第17話 「風が疾る」
ガタンゴトンと荷台を揺らしながら3人の家族を乗せた馬車が走る。既に日は落ちかけているが、その速度は遅々としたもので決して急ぎはしない。荷台に乗っている身重の母の負担にならないように、だ。もう既に目的地のラドン村が視界に収まっていたのも急がない理由だ。
「母ちゃん、大丈夫? しんどくない?」
「大丈夫、父ちゃんが上手く運転してくれてるから。でも母ちゃんがしんどくならないようにローレンが手を握っててくれるかい?」
「うん、オレがついてるから大丈夫だよっ」
母は妊娠しており、もうすぐローレンの弟か妹が生まれてくる予定だ。
なぜ妊娠している母が馬車に乗って旅をしているのかだが、これは両親が相談した上での決定らしい。過去、ローレンの出産時は難産で、母子ともに命の危険にあった。しかし行商人をしている父は不在で、帰宅してから初めてその事を知り大きなショックを受けたらしい。
この事から今回の出産には必ず立ち会うと決めていたのだが、今回も仕事と出産時期が重なってしまった。その行商先には、父しか立ち寄らないような小さな村も含まれていて、父が向かわなければ多大な迷惑をかける事になる。
それでも仕事を休もうとした父だったが、そこに母が「それなら私が行商についていけばいいじゃない?」と言った訳だ。もちろん父は最初反対したが最終的に母に押し切られ、スケジュールを調整してラドン村で出産する予定にしたという訳だ。
「もうすぐ着くから、少しの辛抱だよ。……しかし村に明かりが少ないな?」
父が荷台に向けて声をかけてくるのを聞いて、ローレンは顔を覗かせて前方を見る。確かに父の言う通り、村に見える光は5、6カ所しかない。
ローレンも今回の行商でいくつかの町村を見て回ったが、その中で最も小さな村でも、夜にはもう少し明かりがあった。
「何かの理由で魔石が切れているのかも知れないね。もしそうなら、在庫の魔石がたくさん売れるぞ?」
魔石というのはその名の通り、少量ではあるが魔力を溜める性質を持った石である。主な産出地はドワーフ族の王国のあるアルカジー山脈であり、手を放しても魔法を持続させる必要のある魔法灯や保冷庫などに使われる。
確かに魔石が無くなったのならば村の灯りも無くなるだろう。しかし、そんな父の呑気な予想は大きく外れる事になるのだった。
「ガキと女……、妊婦か。痛い目を見たくなきゃ、さっさと馬車から降りろっ!」
「お……、お助けください。……どうか、……どうか」
村に着いた途端、急に飛び出してきた身体の大きな男に馬車を止められ、瞬く間に数人の男たちに取り囲まれる。全員が武器を持っており、父は為す術なく御者席から引きずり降ろされていた。幸いというべきか、負傷はしていないようだ。……今はまだ、だが。
「おい、こいつぁ当たりだっ! 布と食い物、日用品に魔石だっ! コイツら行商人だぜっ!」
馬車の中に入った男がそう叫ぶ。当然その声は馬車の外まで響き、それを聞いた男たちの1人が父に近付き、手に持った剣を突き付けて脅しをかけた。
「なら、金もたんまり持ってるよなぁ?」
「お、お許しくださいっ! その馬車は私の全財産です! それを取られてしまっては生活が出来ませんっ!」
父の言葉は半分嘘だった。故郷に帰れば家と僅かな資産はある。しかしもう半分は本当だ。もしここで馬車を失えば3人、いや4人の家族は路頭に迷うだろう。これは父の商人としての命がけの交渉だった。
しかし男たち……、否、無法者どもには交渉など通じはしない。
「なら、生活の心配がなくなるようにしてやろうかぁ? そこの女がいなくなりゃ、ちったぁ身軽になるんじゃあねぇか?」
そういって大男は剣の切っ先を母に向ける。
「お、お待ち……」
「母ちゃんに手を出すなっ‼ 母ちゃんに何かしてみろっ‼ タダじゃおかないぞっ‼」
父が大男に縋ろうとした時、ローレンが両手を広げて母を庇い、啖呵を切った。
大男の興味はローレンに引かれたようで、父も母も無視をして子供のローレンに語り掛ける。
「ボウズ、どうタダじゃおかないのかオレ様に教えてくれねぇか?」
「……っ‼ ぶ、ぶっとばしてやるぞっ‼」
「ぷっ、くくくっ……。ぶっとばす? お前が? オレ様を? ……ぶぁーっはっはっはーーっ‼」
ローレンの虚勢に大男が笑い出す。それにつられてか、他の者たちも大声で笑う。いや、笑っているのではない。嗤っているのだ。明らかに力も、数も、武器も、全てが自分たちより劣っている者をからかって嗤っているのだ。
そして大男はその醜悪な快楽を得る為に、更なる蛮行に及ぼうとする。
「なら、ぜひ見せて欲しいなぁ。お前さんがオレ様をぶっとばす所を。……確か、お前さんの母ちゃんに手を出したらぶっとばしてくれるんだよなぁ?」
その大男は自身の圧倒的優位から、少年であるローレンを弄んでいた。ただの子供が自分になんの痛痒も与える事が出来ない事を分かって言っているのだ。
大男が一歩、また一歩と足を進めるたびにローレンの、父の、母の絶望の瞳が深くなる。大男はその表情を心底楽しそう、いや愉しそうに嗤っていた。
「や、やめろっ‼ それ以上近づくなっ‼」
もはや父も母も声すら出せなくなってしまっていた。かろうじて声を上げる事が出来るのはローレンだけ。しかしその虚勢も大男には通じない。いや、10にも満たない歳の子供の虚勢が通用する大人など存在しない。それでもローレンは母を守ろうと声を荒げた。
しかし無情にも、いや当然に、大男の歩みが止まる事は無い。やがてローレンの一歩先まで来た時、とうとうローレンも身体の自由を失った。もはや声を上げる事も出来ず、息の音だけがヒューヒュー鳴っている。手足は動かず感覚もない。立っているかどうかさえあやふやだ。意思に反して歯がガチガチと鳴り、視界が揺れる。そして眼は瞬きをする事も忘れ、眼前の大男だけを見つめていた。
「クヒッ。ハーゲンのダンナ、このボウズ震えてますぜ?」
「お前、いい顔するなぁ。軽くイッちまいそうになっちまったぜ。お前の顔おぶぉぉっっ……っ⁉」
会話の途中でハーゲンと呼ばれた男が突然奇声を上げて、ローレンの視界から消えた。
ローレンは何が起きているのか理解が出来ず動けない。いやローレンだけでなく、父も母も、無法者たちでさえも同じだった。周囲は暗く、僅かな明かりしかない。迂闊に動く事も出来ず、軽いパニックから声を出す事すら忘れていた。……この場の、たった1人を除いて。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
(4、6……、9人か。これで全員とは思えねぇし、なるべく騒ぎにならねぇようにしてぇが、難しいかな……)
そんな風に彼我の戦力分析をしていたのは、飛んできた勢いのままハーゲンを蹴り飛ばし、そのまま物陰に隠れ潜んだサイラスだった。
サイラスは気配を殺しながら状況を観察する。
機動力と暗殺能力に長けるサイラスに暗闇は味方をしてくれる。とはいえ、こうして物陰に隠れて1人1人暗殺していたのでは全員を倒すのに時間を要する。ハーゲンという男を含めても、たった10人で村を占領したとは思えない。恐らくは明かりの点いている家屋の中に仲間がいる事だろう。せめて仲間を呼ばれる前に、この行商人たちだけでも逃がさなければ、こうして飛び出した意味がない。
(しゃあねぇ、兵は拙速を尊ぶってなっ!)
意を決したサイラスは、衣服のベルトに大量に掛けられたナイフを2本取り出し、それぞれを手近な男2人の急所目掛けて投げた。そして自身は更にナイフを取り出し、靴に仕込まれた風の魔法で別の男の背後に高速で移動する。
「かっ⁉」
「ぐっうっ……⁉」
「何だっ⁉ どうしたっ⁉」
「げっ……はっ……」
先に投げたナイフは狙い通りに命中し、2人の男がその場に膝をつく。その直後に更に別の男が、背後に現れたサイラスに首を掻き切られる。
そのまま手に持ったナイフを投げ、自身は次のナイフを取り出して高速移動を繰り返す。
「ぅぐっ……⁉」
「……っ⁉ くっ……‼」
”ギィィンッ!”
4人目の男に投げたナイフも正確に急所に直撃した。が、5人目の男には反応され、ナイフを短剣で受けられる。
サイラスは「チッ!」と舌打ちをして、空いた左手で新たなナイフを取り出す。右手のナイフで相手の短剣を受け止めたまま、左手のナイフで男の胴体を突き刺した。「ぐはっ……」と呼吸を漏らして力なく倒れる5人目の男。
それを確認した直後、サイラスの背後から気配がした。俗な言い方をするなら殺気というやつだ。それを感じるや否や、サイラスは再び風の魔法で高速移動を行い離脱する。サイラスが飛び退いた直後、”バァンッ‼”と、空気が破裂したかのような乾いた音が鳴り響いた。
「ふぅ……、危ねぇ。今のは鉄砲か?」
サイラスは破裂音から、敵の持つ武器を推察した。
主に帝国で使われる、鉄製の筒の中に弾を込め、風の魔法陣で弾を撃ち出す武器。それが『鉄砲』だ。
僅かな魔力で大きな殺傷力を持つという触れ込みだが、実際には命中精度が低く、射程も弓には及ばない。更に暴発して使用者が負傷した例まであるとなると、帝国以外で普及しないのも無理からぬ話だ。
サイラスの推測は当たっていた。サイラスの背後から攻撃を仕掛けた男。それは最初に蹴り飛ばしたハーゲンだった。
ハーゲンはサイラスに蹴られた個所を左手でさすりながら、右手で鉄砲を構えて銃口をサイラスに向けている。
「……お前さん、ずいぶん頑丈だなぁ。普通なら首の骨が折れてるトコなんだが」
「オレ様があの程度でやられるかよ。……テメェ、何モンだ? 軍の追手か?」
「追手……? ははーん、さてはオメェら帝国軍の脱走兵だな?」
ハーゲンの持つ『鉄砲』と「軍の追手」というヒントから、サイラスは彼らの正体を突き止めた。ハーゲンも特に否定する事は無く、隠すつもりも無さそうだ。
「だったら何だ? 恩赦とか言って、オレ様たちを厄介払いしようとした軍なんかの言いなりになるワケねぇだろ」
「恩赦? っつーことは犯罪者か。んで、軍を脱走して立ち寄った村を占領した、と……」
「おうよ。イェール盗賊団の団長、ハーゲンとはオレ様のことよ。そういうテメェは何モンだよ? 追手じゃねぇなら、冒険者か?」
「ま、そういうこったな」
なお、サイラスはあっさりと嘘を吐く。軍隊崩れの犯罪者相手に本当の事を言う必要もメリットも感じない。
ひとまずこの場での情報収集も十分だろう。更に帝国軍の情報を得る為に、1人は生かして捕えるとして、仲間を呼ばれる前にさっさと片づけてしまおう。
そう考えたサイラスだったが、あることに気づく。目の前に立っている無法者たちがハーゲンを含めて4人しかいない。サイラスが撃たれた隙に1人いなくなったのだ。
その事に気づいた直後、”キュルキュル”といった甲高い音が聞こえてくる。
「クハハ……。まんまと時間稼ぎに乗せられたなぁ? もうテメェに勝ち目はねぇぞ」
「……何だ、ありゃ?」
いなくなった無法者の1人が引き連れてきたのは、鉄で出来た人形のような物だった。いや、人形という表現が正しいのかは分からない。
頭は半球状で大きな眼のような物が1つ、胴体は円柱でまるで樽のようだ。腕の代わりに鉄砲らしき物がついていて、足は無くて代わりに複数の車輪にベルトを巻き付けたような物で地面を走っている。
そのような高さ1m強の不可思議な物体が5体、ハーゲンの前で停止した。
「帝国の新兵器よ。コイツらにゃ、テメェのチンケなナイフなんざ刺さりゃしねぇ。降参するなら今の内だぜ?」
「おいおい、いい年してお人形遊びかぁ? ったく、人様をテメェの趣味に付き合わせるのぁ良くねぇぜ?」
「けっ、せいぜい吠え面を掻くがいいぜ。……目標はあのオッサンだ。撃てっ!」
ハーゲンがそう言うや、5体の人形兵器が一斉にサイラスへ向けて発砲する。すかさず横っ飛びに避けたサイラスが右端の人形兵器に切りかかった。
”ガギィィィンッ!”
「おっ、確かに堅ぇな。……おっと!」
サイラスの振るったナイフは人形兵器の装甲の表面に傷をつけただけで弾かれる。それに感心するも、他の4体から放たれた銃弾がサイラスを襲う。サイラスが切りつけた1体が巻き添えになっているが、損壊には至っていないようだ。
「仲間ごと撃つたぁ、あんま頭の方は良くなさそうだな」
「言っただろうがっ! テメェのナイフなんざ効かねぇってなっ!」
「……ハーゲンのダンナ。アイツ、何かまだ余裕そうでやんすし、念のため退却した方が……」
「ハっ! よく見てみろっ! 攻撃は効かねぇし、逃げ回る事しか出来やしねぇっ! じきに動けなくなって蜂の巣ってヤツだっ!」
ナイフが効かず銃撃に対して防戦一方のサイラスに、ハーゲンは勝利を確信していた。その為、退却を提案した部下の忠告に耳を貸そうとはしない。
一方でサイラスは戦いながら人形兵器の性能を分析していた。
(ナイフや銃弾は装甲に弾かれるし、こりゃ槍や弓も効かねぇな。普通の武器で効果がありそうなのはハンマーとかか? 銃撃の方は、やっぱ命中精度は高くねぇが連射の間隔が短ぇ。こりゃ、戦場で大量に並べられたら厄介かもな)
サイラスは更に冷静に分析を進める。直進の走行能力は高いが、旋回能力は人間に劣る。連射性能は1体の人形から次弾が発射されるまで約5秒。ターゲットの捕捉は大きな単眼で行っているようで、発砲の前に必ず眼のようなレンズがこちらを向く。音の認識もしているようで、視界外に逃れても風の魔法で破裂音を出せば単眼がこちらを向く。
様子見で得る事の出来る人形兵器の性能は大体理解した。次は有効な攻撃方法を探るべく、サイラスは再度攻撃を仕掛ける為に、人形兵器に飛び掛かった。
「何度やっても無駄――」
そう言ったハーゲンが見たものは、サイラスのナイフによって鉄砲で出来た腕を根元から切り落とされた人形兵器の姿だった。
「なるほど、関節は装甲ほどは固くはねぇっと。んじゃ、お次はっ!」
成果を確認するように……いや、確認したサイラスは2体目の人形兵器にナイフを投擲する。目標は履帯、脚部のベルトだ。ナイフが命中したベルトが外れ、剥き出しの車輪が地面を空転する。しかし、明らかに機動力は落ちてはいるが行動を停止するには至らず、未だにサイラスに向けて発砲を続けている。
「一応効果はあるが、成果は今1つってトコか。じゃ、コイツはどうかなっと!」
そう言うや、サイラスは右手に持ったナイフに魔力を込める。ナイフに刻まれた魔法陣が淡く光を放ち”ブゥゥゥゥン”と振動音が鳴る。
サイラスは降り注ぐ銃弾を躱しながら前進し、ベルトを損傷した人形兵器の頭部にナイフを振り下ろした。
”ギッイイィィィィン‼”
激しい音と共に、ナイフと人形兵器の接触面から火花が飛び散った。ナイフは装甲に弾かれる事なく、ゆっくりと1秒ほどの時間を掛けて内部まで切り裂いてゆく。そしてナイフを振り切ったサイラスが1歩退いた時、その人形兵器は活動を停止していた。
「ふぃ~、固ってぇな。だがま、一応効果アリっと」
「て、テメェ……。バケモンか……⁉」
淡々と性能分析を行いながら、とうとう人形兵器を1体完全に破壊したサイラスにハーゲンは戦慄が走る。おおよそハーゲンが思い描く人間の範疇に収まらない戦闘能力だ。
「だ、ダンナっ! 逃げやしょうっ⁉」
「くっ……! 2機残って足止めしろっ! 残りの2機は付いてこいっ! おい、オメェらもズラかるぞっ‼」
「へ、へいっ‼」
戦慄を覚えたのはハーゲンの部下たちも同じだった。部下の1人が撤退を進言すると、ハーゲンは一瞬の逡巡の後に撤退を決定する。
その様子を見ていたサイラスは早々に追撃を諦めた。圧倒的な戦いを見せつけたサイラスだが、超人でも化け物でもないのだ。切られたり撃たれたりすれば負傷するし、それが急所に届けば死にもする。たった1人で追撃をするのはリスクが高すぎた。
(ま、しゃーねぇか。せっかく2機も残してくれたんだし、ゆっくり検証すっか)
そう思いながら2体の人形兵器に向かうサイラスの背中を、行商人の息子・ローレンは馬車の陰からずっと見つめていた。




