第32話 「ゴブリンとの戦闘と暗躍」
「待てーーーっっ‼」
大声を上げながら、ゴブリンを追って森の中を駆けるアレク。だが、待てと言われて待つ者など居はしない。そもそも、ゴブリンに人間の言葉が通じるかどうかも甚だ疑問だ。
アレクの制止の声に効果は無い。だが、走る速度はゴブリンよりもアレクの方が勝っていた。
徐々に、その距離が縮まってゆく。そしてやがて、手を伸ばせばゴブリンの背に届く程に近づいた。
「たぁーーーっっ‼」
「ブギャッ‼」
アレクは思いっきり跳んで、ゴブリンの背中に蹴りを放った。避ける手段を持たなかったゴブリンは、アレクの蹴りを受けて前のめりに倒れる。
ゴブリンとは違い、飛び蹴りから見事に着地したアレクは背中の剣を抜こうと、その柄に手を伸ばした。
こうなってしまえば、後は倒れているゴブリンに止めを刺すだけだ。アレクの勝利は確定していた、かに思えた――。
「……あっ? あれっ⁉ 抜けないっ⁉」
柄を持つ右手を思い切り引っ張るが、剣の切っ先が鞘から抜け切っていない。これでは、いくら頑張っても剣を抜く事は出来ない。……小説のキャラクターを真似て、よく考えもせずに剣を背中に背負ったアレクの誤算であった。
なんとか剣を抜こうと足掻くアレクは、柄から鍔へと持つ位置を変えて何とか鞘から剣を抜く事に成功する。だが、その為にゴブリンに立ち上がる時間を与える事になってしまった。
「あぅ……。で、でも、誰も見てないし、今のは無かったってコトで」
「ギギ……」
緊張感なく、意味のない誤魔化しをしながら剣を構えるアレク。
ゴブリンも逃げる気を失くしたのか、アレクと向き合い腰を落とす。
僅かな間だけの睨み合いが起き、先に動いたのはアレクだった。
「やぁーーっ‼」
「っ‼」
一気に距離を詰め、上段から振り下ろす。ゴブリンはアレクの攻撃に反応し、素早く横に躱した。
ゴブリンの反撃は……無い。素早いアレクの動きに、避けるので精一杯のようだ。
「たぁっ‼ ふんっ‼ そりゃっ‼」
アレクの剣技は訓練を受けたものでは無い。ハッキリ言って素人剣術だ。だが、動きの速度はゴブリンよりもアレクの方が速い。たかが素人の振るう剣とはいえ、速度で勝る相手の攻撃を躱し続けるのは困難だ。
攻撃を繰り出す度にゴブリンの回避は際どくなっていく。このまま攻撃を続ければ勝てる。と、そう確信したアレクは次々に剣を振り回した。
「やぁっ‼ えいっ‼ ぬぁっ‼ ……あ、あれっ⁉」
もう少しで攻撃が当たる……。その時、”ガッ!”という音と共に剣に手応えがあった。だが、ゴブリンに攻撃は命中していない。……剣は、木の幹にめり込んでいた。
「えっ⁉ ちょ、ちょっとタンマっ!」
押しても引いても剣は抜けない。魔物相手に「タンマ」など、通じる筈もない。
微動だにしない剣の柄を握ったままのアレクに、形勢逆転を悟ったゴブリンは舌なめずりをしながらにじり寄った。
「アレクーーーっっ‼」
「ギギャッ⁉」
打つ手無しかに思えたその時、アレクの名を叫びながら現れたのはリゼットだった。
敵の援軍の登場にゴブリンは驚き、身構える。しかしリゼットはお構いなしに、ゴブリンの顔の周囲を飛び回って攪乱した。
ゴブリンはリゼットに気を取られている。再逆転の機会は今しかない。だが、どうする?剣は木に刺ささって抜けない。魔法は細かく制御しようとすると時間がかかる。
一瞬の逡巡の末にアレクが選んだ選択は「魔法を制御せずに使う」だった。
だが≪消滅の極光≫では制御が出来なければ、そもそも当てる事が出来ないだろう。一応、全方位に放つ事も出来るが……、制御もせずにそんな事をすれば自分自身がタダでは済まない。
上手くいく可能性が一番高いのは『身体強化』だ。
上手く木から剣を抜ければそれでいい。それだけで再びゴブリンに優位に立てる。
ただ、力加減が問題だ。弱すぎれば剣が抜けないし、強すぎると身体に反動が起きる。全身を満遍なく強化できれば反動は無視できるだろうが、今のアレクには幾ら時間を掛けてもそんな制御は出来はしない。
なら、元々下手な魔力制御だ。時間も無いし、大体の感覚で『身体強化』を行うしかない。反動による多少のダメージは、覚悟をするしかなかった。
「はっあぁぁぁーーーっ‼」
「ギッ⁉」
いつもなら数十秒から数分の間、魔力の制御に時間を費やす。だが今回は、僅か2秒で強化魔法を使用した。
身体のバランスが崩れる。右手がやけに重いのに、左脚はフワフワと軽い。内臓が締め付けられるような感覚と、平衡感覚を失い視界が揺れて気持ちが悪い。それに、それほど力を込めているつもりは無いのに、身体のどこかの骨が軋んでいるのが分かる。
だが、それでもアレクは止まらなかった――。
「っだぁぁぁーーーっ‼」
掛け声と共に、全身の力で剣を振るう。木に刺さったままでも関係ない。ゴブリンに向けて一直線に――。
骨が、筋肉が、内臓が悲鳴を上げる。だが、今は後回しだ。
木から抜く際に抵抗は感じない。だが剣は抜けた。それは間違いない。そして、そのままの勢いでゴブリンに向かう――。
「わぶっ⁉」
次の瞬間、アレクは頭からスライディングをしていた。顔も服も土まみれだ。
「ぺっ、ぺっ」
「アレクっ⁉ アンタ、ダイジョーブっ⁉」
口の中に入った土を吐き出すアレクに、リゼットが心配そうに寄ってくる。
気が付けば『身体強化』の魔法は解けている。身体の反動は……、手足を動かすと少し痛い。少し筋を痛めたようだ。幸い、骨や内臓にダメージは無さそうである。一か八かで行った行動としては上出来だろう。
「……グ……ギ……」
「そうだっ! ゴブリンっ! ……えっ⁉」
自分の策が上手くいった事に安堵していたアレクの耳に、ゴブリンの呻き声が聞こえた。それはアレクに再び緊張をもたらし、ゴブリンの居る方に振り向く。……そこにあったのは、上半身と下半身が別れたゴブリンの姿だった。
ゴブリンに向けて剣を振るったのは確かだ。だが、その手応えは全くなかった。あまりの速度に、剣を木から抜いてから、地面を滑るまでの記憶も飛んでいる。だが、あの時振った剣は確かにゴブリンを両断したのだ。
その事を理解したアレクの目に映る、ゴブリンの目から光が失われる。
「死ん……だ……? やっ、た……?」
「そうよっ! アレク、やるじゃないっ! あー、これでひと安心ね。さ、ユーキたちも心配してるし、さっさと戻りましょ」
倒した……、というか斬った自覚も無いアレクには実感が湧かない。だが、確かにアレクがゴブリンを倒したのだ。リゼットの援護はあったものの、たった1人で。
少しずつ、その事を理解する。
「ぃやったぁぁぁーーーっっ‼」
アレクは大声で歓喜の声を上げた。
初めての魔物討伐。しかも、ほぼ1人で。ここから……、これから始まるのだ。自分の……、「インヴォーカーズ」の物語が。
きっと、これから多くの魔物を倒し、悪人を懲らしめ、人々を助けるのだ。大陸中を旅して、リングを集め、神様に願いを叶えて貰う。そうして、世界から戦争は無くなって平和が訪れるのだ。
これは……、その最初の第一歩だ。
「やったっ、やったっ! やったよっ、リゼットっ!」
「わ、わかったから落ち着きなさいよっ」
リゼットが落ち着けと言ってもアレクは喜びに跳ねまわる。先程の魔法の反動で筋肉が痛むのも忘れてだ。
だがその時、アレクの顔のすぐ横を「何か」が通り過ぎた。
”ガツッ!”
その「何か」は木に当たり、音を立ててそのまま突き刺さっていた。……それは、「矢」だった。
動き回っていたアレクには運よく当たらなかったが、間違いなくアレク目掛けて放たれた「攻撃」だ。……恐らくゴブリンの増援だろうか?エメロンが、「ゴブリンは群れる」と言っていた気もする。
だが、今のアレクに恐れるものなど存在しない。
これから始まる物語が、こんな序盤でつまづく筈が無いのだ。ロクに制御をしなかった魔法の反動が大した事が無かったのも、意図せず矢による攻撃を躱す事が出来たのも、きっと「運命」なのだ。
だから、ゴブリンの2匹や3匹……。
「あれっ……? にー、しー、ろー……」
「ちょっとアレクっ! どうすんのっ⁉」
振り返ったアレクの目に映ったのは多数の……、正確には11匹のゴブリンだった。
予想よりあまりに多い。しかもその手には棍棒や弓矢、中には剣を持っている者までいる。そのあまりの戦力に、流石のアレクも動きを止めた。
「ひょっとして……、ボク、ピンチ……?」
あまりにも呑気な……、そして今更な感想を口にするアレクだった。
もしも仮に「アレクの物語」に「作者」が居たなら、きっとこう言うだろう。「全てが主人公の思い通りに物事が進む話が、面白いワケが無いだろう」、と。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「畜生っ‼ エメロンっ、そっちを狙ってるぞっ‼」
「わかってるっ!」
その頃、ユーキとエメロンの2人はゴブリンの待ち伏せに遭い、これを迎撃していた。
その数は10匹。いずれも剣や斧、弓などで武装をしている。中でも1匹、やっかいな個体がいた。
「ゲー、ゲギャッ!」
そのゴブリンは手にした杖をエメロンに向け、不快な叫びを上げた。すると杖の先端から魔法陣の光が現れ、ゴブリンの足元の小石が宙に浮く。
「ゲッゲッ、ゲギャッ‼」
そして杖を前方に突き出すと、多数の小石が礫となってエメロンを襲った。
小石とはいえ、もし1つでも当たれば負傷は免れないだろう。打ち所が悪ければ最悪の事態も十分にあり得る。そんな威力の『戦闘魔法』だった。
だが、エメロンも無策では無い。そもそも、この攻撃は既に2度目だ。
最初に使われた時の標的はユーキだったが、勘と運動神経の良いユーキは辛うじてだが避ける事が出来た。そしてその時に、この魔法の弱点は分かっている。
1つ目の弱点は、魔法の発動から実際に攻撃に移るまでに時間がかかる事だ。来るのが分かっていれば対策をするのは難しい事では無い。
そして2つ目の弱点は……。
「はあぁぁっっ!」
エメロンは手にした、自作の魔法陣ノートを開いて魔法を放った。
魔法陣の眩い光が現れ、エメロンの前方で”ドォンッッ‼”という爆音と共に空気が弾けた。それは、エメロンの全身を覆い尽くすほどの巨大な空砲だった。
この魔法自体には大した殺傷能力は無い。だが、質量の小さな飛来物の軌道を逸らすくらいなら出来る。
ゴブリンの魔法の2つ目の弱点は、攻撃に使用する小石の質量が軽い事だった。
無数の礫はエメロンの魔法で軌道を変え、背後の空間へと消えて行く。その多数は森の木に傷をつけるが、エメロンの身体に傷をつける物は1つとして無かった。
「ゲッ⁉ ブゥ……」
「ナイスっ、エメロンっ!」
ユーキは横目でエメロンの無事を確認しながら、弓を手にしたゴブリンの首を切り裂いていた。
魔法で高速に振動しているユーキのナイフは、ゴブリンの皮膚も肉も、骨すらも大した抵抗なく切り裂く事が出来る。エメロンの魔法の発した爆音に気を取られたゴブリンがユーキの近くに居たのは僥倖だった。
…………しかし。
「やっぱり、あの逃げたゴブリンは僕たちを誘っていたんだね。ユーキ、大丈夫?」
「あぁ、アレクのヤツ……、まんまと乗せられやがって。エメロンこそ、ケガしてねぇか?」
2人の言う通り、あのゴブリンは逃げたのではなく、仲間の元へとユーキたちを誘き寄せたのだ。しかも計算したのか偶然か、アレクと分断までされてしまった。
リゼットが先行して追いかけてはいるが、リゼットには戦闘能力は無い。たった1人のアレクの安否が危ぶまれる。
「さっさと片づけてアレクを迎えに行きてぇトコだが……」
「迎えに? 叱りに、の間違いじゃなくて?」
「迎えに、だよ。もちろん、その後こっぴどく叱る予定だけどなっ!」
1匹倒したとはいえ、未だ9匹ものゴブリンと対峙しているというのに、2人の会話は緊張を感じさせないものだった。それは、僅かなやり取りでゴブリンたちの戦力よりも、自分たちの実力が勝っている事を確信したからである。
ゴブリンの動きでは2人には追いつけない。囲まれでもしない限り、近接武器の攻撃を受ける事は無いだろう。魔法を使うゴブリンは、その攻撃準備が長い。発動を確認してからでも余裕で回避や対処が可能だ。注意が必要なのはあと1匹だけ居る、弓を持つゴブリンだが……。
「おらよっ!」
「ギャブッ!」
ユーキは弓を持つゴブリンに向けて石を投げた。
その石はただの投石では無く、右手に着けたグローブに描かれた風の魔法陣の効果で加速されている。高速で飛来する石を顔面に受けたゴブリンは、全身から力を無くしてその場に崩れ落ちた。
弓は流石に脅威だ。他のゴブリンと連携されれば躱しきれない可能性も十分にある。
だから、ユーキは優先的に排除した。エメロンの魔法に気を取られていた1匹。そして今、もう1匹を投石で無力化できた。
「ゲッ? ゲギャッ?」
「グゥ……。 ギャギャッ!」
劣勢を感じ始めたゴブリンは狼狽えているのだろうか?その内容は理解できないが互いに会話を始め、その内の数匹がなぜか上方を見上げていた。
「ゲゲ……ッ⁉」
「ギャーッ!」
「余所見は、いけないよ?」
ゴブリンたちが動きを止めていたのを好機と見たエメロンがノートのページをめくり、魔法を発動していた。
ゴブリンの足元の草が伸び、その下半身に巻きついていた。5匹は身動きが取れなくなる前に逃れたが、3匹は反応が遅れて容易に脱出は出来ない。
「んな魔法も使えんのか?」
「ユーキっ、感想はいいからっ! そんなに長くは保たないよっ!」
「っしゃ! 任せろっ!」
ユーキが次々にナイフを振るい、あっという間に3匹のゴブリンを倒す。
苦し紛れに武器を振るって抵抗するが、そんなものでは時間稼ぎにもなりはしない。
僅かな戦闘の間に、ゴブリンの数は当初の半数となってしまった。
もはや不測の事態でも起こらない限り、ユーキたちの勝利は揺るがないだろう。
そう、この戦闘でユーキたちに不測の事態は起こらない。起こっていない。……不測の事態が起こっていたのは、ゴブリンたちの方だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おぅおぅ、クソガキどもが。思ったよりゃ、やりやがるじゃねぇの。んだがなぁ、読みが甘ぇんだよなぁ」
ユーキとエメロンの奮闘を、木の上から眺める男が呟いた。
「グ……ギィ……」
その手の中には、鷲掴みにされたゴブリンの頭部が握られている。
男の握力は強く、ゴブリンは一切の抵抗を許されずに呻き声を上げる事しか出来ない。
そして男の背後にある木々の枝には、数体のゴブリンの死体が引っ掛かっていた。ゴブリンの死体は首が折られたものや、胸に矢が刺さったものなど、死因は様々だ。
ゴブリンは、最も知能が高い魔物とされている。
そのゴブリンが、ただ囮を使って仲間の元へおびき寄せるだけで済む筈が無かった。3人が分断されたのは、ただ単に3人が馬鹿だっただけだ。
弓や魔法で威嚇して、注意と警戒を前方に引き受ける。そして周囲の警戒が散漫になった時、人の視界の届きにくい木の上から襲い掛かる。
それがゴブリンの罠だった。
実際、眼下の2人は目の前のゴブリンにしか注意を払っていない。
もし、この男が居なければ戦局がどう動いたかは分からない。もしかすると、2人とも殺されてしまっていたかも知れないのだ。
だが現実には男の活躍……いや、暗躍でゴブリンの策は水泡に帰した。男の見立てでも、もはやゴブリンたちに勝ち目は無いだろう。
「コイツらは問題なさそうだな。となりゃ、問題は1人で突っ走ったバカガキか……。はぁ~っ、たくっ。メンドクセェ……」
「ギッ⁉」
心底面倒くさそうに呟いた男は、ゴブリンを掴んだ右手に力を込める。小さな断末魔を漏らしたゴブリンは、男の規格外の握力によって頭蓋骨を潰されて絶命した。
それを確認した男はゴブリンの死体を落下しないように枝に掛けた後、小さく舌打ちをして枝から枝へと跳んで移動を開始した。その体格や、立ち居振る舞いからは想像の出来ない身軽さである。
男は音も無く、「1人で突っ込んだバカガキ」……、アレクの元へと移動を開始した。




