第21話 「皇太子ジークムント」
クライテリオン帝国の第11皇子、ジークムント・E・L=クライテリオンは生まれた瞬間から皇太子として、次期皇帝としての人生が決定づけられていた。
帝国においては、現皇帝の正妃の長子が皇太子となる事が定められている。その為、ジークムントは上に10人の兄がいるのにも関わらず皇位継承権第1位の存在なのだ。
しかし、そのような歪な上下関係は不和をもたらす要因となりうる。
「あのような子供などより、第1皇子の方が次期皇帝に相応しいのではないか?」
「いやいや、世の戦乱も完全には収まっておらん。武勇の誉れ高い第2皇子か、第5皇子の方が……」
「そもそも「アレ」は本当に皇帝陛下の御子なのか? 陛下が正妃様の寝所に向かわれたなど、とんと耳にはしませんぞ?」
「まさか、陛下の種ではないと……?」
不和はあらぬ疑念を生み、疑念は噂となる。広まった噂はその真偽に関係なく、ジークムントの資質に疑問を植え付けた。そしてその影響はジークムントの心にも少なくない影響を与える事になる。
もちろん、直接ジークムントに資質を問う者などはいない。しかし、しきりに「兄上を見習え」「兄上が殿下の御年の頃には」と言われ続ければ卑屈にもなろう。しかし皇太子という立場が、卑屈な態度を取る事さえ許してはくれなかった。
そんなある日、ジークムントに転機となる出来事が起きた。
武芸にダンス、マナーや作法、歴史に帝王学。様々な教育を受けるジークムントに許された数少ない休息の時間。昼下がりのティータイムが、ジークムントの寛ぐ事の出来る数少ない時間だった。
その日のティータイムは戦場から帰還した乳兄弟から、戦地での話を聞いていたのだ。
6つ年上のその男は、第5皇子の指揮の元でボーグナインにてエストレーラ王国と戦い、帰還してきたのだ。最初に男の帰還を労い、戦場の様子や戦況などを聞く。しかし、いや自然に、男は次第に話題を第5皇子へと移していく。
ジークムントは内心複雑な心境ではあったが、それを表に出さぬように自制をしていた。男がジークムントの怒りの琴線に触れるまでは。
「で、第5皇子殿下がおっしゃった訳ですよ。「人より優れていなければ、人の上に立つ事など叶わぬ」と。いや、真に立派な方というのは口だけではなく、行動に移してこそ、という事ですね」
「貴様っ! 余を愚弄するかっ⁉ 名ばかりの皇太子と……。何も出来ぬ子供だと……っ!」
男にそのような意図は無かった。しかし、ジークムントは皇太子とはいえ、まだ10歳を少し回ったばかりの子供である。
周囲の大人たちに疑念を植え付けられたジークムントにとって、第5皇子を持ち上げる男の言葉は自身への当てつけでしかなかった。ましてや、実力の伴わないジークムントに対して「口だけでなく行動に移せ」とは……。
ジークムントは言うに及ばないが、この男もまた若さゆえの未熟であった。
「お待ち下さいっ、決してその様なつもりは……」
「黙れっ! 誰かっ! この不快な男を連れて行けっ!」
側に控えていたジークムントの乳兄弟、その男にとっては実の妹の手によって強引に退室させられる。
最後まで言い訳を喚いていた男を見送ったジークムントは、その姿が部屋から消えると共に大きな溜息を吐いた。そして、ドカッっと椅子へ座り考え込む。
不愉快ではあるが、あのように考えているのはあの男だけではない。いやそれどころか、自分を皇太子と本当に認めている者がどれだけ居るというのか。皆、帝国法に従って自分を皇太子と呼んでいるだけだ。法律が無ければ、誰がこんな無力な子供を次期皇帝などと呼ぶものか。
全くもって腹立たしいものだ。だが、それでもなお自分に皇太子としての振る舞いが求められるのが、また腹立たしい。
(それならば、いっそのこと――)
その1ヶ月後、少数の護衛を連れて戦地であるボーグナインへと向かうジークムントの姿があった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「貴様っ! 何者かっ⁉ 余をクライテリオン帝国第11皇子にして皇太子ジークムント・E・L=クライテリオンと知っての狼藉かっ⁉」
本陣に向けての移動中、深夜に突然現れた狼藉者。間違いなく刺客であり、命の危機である。しかしジークムントは気丈に振る舞う。たとえここで死しても、皇族として、皇太子として恥じぬように。
それが功を奏したのか、刺客は動きを止めた。そうしている内に騒ぎを聞きつけたのか、テントの入り口が開かれる。
「おぉっ! 警備の者かっ、曲者であるっ! ひっ捕らえよっ‼」
この時現れたのが警備兵ではなく、人形兵器であったことをジークムントは気付いてはいなかった。人形兵器の銃口が、刺客もろともジークムントをも狙っていた事にも。
だから理解する事は無かった。刺客が羽交い絞めにしてきた行為が、自分を庇う為に抱き寄せる行為だったという事を。
刺客に拘束された直後、激しい負荷が全身を襲った。しかしそれも一瞬のことで、身体に異常はない。
「貴様っ! 何をするっ⁉」
「暴れんなっ! 落ちたらタダじゃ済まねぇぞっ⁉」
そう言われて下を見れば、地面は遥か彼方となっていた。刺客に抱えられ、上空へと昇ったジークムント。
戦場へと足を踏み入れる以上、命の危険は覚悟していた。たとえ自分が死のうとも、多数の兄や叔父、従兄弟の誰かが次代の皇帝を継ぐだけだ。ただ生まれだけで皇太子となった自分がいなくても帝国の威光には揺るぎはない。と、そう考えていた。
だのにどうだ。数十m上空で自分の身体を支えているのは、命を奪いに来たはずの刺客の両腕だけ。彼がその腕から力を抜くだけで、ジークムントの身体は地に落ちる。きっとその衝撃は、骨を砕き、肉を裂き、内臓をぶちまける事になるだろう。それを想像しただけで、ジークムントの身体は震え、力が抜け、声も出ない。
「…………」
「よーし、落ち着いたか? そのまま大人しくしてろよ」
情けない。情けない、情けない情けない情けない。
自分の覚悟とは、こんなにも安っぽいものだったのか。我が身可愛さに敵の言いなりになるような男が皇太子だなどと、一体誰が認めるというのか。それが判っているのに声を出す事すら出来ない。
ジークムントは己のプライドをズタズタにされながら、為す術なく刺客に拉致された。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
(さて、コイツをどうしたモンかな……。痛っ……)
自陣に向かって移動をしながらサイラスはジークムントの処遇に頭を悩ませつつも、痛みに顔を顰める。
ジークムントを確保した際に入ってきた人形兵器。それが放った銃弾が右脚を貫いていたのだ。
(あの人形め……。コイツを巻き添えにする事も構わず撃ちやがった。不自然な状況といい、こりゃあ、お家騒動にでも巻き込まれたかな……?)
ジークムントは皇太子を自称していた。テントに描かれた帝国皇族専用の紋章が、その説得力を増す。この幼い皇太子を亡き者にしようと画策されたのだとすれば、この不自然な状況にも納得がゆく。
しかし、サイラスにそのような計画に加担してやるつもりは無いし、何より子供を手に掛けるつもりもサラサラ無い。
かといって解放したとしても、自陣に帰ったジークムントが無事に済む保証はどこにもない。むしろ亡き者にして、それをサイラスの仕業に仕立て上げられるのではないだろうか。
既に任務よりも、ジークムントの安全を優先して行動する事を方針としていたサイラスは、最も信頼できる親友・レクターに相談するより手が浮かばなかった。
「……ってーワケだ。何か妙案はあるか?」
「まったく……。私に何を期待しているんだい? ただの下級貴族だよ?」
「それを言うならオレは、タダの兵士だぜ? お前にゃ悪いと思うがよ、流石にオレの手に余らぁ」
半日後、王国軍の陣地で事の顛末を聞いたレクターは呆れるしかなかった。
時刻は昼を過ぎ、夕方前。ジークムントは見張りを立ててベッドで休ませている。もちろん、見張りにジークムントの素性は話していない。
本来であれば1、2時間で帰還できる距離であったが、脚に負傷を負ったサイラスはジークムントを連れているという事もあり、帰還に時間がかかった。
「お前ぇだって不憫に思うだろ? あんな歳で戦場に出て、おまけに敵味方から命を狙われるなんてよ」
「それでその負傷かい? まったく、あれほど危険だと言ったろう? 大体、自分を犠牲にして大局を見据えようなんて、らしくない真似をするからだよ」
「カミさんの影響かもな。……まぁ、ちゃんと帰ってきたんだから許してくれよ。んで、お前の考えは?」
機動力を武器とするサイラスが脚に怪我を負っておきながら、何が「ちゃんと」なものか。まだまだ言い足りないレクターだったが、過ぎた事をいつまでもグチグチ言ってもしょうがない。
それに不本意だがサイラスの言う通り、ジークムントの置かれた状況は不憫と言う他ない。レクターだって何とかしてやりたいとは思う。
「まず、その場で解放せずに連れ帰った君の判断は正しいだろうね。お家騒動だという君の読みも、大きく外していないと思う。しかし皇太子殿下の身の安全を優先した場合、私たちに取れる手段は1つしかないね」
「1つだけ……、か?」
「ダメだよ。どうせ君は殿下を匿えないか、なんて考えてるんだろう? 王国貴族としても、君の友人としても賛成は出来ない。それこそ危険すぎるし、大体それが殿下の意に沿うとは限らない」
レクターは努めて冷静に状況を分析して結論を出す。その結論を察したサイラスが疑問を投じるが、レクターはそれを先んじて否定した。
サイラスはジークムントを、名前も立場も捨てさせてただの子供として匿えないか、などとと考えていたのだ。確かにレクターの目から見てもジークムントの環境は哀れだが、これは賛成できない。
第1に難しすぎる。実行に移した場合、帝国は元より王国の目からも逃れなければならない。
第2に危険すぎる。王国法に照らせば、国家反逆罪に問われる可能性が十分にある案件だ。露見すればタダでは済まない。
第3に何の解決にもならない。確かな伝手もなく身を隠しても、遠からず露見する。そうなれば元の木阿弥だ。
最後にこれが、サイラスのエゴに過ぎない事だ。そこにジークムントの意思がない以上、エゴと言う他ない。
「仮に殿下がそれを求めても、やっぱり賛成はできない。取れる手段は1つだけ。表沙汰にして、王国で捕虜として丁重に扱う事だけだ」
そして3日が経った。
未だジークムントはサイラスの監視の下で監禁生活を送っている。ブレストの指示で暗殺計画が画策された為、彼に直接報告するのは危険だと判断した為だ。
現在はレクターが、秘書官のフレデリックを伝手に、ブレストとは別ルートから王国上層部への根回しを行っている最中だ。
「ホレっ、腰が入ってねぇぞ!」
「くっ! おのれ……」
「ジークくん、頑張るっスよーっ」
訂正する。監禁はされていなかった。
シュアープ軍の駐屯地へ移動をして、サイラスを相手に木剣を振るうジークムントの姿がそこにはあった。なぜかブローノの声援付きで。
「ぐはっ……。はぁ、はぁ……」
「休憩にしようぜ。そんなムチャしても急に強くはならねぇぜ」
「ほいっ、ジークくん。水っスよ」
サイラスに打倒され天を仰ぐジークムントを、愛称で呼びながら水を差し出すブローノの姿は、傍からは兄貴分にも見える。ジークムントは不満気ながらも水を受け取り、喉を潤す。
「貴様、何を考えている? 何故、剣の稽古などしようと言い出した?」
突然有無を言わさず、外に連れ出されて木剣を持たされたジークムントが当然の疑問を口にする。休憩が訪れるまで口を挟めない程、問答無用だったのだ。
「んあ? ずっと部屋に籠ってちゃ、気が滅入んだろ? 気分転換だよ。お前さんのな」
サイラスの答えはあっさりとしたものだった。ジークムントからすれば敵兵ではあるサイラスだが、聡いジークムントは自分に気を遣っているという事実を察していた。その為か、皇太子を相手にするには無礼な物言いも不思議と気にならない。
「ジークくんは運がいいっスよ。隊長は『疾風』って呼ばれるくらいスゲェんっスから」
「『疾風』、か。なるほど……」
何度も注意をしているのだが懲りもせず、ブローノはサイラスの二つ名を自慢げに宣伝する。もちろんサイラスはブローノを睨みつけるが、効果は期待できなさそうだ。
サイラスの二つ名を聞いたジークムントだが、こちらは得心がいったかのように1人頷く。僅かとはいえ、サイラスの魔法を見て体感したのだ。確かに空をも飛び回る姿を『疾風』と比喩するのも納得できる。同じ事が出来る者が果たして帝国軍内にいるかどうか……。その身の熟しから、武力においても達人と呼べる域にいるのは間違いないだろう。
「休憩はもうよい。もう一手、指南願おうか」
「お、意外と根性あんのな。モヤシっ子かと思ってたぜ」
「ぬかせ。必ず貴様に吠え面を掻かせてやるぞ」
「ジークくんっ、ファイトっス!」
このような武人から指南を得る機会はそうそう無い。そう考えたジークムントは稽古の再開を促した。
そう、他意はない。妬みや懐疑、羨望もへりくだりも無いこの状況を心地良いと思っている自分がいるが、その事とは関係が無いのだ。ただ次期皇帝として武の1つも修めるのに都合が良いと、ただそれだけだ。
誰にでもなく自分にそう言い訳をしながら木剣を振るうジークムントの表情は、僅かにだが笑っていた。




