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第26話 「風の合図」


「ぐっ! う……っ! 思った、以上にっ、響くなっ」


 風の魔法で空を跳んだサイラスは、その反動が与える痛みに(うめ)き声を上げた。命に係わるような負傷は負った訳ではない。しかし空を蹴る度に起きる痛みは、既に無視できる上限を超えていた。

 しかし、それでもサイラスは跳ぶ。痛みにふらつきながらも、墜落だけはしないように必死にバランスを取りながら誘雷石を設置する。


 誘雷石の設置は慎重に行う必要があった。

 設置間隔が離れすぎれば、上手く次の誘雷石までレクターの雷が届かない。近すぎれば、効果範囲が(せば)まり敵に有効打を与えられない。それは、誘雷石の数が十分にあれば必要のない問題だった。

 だからサイラスは、普段なら敵陣の中央から設置する誘雷石を、自陣から順に設置する事とした。万が一、帰りに誘雷石が足りなくなれば大惨事となってしまうからだ。


 そうするうちに横に伸びた敵陣が近づいてくる。その大半は人形兵器で、人間はチラホラとしか見えない。


「横に広がらずに(まと)まっててくれりゃ楽なんだが、なっ」


 空から近づくサイラスは、夜闇である事も幸いして視認し辛い。上空から適当に誘雷石をバラ撒くことが出来たなら、敵に補足される頃には設置も終える事が出来ただろう。誘雷石が十分なら……。敵が一塊(ひとかたまり)(まと)まっていれば……。

 しかし現実はそのどちらでもない。だからサイラスは発見されるリスクを冒し、低空を跳んで誘雷石の設置位置を吟味(ぎんみ)する。しかしサイラスの魔法は発動する度に破裂音が響く。当然その音は敵兵の耳にも届いた。


「なんだっ⁉ 銃声かっ⁉」


 サイラスの起こす破裂音を聞いて帝国兵の警戒が増す。しかし、これは想定内だ。いや、銃声と勘違いしているのならむしろ都合が良いとも言える。風の魔法を使用する際には魔法陣が光を出すが、銃声と勘違いしているのなら上には注意が向くことも無いだろう。

 姿を補足される前に1つでも多くの誘雷石を設置する。気を付けるのは距離だけでは駄目だ。障害物や高低差にも気を遣う必要があるし、帝国兵に見つからないように設置する必要がある。見つかって誘雷石を移動されたら、上手く雷が伝わらない恐れがある。


(よし、これで半分――っ⁉)


 順調に誘雷石を設置していたサイラスの目の前に突然巨木が立ち塞がった。森からも外れ、ポツンと1本だけ立つ巨木。決して油断したつもりは無かった。しかし、負傷と焦り、暗闇と思い込みにより、サイラスは巨木に気付く事が出来なかった。

 今からの回避は不可能だ。たとえ、身体が万全であったとしても。サイラスは為す術なく、巨木の枝葉へ突撃した。


「く、そ……っ! 何でこんなトコに木が生えてんだ……っ!」


「あっちだっ! あの木に何かが突っ込んだぞっ!」


 巨木の枝に引っ掛かって悪態を吐くサイラスだが、事態はそれどころではない。帝国兵と人形兵器が巨木を取り囲もうと集まってきている。今飛び出せば、確実に見つかるだろう。

 だが、このまま隠れていてもジリ貧だ。何より、サイラスは一刻も早く誘雷石を設置しなければならない。このまま留まるという選択肢は無かった。


「クソったれ、やるしかねぇ!」


 やると決めたなら早い方が良い。そう決断したサイラスは意を決して巨木から飛び出す。当然その際には風の魔法の音と光、飛び出す際の枝を吹き飛ばす音が響く。元々巨木に注目していた帝国兵が、飛び出すサイラスを補足するのは必然であった。


「なんだっ⁉ 何かが飛び出したぞっ⁉」


「人だっ! 人が空を飛んでるっ! アレを撃ち落とせっ‼」


 サイラスを視認した帝国兵が、人形兵器たちに攻撃を命じる。数十の人形兵器から一斉に放たれる銃弾。本調子のサイラスであれば、一瞬でその射線から逃れる事も出来た。もしくは、一旦上空へ避難すれば危機から脱する事も可能だった。

 しかしサイラスは上空へ逃れる手段を選ばず、また本調子には程遠かった。


「ぐぉっ‼」


 射線上とはいえ、サイラスは馬よりも速く跳んでいたし、そもそも人形兵器の命中精度は高くない。たとえ数十体が一斉に銃撃したとしても、その1発がサイラスの背中に命中したのは不運と言うほか無かった。

 しかしそれでもサイラスは跳ぶ。跳ぶ際に受ける痛みが更に増すが、それでも止まる訳にはいかなかった。


「当たったぞっ! 落ちるまで撃ち続けろっ!」


 既にサイラスが跳ぶ高さは、せいぜい2、3mくらいになっていた。高く跳ぶ力が残されていないという訳ではない。設置する誘雷石を帝国兵に見つからないようにするためだ。

 しかし低く跳ぶという事は、地面に墜落する危険性が高まる事を意味する。それを避ける為により慎重に、より速度を落とす必要があった。


「なかなか素早いが……。ハハハッ、良い的だな!」


 本来であれば遠目でも姿を見失いかねないサイラスのスピードは、すでに本調子の半分も出てはいなかった。せいぜい野生動物程度の速度で、低空をあちらこちらへ逃げ回る。帝国兵たちは、まるで狩りの気分にでもなったのか、自分たちも銃を持ち出し撃ち始めた。


 必死に射線から逃れながら1つ、2つと誘雷石を設置するサイラス。人形兵器の銃撃ならば、射線から逃れ続けるのも不可能ではなかったかも知れない。しかし、人間は学習をする。サイラスの移動には必ず、一定の間隔で使用する風の魔法による光と音の目印があった。ならば予測をするだろう、人間ならば。


「ぬっぐっ!」


「良ぉしっ! 当たった!」


 帝国兵の放った銃弾はサイラスの脇腹へと命中する。目印があるとはいえ暗闇で、しかも1発で命中させた帝国兵の腕は相当なものだったのだろう。サイラスにとっては最悪ではあるが。

 銃撃を受けたサイラスは滑り込むように地面に墜ちた。そしてその場に誘雷石を設置する。


(これで、あと2つ……)


 サイラスが手にした誘雷石の残りの数は2つ。もちろん、この2つを設置せずにレクターが魔法を放っても、きっと包囲に穴は空く。しかし、この2つを設置しなければ、その分だけレクターの魔法の範囲は狭まるのは確実だ。それが致命的にならないとは断言出来なかった。


 だからサイラスは脚に力を込めて、風の魔法を発動した。

 もはや『疾風』と呼ばれた姿は見る影もなかった。「飛ぶ」や「跳ぶ」とは到底呼べない。ただ目標に向かって、放物線を描いて跳ねているだけだった。

 しかし、そのような姿でも動きを見せれば帝国兵は動く。


「おい、まだ飛んでるぞ!」


「慌てんなよ、もう死に体だ。見てろよ……」


 ”ポーン、ポーン”と跳ねるサイラスにゆっくりと照準を合わせる。すでに勝敗の見えた帝国兵は人形兵器に攻撃を停止させ、自分の銃でサイラスを仕留める事を優先していた。

 3回、4回とサイラスが跳ねる。タイミングを合わせて引き金を引き、その直後に上がった(うめ)き声と共に、サイラスの動きが止まった。


「どうだっ!」


 見事に獲物を仕留めた帝国兵は、仲間に自慢げな表情で語り掛ける。その姿は戦場の兵士ではなく、まるで狩りを楽しむ貴族のようだ。

 そして帝国兵は、自らの成果を確認する為に仲間と共にサイラスに近寄った。


「ぐ、うぅ……」


「なんだ、当たったのは脚か」


 帝国兵の放った弾丸はサイラスの左脚に命中していた。先ほどの銃弾で仕留めたと思っていた帝国兵は残念そうに呟くが、背中に腹、そして脚と3発も喰らってはもう動けないだろう。その証拠に帝国兵たちが間近まで近づいても動けない様子だった。


 さて止めを刺すか、尋問するか、と帝国兵が悩み始めた時、仰向けに倒れているサイラスの右腕が動いた。僅かに警戒する帝国兵たちだったが、その手に握られていたのがただの石だったのを見て気が緩む。


「何だ、その石は? 今更そんなのでどうする気だ?」


「……これで……あと、1つ」


 サイラスはそう言って、右手に握られた石の内1つをその場に落とした。そして残された石を帝国兵たちとは反対側に向けて放り投げた。

 投げる瞬間は身構えた帝国兵たちだったが、その標的が自分たちでは無いとすぐ悟り、その後困惑した。


「なんだ? 武器を捨てて降参ってことか?」


「これで……、ゼロだ……。右腕が無傷だったのは、不幸中の幸いってヤツ、だな……」


 話が通じず、帝国兵はますます混乱する。しかしサイラスは帝国兵には構わず、装備されたホルダーからナイフを取り出した。


 先程の石とは違い、明確な武器の登場に再び帝国兵たちに緊張が走るが、仰向けに倒れたままの男がナイフを持ったからといって何が出来るというのか。相手は度重なる銃撃を受けて満身創痍(まんしんそうい)だ。訳の分からない話も、意識が混濁(こんだく)しているのかもしれない。ならば距離を取って、投擲(とうてき)にさえ気を付ければいい。


 そう考え、帝国兵たちはサイラスから距離を置く。その間にサイラスは右手に持ったナイフを左手に持ち替え、新たに右手でナイフを取り出した。

 それを見た帝国兵は結論を出した。やはりこの男は負傷が原因で、自分が何をしているのか分かっていないのだ、と。


「レクター……、ため、らうな、よ……」


 サイラスは緩慢(かんまん)な動きで両手のナイフの刃を合わせる。幸い帝国兵の妨害はない。


「やっぱりコイツ、おかしくなってるぜ。どうする?」


「どうするって、こんなの捕虜にしても仕方ねぇだろ? オレが止めを刺してやるよ」


 そう言って帝国兵が銃を構えるが、サイラスの仕事は全て終わった。「合図」を出す準備も。

 帝国兵が引き金を引くよりも早く、サイラスは両手のナイフに魔力を送った。するとナイフの魔法陣が光を放ち、振動を開始する。当然、刃の合わさった2本のナイフは互いに打ち合い……。


”ギイイイィィィィンッッッ‼”


「何だっ⁉」


「うるせぇっ!」


 ナイフが鳴らす、消魂(けたたま)しい音に帝国兵たちの叫びは()き消された。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 サイラスが敵陣に向かって跳び立ってすぐ、レクターは敵陣をじっと見つめていた。


「ここからじゃ見えないっスね」


「この暗闇と距離じゃあね。それより、出発の準備はどうなってるんだい?」


「全隊、いつでも出れるっス! もちろん、ギリギリまで合流する仲間の受け入れも抜かりないっス」


 夜の闇のせいで、敵陣にいるサイラスの姿を見る事は出来ない。もっとも、昼間であったとしても見えるかどうかは怪しいが。


 ブローノの報告によれば、出発準備は既に完了しているという事だ。ならばサイラスが帰還し次第、すぐにでも動く事になる。そう考えたレクターは、ジークムントに馬車に乗るように提案をする事にした。

 子供の脚では文字通り足手纏(あしでまと)いとなるし、ジークムントの身の安全を考えれば、外から姿を確認できない馬車の中の方が良いだろう。


「殿下、よろしければ馬車に乗ってお待ち頂ければと思いますが……」


「ここで構わん。それとも、余がここに居ると不都合か?」


「いいえ。ですが……」


「分かっている。移動する時には馬車に移る」


 レクターの提案を固持(こじ)したかと思えば、その後に馬車に乗る事には素直に応じる。先手を打って話すジークムントは、普通の子供に比べて相当に賢い。恐らくは、レクターの実力を自身の目で確かめておこうと思っているのだろう。

 もしくは、サイラスが心配で待っているだけか。もしそうなら、その態度とは裏腹になんと可愛らしい子供だろう。

 そんなことをレクターが考えていた時、敵陣の方から”パンッパンッ”と(かわ)いた音が響いてきた。


「あれ、銃声……、っスよね?」


「あぁ、我が軍の兵たちと人形兵器に装備されている銃だな。命中精度と安全性が問題視されていたが、改良を重ねて問題点をクリアした、という話だ」


 銃声が聞こえるという事は、当然だが銃が使用されているという事だ。その標的はサイラスしかいない。サイラスが敵兵に発見され、攻撃を受けている。その事実を認識しながらも直接言葉には出さず、3人はサイラスの無事を信じるしかなかった。


 そして数分が経ち、銃声が(まば)らになったかと思えば、完全に聞こえなくなった。


「銃声、止んだっスね……」


「あぁ……」


「ってことは、隊長が敵兵を()いたってコトっスかね? それとも隊長のコトっスから、敵兵を1人で倒しちゃったかも……」


「…………」


 銃声が止んだという事実にのみレクターは返事をするが、ブローノのその後に言い放った推測には無言で返す。()いたはともかく、倒したはあり得ないだろう。いくらサイラスが強くても、そんな事が可能なら最初からレクターの魔法など必要ない。


 むしろブローノが言わなかった……、いや、言えなかった可能性が最も高い。それはサイラスが敵兵に倒されてしまった可能性……。もしそうならシュアープ軍がジークムントを連れて、ここから脱出する方法は最早1つしか残されていない。


 レクターが覚悟を決めようとしていた時、敵陣の方から甲高い音が聞こえた。まるで固い物が削れるような音が、途切れる事も無く響き続けている。

 その音の意味を唯一知るレクターは、驚きに目を見開いた。


「…………っ‼」


「こ、今度は何っスか? 銃声じゃ無い、っスよね?」


「……サイラスからの、合図だ。2人共、下がってくれ……」


 震える声で断言したレクターが前に立ち、杖を構える。


「た、隊長からの合図って? 領主様? ……隊長はドコっスか?」


「……サイラスは戻らない。……さっきの音は、そういう……、意味だ」


 かつて『魔人戦争』の際にサイラスと取り決めていたが、結局使う事のなかった「合図」。当時、猛反発したのにサイラスから一方的に押し付けられた「合図」。最早、使用する事など無いと……、そう思っていた「合図」。

 それが今、聞こえてしまった。

 だからレクターは、折れそうな程に強く握りしめた杖に魔力を込め、唇を嚙みしめながら雷の魔法陣が輝くのを見つめる。


 その時、無謀にもレクターの前にジークムントが立ちはだかった。

 今にも放たれようとしている雷の前にである。


「待てっ! 何か……、何かの間違いでは無いのかっ⁉ そうであった場合、貴様は同胞を自らの手で(ほふ)る事になるのだぞっ⁉」


「……いいえ、殿下。間違いではありません。あれは「自分は戻れないから構わず撃て」というサイラスの合図です」


 必死にレクターを踏み止まらせようと説得するジークムントだが、その内容は「もしも」の仮定や情に訴えたものであり、彼の聡明さはなりを潜めていた。そんな懸命な説得に心を痛めながらもレクターは断言して突き放す。

 敵陣に向かう前サイラスは言った。「もしもの時は、分かってるよな?」、と。その時、自分は頷いた。もし、ここで撃たなければ、それはサイラスに対する裏切りだ。


「殿下、そこをお退き下さい!」


「いいや、退かんっ! 余がここに居れば、貴様は魔法を撃てまいっ!」


 レクターの説得に失敗したジークムントの姿は、まるで駄々を捏ねる子供のようだった。敵国である帝国の皇太子がこうまでする事に嬉しさをも覚えるが、それで撃たないという訳にもいかない。だがもちろん、ジークムントを巻き添えにするなど有り得ない。

 だからレクターは、強硬手段を取るしかなかった。


「ブローノ君っ! 殿下を安全な場所までお連れしろっ! これは命令だっ!」


「えっ、いや、でも……、隊長が……」


「そのサイラスとさっき約束しただろうっ! 殿下を頼むとっ! 君も指一本触れさせないと言った筈だっ‼」


 魔法を撃つ自分がジークムントを連れ出す事は出来ない。だからブローノに命令をした。それでも逡巡(しゅんじゅん)するブローノに、つい先程にサイラスと交わした約束を持ち出す。それを言われてはブローノは動かざるを得なかった。


「ジークくん、すまねっス……」


「やめろっ! 離せっ!」


 まだ迷いを吹っ切った訳ではないのか、しかしそれでも緩慢(かんまん)な動きだが、ブローノは動いた。

 魔法を止めようとするジークムントは、レクターの正面から動く事は出来ない。ゆっくりとした動きのブローノから逃れる事も出来ず、また子供の腕力ではブローノの拘束から抜け出す事も出来ない。


 ブローノとジークムントが射線から外れた事を確認したレクターは、魔法を放つ直前に、最後に親友の名を呼んだ。


「サイラス……」


 その後に何と続けるつもりだったのかは誰にも分からない。

 感謝の言葉か、謝罪の言葉か……。


「やめろぉぉぉーーーっっ‼」


 青白い稲光(いなびかり)が発する轟音に()き消されたジークムントの叫びは、ブローノの耳以外、どこにも届く事は無かった。


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