第14話 「日常に起きた事件」
アレクの誕生日から3ヵ月以上が過ぎ、シュアープにも日差しの強い夏が近づいてきていた。
エルヴィスはアレクの誕生日パーティーの途中で、本当にそのまま居なくなってしまった。
一応、アレクたちの母のエリザベスには挨拶をして出て行ったようだが、兄のヘンリーには一言も無かったらしい。
確かクララが言っていた評価だが、典型的な「反面教師」と評するに疑問の余地が無さすぎる。
ロドニー、ヴィーノ、クララの3人はあれからも特に変わった事は無い。
学校に行き、家の手伝いや勉強をして、仲間たちと遊ぶ。何ら変わる事のない日常だ。
アレクとエメロン、それにリゼットの3人は卒業後の旅に向けての相談をよくしている。
ミーアも案の定、「私も一緒に行きますっ」と言っていたが、魔法が苦手な上、運動神経も悪く体力も無いので苦戦しているようだ。それにミーアが学校を卒業するまで待つと、更に3年も出発が遅れる事になる。
これらの点から、ミーアが旅に付いて行くのは難しく、最近ではユーキと一緒に旅の中止を提案している。しかしユーキにとっては遺憾な事に、その成果は芳しくないが。
そんなユーキの現状だが……。
「痛っ⁉ 食事中は止めろっつってんだろうがっ! このクソガキっ!」
「へへんっ、いつまでもメシ食ってんのがワリーんだよっ!」
孤児院の中での食事中、背後からボールを思い切りぶつけられたユーキは、スープを零しながら犯人であるレックスに対し怒鳴る。
しかしレックスは全く堪えていないようで、悪態を吐きながら部屋から出て行った。
孤児院に入ってから3ヵ月以上が経つが、ユーキへのイジメは無くなっていない。
この孤児院では人手が不足している為か、大人が常駐している訳ではない。その為、大人の居ない所でのみイジメを行われれば、それが公になる事は難しい。もちろん、ユーキが告げ口でもすれば大人たちも何らかの行動に出るだろうが……。
だが、ユーキはこれで良いと思っていた。
カーラとシンディの2人は未だにユーキを無視して殆ど口を利かないが、レックスに限って言えば……、先の様なやり取りが主ではあるが、徐々に言葉を交わせるようになっている。それに心なしか、レックスの反応も楽しげに聞こえた。
いつか、カーラとシンディとも話せるようになり、3人とも仲良くなれれば……。などとユーキは、そんな風に考えていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ミーアちゃん、宿題見せてーっ」
「……もうっ、アンネちゃん。また宿題を忘れたんですか?」
なんでもない日常の中の、教会学校の授業前の風景。
アレクたちのクラスの1つ下、ミーアのクラスではいつも通りの喧騒で教室内は賑わっていた。
入学から1年が経ったミーアのクラス内での立ち位置は、可愛らしくお嬢様然とした、落ち着いた優等生であった。しかし身分差を感じさせない親しみやすさを出す事で、男女問わず人気が高い。
……ただし男子の一部は、少年期特有の「好きな女の子の気を引きたいが為に意地悪をする」という行為をする為、女子からは非難の的となっていた。
このクラスメイト男子の行為により、ミーアの男嫌い・ユーキ好きが加速しているのだが、これは余談だ。
明るく人懐っこい、だが勉強嫌いの友人に「しょうがありませんね」と零しながらも宿題を見せてあげる。これも、いつもの光景だ。
「……そーいえば、ミーアちゃん知ってるー? 今、町に『聖女』様が来てるらしいよー」
「知ってます。それよりアンネちゃん、手が止まってますよ」
ブライ教の『聖者』や『聖女』。それは教会内において『神聖魔法』を使用できる者に与えられた称号だ。
彼らは慰労だとか弔問だとかの名目で、毎年1度か2度くらいシュアープにもやって来る。大した事件という訳でもないが、こんな田舎町では数少ない話題の1つでもあった。
だが、特に興味もないミーアは、宿題を片付けるのに早々に飽きて世間話を始めようとする級友を窘めた。
何とかアンネは授業が開始されるまでに宿題を終え、いつも通り先生が教室にやってきて、いつも通り授業を進める。そして、いつも通りに授業が終わり、いつも通り昼食の時間となった。
ミーアはいつも昼食はアレクたちと一緒に摂っている。そして昼食後に、母のエリザベスが迎えに来てくれるのだ。今日はエリザベスが用事があるらしく、夕方に迎えに来るまでアレクと友人たちと時間を潰す予定だった。
だから今日も、いつも通りに教室を後にしようとした……のだが、その時ミーアを呼び止める声が聞こえた。
「ミリアリア=バーネットさん、ちょっといい?」
「……カーラさん。何か御用ですか?」
ミーアを呼び止めたのは、同じクラスのカーラだった。
入学から1年以上が経っているがカーラは別のグループにいる為、ミーアは彼女の事をよく知らない。だが、ユーキから彼女の事は聞いている。
別グループの中心的存在。活発で勉強も運動もソツなくこなす優等生。そして、大好きな「お兄さま」をイジメる嫌な子。それが、ミーアがカーラに抱いている印象だった。
「ミリアリアさん、あなたユーキ=アルトウッドって人、知ってるでしょ?」
「おに……ユーキさんがどうかしましたか?」
嫌な子の口から出たユーキの名前。それだけでミーアの心に嫌悪感が湧き起こる。
ミーアはそれを決して表に出さないように取り繕う。しかし、声と表情の強張りを完全に抑える事は出来てはいなかった。
その緊張がカーラにも伝わり、彼女も表情を硬くする。
「あの人のこと、教えてくれない?」
「「あの人」? ……随分、漠然とした質問ですね。それでは答えようがありません」
ミーアの目尻がピクリと釣り上がる。
ユーキの事を「あの人」呼ばわりするのが腹立たしい。もちろん、名前を呼ぶのも許せない。
質問の内容も気に食わない。「お兄さま」をイジメているクセに、一体何を知りたいというのか?
「何でもいいのよ。好きな物、嫌いな物、得意な事、苦手な事。特に性格とか、考え方を知りたいの」
よくもぬけぬけと言えたものである。
ユーキをイジメている本人が、よりにもよってユーキを「お兄さま」と慕うミーアに、ユーキの事を教えろなどと言ってくる。
以前、ミーアはユーキに「同じクラスの私から、イジメを止めるように言いましょうか?」と打診した事があったが、ユーキに「これは俺の問題だから、俺が何とかする」と言って断られた。
それはユーキが、年下の女の子に庇われる事をカッコ悪いと思ったからなのだが、ミーアは、クラス内での自分の立場を思いやってくれたのだと、勝手に好意的に解釈していた。
なのに、目の前のカーラは図々しくもユーキの情報を得ようと聞いてくる。
そのような事情を知らないカーラからすれば少々理不尽だったのかも知れないが、ミーアはカーラに対する不快感をどんどん募らせていった。
「……それを知ってどうするんですか?」
「……別に。あんたには関係ないでしょ」
プツンッ。
「関係ない」。そう言われた瞬間、ミーアの頭の中でそんな音がした気がした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……それが、お昼ご飯に遅れた理由?」
「ご、ごめんなさい……」
教会のすぐ近くにある広場、アレクたちとの昼食会で盛大に遅刻をしたミーアは、その理由を話して小さく謝罪をした。
決して非難するような口調ではないが、クララの言葉に委縮してしまう。
「で、どうなったの? もちろんボコボコにしてやったのよね?」
「暴力なんて振るってませんっ! ちょっと……、言い合いになっただけですっ」
相変わらず過激な思考をするリゼットに必死に抗議する。……「ちょっと」というのは、少し控えめな表現ではあったが。
実際には、結構激しくカーラと言い合う事になり、周囲の制止も聞かず、結局担任の先生がやってきて仲裁されるという結果であった。
「それで、ちゃんと仲直りはできたの?」
「姉さまっ、仲直りなんてとんでもありませんっ!」
「なんで仲直りできないの? ボクはユーキとも、ロドニーとも、ケンカの後はちゃんと仲直りしたよ?」
「だってっ、姉さまの相手はお兄さまじゃないですかっ。ロドニーさんは、少し……、アレですけど……」
どうやら担任の先生の仲裁も虚しく、カーラと和解するには至らなかったようだ。
それをアレクが咎めるが、ミーアは聞く耳を持とうとはしなかった。
だって、アレクは大好きな姉だし、ユーキも尊敬するお兄さまだ。
2人が何度かケンカをしたのは知ってはいるが、それは両方に理由があったからだ。お互いにぶつかり、腹の内を晒せば仲直りも出来るだろう。
一方でカーラはどうだ。
初対面でユーキに暴力を振るい、それは3ヵ月以上経った今も続いているという話だ。そして今日、何の魂胆があってか、ユーキの情報を探ってきた。恐らくはユーキの弱みでも握ろうとしたのだろう。
そんな子を、許せる訳が無い。
「まあまあアレク。ミーアとは状況が違うだろうし、自分を引き合いにして責めるのは可哀想だよ」
「エメロンさん……」
「それより、ミーアは大丈夫? ユーキは初対面で叩かれたらしいけど、乱暴されたりしなかった?」
「いえ……、大丈夫、です……」
この場にいる最後の1人、エメロンが庇ってくれる。しかし、ミーアは相変わらずエメロンが好きにはなれなかった。いや、学校を卒業後にアレクと2人で旅に出るという話を聞いてからは、より一層、警戒心を高めていた。
なお、ユーキは孤児院での家事の為、ロドニーは家の手伝い、ヴィーノは家で勉強をするという事で、今日は昼食会には参加していなかった。
「ちょっと聞いてたイメージと違うわね。口喧嘩になったんでしょ? ユーキくんから聞いた話じゃ、口より先に手が出るイメージだったんだけど……」
それはミーアも感じていた違和感だった。
実際、口論になった際、ミーアは暴力を受ける覚悟を決めていた。そうなった際、自分は決して手を出さずに被害者に徹していれば、自然とカーラを悪者に出来るという小狡い打算も同時に考えていたのだ。
しかしカーラは手を出してこなかった。ミーアがどれほど挑発しようとも、だ。
決してカーラに精神的な余裕があったようには見えなかった。何ならミーアよりも大きな声を張り上げて激昂していたように思える。
「フェミニストなんじゃない? 「女の子に暴力を振るうなんてサイテー」みたいな?」
「リゼットって、たまに変なコト知ってるわよね。でもそれなら、「周りの目を気にして」っていう方が納得いかない? ほら、女の子って、そういう計算高いトコあるし」
「え? そうなの?」
「アレク、アンタは例外」
リゼットとクララの仮説は、どちらも可能性はある。だが、それを聞いたミーアは、どちらにも違和感を覚えた。
カーラとは特に親しくはなかったとはいえ、1年以上同じ教室で過ごしてきたクラスメイトだ。その中でカーラが、女子はもちろん、男子にも暴力を振るう姿など見た事など無い。
また、ハキハキとした物言いで、思った事をすぐ口に出す性格にも思えた。そのせいで、だらしない男子の服装なんかを指摘してヒンシュクを買っている現場も、何度か目撃した事がある。
カーラに対する違和感の原因……。それは、教室内での彼女と、ユーキに対する行動の齟齬だ。
そもそもミーアの目から見たカーラは、たとえ対象が年上の男子だったとしても、複数人で寄ってたかってイジメをするような子には見えなかった。
「それより、そのカーラって子は何でユーキを目の敵にするんだろ? ミーアは話して何か分からなかった?」
「……ごめんなさい、姉さま」
そうだ。それが分からないから、カーラの行動に違和感を感じるのだ。
しかし、一緒の教室で過ごしていても、激しい口論になっても、その理由は見当もつかなかった。
「アレク。ユーキを敵視してるのはカーラって子だけじゃなくて、レックスとシンディって子も含めた3人だよ。その子たちの共通点を考えれば……」
「エメロン、何かわかったの?」
「確証はないよ。本当の所は本人たちに聞いてみないと」
エメロンは何かを思いついているようだ。だが、その考えを口には出さない。……これもミーアがエメロンを好きになれない理由の1つだった。
少し頭が良いからと、勿体ぶって周りに話さない。まるでどこかのダメな大人のようではないか。
「よっしっ。んじゃ、行こっか?」
「姉さま?」
お弁当の最後の1口を放り込んだアレクが、スクッと立ち上がって宣言した。
この後の予定は特に無い。遊びに行くにしても、エリザベスが一緒でないと怒られてしまう。
しかし、アレクの行動に疑問を感じたミーアとは違い、エメロンは何かを諦めたように呟いた。
「……やっぱり。こうなると思ってたけど」
「アレクくん、どこに行くの?」
「もちろん、カーラのトコだよ?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アレクたちの昼食会から数時間後、夕暮れ前の孤児院内のキッチンでユーキは夕食の準備に取り掛かっていた。
すぐ横のテーブルには、何かの書類仕事をしているケイティ先生がいる。
「ユーキ君、率先して家事をしてくれるのは助かりますけど……、もっと自分の為に時間を使っていいんですよ?」
「自分の為に使ってますよ。料理は好きだし、他の家事も嫌いじゃねぇし……。よしっ、今日は肉野菜炒めとゴボウのサラダにするか」
テキパキと食材を取り出しながらケイティ先生と会話する。
孤児院に入ってから、週に3日の夕食をユーキは担当していた。それ以外にも掃除や洗濯も週に1度行っている。これらの仕事はユーキに割り当てられたものではなく、ユーキが自発的に行っているものだった。
「こちらの生活には慣れましたか? 困った事があったら何でも相談するんですよ?」
「……大丈夫ですよ。少し肉を多めに入れるか……。レックスとシンディは野菜がキライなんだよなぁ」
困った事……。ユーキは、3人からのイジメを告げ口したりはしない。
それは意地でもあったが、何よりもユーキは、3人の助けになりたくて孤児院入りを決めたのだ。ケイティ先生に頼ったのでは、それは果たせないだろう。
「……他の3人とは上手くやっていけてますか?」
「問題ねぇっすよ。最近は俺の料理も文句言わず食うようになったし……。それにしても、あいつらドコほっつき歩いてんだ? もうすぐ6時だぞ?」
ユーキが最初に夕食を用意した時、3人は食事に手を付けなかった。しかし、それでもユーキはめげずに週3回夕食を作り続けた。育ち盛りの子供が週に3回も夕食抜きで耐えられる訳が無い。結果、3人のボイコットは1週間で終わりを告げた。
それでも「不味い」とか「味が薄い」などと、まるで小姑のような嫌味を言ってきたのだがユーキはそれを気にせず、さして効果が無い事を悟ったのか文句も次第に無くなっていった。
この一件に関してはユーキの完全勝利といえる。……イジメに関しては一向に無くなってはいないのだが。
だがユーキは、確かな進歩を感じていた。このまま、少しずつでもいいから3人との溝が埋まれば良いと。
そんな思いを馳せていた時、玄関の扉が乱暴に開かれた。
玄関から入ってきたレックスが、息を切らせながらキッチンまでやってくる。
「お、ようやくお帰りか。レックスっ、もうすぐ晩メシにすっから、手ぇ洗って大人しく待ってろっ」
「ハァっ、ハァっ……、ケイティ先生っ!」
「どうしたんです? そんなに息を切らせて」
背を向けて調理しながら指示を出すユーキだったが、レックスの様子がおかしい。
振り向いてみれば、肩で息をして緊迫した表情でケイティ先生に訴えかけている姿が見えた。
「シン……、シンディが……。いなくなっちまった……!」




