第7話 「ユーキのリベンジ」
「だーーーはっはっはっ‼」
その日の晩、ユーキの家では父・サイラスの笑い声が響いていた。
夕食時にサイラスから「そういや、学校はどうだった?」との質問に、ユーキが起きた出来事を素直に答えた結果だ。
アレクとロドニーの試合の話までは良かった。
サイラスは時折「ふーん」とか「それで?」と相槌を打ちながらユーキの話を聞いていたのだ。しかし、その後に行われたユーキとロドニーの試合の話をした事からサイラスの態度が変化した。
結果から言えばユーキとロドニーの試合は、ユーキの勝利に終わった。
しかもユーキの1投目で呆気なく。
ユーキは、ロドニーとマトを越えるように山なりにボールを投げ、教会の壁に当てた。壁に当たったボールは跳ね返り”ポーンポーン”とバウンドをしながら『後ろから』マトに当たったのだ。
ロドニーからは「ヒキョーもの!」と呼ばれ、アレクからさえも「ズルは良くないよ」と言われる始末。
一応、エメロンやクララは「ル、ルール違反じゃないよね?」とフォローをしてくれてはいた。……非常に難しい顔をしながらではあったが。
この結果を聞いたサイラスは大声で笑い出した。
ユーキは(言うんじゃなかった……)と後悔するが、既に遅い。呼吸を整えたサイラスの更なる追撃がユーキを襲う。
「ひーっ、はひーっ。マジかよお前、サイテーだな。人の心がねぇのかよ」
「…………ぇだっ」
「ん~? ハッキリ言ってもらえねぇと聞こえねぇな~。人非人のユーキくぅん?」
「人の心がねぇのはテメェだっ! クソ親父ーーーっ‼」
こうしてアルトウッド家の夜は賑やかに更けていく。
なお、ご近所の評判はというと「賑やかな家族が越してきたねぇ」とのんびりしたものだった。
実に仲の良い、隣人にも恵まれた幸運な父子であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「くっそ~、あのサル親父め。とても40前のオッサンの動きとは思えねぇ……」
翌日、登校したユーキは昨日のサイラスとのケンカを思い返して独り言ちていた。
ユーキは父親としょっちゅうケンカになるが、一度として勝てた例がない。もちろん、大人であり父親でもあるサイラスがユーキに手を上げる事は無いが、ユーキの攻撃を受ける事は無く、まさしく猿の如く器用に躱し続ける。その結果、先に音を上げるのは決まってユーキの方だった。
「おっはよーっ。……どしたの? ヘンな顔になってるよ?」
「何でもねぇよ。それより、昨日の約束覚えてっか?」
「うんっ。ちゃんと母さんにお昼はいらないって言ってきたよ」
アレクも登校してきて、目ざとく不機嫌なユーキの表情を指摘するが、ユーキは適当に躱して話題を変えた。
父親とケンカをして良い様にあしらわれたなど、カッコ悪くて言えやしない。
午前の部の生徒は授業を終えた後は、昼間の部の生徒と一緒に昼食を摂る者と、自宅に帰り昼食を摂る者に分かれる。
ユーキは昨日、アレク・クララ・エメロンの3人に自宅での昼食に招待したのだった。
アレクたちに初めて会った日の、不評だったパスタ。それがユーキには不服だった。
いや、不味かったのはユーキも認めている。だからこそ失敗の原因を模索し、恥を忍んで隣人のおばさんにアドバイスを求めた。
ちなみに父には聞いてはいない。どうせ笑われて終わるだけだ。
原因は特定した。もう失敗はしない。そして出来れば「美味しい」と言わせたい。
そんな決意と情熱を胸に抱いてユーキは放課後を迎え、自宅に集合した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「んで……、なんでコイツらまで来てんだ?」
放課後、ユーキの家に集合したアレク・クララ・エメロンに加え、ロドニーとヴィーノまでがその場に居た。
「べっつに、いいじゃねーか」
「ゴ、ゴメン……。今日の事を話したら、ついてくるって言って……」
「ユーキ、いいんじゃない? 仲間外れは良くないよ?」
「そーだそーだ、仲間外れは良くないっスよー」
2人を連れてきた犯人はエメロンだった。3人の関係を思えばエメロンを責めるのは少々酷だろう。
しかし2人は悪びれもなく振る舞っている。特にヴィーノは一体いつから仲間になったというのか。
だが、少々の不愉快さを覚えつつもユーキは感情を飲み込んだ。こんな事で揉めても仕方がない。
「ふぅ、しょーがねぇな。けどヴィーノ、俺はお前と仲間になった覚えはねぇ」
渋々と承諾をするユーキだったが、最後に余計な一言を言ってしまうあたりはまだ子供という事か。
幸い、その事で険悪な雰囲気になる事もなく調理に取り掛かろうとした。
しかしその時、今度はロドニーが余計な事を言ってしまう。
「しっかしパスタの試食会かぁ? あんなの誰でも簡単に出来んだろ?」
「……は?」
先程はユーキの事を子供と称したが、それでも8歳児にしては思慮深く落ち着いた性格をしている。
(父親以外には)滅多に怒る事はないし、無用な争い事や勝負事を嫌っている。何事も穏便に済ます事が出来るなら、それが一番だ。
しかし、この時のロドニーの発言をユーキは見逃す事が出来なかった。自分の失敗と、その後の努力を嘲笑われたようなものだったからだ。
だからユーキは、ロドニーに対してこう言わずにはいられなかった。
「ほぉ~う。そこまで言うからにゃ、テメェはさぞかし上手く作れんだろうな?」
「ん? いやまぁ、それなりだけどよ……」
「んじゃあ、テメェにも作ってもらおうじゃあねぇかっ! まさか逃げやしねぇだろうなっ⁉」
青筋を立てながら挑発するユーキに対して、ロドニーはやや歯切れが悪かった。しかしユーキは決して逃がさず、ロドニーに対して勝負を仕掛ける。
ロドニーは「まぁ、別にいいけどよ……」とあまり乗り気ではない様子ながらも了承した。
「ユーキくん、やめようよ。ロドニーは……」
「止めんなクララ。男にゃ、引けねぇ時があるんだ。……それが今さ」
止めるクララの言葉を遮り、勝負の場に立つ。
この時のユーキを見て、(あぁ、男ってバカなんだ)と7歳女児は悟ったのだった。
「んじゃあ、まずは俺からやらせてもらうぜっ」
やる気満々のユーキが調理台に立つ。
今日の為に、隣近所のマーサおばさんから借りてきた大きな寸胴鍋にたっぷりの水を入れてコンロにかける。
前回の失敗の最大の原因は、使用した鍋が小さすぎたせいだ。その為、湯が少なく熱が均一に行き渡らない上に、麺同士が絡まってくっついてしまったのだ。
”グツグツ”と湯が煮立つのを見計らってパスタを投入する。そして麺がくっつかないように入念にかき混ぜて、砂時計を使ってきっかり5分経った所で麺を引き揚げ、皿に盛る。
前回は茹でる時間がアバウトだったのも反省点だ。
そしてパスタの上に缶詰のソースをかけて出来上がりだ。
「完成だ! よしみんな、食ってみてくれっ」
出来上がったパスタを6人で食べる。正確にはユーキだけは、5人がパスタに口をつけるのを固唾を飲んで見守っていた。
「すごいよ、ユーキ! 前のと違って普通に美味しいよ!」
「……うん。美味しい、かな」
「ま、まぁ普通、だな」
5人の感想は絶賛というものではなかったが、ユーキは満足していた。
しきりに言われる「普通」という言葉に多少の引っ掛かりを覚えはしたが、当初の目標の「美味しい」と言わせる事が出来たのだ。
約1週間でこの成果であれば、客観的に見ても上々と言えるだろう。
「次はお前の番だな、ロドニー。お前の手並みを見せてくれよ」
「お、おう。……なぁ、調味料と卵を少し貰ってもいいか?」
「へ? あ、あぁ。調味料はそこの棚に、卵は保冷庫に入ってっけど……」
ユーキは少し調子に乗ってロドニーを挑発するようなセリフを吐くが、当のロドニーは思ったよりもテンションが低い。その事に違和感を覚えつつもユーキはロドニーの要求に応える。
そんなユーキの内心を知る事もなく、ロドニーは調理を開始した。
ロドニーは鍋の湯の中に塩を入れ、その後にパスタを投入し、たまにかき混ぜる。
そして5分経つ少し前にパスタを1本抜き取り食感を確認する。その後パスタを引き揚げるとザルに移して、小さな鍋に缶詰ソースと卵を入れてコンロにかける。
弱火で約1分ほどソースを温め、皿にパスタを移してその上にソースをかけた。
ロドニーの手際はテキパキと手慣れたもので、ユーキは唖然と見つめていた。
「……おう、出来たぜ」
出来上がったロドニーのパスタはソースに卵が入っているため黄色がかっていて、まろやかな香りがするが、それだけだ。
自分のパスタよりは美味しいかも知れないが、そこまでの違いはない……ハズだ。と、ユーキはそう考えていた。
しかし、その考えはロドニーのパスタに口をつけた瞬間に覆された。
「……っ‼」
「おいっしーっ‼ すごいよロドニーっ! まるでプロの料理人みたいっ!」
「よせよ。そんな大したモンじゃねぇよ」
ロドニーの作ったパスタはユーキのものとは別物だった。
麺はツルツルしていて歯で噛むとプチンと心地よい歯ごたえだ。ソースは同じ缶詰を使ったハズなのに、その濃厚さは比べ物にならない。そして卵のふんわりとした柔らかい甘みがソースの辛さを邪魔する事なく中和して、子供にも食べやすい優しい味に仕上がっている。
パクパクと食べ進めるアレクとは逆に、ユーキは一口食べた後固まっていた。
「な、何でこんなに……」
「ロドニーは製麺屋の息子っスからね。お前と違って、生まれた時から麺に囲まれて育ってんスよ!」
「おいヴィーノ、やめろ」
驚愕に打ち震えるユーキにヴィーノが衝撃の事実を告げる。
なぜか自分の事のように勝ち誇るヴィーノだが、ユーキにはもはやそれを気にする余裕はない。
「何が……。何が、悪かったんだ。どうすりゃ……お前みたいに上手く、作れるんだ……」
「あ~、色々小技とかはあるけどよ、オメェの一番の失敗は湯切りをしなかったことだな。アレを忘れっと、ソースが水っぽくなんだよ」
絞り出すようなユーキの質問に、ロドニーは簡単に答える。それを聞いたユーキは俯いて考え込んでしまった。
予想以上にショックを受けた様子のユーキを5人は心配そうに覗くが、その時ユーキが意を決したかのように立ち上がり、ロドニーにしがみつくように……いや、実際しがみつきながら詰め寄った。
「頼むっ! 俺にパスタ作りを教えてくれっ! 教えてくれるなら子分でも何でもなってやるからっ!」
「ちょっ、おい! 離せっ!」
「うんと言うまで絶対離さねぇーっ!」
「わ、わかった! わかったから離れろっ!」
こうしてこの日、ユーキはロドニーの子分になった。
なお、ロドニーはユーキの事を子分とは認めてはいない模様だった。