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第27話 「転機」


 シュアープ軍がグリーズ砦に向けて陣を後にした。前方に立ち塞がっていた帝国軍は、レクターの魔法によって壊滅している。兵士たちの目に映るのは、大量の人形兵器の残骸と、少数の帝国兵だったモノだけだ。視界内に敵兵の姿は無い。


 無人の荒野を進むかの(ごと)くシュアープ軍は進むが、その歩みは遅い。彼らの多くは敵の策略による毒物により、体調を崩しているのだ。

 このままでは帝国兵に追いつかれてしまう。レクターの魔法で倒す事の出来た敵は、グリーズ砦への道を塞いでいた部隊のみだ。陣地を包囲していた別部隊が自分たちを追って来るのは、まず間違いないだろう。


「りょ、領主様……」


「ブローノ君か。どうした?」


 内心、焦りを感じていたレクターにブローノが遠慮がちに話しかけてくる。


「あの……、隊長の、捜索は……?」


「……しない。このままグリーズ砦に向けて前進する」


 ブローノの提案は予測できたものだった。彼はサイラスを殊更(ことさら)に尊敬していた。その安否の確認をしたいというのも当然だろう。それはレクターも同じ気持ちだ。

 しかし一刻を争うこの状況で、捜索など悠長な事を出来る筈がない。短い言葉で提案を却下したレクターだったが、ブローノはしつこく食い下がってきた。


「でも、もしかしたら隊長なら……、領主様の魔法が撃たれる前に逃げた、かも……」


「その可能性は低い。それが出来たなら合図を送る必要も無かった筈だ」


 希望的観測を述べるブローノに、レクターは淡々(たんたん)と事実に基づく推論を述べる。そのレクターの物言いは、普段の優し気な口調とは掛け離れ、冷淡とも受け取れる。

 しかしブローノは、それでも引き下がる事が出来なかった。ここで諦めてしまえば、例え小さくても存在する可能性が、ゼロになってしまうから。


「でもっ、絶対じゃないっスよね? それに何かの間違いとか、勘違いとかがあるかも……」


「そんな事があるわけ無いだろうっ‼」


 (たま)らずレクターは怒声を張り上げた。ブローノは驚きに歩みを止めて、レクターを見やる。

 確かにブローノの言う通り、絶対ではない。しかしレクターは撃ったのだ。サイラスが死ぬ事を承知の上で……。互いの合意の上とはいえ、親友の命をその手に掛ける行動を取ってしまったレクターの心中は、とても言葉で言い表せるようなものではない。


 ましてや今は時間が無いのだ。ほぼ間違いなく来るであろう帝国軍から、何とかグリーズ砦まで逃げ延びなくてはならない。半病人の300人程度の部隊など、鎧袖一触(がいしゅういっしょく)の如く蹴散らされてしまうだろう。

 そもそも、レクターが切り捨てたのはサイラス1人ではない。陣地から脱出する際に間に合わなかった、100名にも及ぶ兵士を置き去りにしてきたのだ。今更、サイラス1人を特別扱いは出来ない。


 状況が許すなら、当然撃ちたくなど無かった……。

 時間が許すなら、不眠不休ででも探し続けるだろう……。

 立場が許すなら、誰も切り捨てたくなど無かった……。


 だが、いずれもレクターに許してはくれなかった。なのにしつこく食い下がるブローノに対し、感情的になってしまうのも無理からぬ事だった。


「私だって探せるものなら探したいっ‼ だが、時間が無いんだっ‼ 帝国軍に追いつかれれば全滅だっ‼ そうなればサイラスも……っ‼」


 無駄死にだ。続くその言葉が出てこなかった。サイラスの死を認めるのが怖くて……。自分が殺したのを認めたくなくて……。

 自分の心をありのまま言葉に出来ないレクターはさらに興奮し、取り乱した。


「わっ、私がっ! どんな気持ちで撃ったとっ‼ サイラスがっ! あんな約束なんて……っ‼」


「りょ、領主様……」


 言葉にならないのに、言葉が、感情が溢れてくる。もはや支離滅裂で会話にもならず、ただレクターがブローノに向かって一方的に叫んでいた。

 やがて騒ぎに気付いた周囲の兵たちも、その歩みを止めてレクターに視線を集中させる。その視線に気づいたレクターは、必死に自制して呼吸を整えた。


「……すまない。君に言うような事では無かった」


「……い、いえ」


「先を急ごう。日が昇って帝国軍が動き出す前に、少しでも距離を稼ぎたい」


 そう言ってレクターは再び歩みを始める。

 レクターにはブローノを……、自分を見る兵士たちの顔を見る勇気は無かった。呆れ、憐憫(れんびん)、落胆……。彼らの瞳に自分がどのように映っているのか、それを見るのが怖かったのだ。

 だからレクターは誰の顔を見る事も無く、無言で、ただひたすらに足を動かし続けた。


「…………」


 馬車の荷台に揺られる少年は、その一部始終を無言で見つめていた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 その日は帝国軍からの追撃は無かった。レクターの魔法を警戒したのかもしれないし、追撃隊の編成に手間取っているのかもしれない。しかし、このまま見逃すというのはあり得ないだろう。

 敵の第1目標は十中八九、ジークムントだ。陣地に彼が居ない以上、敵もレクターたちが連れている事は予想するだろう。やすやすとグリーズ砦まで撤退させて貰えるとは考えられない。


 だが、シュアープ軍の歩みは予定よりも遅れていた。準備不足や毒物の影響が大きいのは確かだが、最大の要因は数多くの仲間たちを見捨ててきた事に起因(きいん)していた。


 彼らは、レクターとサイラスという突出した戦力のおかげで、参戦から数ヶ月経つというのに犠牲者を殆ど出してはいなかった。ありていに言えば、仲間の死に慣れていなかったのである。兵の中には「戦争って言ってもこんなもんか」などと(こぼ)す者すらいた程である。

 それが突然の敵襲を受け、100人もの仲間を見捨てる事となり、物理的にも精神的にも彼らの支柱であったサイラスをも(うしな)った。身体よりも心が疲弊していたのである。


 しかし、いくら予定より遅れていても休憩を取らない訳にもいかない。人は不眠不休では動けないのだ。数度の小休憩を挟み、日が完全に落ちてから野営をする事になった。

 とは言っても、まともな設備を設置する事など出来ない。テントなどは持ち出せなかったし、食料も全て保存食だ。敵兵に追いつかれれば致命となるこの状況で、悠長にテントを張ったり、料理をする時間も労力も無い。

 体力に余力のある十数名が見張りに志願して、それ以外の兵は殆どが寝袋すらない状態であるにも関わらず、倒れる様に眠りについた。


(襲撃があるなら今晩か、明日か? 3日目は無いだろうな)


 レクターは保存食を収納していた空の木箱を簡易のテーブルにして、その上で紙にペンを走らせながら敵の襲撃の予想を立てていた。


 いくら予定よりも遅れていると言っても、3日目ともなればグリーズ砦も近くなる。その状態で攻撃を仕掛けても、砦から援軍が出る事が予想できるし、ジークムントが砦に入れば敵の作戦は失敗だ。

 ならば今晩か明日かだが、襲撃するなら夜襲を仕掛ける可能性が高いだろう。これは説明の必要もなく、その方が有利だからだ。なら今晩か、明晩か。

 これは敵軍の編成速度次第だろうか。敵からしてみれば少しでもグリーズ砦から遠い方がいいだろう。しかし編成が間に合わなければ、明晩という事も十分有り得る。


(これ以上は考えても無駄だな。ただ、いつ襲撃が起きてもおかしくはない。……ん?)


 思案をひと段落させたレクターは、自分に向けられる視線を感じた。敵意や害意を向けるような視線ではない。

 レクターは相変わらずペンを走らせたまま、視線の主に声をかけた。


「眠れないのですか? 殿下」


「気付いておったか。余は馬車を使わせて貰っておったのでな。そういう貴様こそ寝ないのか?」


「いつ追手が現れるとも限りませんので」


 レクターに声をかけられ、姿を現すジークムント。

 声をかけたレクターだったが、会話の最中もジークムントを見る事もせず、ひたすらペンを走らせている。


「「…………」」


 この場に現れたジークムントだが、それ以上の言葉を発さず、ただレクターの前に立っている。

 レクターもジークムントに話しかける事もなく、ペンを持つ手を止める事も無い。

 2人の間に、長い沈黙の時が流れた。


「……さぞ、帝国と余を恨んでおろうな」


 まるで、根負けをしたように沈黙を破ったのはジークムントだった。

 その言葉を聞いた瞬間、ペンを持つレクターの動きがピタリと止まった。


「余がおらねば帝国軍からの襲撃は無かった。であれば、貴様が多くの兵を失うことも無かったであろうし、サイラスも――」


「殿下」


 自身よりも高位の者が話している最中に、それを(さえぎ)る。それは本来とてつもない不敬であるのだろう。しかしレクターはそれを分かった上で、あえてジークムントの会話を(さえぎ)った。


此度(こたび)の件は帝国の所為(せい)でも、ましてや殿下の所為(せい)などではございません。よって私が、誰かを恨む事などは一切ございません」


「嘘を言うなっ! 貴様は、「余が居なければ、サイラスをその手に掛けるような事は無かった」と、そう考えた事が無いとでも言うつもりかっ⁉」


 恨みなど一切無いと言い放つレクターに、そんな事は無いだろうと詰め寄るジークムント。この時レクターは、ジークムントの心情をほぼ正確に把握(はあく)していた。

 恐らくジークムントが欲していたのは断罪と贖罪(しょくざい)だろう。自分の存在が原因でサイラスを死に追いやった事を、誰かに罰して欲しくてこんな事を言っているのだろう。

 だが、レクターがジークムントに罰を与える事は無かった。


「殿下は……、戦争が何故起こるのかについて、どうお考えですか?」


「……? 利害の不一致の結果であろう。人は誰もが利を求め、必要であれば他を害する。領土紛争も民族闘争も、宗教戦争もこれに該当する」


 突然の話題の変化に、ジークムントは眉を(ひそ)めながらもレクターの質問に答える。

 戦争が起きる時、必ずそこには開戦派と呼ばれる者たちが存在する。そういった者たちが戦争を起こそうとするのは、そうする事によって自分に利益があるからか、もしくは不利益を避ける為だ。


「私も同じ考えです。確かに個人単位で見れば、怨恨(えんこん)や闘争心を満たす為などを理由に戦う者もいるでしょうが……」


「貴様はそうでは無いと?」


「……私とて1人の人間です。理不尽に(いきどお)る心もあります。ですが、怒りを戦いの理由にするような人間にはなりたくはないと、そう考えております」


 レクターの答えは逆説的に、帝国とジークムントを恨む気持ちがあるとも受け取れるものだった。だが、それをそうと言葉に出したくはないと、そう思いたくはないと、そう言っている様にも聞こえた。

 それはレクターの思想か、矜持(きょうじ)か、それとも意地か。いずれにせよ、ジークムントを罰するのに最も適した男がそれを下す事は無い。


(ならば……)


 ジークムントが結論を下そうとしたその時、不意に鐘の音が鳴り響いた。

 その音は昨晩、陣地で耳にした警鐘(けいしょう)だ。


「敵襲のようですね。殿下、馬車にお戻り下さい」


「最後に聞かせろ。貴様は……いや、貴様たちは何故、戦争に参戦した? 余の見る限り、積極的に戦争に加担する様な者はいなかった。貴様も、サイラスもだ」


「……出兵命令が出たから、という理由だけではありませんね」


 本来ならば悠長に話す時間は無い筈だった。しかし「最後」と言われては無下にも出来ない。

 ただ、ジークムントの質問に対する答えは、何故かすんなりと言葉に出てきた。


「国を、町を、家族を守りたいから参戦を決意したのです。我々も帝国軍の兵と同じですよ」


「同じ……」


 その答えは数ヶ月前に、シュアープの町でアレクに言ったセリフだった。

 顔も、歳も、性別さえ違うのに、アレクと同じようにレクターの言葉を呟くジークムントが、娘の姿と重なった。


「領主様っ! 敵襲っス!」


「ブローノ君か、すぐに対応しよう。さぁ殿下、馬車へお早く」


「う、うむ……」


 報告にやってきたブローノと共に対応に動き出すレクター。これ以上、レクターの邪魔をする訳にはいかない事はジークムントにも分かっていた。だが……。


「レクター=バーネット男爵!」


「殿下? まだ何か?」


「感謝するぞ。お前の言葉、胸に刻もう」


 最後に感謝の言葉を告げて、ジークムントは馬車へと向かった。


 サイラスとレクター。この2人との出会いが、ジークムント・E・L=クライテリオンの後の人生を大きく変える事となったのを、まだ誰も……、当のジークムント本人ですら自覚してはいなかった。


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