第5話 「妖精の秘密と唐突な宣言」
「…………っ! ぁづっ……!」
「あっ! お兄さまっ! 大丈夫ですかっ⁉」
「ユーキっ! 目が覚めたのっ⁉ ……っ! ぁでて……」
「もうっ! アレクくんも無理しないのっ! 女の子なのにこんなケガをして……」
「言ってもムダムダ。アレクに女の子の自覚なんて、これっぽっちもないんだから」
ユーキは目が覚めると同時に痛みが走った。それと同時に友人たちの声が聞こえる。そこにはアレクの声も――。
「まったくだぜ、ちっとは手加減しろよ。あれでもアレクは一応、女なんだからよ」
「ロドニー……。ここは……」
「ユーキのお父さんの部屋だよ。ユーキの部屋はメチャクチャになっちゃったから……」
「ホントっスよ。ロドニーじゃないっスけど、少しやりすぎっス」
エメロンに言われて部屋を見回すと、そこは確かに父・サイラスの部屋だった。
アレクとのケンカで意識を失ったユーキは、エルヴィスの手でサイラスのベッドへと運ばれたらしい。
「どのくらい寝て……」
「30分くらいっスよ」
「……そうだっ! アレクっ!」
ようやく意識のハッキリしたユーキは、ハッとなってベッドから体を起こす。その際に身体のあちこちに痛みが走るが、そんな事に構っている場合ではない。
「ん? なに?」
名前を呼ばれたアレクはキョトンとした表情でユーキを見る。その顔は傷だらけの痣だらけだ。
ガラスで切った傷はユーキの仕業ではないが、それ以外は全てユーキの手によるものだ。いや、ガラスの件だってユーキの為に作った傷だと考えれば、ユーキに責任があるとも言える。
自分は何で、あんな事をしたんだ……?アレクは年下なのに……、女なのに……、親友なのに……。自分で自分が分からない。
だが、今やるべき事は分かっている。
「ぁ、アレクっ! ゴメンっ! お、俺……っ!」
ユーキは全力で頭を下げた。許されるとは思っていない。いや、許されるとか、許されないではない。ただ、謝罪をしなければ……、唯々その一心でユーキは頭を下げた。
ユーキが頭を下げた瞬間から誰も言葉を発しない。続きの言葉を見つけられず、どもるユーキの元へアレクが近寄った。
ユーキの正面まで来たアレクは、突然ユーキの頭を両手で掴み、下がった頭をムリヤリ正面へ向ける。ユーキは抵抗できず、されるがままに正面を向いて、アレクと目が合う。
顔のあちこちが青く腫れている。ガラスで切った傷がある。鼻が赤くなっている。全部……、全部、自分の所為で出来た傷だ。
(最低だ。親父が死んで、塞ぎ込んで、当たり散らして、引き籠って……。心配して来てくれた親友に八つ当たりして、こんなにケガをさせて……。俺は、最低だ……)
「ん~? まだ何か溜まってる? もう少しケンカしとく?」
そのセリフを聞いた瞬間、その場にいる全員が混乱すると共に戦慄した。「何を考えてるんだ、この娘は?」と。アレクもユーキも傷だらけ、ましてやユーキは気を失って起きたばかりである。何が「もう少しケンカしとく?」なのだ。意味が分からない。
「何言ってんのよっ、アンタはっ⁉ アタシがどんだけ心配したと思ってんのっ⁉ ほら、ユーキが謝ったんだから、アレクも謝るっ!」
「え? あ、うん。……ゴメンね、ユーキ」
「あ、いや、俺の方が……」
「はいはいっ! 2人とも謝ったんだから、これでおあいこっ! ケンカはおしまいっ! いいわねっ⁉」
このまま放っておけば、再びケンカが始まるかも知れない。そう危惧したリゼットによって強引に話が纏められる。
「やあやぁ、仲直りは出来たかい? いやぁ、拳で語って仲直り。青春だねぇ」
「エルヴィス先生……。……おいっ、リゼットっ!」
部屋に入ってきたエルヴィスに、ユーキは若干の居心地の悪さを感じた。この数日、エルヴィスに対しても散々悪態を吐いて、好意も無下にしてきた。たとえ、それが尊敬の出来ない先生相手であっても、申し訳ない気持ちが湧いてくる。
だが、次の瞬間にリゼットの存在を思い出し、声を上げる。が、慌てているのはユーキ1人だった。
「お兄さま、エルヴィス先生はもうリゼットの事を知っているんです」
「いまさら慌てても仕方ねぇっつーこったな」
「……え? 何でだよ?」
「アンタたちがケンカを止めないからでしょーがっ!」
ユーキが起きて、サイラスの部屋に9人……、リゼットを除いても8人もの人間が居ては流石に狭いと、一同は別室へと移動した。
移動先は居間とキッチンだ。この2部屋は繋がっており、キッチンの椅子と居間のソファに別れれば何とか全員が座る事が出来る。
移動後、事の顛末を聞いたユーキは更に気不味くなる。
今まで3年近くもリゼットの存在を隠してきて、姿を消すフードも手にしたというのに、こんな事でバレてしまうなんて。アレクやエルヴィスだけでなく、仲間たちに迷惑をかけた事を実感したユーキは罪悪感で一杯だ。
しかし、リゼットの存在がバレたのがエルヴィスだったというのは幸いか。決して尊敬の出来る先生ではないが、我欲の為にリゼットを攫うような人間ではないだろう。
そうユーキが考えていた時、エルヴィスが「ふぅ~む」と少し唸り、突然立ち上がってミーアを抱き寄せ、その首に手を掛けた。
「全員動くなっ! ミーア君の命が惜しければ、そこの妖精を渡して貰おうっ!」
「……エルヴィス先生?」
緊迫した雰囲気……、にはならなかった。
エルヴィスのセリフは棒読みで、ミーアに対する拘束も全く本気でないのが見え見えだ。
「……なにふざけてんだよ、オッサン」
「やぁれやれ、僕は役者の才能は無いようだねぇ、これが」
「…………」
悪ふざけを咎めるロドニーのセリフでエルヴィスは観念したのか、あっさりとミーアを解放する。
一体何がしたかったのか?エルヴィスの意図が全く分からない子供たちの中で、1人エメロンだけが思案に耽っていた。
「……僕たちが甘いと、そう仰りたいんですか?」
「さぁすが、エメロン君! 君たち、ちょぉっと油断のし過ぎじゃあないかい? さっきの僕の演技、もし演技でなくて本当だったらどうする?」
「でも、エルヴィス先生はミーアに乱暴したり、リゼットをさらったりしないでしょ?」
「だぁから、もしもだよ? 君たち、僕が妖精の事をさっきまで知らなかったと、本気でそう思ってるのかい?」
それは子供たちにとって驚愕の事実だった。子供たちは、本当に他の人間にはバレていないと思い込んでいたのだ。
しかし、エルヴィスを玄関で足止めしていたエメロンたちは納得せざるを得ない。エルヴィスがリゼットを見た時の反応は、初めて妖精を目にした驚きなど微塵もなかったのだから。
「つっても、今まで大丈夫だったんだからいいじゃねぇか」
「そぉれが甘いって言ってるんだよぉ? キミィ、ケンカは強そうだけど、そぉれだけでお友達を守れるとか思ってるかい?」
「……っ、だったらどーしろっつーんだよ!」
楽観論を唱えるロドニーに、エルヴィスが辛辣な言葉を投げる。
エルヴィスの言葉は厳しいが、それは的を射ている。実際、ロドニーがいくら体が大きくケンカが強いと言っても12歳の子供だ。大人相手では勝ち目は薄い。それは、多少なりとも『戦闘魔法』を使う事の出来るユーキたちでも大差はない。……自身や相手、周囲の被害を考慮しなければ多少は話も違うが。
そもそも、戦闘で相手を倒してもしょうがない。それは最悪の事態が起きた後の、最後の手段なのだ。
前提として、リゼットが攫われないようにするのが最良だ。
「僕は、妖精さんが家に帰るのがいいと思うがねぇ? お母さんも心配してるんじゃあないかい?」
「大きなお世話よっ! アタシは帰んないわよっ! アレクは友達だもんねっ」
「うんっ! でも、他のみんなも友達だよ?」
家に帰るという、最も確実な安全策をエルヴィスが提案するが、リゼットは全く聞く耳を持つ気は無さそうだ。それはアレクも……、いや、子供たち全員が同様の様子だ。
自分たちの意思とは関係なく、友達と離れ離れになる事は子供たちには納得し難い事なのだろう。
「やぁれやれ、僕の助言は聞き入れて貰えないようだねぇ。なぁら、今までより注意して過ごすしかないだろぉねぇ」
結局それしかないのか、とユーキたちは肩を落とす。楽観的なアレクとロドニー辺りは、特に落胆してはいないようだが。
「そぉれじゃあ、せめてアドバイスをしておこうかなぁ。……もし、さっきの演技の時みたいに君たちの誰かが傷つきそうになったのなら、妖精よりも君たちの安全を優先する事だねぇ」
「……どういう事ですか?」
エルヴィスの言うアドバイス、それはいざとなったらリゼットを見捨てろという事に等しかった。
これに強い嫌悪感を示したのがクララだった。
「ふむぅ……。まぁ、見た方が早いよねぇ。口で言っても信じて貰えないだろうしぃ?」
そう言ってエルヴィスは立ち上がり、キッチンの棚からフライパンを取り出した。
一体何をしているのか?エルヴィスの意図が理解できない子供たちは見守る以外にする事がない。
エルヴィスはフライパンを手にしたままリゼットの前に立ち、「はいやっ!」と声を上げてリゼットをフライパンで殴打した。それもかなりの速度で。
「何してんだテメェっ‼」
「ホントいきなり何よっ⁉ びっくりするじゃないっ!」
「……リゼット、平気なの?」
それは傍目には全力で叩いていたようにに見えた。人体に当たれば痛いでは済まないだろう。骨の1、2本は折れるかも知れない。それが体長20cmのリゼットに当たったのだから、命に係わる大惨事になる……、と思われた。
しかしリゼットは壁に叩きつけられるでもなく、宙に浮いたまま文句を言っている。その内容も「痛い」ではなく、「びっくりした」である。
「分かって貰えたかなぁ? 妖精は何があっても傷を負わないし、死ぬ事も無い。病気になる事も、空腹になる事すらない。当然、老いもしない。これが君たちの安全を優先しろという、アドバイスの理由なんだなぁ、これが」
「…………マジか」
あまりの衝撃に子供たちは言葉を失う。
『不老不死』。物語には度々登場する、しかし物語の中にしか存在しない。そう思っていた存在が今、目の前にいる。いや、数年前からずっと居たのだ。……エルヴィスの言葉が正しいのならば、だが。
「リゼット、今のホント?」
「う~ん、だいたい合ってんじゃない?」
「オマエ、自分の事なのにいい加減すぎんだろ。だいたいオメェ、いったい何歳なんだよ?」
「そんなの覚えてるワケないでしょっ! あと、ロドニーはもう少しデリカシーを身につけなさいっ。女の子に年齢を聞くなんて失礼よっ!」
ロドニーにデリカシーが足りない事は全員分かっている周知の事実だ。しかし、今のロドニーの発言は全員が同様に考えた事でもあった。
自分の歳すら分からないなんていい加減すぎる。……そんな風に考えてしまうのは、気の遠くなる程の年月を生きてきた者を想像する事のできない子供ならば、仕方のない事ではあった。
「リゼット、お前ホントは絵本か小説の世界からやって来たんじゃねぇだろうな?」
「そぉれは夢のある話だけど、残念ながら現実なんだなぁ、ユーキ君」
「…………叩いても死なない、壊れない……。…………小説……?」
「どうしたの? アレクくん?」
リゼットの正体について盛り上がるユーキたちを余所に、アレクは1人でブツブツと独り言を呟きだした。
隣にいるクララが聞いても、それは断片的で意味が分からない。我慢が出来ず声をかけたが、アレクはクララを無視して、
「エルヴィス先生っ!」
「ん? 何かなぁ?」
「先生の持ってるリング、見せてくれない? ほらっ、ローランドのやつ!」
突然大声を上げたアレクに全員の視線が集中する。が、その多くはアレクの言葉の意味が分からない。
当然だろう。先程までとは、全く話が繋がらないのだから。脈絡なく唐突に叫んだアレクに、子供たちは困惑した。
だが、アレクはそんな事はお構いなしに、エルヴィスにリングの提示を要求する。
「あぁ、これかい?」
「先生、ありがとっ」
エルヴィスは要求の通りに自身の袖をまくり、腕輪を外してアレクに渡す。腕輪を受け取ったアレクは、それを掲げるように持って色んな角度から眺めていた。
「一体どーしたんっスか?」
「アレク……、まさか、お前……」
「決めたっ! ボク、リングを7つ集めて願いを叶えるっ‼」
高らかに宣言するアレクを、部屋の7人は唖然と見ていた。
ただ1人、細めた目でアレクを見つめるエルヴィスを除いて――。




