしている。それを母が諌めるのが、この家での自然な光景だ。
母の作った朝食を平らげ、食器を片付けたら学校へ行く。もちろん母が作ってくれた弁当を忘れはしない。
登校途中で友人たちと出会い、共に教会へ行く。教室へと着けば、いつものメンバーが勢ぞろいだ。
勉強は決して楽しくは無いが、マジメに受ける。母が「いつでも出来る限りの事をしろ」とうるさいからだ。
退屈な授業を終えると、いつものメンバーと下の学年の親しい子たちと共に昼食の時間だ。
友人の妹と、釣り目の女の子、それにいつからかメンバーに入った小さな女の子と、青髪の男の子。それに、窮屈な鞄の中から解放された妖精も一緒だ。
みんなで円になって食事をしながら、他愛のない会話を繰り返す。「今日、こんな事があった」「勉強キライ」「将来の夢は?」「夏になったら川で遊ぼう」。
皆、口々に好き勝手に話す内容に一貫性は無い。きっとみんな、明日には殆ど覚えていないだろう。
昼食を終えた後、その日は陽が傾くまで玉遊びをした。女子は1人を除いて途中で別の遊びを始めたが、男子連中はムキになって勝敗を競い合う。
なぜか青髪の男の子が、しきりに自分に突っかかってくる。だが、不思議と嫌な気分にはならなかった。
やがて陽が落ち、子供たちは家路につく。
自分も家へと向かうと、家族が揃って玄関で出迎えてくれた。
その日は母と一緒に夕食を作る。
「いつの間にそんなに上手くなったの?」なんて言われると、不覚にも嬉しくなってしまう。
夕食の時間、朝と同じように食卓を囲む。
母が我が子の料理の手際を褒めるが、父と同居人は訝しむ。自分の腕を疑われては黙ってはいられない。今日は、自分がケンカをする番だ。
賑やかを通り越して、騒がしい夕餉を終えた後、父と一緒に風呂に入る。
狭い風呂の中で、父は今日の出来事を聞いてきた。素直に話したのだが、その都度煽ってきたので風呂の中でもうひと悶着だ。
母に叱られ、父子揃って正座をする。
父の方が強く、自分は手も足も出ないのに平等に叱られるのは不平等だと思う。だから、この時いつも思うのは「今に見てろ」だ。今に父よりも大きくなって、父よりも強くなってギャフンと言わせてやる。
そんな事を考えていると「話を聞け」と、母の叱責が飛んできた。
そんな事をしていれば、もう1日は終わりだ。ベッドに潜り、眼を瞑る。ベッドの側では、母が見守ってくれている。
もう子供では無いのに、止めろと言っても止めてくれない。母は、いつもこうして自分が眠るまで隣に居てくれた。母の手が、頭を撫でる――。
「良い夢を――」
明日は何をしようか。父の食事にだけ辛子を大盛にしてやろうか。青髪を、好きな女の子の話でからかってやろうか。
きっと、明日も良い日になると…………。
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孤児院の、自室のベッドで目を覚ましたユーキの目には涙が流れていた。
とても、良い夢だった……。現実だったら、どれほど良かったか……。
しかし、そんな事はあり得ない。意識が覚醒し、現実を思い出す。
母は死に、父も死んだ。エルヴィスはとっくに町を出たし、レックスは……自分が殺した。その件でカーラには恨まれているし、シンディも同様だろう。
あまりにも都合の良い夢の内容に、ユーキは自分自身が恥ずかしくなる。恥ずかしいと思いはする……が、ユーキは再びベッドに潜り、眼を閉じた。
願わくば、もう1度夢の続きを――と、そう願いながら……。




