第8話 「孤児を引き取ろう」
「おいっ! アレクっ! お前、ふっざけんじゃねぇぞっ⁉」
慰霊祭の次の日、アレクとユーキが盛大にケンカをした日の翌日。年末年始の休みを終え、新年の初登校日となった朝の教室内でユーキの怒声が響いた。
アレクとユーキは昨日のケンカにより顔中を腫らしており、事情を知らないクラスメイト達は2人の顔と、ユーキの剣呑な雰囲気に慄いた。
「あ、ユーキ、おはよーっ」
「おはよー、じゃねぇっつーのっ!」
「おい、どーしたんだよ? 昨日さんざんケンカしたんだろ?」
「まったく、ユーキは血の気が多いっスねー」
昨日の事情を知っているロドニーたちは、物怖じせずにユーキたちに話しかける。それに付き合いの深いロドニーたちには、ユーキが怒っていない事は見れば分かる事だった。
「いや、ちげぇよっ。コレだよ、コレっ!」
「それ、昨日の帰り際にアレクが渡した手紙か? それがどうしたっつーんだよ?」
「あ、もう読んでくれたの?」
「読んでくれたの? でもねぇっ! コレ、アレクの親父さんの遺書じゃねぇかっ‼ んなモン他人に預けてんじゃねぇよっ!」
そう、アレクがユーキに渡したのはレクターの遺書だった。ユーキの言う通り、そんなものを他人に渡すなど常識的とは言えない。その内容を読めば多少の理解も出来るが……。
レクターの遺書の中身は、最初は家族に宛てた内容だった。
自分が死ぬ事の無念、家族への愛情。だが、自分の行為に後悔は無い事と、帝国への復讐などは望んでいない事。そして、自分の人生は幸せだった事と、家族の幸せを願っている事が書かれていた。
そして、その後には長男のヘンリーに向けての頼み事が書かれていた。その頼み事とは、ユーキに向けての謝罪であった。
それは、ユーキの父・サイラスをシュアープの兵士に勧誘した事。戦争に巻き込んでしまった事。そして、サイラスの命を実質的に奪ったのが、他ならぬレクター自身であった事。
それらの事実と謝罪が、家族へ向けての内容と変わらぬ程の文章量で書かれていた。
最後は書きかけの文の途中で途切れていたのだが、それが切羽詰まった状況を想像させる。
「だいたい、ヘンリーさんに頼むって書いてあんのに、何で俺に手紙を渡す事になったんだよっ?」
「んー、何となく、その方がいいかなって。あ、ちゃんと兄さんに許可は取ってあるよ」
「ったく……。とにかくっ、手紙は返すぞっ。俺が持ってていいモンじゃねぇだろ」
あっけらかんと言うアレクにユーキは呆れ口調になるが、確かに読ませて貰って良かったとも思っていた。
恐らくヘンリーから口頭で謝罪されたとしても、前半の家族へ向けての内容は伝えられる事は無かっただろう。
だが、そこにはレクターの信念と、帝国への恨みを持ってはいない事、そして家族に帝国を恨んで欲しくはない事が書かれていた。
昨日、アレクに対して恨み言をぶつけたばかりのユーキは、手紙を読んで心疚しい気持ちとなったが、それが余計にレクターに対する尊敬へと変わっていた。
もうアレクに、もちろんレクターにも、帝国にも恨みを感じる事は無い。そんな風に思う事が出来たのはきっと、レクターの遺書と……、アレクのおかげだ。
そんなやり取りをしていると、教室にケイティ先生がやってきた。
生徒たちは席に座り、ケイティ先生は出欠を確認した後に少し硬い声で、
「ユーキ君とアレク君は授業が終わったら私の所へ来るように。理由は分かりますね?」
と、そう言った。
「お話は分かりました。仲直りしたのなら結構ですけど、ケンカも程々にしましょうね? 特にユーキ君、あなたは年上でしょう?」
「はい……、すいません……」
ケイティ先生の話は当然、アレクとユーキの顔がケガで腫れている事についてだった。
2人は正直に経緯を話し、仲直りもしている事を告げると少々呆れ気味に注意をする。ユーキには特に念を押して。
元々口答えや言い訳をするつもりは無かったが、こんな風に言われてしまえばユーキはぐうの音も出ない。言及はされなかったが、アレクはこれでも女の子なのだ。たとえ歳の差が無かったとしても、それだけでユーキは糾弾されるに値する。
「この件については分かりました。別件で用があるので、ユーキ君は残って貰えますか?」
「ユーキだけ? ボクは?」
「アレク君は教室に戻って構いませんよ。少し長引く可能性もありますので、みんなにはそれまで自習だと伝えておいて下さい」
そのように言われ、アレクは「じゃあ、先に戻ってるね」とユーキに声をかけて教室へと戻っていく。
取り残されたユーキはケイティ先生と2人きり。
別件とは一体何なのか?全く心当たりの無いユーキが身構えていると、ケイティ先生がゆっくりと口を開いた。
「ユーキ君、お父さまの件は残念でした。先生も非常に心を痛めています」
「…………」
その件だったか。と、ユーキは納得する。
アレクの、友人たちのおかげでユーキの心は既に吹っ切れている。何ならエルヴィスにも感謝しているし、レクターを尊敬してる。今、ユーキの心に、サイラスの死が齎した影は一切ない。
「確か、ユーキ君はお母さまも亡くなっておられましたね? そして、今は大人の方と同居しているようですが、血縁の方はいらっしゃらない……」
「……はい、そうです」
「そこでユーキ君が良ければですが、教会が運営する孤児院に入るのはどうでしょう? 今回の戦争でユーキ君と同じ境遇の子が既に3人、孤児院に入る事が決定しています」
話が読めた。大陸各地に点在するブライ教会は元々、孤児院の運営も執り行っていると聞く。シュアープには孤児が居なかった為か孤児院が無かったが、今回の戦争で生まれた戦災孤児を保護する名目で孤児院を開設しようという事だ。また収容する孤児には、1年ほど前からシュアープ周辺に居を構えているスラムの子供たちも検討されているようだ。
「どうでしょう? 何でしたら、同居されている方にもお話をさせてもらいますが……」
「……少し、考えさせて貰ってもいいですか?」
ユーキはこの話に即答はしなかった。
両親という保護者の居なくなったユーキにとって、この選択は非常に堅実なものに映る。孤児院に入れば、お金が無くて飢える事は恐らく無いだろう。
それに今後、何らかの仕事に就く際も、子供のユーキには保護者が居ない事がネックになる事も十分に考えられる。孤児院に入れば、その点もクリアできるだろう。
だが、何事においても吟味して考える傾向のあるユーキは即断を避けた。
「ふぅ、仕方ありませんね。ただ、覚えておいて下さいね。先生はいつでも生徒たちの味方です。何か困った時は遠慮なく相談してくださいね?」
ひとまずは保留、という形で孤児院の話は終了し、ユーキはケイティ先生と共に教室へと戻った。
「っつー話だったよ」
「それじゃアンタ、孤児院に入んの?」
「いや、保留。しばらく考えてから決めようと思ってよ。エルヴィス先生の件もあるしな」
放課後、教室内で昼食を摂るいつものメンバー。クラスが違うのでミーアは居ないが、リゼットはアレクの鞄に潜んだまま会話に参加する。クラスメイト達の声で騒がしい為、リゼットに気付く者は誰もいない。
「あの、ユーキくん……」
「何だ、クララ?」
「あのね、ユーキくんをウチで引き取らないかって話が出てるの……」
「はぁ?」
話を詳しく聞けばクララの父が、父親を亡くしたユーキを気に掛けているようで、その引き取りを提案したようだ。クララの母もその案に賛成らしく、クララ自身は複雑な心境のようだが、天涯孤独となったユーキへの同情もあり、強く反対は出来ないようだ。
「おい、こういう話になるとうるせぇのが……」
そう言って恐る恐るロドニーを見たが、彼は虚空を見つめたまま微動だにしなかった。アレクがロドニーの顔の前で手を振るが、一切反応が無い。
「ロドニー、完全に固まっちゃってるね」
「まぁ、ロドニーの事は放っといて……、ウチにも同じような話が出てるっスよ」
「クララんトコはまだ、親父さんと面識あっから分かるけど、何でヴィーノが出てくるんだよ? 俺、お前んトコの家族と誰1人会った事もねぇぞ?」
「兄ちゃんが兵隊やってて、ユーキのパパの部下だったんっスよ。それでユーキの事も知ってて、引き取ろうとか何とか言ってるっス」
ユーキにとっては初耳の情報が入ってきた。何とも世間は狭いものである。
しかし、死んだ上司の息子を引き取ろうとは、ヴィーノの兄というのも義理堅いというかお人好しというか……。
「そんならっ‼」
「うわぁっ! ……ビックリしたぁ」
「そんなら、ウチに来いよっ! オヤジもアニキも、ユーキなら嫌とは言わねぇよっ! ウチは男所帯だしよっ! ユーキもそっちのが気兼ねしねぇだろっ⁉ なっ⁉」
突然、大声を出したロドニーに正面にいたアレクが驚く。
その必死な様子は、ユーキをクララの家には行かせまいとする魂胆が見え見えではあるが、本心も半分くらいは含まれているだろう。多分。
「ゴメン、ユーキ。ウチはちょっと……」
「いや、気にすんなよエメロン。コイツ等んチがちょっと変なんだからよ」
申し訳なさそうに謝るエメロンが気の毒だ。
本来、子供を引き取るというのはそんなに簡単なものではない。犬や猫とは違うのだ。
「そーいえば、兄さんがユーキと話がしたいって。出来れば今日にでもって言ってたけど、もしかして兄さんもユーキを引き取ろうとしてる?」
「いくら何でもそりゃねぇだろ……。それよりも……」
言葉の途中で止まったユーキは、アレクと顔を見合わせる。2人の顔は昨日のケンカの結果、腫れ上がって別人のようだ。
話があるとすればこちらだろう。そう考えるユーキの気が一気に重くなる。
仮にも貴族令嬢と殴り合いのケンカをして、顔を別人のように腫れ上がらせる……。一体どこのバカがそんな事をしでかすいうのか。普通に考えれば死罪は免れないだろう。いや、普通はこんなバカな事は起きはしない。
「な、なぁエメロン……」
「ダメだよ。今回はユーキ1人で行ってきなよ」
縋るように頼ったエメロンの返事は何とも冷たいものだった。
かつて、同じような状況で共にバーネット家の門を潜った仲だというのに……。
そして1時間後、バーネット家の客間にユーキは訪れていた。ソファの対面に座るのはバーネット家の長男・ヘンリーとアレクたちの母・エリザベスの2人。この場にいるのはユーキを含めて3人だけ。アレクは同席を許可されなかった。
以前に釈明に訪れた時、その時はエメロンが居た。アレクも居た。今はそのどちらも居ない。
その時もアレクは右腕を骨折して重傷を負っていたが、それをしたのは魔物だった。だが、今回アレクに怪我を負わせたのは他ならぬユーキ自身だ。
ユーキの背中に冷たい汗が流れる。手足が震えて身体は冷たいのに、頭は沸騰したかのように上手く回らない。何かを言わなければ……。何を?謝罪に決まっている。それが分かっているのに口が乾いて声が出なかった。
「さて、ユーキ君。今日は君にわざわざ来てもらった訳だけど……」
「はひっ!」
「「…………」」
会話の口火を切ったヘンリーに返事をした筈が、声が上ずって変な声が漏れてしまう。そして、その後の沈黙が空気を重くする。
謝らなければ……。そればかりに頭を支配されたユーキは、気不味い空気に耐え兼ねた様にソファから立ち上がり、頭を深く下げた。
「本当にすいませんでしたっ!」
「本当にすまなかった」
「「…………」」
ユーキが謝罪の言葉を口にしたのとほぼ同時に、ヘンリーもまた謝罪をした。同時に頭を下げた2人は、また同じくして顔を上げ、互いの顔を訝し気な目で見つめ合う。
「な、何でヘンリーさんが俺に謝ってん……、ですか?」
「いや、君の方こそ……。あぁ、昨日のアレクとのケンカの件かい? それならお互い様だろう? 事情はアレクからは聞いたけど、アレクの方から手を出したそうじゃないか? それに君の顔だってヒドイものだよ?」
「いやでも、アレクは年下で、あれでも一応女だし、それに一応貴族令嬢で……」
ヘンリーの話す、その言っている意味は分かる。もしアレクが平民で、ユーキと身分の差が無ければそのようにも考えられるだろう。……それでもユーキが年下の女の子に手を上げたという事実は覆らないが。
しかしアレクは貴族だ。貴族に対して不敬を働いた者は不敬罪にて罰せられる。これは子供でも知っている常識である。だから平民は、貴族を畏れ敬うのだ。
バーネット一家が普通の貴族とは違い、平民のような暮らしと考えを持っている事は知っているが、今回ばかりは何らかの処罰が下る事をユーキは覚悟していたのだ。
なのに、この話の流れでは「お互い様」で済まそうとしているようではないか。
「お、俺……、どんな処分でも受けるつもりです! 罰金でも、懲役でも……、死刑だって……!」
ユーキはまくし立てるように必死に言葉を紡ぐ。
別に罰して欲しい訳ではない。無罪放免で済むならその方が良いに決まっている。だが、ユーキはサイラスの死を知ってからの自分の行動の身勝手さ、そしてそれに対する周囲の人々の優しさに居たたまれなくなってしまったのだ。
自分にこんなに良くして貰える程の価値はない、と。
「……分かりました。それならユーキ君の処分については後で決めましょう。ヘンリー、私たちの用件を先に進めましょう。ユーキ君も、少し落ち着きなさい」
「は、はい……、すみません」
「それと、「あれでも」とか「一応」とか、随分な言い様ね。アレクは「あれでも」私の可愛い娘なのだけど?」
「す、すいません……」
会話に参加したのは、それまで沈黙していたエリザベスだった。
ユーキとヘンリーのやり取りを見て、このままでは埒が明きそうにないと感じた彼女は、ユーキの処分を棚上げし、まずは用件をユーキに伝える事を優先した。
言葉の最期にユーキに皮肉を言うが、その表情や口調に険や嫌味は無く、むしろ微笑みながらの優しい口調で、冗談を言っているつもりなのがよく分かる。
「さて、私たちの用件なのだけど、まずユーキ君に謝らなければいけないわ。私の夫・レクターが、貴方のお父様のサイラスさんを死に追いやった原因を作った事をお詫びします」
「息子の僕からも、改めて謝罪するよ。……本当に申し訳なかった」
「そんなっ! 止めて下さいっ! 親父が死んだのはレクター様のせいじゃありませんっ。なのに、俺はアレクに当たり散らして……」
「収拾がつかなくなるから、その話は後でね。それでなんだけど、まず貴方には遺族年金が支給されます」
ユーキは話の流れが見えず「遺族年金?」と疑問を復唱する。
「そう。これは戦争で亡くなった兵士全員の家族に支給されるもので、貴方だけという訳ではないわ。基本的には3年間、貴方のような未成年の場合は教会学校を卒業するまで、普通に生活が出来る程度のお金が支給されるわ」
それは戦災孤児となってしまったユーキにとって、まるで天の救いのような話であった。これが本当であれば、少なくとも学校を卒業するまでの生活に不安は無くなる。
「ただし未成年者が遺族年金を受け取る為には、成人している保護者が必要になります。貴方は今、エルヴィス先生と一緒に暮らしている筈ですけど、彼は保護者にはなれません」
「え? ……何でですか?」
「保護者はエストレーラ王国の国民である必要があるからよ。彼は王国民ではありません」
生まれた希望があっという間に消え去ってしまった。まさしく天国から地獄だ。
エルヴィスが無理ならば、他の誰かに保護者となって貰うしかない。しかし、保護者の条件が分からなければ、頼む事も出来はしない。
「あの、保護者になる人の条件って他にもあるんですか?」
「そうだね……、保護対象者と同じ家に住んでいる事、一定以上の安定した収入がある事、保護対象者と同性の同居人が1人以上いる事。そして当然だけど、保護対象者の行動に責任を負う旨を書類に署名出来る事、だね」
質問に答えたヘンリーの語る内容は、ユーキにとって非常に敷居の高いものに感じられた。
同じ家に住むのと、同性の同居人はまだいいだろう。だが、一定以上の収入の基準はまだハッキリと教えて貰えていないし、そもそも何をもって安定していると判断しているのだろう?
最後の条件などは致命的だ。一体どこの誰が、他人の子供の行動に責任を負うなどと誓えるのか?しかも書類に署名までして、だ。
「恐らく、この条件全てを満たせる人はあまり多くはないと思う。細かく説明はしなかったけど、収入の条件に関してはかなり厳しい。シュアープの人たちの平均収入では、審査に通らない位にはね」
更に追加されるヘンリーの説明で、ユーキは途方に暮れる。
保護者の候補として友人たちの父親が頭に浮かんだが、彼らの収入は幾らくらいだろうか?いや、いくら何でも失礼すぎるのではないか?彼らは元々ユーキを引き取ろうと言ってくれた人たちだ。その人たちの収入を勝手に想像して値踏みするなどと……。
ユーキは自分の思考の醜悪さに反吐が出そうだった。
(人間、追い詰められれば本性が出るっていうけど、そりゃ本当だな……)
思えばサイラスの死を知ってから、ユーキは自分の事しか考えていない。
それは12歳という年齢を考えれば当然というか、たとえ平時であっても、まだ自分中心で物事を考える年頃であろう。何なら、大人であっても自己中心的な考えの人間など掃いて捨てる程いる。
だが、そんな風に考える事の出来ないユーキは酷い自己嫌悪に陥っていた。
「やっぱり、保護者になってくれそうな人に心当たりは無さそうだね?」
ユーキの渋面を見たヘンリーは、保護者の当てが無い事を憂いているのだと勘違いした。
そしてヘンリーは、優しい笑顔を向けてこう言った。
「そこで相談なんだけど、もしユーキ君が良ければウチの子になる気はないかい?」
それを聞いたユーキは(あぁ、やっぱりか)と思った。
遺族年金の話が無ければ……、アレクの予想を聞いていなければ……、あるいはもっと驚いたのかもしれない。もし、そうであったなら素直に喜べたのかもしれない。
だが、この時のユーキの心を支配していた感情は、驚きでも喜びでもなく、強烈な自己嫌悪であった。




