第17話 「妖精の事情と子供たちの事情」
「……ってワケなんだけど、カーラちゃん理解できた?」
そう言葉を結んだのはクララだ。
突然現れた妖精のベル。それに合わせて姿を現したリゼットを目の当たりにしたカーラに、リゼットとの出会いを説明した次第だ。
「そりゃ、理解はできるけど……」
理解は出来る、当然だ。難しい事など何1つ説明されていない。ただ、3年ほど前にリゼットと出会い、友達になって、今も一緒にいる。それだけだ。
だが、理解できるという事と、納得できるという事は別問題だ。
にわかに信じる事が出来ない……。だが目の前にいる以上、疑う余地など無いのだ。
「信じられないかも知れないけど、君の目に映っているのは真実だよ。その上で、カーラさんにはこの事を内緒にしておいて欲しいんだけど……」
続く言葉を見つけられないカーラを諭すようにエメロンがクララの説明を是認し、お願いをしてくる。
内緒にしている理由も理解できる。カーラも、今の今まで妖精の存在なんて信じてはいなかった。それが実在するとなれば、見世物にしようとしたり、研究材料にしようとする悪い大人が居ても不思議ではない。
考えに考えたカーラの結論は、エメロンの希望に沿ったものだった。
「……もうっ、わかったわよっ。妖精はいるっ! でも、あたしは誰にも言わないっ! これでいいっ⁉」
だんだんと考えるのが面倒になったカーラは、半ばヤケクソ気味に言い放った。
そもそも目の前にいるのに必死になって否定するのもバカらしい。それに、自分が原因で妖精が捕まったりしたら気分が悪い。
そんな風に考えたカーラは普通の、善い事も悪い事も自分で判別の付く、一般的に言う良い子だった。
だが、そんなカーラを素直に信じる事が出来ない者が、この場に1人だけいた。
「本当ですか? また何か、交換条件とか持ち出す気では?」
「あんたもしつこいわね、ミリアリア。だいたい、交換条件を持ち出したのはあんた達でしょ。それに「妖精がいるんだ~っ」って言っても、目の前に実物が居ないと誰も信じやしないわよ?」
「まぁ、それはそうよねぇ」
カーラに疑問を呈したのはミーアだった。だが、難癖とも取れるミーアの言葉に対する反論に、クララがあっさりと同意する。それはエメロンも同様で、クララと同じく頷いていた。
「それより、あの小っこいのの話を聞いた方がいいんじゃない? あっちは知り合いじゃないんでしょ?」
「あっ、そうだね。リゼット~っ! そろそろ話を聞かせてよ~っ!」
「そっちの話は纏まったの? ほら、ベル行くわよっ」
「あんっ、おねぇちゃん、まって~」
カーラは未だに不服そうな表情のミーアを放置し、木の枝の上で話し合っている2人の妖精に話を向ける。それに応じたアレクがリゼットを呼ぶと、すかさずリゼットと、間延びした幼いベルの声が聞こえてきた。
そしてリゼットは手慣れた様子でアレクの持つ鞄の中に滑り込み、それに続くベルは躊躇しながらも、手招きするリゼットに促されて鞄の中へと入っていった。そして鞄から2人の頭が飛び出す。遠目からは、鞄に人形を入れているだけに見えるだろう。
「それで? そっちのカーラはアタシたちの事、黙っててくれるのよね?」
「そうだけど……。そういう言い方、好きじゃないわ。何だか軽く見られてるみたい」
「ゴメンゴメン。そういうつもりは無いのよ? あっ、黙っててくれるなら、代わりにユーキをイジメてもいいわよ?」
「リゼットっ‼ そんな事を言うなら、もうおやつを分けてあげませんよっ⁉」
この短いやり取りだけで、カーラは大きい方の妖精・リゼットが嫌いになった。
まるで揶揄うように軽口で他人を引っ掻き回す。しかも、まるで全部を見透かしているかのように。きっとこのリゼットという妖精は、自分の事を言い触らされるとは思っていない。だから軽口を叩けるのだ。
かと言って、カーラはそれを理由に妖精の存在を言い触らすつもりは無かったが……、それがまた、リゼットの事が嫌いになる理由だった。
「それで? そっちのベルって子はどうしたんだい?」
「ん~、別にどうって事はないのよ? いつもの事で、ベルがイジメられて、アタシに泣きついてきたってだけよ?」
「だぁってぇ~っ! デイジーったら、カミの毛をひっぱったり、水かけてくるんだもん~っ!」
リゼットとカーラとの軽口の応酬はエメロンによって遮られ、本題を促される。
2人の妖精の話によると、ベルがデイジーという名前の妖精からイジメを受けて、リゼットに助けを求めに来たという事だった。しかしリゼットは既に3年以上も、アレクの家にいる。
「リゼットがウチに来てからずいぶん経つけど、その間はイジメはなかったの?」
「あったに決まってるでしょ。デイジーのアレは、ほとんど挨拶みたいなもんよ。ベルだって気にしてないのに、ただアタシに甘えたくて口実にしてるだけよ」
「だぁってぇ~っ、おねぇちゃ~んっ!」
感じた疑問をアレクが問うが、リゼットの答えはあっさりとしたものだった。
突き放すような言い方をされたベルは、駄々を捏ねながらリゼットに抱きつく……が、リゼットの両手で押し返されてしまう。
「ほらっ、甘えてばっかいないでシャンとしなさいっ!」
「う……、ふえぇぇえ~んっ」
リゼットの厳しい態度にベルはとうとう泣き出してしまった。
身体の小さい妖精、という事を差し引いて人間の基準で見れば、ベルは4、5歳くらいの幼児のような外見だ。そのような幼子に対して厳し過ぎはしないかと、その場の子供たちは全員が思った。
「ねぇリゼット、こんな小さい女の子にちょっと厳しすぎないかしら?」
「……っ! おっきぃおねぇちゃん、すき~っ!」
泣きじゃくるベルを見ていられず、ついクララがそう言った次の瞬間にベルは泣き止み、クララの胸元に飛びついてしまった。
クララは「きゃっ」と軽く悲鳴を上げ、小さなベルが怪我をしないように優しく受け止める。……ベルがリゼットと同じ『不老不死の妖精』であれば、怪我をする心配などは皆無なのだが……。
「……クララ。言っとくけどソイツ、アンタよりよっぽど年上よ。あと、ベルは男だから」
「え”……っ⁉ ……べる……くん? あなた……歳、いくつ……?」
「ん~と……、えっとね……。わかんないっ!」
クララとベルを見て、衝撃の発言をするリゼット。それを聞いてクララがベルに年齢を問い質すが、ベルはあざとく指を折って数えて結論は「わからない」だ。これはワザとやっているのか?それとも天然か?
付き合いの長いリゼットも、内面が外見以上に老成しているとは思えないところから、歳を重ねても精神年齢は成長していない節が強い。
しかし、よくよく考えてみればリゼットと同じ妖精である以上、同様に『不老不死』であると見るのが自然だ。であれば、外見は年齢を量る材料にはなり得ない。
そして性別だが、これも4、5歳の見た目では容姿からは判別は困難だ。名前も男女ともによく使われるもので判断できない。女の子だと思ったのは、クララの早とちりと言う他なかった。
「まったく、いつまで経っても甘えん坊なんだから。男ならもっとキリっとなさいっ!」
「ふえぇぇ~っ、男だって叩かれるとイタイのぉ~っ」
「ウソおっしゃいっ!」
尚もベルを叱責するリゼット。
「男なら」……。恐らく、多くの男性が1度は言われた事のあるセリフだろう。「男なら泣くな」「男なら弱音を吐くな」「男なら女を守れ」などがメジャーどころだろうか。
だが、それに対するベルの回答は「男だって叩かれるとイタイ」だ。それは事実として当然だろう。しかし、リゼットは間髪入れずに否定する。
リゼットが否定した理由……、それは周知の事実だった。ただ1人を除いて……。
カーラは妖精が『不老不死』である事を知らない。だから痛みを感じない事も知らない。だから……、カーラにとって「男だって叩かれるとイタイ」というのは紛れもない事実なのだ。
この数ヵ月で、カーラはユーキに対して暴力を振るった事が何度もある。何なら初対面の時にビンタをした。
だが、今目の前にいる小さな妖精の男の子は「男だって叩かれるとイタイ」のだと、泣きながら抗議した。それは……、きっとユーキだって同じハズだ。
ユーキに対して暴力を振るっていたカーラは、ベルを泣かせているのがまるで自分の様な、そんな気がして胸が”キュウッ”っと締め付けられる気がした。
「まーまー、リゼット。それより、このベルのコトだけどどうする? 女王さまが心配してないかな?」
「心配? アレク、忘れてない? 女王さまはアタシたちの事なら何でも知ってるのよ? 今、ベルがここに居る事だって」
「エレナママは、ぜんぶお見とおしなの~っ」
リゼットの言った通り、アレクは忘れていた。妖精たちの女王、いや保護者のエレナは、妖精たちの見聞きした出来事を全て知る事が出来るらしいのだ。
それに加えて妖精たちは『不老不死』であるのだから、普通の保護者が感じるような心配はしてはいないだろうと、リゼットは語った。
「「妖精たちの事を何でも知れる能力」か……。何だかエルヴィス先生と似てる気がするね……」
「そういえばそうだね。ひょっとして女王さまもリングを集めたとか? ……リゼット?」
「アタシに聞かれても知らないわよ。それよりベルはどーすんの? そろそろ日が暮れるわよ?」
エメロンが、エレナとエルヴィスの能力に類似性を感じるが、その結論が出る事は無い。そしてリゼットに言われて空を見上げてみれば、西の空が赤らんでいるのが見えた。
それを見て慌てたのがカーラだ。
「いっけないっ。レックスとシンディ放ったらかしにしちゃったっ。あたし、2人を迎えに行かないとっ!」
「……レックスさんはカーラさんより1つ年上だった筈じゃ?」
「年は上でも、あんな頼りないのにシンディを任せっきりになんて出来ないわよっ」
「んじゃ、今日はもう解散だね。ボクたちももうすぐ母さんが迎えに来るし。ベルも今晩はウチに来なよ。カーラも、ユーキのコトまた話せると嬉しいな」
ミーアの誘拐事件以来、毎日学校まで送り迎えをしてくれるエリザベスだったが、今日は用事があって夕方まで来れない。なので、それまで教会の敷地内でエメロンやクララと時間を潰す予定だったのだ。
いい感じに時間が経ったし、ベルの件もカーラの件も特に緊急性は無いようだ。だからアレクは解散にしようと、そうまとめた。
だが、その時……。
「……~ぃ」
「? エメロンさん、何か言いました?」
「いや? 僕は何も……」
「お~いっ! カーラ~っ‼」
「……レックス?」
遠くから大声を上げながら走ってくる少年。それは数時間前にカーラと共に現れ、シンディと一緒に去って行ったレックスだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「俺が行く。……俺は『戦闘魔法』が使える。俺なら、魔物相手だって戦える……っ!」
そう言ったユーキは、燃えカスとなった木の枝をパラパラと地面に撒いた。それを見たレックスは息を呑む。
『戦闘魔法』。その意味をレックスは正しく理解してはいない。ただ、その名前から戦闘用の魔法なのだろうと漠然とした理解しただけだ。だが、それでも今ユーキが見せた「火」が『一般魔法』では無い事は理解できた。
安全に配慮されている筈の『一般魔法』で、枝を一瞬で灰に変えてしまう様な火力は出せないだろう。
ユーキの目論見は成功した。
レックスは『戦闘魔法』の威力に驚き戸惑っている。この隙に、考える暇を与えず指示を出すのだ。
「階段の『上』は俺が調べる。でも、『上』から魔物が下りてくる可能性だってある。だからレックス、お前は急いでこの事を大人に知らせるんだ。町の領主……、いや、まだ領主代理か? とにかくヘンリーさん……、ヘンリー=バーネット男爵……、まだ叙爵はしてねぇか? とにかくバーネット家の人に言やぁ、無視はされねぇっ。バーネット家が分からなきゃ、ケイティ先生でも誰でもいいっ。ヘンリーさんに伝えてくれりゃ、きっと何とかしてくれる」
……考える暇が無かったのはユーキの方だったのかも知れない。途中からは訂正だらけで、正しくレックスに伝わったか疑わしい。
だがユーキの考えでは、こうするのが最適だった。
ユーキと一緒にレックスが『上』へと行くのは問題外だ。もし魔物が現れた場合、レックスは足手纏いにしかならない。レックスを階段の見張りに立たせるのも危険だ。もし魔物が階段から下りてきた場合、レックスの命は無いだろう。
結局、レックスには階段の情報を誰かに伝えてもらうのが一番だ。そうすればレックス自身の安全も確保できる。
そして階段の情報を伝える相手はヘンリー以外には考えられない。前情報の無い人間が階段の事を聞いても信じられないか、危険を正しく認知出来ないだろう。その点ヘンリーならば、かつてエメロンと一緒にバーネット家へと釈明に訪れた際にレクターと共に、階段や魔物、妖精の事なども全て話してある。その立場から、衛兵などを動かす事も出来るだろうと予測できるのも大きい。
……前情報のある人間ならばアレクたちも候補に入るが、残念ながら子供のアレクたちでは頼りに出来ない。どう考えてもヘンリーを頼るのが一番だった。
ユーキは未だに呆然としているレックスに「分かったな? 頼んだぞ」と、そう声をかけて階段に足を掛ける。かつてアレクを探して上り、魔物と出会い、死にかけた地へと、シンディを探して……。
もちろん緊張はある。恐怖も当然ある。武器も魔法もあるとはいえ、魔物が脅威である事には違いが無いのだ。しかし、こうするのが最善だと、そう信じてユーキは階段を上る歩を進める。
ユーキのこの考えは概ね正しかったのだろう。結果がどう転ぶかはまだ未知数ではあるが、現在の状況と起こり得るリスクを考慮すれば、ベストではなくともベターな行動である事を否定する者は少ないだろう。だが正しい考えに基づく行動が、必ずしも正しい結果に結びつくとは限らない。
階段を上り、『上』の……、『妖精の森』へと移動したユーキの背後に気配がした。
驚き振り向いたユーキの目の前には、後をついてきたレックスの姿があった。
「ばっ……! お前っ、俺の話を聞いてなかったのかっ⁉」
「何でオレがオマエの言う通りにしねぇといけねぇんだよ?」
驚き問い詰めるユーキに、レックスは口を尖らせながらそう言った。
そう、例えユーキが正しくても、正しい行動を取ろうとしても、他の人間が……、レックスがその通りに動くとは限らない。むしろ2人の関係性を考えれば、ユーキの正誤に関わらずレックスが反発するのは当然とも言えた。
「じゃあ、魔物が現れたらどうする? 俺たちの知らない間に魔物が町を襲ったらどうなる? 戦える俺がシンディを探して、お前は大人たちに危機を知らせる。これが最善の役割分担だろ? 違うか?」
しかし、この場でレックスを伴って行動するメリットに対し、デメリットとリスクは完全に上回る。そう考えたユーキは、再度正論を重ねる事でレックスに説得を試みる。……が、
「うるっせぇよっ! オマエに……、オヤジを死なせた「無能」の息子のオマエなんかにシンディを任せられっかよっ!」
「……っ! レックスっ……、それが……」
レックスが吐き出した、ユーキに反発する根拠。それは『ボーグナイン紛争』で父親を喪ったレックスが、シュアープ軍の長として兵を指揮していたサイラスと……、その息子であるユーキへの不信から来るものだった。
「オヤジが死んだのはオマエのオヤジが無能だったからだっ! カーラとシンディのオヤジが死んだのもそうだっ! その「無能」の息子のオマエが偉そうに命令して……、今度はシンディを殺す気かよっ⁉」
なんとなく、分かっていた事ではあった。3人が初対面の時から敵意を向けてきて、その後も一向に打ち解けようとしない理由。それが『ボーグナイン紛争』で孤児となってしまった事に起因するものであろうという事は。
それはユーキも同じではあるが、3人と違うのは教会の保護施設で共に暮らしたタイミング、そして父親が兵士長という指揮官の立場にあった事だった。
もちろん本来なら、その2点はユーキを敵視する理由にはなり得ない。だが幼い3人は、自身の身に降りかかった不幸に対する怒りの矛先が必要だった。例えそれが自分たちと同じ境遇のユーキだったとしても……。
「オレはオマエを信用しねぇっ‼ 「無能」の息子は無能に決まってるっ‼ 死ぬなら1人で勝手に死ねよっ‼ シンディを、オレたちを巻き込むなぁぁっっ‼」
レックスの叫び……、それは完全に言いがかりだった。
戦争で被害が出たからと、それが指揮官が無能である事の証明にはならないし、仮に指揮官が無能だったとしても、その息子が同様に無能であるとも限らない。
だが、ユーキは反論をしなかった。……出来なかった。静かな森に響くレックスの叫びを、ただ黙って聞いていた。
それが功を奏したのかも知れない。ユーキの耳にレックスの声とも動物の鳴き声とも違う、人間の叫び声が僅かに届いた。
「レックスっ! 少し静かにしろっ!」
「なっ、何だよっ! 文句でもあんのかっ⁉」
「いいから少し黙れっ‼」
尚もユーキに反発するレックスだったが、ユーキの強い口調に押し黙る。
レックスが口を閉じた事を確認して、耳を澄ますこと十数秒……。
「一体何だってんだよ……」
「…………~ん」
「……っ‼ こっちだっ‼」
有無を言わさないユーキの命令にレックスが文句を言った直後、確かにユーキの耳に女の子の声が聞こえた。あまりユーキとは話してくれない為、この声がシンディのものかどうかの確信は持てなかった。だが、助けを求める声だという事は分かる。
もしシンディじゃなくても……、シンディであるなら尚更、ユーキは声の方角へ駆け出さない訳にはいかなかった。
「レックスっ! ついてこいっ!」
「うわっ⁉ おいっ! て……、手を離せよっ‼」
声の様子から切羽詰まった様子が読み取れる。一刻の猶予も無いかも知れない。しかし、レックスを放置する訳にもいかなかった。
本来なら、先の指示の通りに『下』へ戻らせるのが正解だろう。同行させるにしても、夜の森で手を繋いで走るなど転倒の恐れもある為、危険だ。だが問答している時間も惜しいし、レックスが素直に言う事を聞いてくれるとも思えない。
「おいっ⁉ 聞けよっ! 1人で走れるってのっ!」
「黙ってついてこいっ! 転ぶんじゃないぞっ!」
「だったら手を離せっつのっ‼」
ユーキはレックスの要求を無視して、握る手の力を一切緩めず走り続けた。
もしも、目を離したレックスがこの『妖精の森』を1人で彷徨うような事態になってしまえば、それこそ収拾がつかなくなる。だから転倒のリスクを飲み込み、走る速度が落ちるのも承知の上で手を離す訳にはいかなかった。
「カーラちゃ~んっ‼」
「……っ⁉ この声はシンディっ⁉ お~いっ‼ シンディ~っ‼」
走り出して程なくして、助けを呼ぶ声がハッキリと聞こえた。間違いない、シンディだ。
それを確認したレックスは、ユーキを追い越す勢いで前に出てシンディを呼ぶ。しかしレックスとは逆に、ユーキはその場に立ち止まってしまった。
「止まれっ‼」
「へぐっ⁉ ……おいっ、急に引っ張んなよっ!」
急停止したユーキに引っ張られ、レックスは呻き声と共に文句の声を上げる。だが、ユーキはレックスの方を全く見てはいなかった。
「おい、聞いてんのかよっ⁉」
「……静かにしろ。それから、絶対に俺より前に出るなよ」
「レックスちゃんっ⁉ それと……」
「シンディも静かにして、そこから動くなよ」
近くまで来てレックスが大声を上げた事で、当然シンディもこちらに気付く。レックスがそちらへと目を向けると、木の上に登って、その幹にしがみついているシンディの姿があった。
そして同時に、シンディの居る木の根元に群がる「生物」の存在にも気付く。
「……ゥルルルゥゥゥ……」
「おっ、オオカミっ⁉」
「……野犬だよ。……クソったれ、やっぱ他にもいたか。しかも……」
シンディの下にいた生物は、かつてユーキが遭遇した魔物……。それと同種の野犬たちの、4対8個の瞳が一斉にユーキとレックスを睨みつけた。




