第35話 「バルトスの修行(知力?)」
最初はいつもの事だと、バルトス=ノヴァクはそう思っていた。
冒険者となって約10年。
世では底辺職とされる冒険者だが、戦闘行為などの荒事を請け負う者たちは底辺というよりも、奇異の目で見られる事が多い。もちろん危険な依頼にはその度合いに応じて報酬が良い事も多いが、それが身の安全や命そのものと釣り合うかと言えば、そうは思わない者が大半だろう。
それに、いくら報酬が良くてもそれはその場限りだ。生活を続ける為には新たに依頼を受ける必要がある。だが、常に求めている仕事、割の良い仕事があるかと言えば、そんな事は滅多にない。
しかし生活の為に、危険な仕事や割に合わない仕事でも、保証も無いまま率先してこなしてゆく。一般人には理解の出来ない職業だろう。
だが、そんな冒険者になりたがる者も一定数存在する。
それは身寄りも学も、伝手も無く、自分の腕っ節しか頼るものが無い者たちだ。バルトスも、その中の1人だ。
幸か不幸かバルトスが冒険者になった時、出身国のラフィネ聖王国はクライテリオン帝国と『10年戦争』の真っ最中だった。戦時中の国内は荒れ、犯罪者や無法者が闊歩し、治安組織は軍に割かれて機能しない。荒事も辞さない冒険者の仕事は、ラフィネ国内に溢れていた。
身の丈に合わない仕事を請け負った事もある。命の危険を感じた事は1度や2度では無い。
だがスラムに生まれ、学校にも通わず窃盗をする事で幼少期を過ごしてきたバルトスには、他に真っ当に生きる手段を知らなかった。
時が経ち、ラフィネ聖王国からエストレーラ王国へと移住をした。
移住先であるシュアープという町は母国では考えられない程に治安が良く、荒事の仕事は少なかった。だが、バルトスはその事を不満に思う事は無かった。
生まれて初めて感じるような穏やかな日々……。3年前に『ボーグナイン紛争』が起きて一時は慌ただしくもなったが、その後の治世が良かったのか、以前ほどでは無いが町は平和を取り戻していた。
だが、そんな平和な町でも冒険者になりたがる奇特な者が一定数存在する。
それは冒険物語や、英雄物語に憧れを持つ若者たちだ。
彼らの殆どは小説や絵本で得た知識しか持たず、冒険者の社会的地位・危険性・困難で保障の無い生活などの事実を知らないままギルドの門を潜る。
そんな風に、何も知らずに冒険者となって有頂天になった新人は、そのまま危険地帯に足を踏み入れ帰って来ない事も多い。
その為、バルトスのような冒険者が度々、不安な新人の様子を見るという依頼を任されるのだ。……今回は、ギルドからの正式な依頼では無かったのだが。
「ったく、メンドクセェ……」
口癖を言いながら依頼対象の、新たな冒険者の3人を見る。
一人は、何も考えていなさそうなバカガキ。
次のは、大人しそうで、覇気のないフツーのガキ。
最後は、生意気そうなツラが気に入らないクソガキ。
バカガキが嬉しそうに「魔物対策部」の部屋に入り、フツーのとクソガキがそれに続く。
どう見ても目を離してはいけないタイプのガキどもだ。案の定、ゴブリンがどうとか言ってはしゃいでいる。
ひとまず3人に声をかけ、危険行為を止めるように説得してみたが、案の定聞く耳を持たない。
せっかく安全で実入りのいい仕事も持ってきたというのに見向きもしない。
そもそもゴブリンなんかを狩ってどうするつもりなのか?
ゴブリンは繁殖力が強い。1匹2匹倒しても、殆ど群れに影響は無い。その為、討伐を証明しても報奨金は殆ど出る事は無い。巣穴ごと壊滅でもさせれば話は別だが難易度が高く、達成してもその確認に時間がかかる。
しかもゴブリンは知能が高い上に群れる為、相対した時の危険度は非常に高い。「獲物を罠に掛ける為に逃げる事もある」のだ。これは他の魔物には見られない習性だ。
総じて「ゴブリンは積極的に狩るものでは無い」というのが、冒険者の常識だった。
3人の後をつけて見れば案の定、ゴブリンと戦闘を始めていた。
バカガキが奇怪な魔法を放つが致命傷にはならず、ゴブリンは逃げていく。放っておけばよいものを、わざわざ自分から罠に掛かりに行く3人。
仕方がない、と追いかけてみたが意外な事に2人のガキの戦闘力は意外と高いものだった。
10匹のゴブリンを危なげなくあしらい、一気にという訳にはいかないが、それでも確実にその数を減らしていく。……ただ、上方に対する注意は不足していたが。
木の上に潜むゴブリンの伏兵を静かに蹴散らしたバルトスは、2人は放っても大丈夫だろうと先に飛び出したバカガキを追う。
こちらも予想通り、ゴブリンの群れに囲まれていた。
ただバカガキの横に浮かぶ、羽の生えた小人の存在が気になった。まるで妖精のような、ソイツに気を取られていた瞬間、バカガキが動きを止めた。弓で狙われているというのに、だ。
「避けろっ‼ バカがっ‼」
思わず声を上げてバカガキを蹴り飛ばす。
ガキどもに気付かれないようにしようと思っていたのに台無しだ。
しかしこうなっては仕方がない。もはや姿を隠す必要も無い。
バルトスは、まるで憂さ晴らしのようにゴブリンを蹴散らす。逃げるゴブリンがいたが、本来なら追ってまで止めを刺す必要は無かった。ただムシャクシャして、ついやってしまった。
ゴブリンを全滅させたバルトスは、バカガキに一言文句を言ってやる事にした。……後になって思えば、この時何も言わずにさっさと帰った方が良かったのかも知れない。
バカガキは文句を言われているというのに、「弟子にしろ」などと言ってきたのである。
そうこうしているうちにバカガキの連れが合流して、仲間が止めているのに、それでも「弟子にしろ」と言って聞かない。
全く引こうとしないバカガキに痺れを切らしたバルトスは弟子入りを諦めさせようと、まるで奴隷のような条件を提示した。「こんな条件を呑むバカはいないだろ」と考えたからだ。
だが、バカは居た。
あっさりと条件を受け入れたバカガキは、どういう理屈か仲間を説得した。このままでは本当に師匠にされてしまいかねない。そう危機感を感じたバルトスは抵抗を試みた。が、既に遅かった。
バカガキは事もあろうに「ウソつき」呼ばわりをして煽ってくる。盗みも殺しもした事はあるし、自分を上等な人間だなどと言うつもりは無い。だが、嘘だけは吐いた事が無かったのだ。
結局、バルトスは自身のプライドを手に取り、3人の師匠となる事を了承してしまった。
町への帰還の道すがら、3人は学校を卒業後に大陸中を旅する予定だと聞く。全く、本当に世間知らずのバカガキどもだ。明日は少しだけ、現実というものを教えてやろう。それで諦めるというなら、その方がいい。
翌日、約束の時間にギルドに行けばきっちり3人は揃っていた。
内心で(来てなけりゃあ、メンドクサくねぇのによぉ)などと考えながら、午前の仕事を途中で切り上げてきたバルトスは、己の矛盾に気付いていない。
3人には20キロの荷物を背負って、自分のフィールドワークについてくる事を課した。
20キロというのは、旅に必要な装備の平均的な重量だ。もちろん人によっては増減するし、3人で分担すればもっと軽くて済むだろう。馬車とは言わずとも、荷車を使う手もある。だが本当に旅をするというのなら、この程度は出来なければ話にならない。
とはいえ、3人はまだ子供だ。実際にはかなりキツイものとなる事が予想された。特に身体の小さなバカガキが辛そうだ。
一応、危険が無いように魔物や大型の獣が出ない場所を選んではいるが、それでも何が起こるかは分からない。つまづいて転べば骨折する事だってあるし、死ぬような事は無いだろうが毒を持つ虫なども居た筈だ。
採取の合間にもしきりに3人の様子を窺うバルトスは、その言動とは裏腹に過保護な師匠だった。
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「ねぇ、シショー。そろそろなにか教えてよっ」
「あぁんっ?」
バルトスとの師弟関係が2ヵ月を過ぎて今は6月、いつも通りに町外れの森を歩いていた時、アレクがおもむろにそう言った。
いや、おもむろというのは正しい表現ではない。アレクは以前から同じような事を言っていたし、ユーキとエメロンも同様に感じていた。
既に20キロのリュックを背負って歩くのにも慣れ、今では雑談交じりでも日が暮れる前に町へと帰る事が出来るくらいになっている。これは夏が近づき、日が落ちるのが遅くなったのも理由ではあるが。
ともあれ、体力作りはもう十分だろうというのが弟子たち3人の共通の見解だった。
「ホラっ、必殺技とかさっ。それとも、魔物と実戦で経験を積むとかっ」
「必殺技ァ? 娯楽小説の読み過ぎだろーがよぉ。それに実戦だぁ? 10年早ぇっつーの」
「10年なんて待てないよっ! ボクたち、再来年の今頃には旅に出てるんだからっ」
アレクの提案を馬鹿にしつつ渋るバルトス。
しかし、いつまでも体力作りをさせるのも意味が薄いと考えていたのも事実だ。
「まぁ、そろそろ次の段階に進むかぁ」
「やったっ。なに? なにするのっ? 模擬戦? それとも大岩を砕く試練とかっ?」
「大岩なんてオレでも砕けねーっつーの。バカのオメェには残念だがよぉ、次はお勉強だ」
「……勉強、ですか?」
新たな修行が始まると心を躍らせていたアレクだが、その内容は修行というイメージからは程遠い。
戦闘に関わる勉強とは、『戦闘魔法』の事だろうか?それとも肉体構造や物理の法則を知り、効果的な動きをする為の勉強だろうか?あとは、戦術論などの勉強なども考えられる。
「勉強って、魔法の勉強でもすんのかよ?」
「魔法? あぁ、『戦闘魔法』かぁ? ンなモン、オレが教えられっかよぉ。あんなモン、咄嗟にゃ使えねーし、制御しくじりゃ同士討ちしかねねぇ。ほとんど戦闘の役にゃ立たねーよ」
どうやらバルトスは『戦闘魔法』に苦い記憶でもあるようだ。その物言いから『戦闘魔法』に対する不信感が窺える。
「あれ? でもユーキはよく『戦闘魔法』を使ってるよね? ナイフを震わせたり、火を出したり……」
「そのクソガキは特別だ。フツーは近接戦闘で魔法なんざぁ使わねぇし、使えねぇ。遠くからブッ放すのがフツーの使い方だ」
バルトスの言う通り、普通は魔力を溜め、制御するのに精神を集中する時間が必要だ。近接戦闘の最中に動き回りながら出来るような事では無い。それが出来るのは魔力制御の天才か、長い修練の末に身に着けるしかない。
ユーキは明らかに前者であり、それがバルトスをして「特別」と言わしめた訳ではあるが、バルトスは決して褒め言葉のつもりでは言ってはいない。どちらかと言えば、「非常識だ」という意味で使った言葉だ。
だがアレクは、そんな真意などどこ吹く風で「特別……、特別かぁ……」と、ユーキを羨望の目で見つめる。
エメロンはそんなアレクを見て、微笑ましい気持ちと僅かな「嫉妬」を感じながら、改めて勉強の内容を問い質した。
「それじゃあ、何を勉強するんです? 肉体構造や物理法則ですか? それとも過去の戦術家の理論とか?」
「……オメェは、ンな小難しいコトばっか考えてんのかぁ? ンなモン、頭で考えてもどーにもなんねーだろーがよぉ。勉強すんのは旅に必要な事全部だっ、全部っ!」
「……全部?」
旅をするには知るべき事が山ほどある。
各国の特徴や法律……。魔物や野生動物の特徴や分布……。各地の地形や気候、補給ルート……。食べれる動植物と、逆に食べてはいけない動植物……。
これらだけでも表面的なもので限定的なものを言えば、医療術や乗馬術、遭難時の対策、各国の歴史や、その民族性なども知っておいて損は無いだろう。
また生活面に限れば、炊事や洗濯、馬の世話の仕方や、テントの張り方なんかもしっかり出来た方が良い。
「うげ……。そんなの全部やんのか?」
「料理と洗濯はユーキが出来るから、勉強しなくてもいいんじゃない?」
「オメェなぁ……。例えば、そのクソガキが風邪でも引いたらどーすんだぁ? 熱あるヤツにメシ作らせる気かぁ?」
「うっ……」
なんとか負担を減らそうとするアレクだったがバルトスの正論により、ぐうの音も出ない。
バルトスは風邪などと優しい例えを出したが、はぐれる可能性や負傷する可能性、……ケンカなどで物別れする可能性も、死別する可能性だってある。
もし……、もしもそうなってしまった時、居ない相手に頼る事は出来ない。自分で何とかするしかないのだ。
「全部カンペキにしろ、なんて言やしねーよ。だがなぁ、最低限、1人になっても困らねぇ程度の知識くらいは身に着けとけ」
あまりにも正しい論理に、アレクもユーキも反論する事はもう出来なかった。
こうして始まった勉強という名の修行だが、大方の予想通りエメロンが全体的に優秀だった。一部、家事関係などはユーキの方が上手だが、知識関係に至ってはバルトスの知識も軽く追い越してしまっていた。
その結果、バルトスよりもエメロンに教わった方が良いという結論に、アレクとユーキは至ってしまったのだった。




