第2話 「ユーキの苦悩と子供たちの策略」
あれから何日経ったのだろう。12歳の誕生日を皆に祝って貰った日の翌朝、新聞に目を通してからの記憶が曖昧だ。
ただ、分かっている事が2つある。
1つは、父・サイラスが死んだ事。
もう1つは、何もする気が起きず、1日の大半をベッドの中で過ごしている事。
(これじゃいけない。しっかりしないと)
考えるまでも無くそんな事は分かっている。だが、そんな考えばかりが頭で繰り返される。そして思う言葉とは裏腹に、身体は一向に動かない。否、動かす気力が湧いてこない。
父が死んだのが、そんなにショックだったのか?そんな事はない、と思う。
戦争に行くと聞いた時から、そういう事も有り得る事くらい覚悟していたつもりだし、父の事は嫌いではないが、そこまでべったりの仲良し親子だった訳でもない。
なら、保護者が居なくなったことによる将来への不安か?それも恐らく違う。
自分の身の回りの事くらいは今まで1人でしてきたし、父親の手を借りる事などここ数年ほとんど無い。金銭面に関しても、サイラスは数年分の生活費くらいの貯えを残している。それにロドニーやクララの父親の所で働かせて貰う事も出来る、と思う。
考えれば考える程、塞ぎ込む理由など存在しない、ハズだ。
そもそも10ヶ月くらいの間ずっと居なかったのだから、今さら寂しいなどと思う訳もない。
なのに、この喪失感と、焦燥感、苛立ちは一体何なのか?
(親父は死んだ、もう居ない。……戦争なんかに行かなきゃ。いや兵士なんか、ならなきゃよかったのに。これから俺はどうなる? いや、どうする? 親方かクララの親父さんのトコで働いて……。いや、そもそも雇ってくれんのか? 俺はまだ12のガキで半人前だ。親方たちにメリットはねぇし、そこまで甘えられねぇ。……学校は、辞めるしかねぇよな。流石に働かねぇと卒業までなんて金が保たないし……。くそっ、何で俺がこんな目に……。いや、こんなんじゃダメだ。しっかりしないと……)
恐らくユーキの感じている不安や焦りは、第3者が見れば感じて当然のものであり、哀れにも思う事だろう。
しかし、ユーキ自身はそれに気づかない。
ユーキは自分の置かれた状況を理解している。これから、どうするべきなのかを考える知性も持っている。そして『戦災孤児』という言葉があるように、戦時下においては自分のような立場の子供が少なくない事も知っている。……その中では、自分の環境は恵まれている方だという事も。
だからユーキは、決して自分の事を「かわいそう」という風には思わない。「理不尽だ」と感じているのに、そうは思っていないのだ。むしろ、「甘ったれるな」「しっかりしろ」と自分に対して叱責する。そういった「意識」と「心」のズレが、自覚なしに自分自身を摩耗させているのだ。
それがユーキが無気力になって動き出せない理由と言えるのだが、ユーキはそんな自分に対して更に「しっかりしろ」と鞭を打つ。もちろんそれで動ければ良いのだが、動けない自分に対してユーキは苛立ちを感じる。「なぜ動けないのか?」と。
湧き上がる苛立ちを発散しないでいるとどうなるか……。当然それは「怒り」に変わる。
「ユーキくぅん、ご飯を作ったけど一緒に食べないかい? 今日は何も口にしてないでしょお?」
間の抜けた口調でノックもせずに部屋に入ってくる同居人・エルヴィス。
今までは家事など一切しなかったクセに、ユーキが塞ぎ込むと勝手に家事をしだした、勝手な男だ。
「…………いらねぇ」
「そぉんなコト言わずに。スープだけでも口にしないと倒れちゃうよぉ?」
返事をするのも面倒くさい。なのにエルヴィスはしつこく食い下がってくる。いらないと言っているのが分からないのだろうか?それとも自分に飯を食べさせる事が、何かエルヴィスの得になるとでもいうのだろうか?
「ほぉら、美味しそうだろう? 秘密にしてたけど、僕は意外と料理も上手なんだなぁ、これが」
「……っ、いらねぇっつってんだろうがっ‼」
怒声と共に、手近にあった時計を鷲掴み、エルヴィスに向けて投げつけた。時計は壁にぶつかり、音を立ててバラバラなった。
鬱陶しい、鬱陶しい、鬱陶しい、鬱陶しい、鬱陶しい。
何が美味しそうなのか?何が秘密にしてたのか?料理が上手いから何だというのか?
エルヴィスの言葉の一言一句が癪に障る。
ユーキは自身の「怒り」の源泉を理解していない。それでも冷静であったならばエルヴィスに非が一切ない事くらいは理解できた筈だ。だが今、ユーキは冷静ではない。冷静でいられない。なぜなら自身の「怒り」がどこから来ているかを自分でも分かっていないから。
自分を理解できないでいる、という事はこれほどまでに人を不安定にさせるものなのか。
一方のエルヴィスは、驚くことも、怒ることも、もちろん悲しむ事もない。
ユーキが八つ当たりで投げてきた時計など、避ける必要もない。最初から当てる気が無い事くらい分かっている。
エルヴィスは無表情で食事をテーブルに置き、壊れた時計を片付けた。
「それじゃ、食事はここに置いておくよ。気が向いたら食べるといい」
普段の鬱陶しい口調と違い、抑揚なくそう言って部屋を出るエルヴィス。
残されたユーキはベッドの中で、激しく後悔をする。
気を悪くしたか?しない筈が無い。怒らせてしまったか?そうかもしれない。エルヴィスが何かしたか?……していない。何で時計を投げたりした?わからない。当たってたらどうしてた?当たらないように投げた。そういう問題じゃないだろう?わかってる。分かってるなら、なぜ投げた?わからない。ふざけてるのか?そんな訳ない。真面目に考えてそれなら、お前はバカか?そうかも、しれない。バカは何をやっても許されるとでも?そんな事は思ってない。なら、お前のやった事は許される事か?わからない。大体お前は何がしたいんだ?わからない。お前は――、俺は一体何にそんなに苛ついているんだ?わからない。わからない。わからない。わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない――。
自問自答を繰り返して必死に「答え」を探すユーキだが、重要な部分が「わからない」。
都合の悪い部分に目を背けたままでは、いくら考えても「答え」に辿り着く事はない。仮にたどり着いたとしたら、それは「答え」ではなく「都合の良い言い訳」だろう。
恐らく、1人で考えていても出る事のない「答え」を求めて、ユーキの時間は無為に過ぎていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おーいっ! ユーキーっ! いるんだろーっ!」
慰霊祭を終えたアレクたち7人はユーキの家へとやってきていた。
本来ならばバーネット姉妹は大人の同伴なしに外出する事は禁止されているのだが、今回は特別だ。まだ日は高いし、子供ばかりとはいえ6人+妖精1人の大所帯だ。そう滅多な事はないだろうし、何より今回はユーキの危機だ。
ユーキは今まで何度もピンチの時に助けてくれた。ロドニーの時、魔物の時、ミーアが誘拐された時も。だから今度は自分がユーキを助けるのだ、とアレクは鼻息を荒くしていた。
ロドニーが大声でユーキを呼んだのだが、なかなか返事がない事に痺れを切らし、更に大声を上げようと息を吸い込んだ時、玄関の扉が開いた。
「おやおや~ぁ? 誰かと思えばエメロン君たちかぁ。またユーキ君の様子を見に来てくれたのかなぁ? でも、折角だけどユーキ君はちょっと調子が悪くてねぇ。会わせられる状態じゃあないんだなぁ、これが」
玄関から出てきたエルヴィスはエメロンたちの姿を見るなり、返事も聞かずに結論を出した。その口調はいつも通りだが、有無を言わさない話運びはいつものエルヴィスとは違って聞こえた。
「エルヴィス先生、お願いしますっ。お兄さまに会わせてくださいっ」
「何度も訪問してすみません。でも、お願いしますっ。ユーキが……、友達が心配なんですっ」
「ん~、そうは言ってもねぇ……」
ミーアとエメロンが食い下がるが、エルヴィスは気乗りがしない様子だ。
困った素振りを見せているが、それは子供たちを中に入れるかどうかを迷っているのではなく、どう諦めさせようかを悩んでいるように見える。
その時、少し離れた場所で”ドスンっ”と、何かが落ちたような音が聞こえた。
「なぁ、いいだろオッサン? オレたちゃユーキのダチだし、迷惑かけねぇ。何の問題があるんだよ?」
「そ、そうよねっ。ダメな理由を聞かせて下さいっ!」
エルヴィスが物音に気を取られそうになった時、ロドニーとクララが詰め寄る。
ユーキに会わせられない理由、それはいくつか考えられる。
ユーキを見た子供たちがショックを受ける可能性。ユーキと子供たちが言い合いになり、ケンカになる可能性。それにより誰かが怪我をする可能性。そこまでいかなくても、ユーキの状態が更に悪化する可能性。
挙げればキリがないが、これらはあくまでも可能性だ。それを理由にして、ここまで頑なに突っぱねる程、エルヴィスは頑固ではない。
「ん~、理由かぁ~。ユーキ君が君たちに会う事を望んでいない、では理由にならないかなぁ?」
そう、今ユーキは誰にも会いたくはない。そして、特に友人たちに会いたくないであろう事が容易に予想できる。それは直接口には出していなくても間違えようのない事実だ。ユーキの態度が「俺に構うな」「誰も近づくな」と声高に叫んでいる。
それでも最低限の世話をする為にユーキに接するエルヴィスは、一応ちゃんと保護者をしていると言えるだろう。
「それはユーキが自分の口で言った事っスか? もし、そうでないなら理由にはならないっスよね?」
「……たぁしかに、自分の口では言ってないねぇ。でも、それを態度で示している。ではぁ、ダメかなぁ?」
「ダメっスね。それじゃあ、アナタの勝手な想像じゃあないっスか」
意外と痛い所を突いてきたのはヴィーノだった。
ヴィーノもエルヴィスが嘘を吐いているなんて思ってはいない。だがユーキの気性を考えると、そんな弱音のような事を口にするとは思えなかった。だからエルヴィスの言葉が正しい事を理解した上で、あえて相手の言葉尻を捉えるような言い方で反論したのだ。
一時、反論する言葉を失ったエルヴィスを見て勝機と見たか、子供たちはしきりに「そうだ、そうだ」と騒ぎ始める。
「しかしねぇ。見ての通り、この家はあんまり広くはないよねぇ? 君たちの声は、部屋に居るユーキ君にも聞こえている筈なのに出てこないでしょお? それが答えなんじゃあないかなぁ?」
今度、反論する術を失ったのは子供たちの方だった。
これに反論しようとするなら、ユーキが意識を手放しているなどで声が聞こえていないか、聞こえているが出てこれない状態かのどちらかしかない。それを指摘するという事は、暗にエルヴィスが噓を吐いていると指摘する事に他ならない。
魔法の授業で交流のあるエメロンとミーアはもちろん、あまり面識のないロドニーたちも、エルヴィスがその様な悪辣な人物だとは思っていないし、その様な指摘をするのは憚られた。
「それでも……」
それでも諦められないのか、エメロンが言葉を発しようとした時”ガシャァァンッッ‼”と何かが割れる音が響いた。それほど遠い距離ではない。
音に反応し、身構えたエルヴィスを見たミーアが叫ぶ。
「ロドニーさんたち、お願いしますっ!」
「おうっ!」
「っスねっ!」
「エルヴィス先生、ゴメンなさいっ!」
ミーアの掛け声で、子供たちの男連中が一斉にエルヴィスの手足に飛びついた。決して引き倒したりなどの、ケガを負わせる様な動きではないが、3人が手足に1人ずつ、まるで抱きつくようにしがみついている。
エルヴィスは唯一自由な左手で後頭部をポリポリと掻きながら子供たちに質問をした。
「こぉれは、一体どういうことかなぁ?」
決して怒気を孕んでいる訳ではなく、呆れながらそう言った。
本気を出さずとも子供たちを振り払う事など容易いが、無理やり引き剝がせばケガをさせてしまう。当然そのような事をするつもりはない。それを分かっていてやっているのなら、子供のクセに中々したたかだ。
「申し訳ありませんが、エルヴィス先生にはしばらくの間じっとしていてもらいます」
勝ち誇ったようにそう言い切ったミーア。
その表情は自信満々の笑みで、「全て予定通りです」と口ではなく、全身で物語っていた。




