第14話 「父の教育」
「久しぶりだねっ、家族そろって夕食なんてっ」
「そうだね……」
「にーさま、元気がありませんが、たいちょうが悪いのですか?」
「いや、大丈夫だよ。ありがとう、ミーア」
未だ冬の寒さが残る初春。バーネット家では一家揃っての晩餐が行われていた。
ここ1年弱の間、父・レクターと兄・ヘンリーは仕事が忙しく、全員揃っての食事など本当に久しぶりだ。
だというのにヘンリーは元気が無く、食事もあまり進んでいない。
「そういえば、エルヴィス先生の授業はどうだい?」
「あっ、聞いてよ父さんっ! ボク、やっと先生の課題をクリアできたんだよっ!」
「へぇ、例のオモチャだね? ミーアはどうだい?」
「わ、わたしはもう少し……」
レクターは気がかりの1つでもある、アレクの魔法の習得具合を確認する。魔法の制御が上手く出来なければ、アレクの『根源魔法』がいつ暴走するか分からないからだ。
しかし、聞いた所では一定の成果は上がっているようで一安心と言ったところか。
その後も食事をしながら、バーネット一家は団欒の時を過ごす。話の中心は主にアレクとミーアの姉妹だ。
アレクの学校での話、友人たちの話、エルヴィスの授業の話、放課後の話……。ミーアの話題はもっぱらアレクとユーキ、たまにクララだ。誘拐事件の一件からユーキにかなり懐いており、父親としては少し複雑な心境だ。
「ごちそーさまっ」
「アレク、そのまま座って聞きなさい。父さんから話がある」
「?」
食事を終え、自分の食器を片付けようと立ち上がったアレクをレクターが呼び止めた。アレクの食器は母のエリザベスが代わりに片付け、そうしている間にミーアも食べ終わり、全員の食事が終わる。残りの食器もエリザベスが素早く片付け、テーブルを囲む家族に不穏な空気が流れる。
「父さん、どーしたの? 話ってなに?」
「アレク、ミーアもよく聞きなさい。王都から父さんに出兵命令が出た」
「しゅっぺいめいれい? とーさまはせんそうに行くんですか?」
「戦争っ⁉ 父さんが戦うのっ⁉ いつっ⁉ どこでっ⁉ 帝国とっ⁉」
「アレク、落ち着いて」
出兵命令の事を告げ、ミーアが戦争という言葉を発した途端、アレクが興奮して次々と質問を投げかける。ヘンリーが宥めるが、アレクの興奮は収まらない。
「やっぱり帝国ってワルい国なのっ⁉ だから父さんがやっつけに行くんだ……」
「アレク」
「いーなぁ、ボクも大人だったら一緒に戦いに行くのに……。兄さんも戦いに行くの?」
「アレクっっ‼」
周りの空気などお構いなしにはしゃぐアレクにレクターが怒鳴りつけた。驚きに目を見開いたアレクをレクターが見つめる。
アレクが冒険譚や英雄譚を好んで読み、憧れていた事は知っていた。確かにそれらは戦争を舞台にした物語も多い。しかし、身内が戦争に行くと聞いて目を輝かせるような子に育ってしまっていたとは……。
「アレク、よく聞きなさい。悪い国なんていうのは存在しない。ただ、国と国が争って、人が沢山死んで、不幸になる。それが戦争だ」
「……じゃあ、なんで帝国は戦争するの? ワルい国だからじゃないの?」
「違う。帝国は悪い国なんかじゃない。もちろん王国も悪い国じゃない」
アレクのこの考えだけは正さなくてはならない。
そう意を決して、レクターは慎重に言葉を選ぶ。……事と次第によっては、これが娘にできる最後の教育になるかも知れないのだから。
此度の戦争に善悪はない。帝国は元々の自国領を取り戻そうとした。王国は大金をかけて支援した領土を手放せない。領土や金銭だけの問題でも無い。ただ戦争を避けようと相手の言い分を呑めば、相手国や諸国との外交で今後不利に立たされる。これら以外にも地方の下級貴族であるレクターでは知る事が出来ない、様々な理由があったのだろう。
しかし、そのような事をそのままアレクに言っても理解出来ないだろう。ならば、アレクに分かるように言うしかない。
「アレクは、ユーキ君とケンカをした事があるね?」
「……? ……うん」
「なら、ユーキ君は悪い子かな?」
「ううん、ユーキはいい子だよ」
「なら、アレクが悪い子?」
「……ちがう、と思う」
レクターは、アレクとユーキを王国と帝国に見立てて話す事にした。2年ほど前の魔物騒ぎの時にアレクとユーキがケンカをした時の事だ。
ケンカの詳しい経緯や心情まで聞いた訳では無いが、その後のアレクを見れば2人の関係が良好な事は明らかだ。
「戦争も同じだよ。どちらが悪い訳じゃなくても争いは起きるし、すれ違いや勘違いで起きる事もある」
「じゃあ、ボクたちみたいに王国と帝国も仲直りするの?」
「そうだね、そうなるといいね。ただ、そうなるまでの間に沢山の人が死ぬし、不幸になる。……もしかすると、仲直り出来ずに国が滅ぶかも知れない。……それが戦争だよ」
「じゃあ……、なんで父さんは、戦争に行くの?」
アレクの声が少し震える。今までアレクにとって戦争とは、物語の中の出来事だった。学校の授業で学んだ昔の戦争や、比較的最近の『魔人戦争』や『10年戦争』も同様だ。
しかし今、初めて物語ではなく、ただの過去の歴史とも違う、実際に戦争を体験した人間からの戦争観を教えられていた。
「ただ命令が出たから、ではないね。父さんはこのエストレーラ王国を、シュアーブの町を、そして君たち家族を守りたいから戦争に行くんだよ」
「まもり、たいから……」
「でもね、忘れてはいけないよ。帝国の軍人さんたちも同じように考えているんだ。クライテリオン帝国を、故郷を、家族を守りたいから、彼らも戦場に立つんだ。」
「ていこくも、おなじ……」
「……そして父さんは、その人たちと……殺し合いをするんだ」
「ころ、し…………」
レクターは復唱するアレクを待ちながら、ゆっくりと時間を掛けて諭し続ける。王国も帝国も同じなのだと。そして敢えて「戦い」や「戦争」では無く、「殺し合い」という言葉を使う。アレクに、少しでも戦争の凄惨さが伝わるように……。
「……なんで?」
「…………」
「……なんで、おなじなの?」
「ねーさま?」
アレクは誰へともなく問いかける。問いかけの意味を測りかねたミーアが疑問を口にするが、両親と兄の3人はただ静かにアレクを見守るだけだ。
次第にアレクの顔は紅潮し、瞳が潤み始め、息が浅くなる。整わない呼吸で鼻を啜りながらアレクは叫んだ。
「なんでっ‼ 父さ、んと帝国の人が同っじ、なんだよっ⁉ だったら、父さんと父、さんが殺し合、って……ことじゃないかぁ~~っっ‼ ……ぅっ……ヒクッ……。やだぁ~~~っっ‼ そんなのやだぁ~~~っっ‼」
「ね、ねーさま……、とーさま……」
アレクは叫びを上げながらレクターにしがみつく。
姉の言葉の意味を理解したミーアも目を潤ませて不安げに父を見る。レクターは姿勢を直し、ミーアを手招きして2人の娘を抱きしめた。激しく泣き叫ぶ姉と、静かに泣く妹。愛しい娘たちを両腕に抱きながらレクターは言う。
「大丈夫。父さんは死なないよ。こんなに可愛い子たちを遺して死ぬものか」
口から出た言葉は娘たちに言い聞かせる為のものでは無く、自分に対する決意だった。
幼い娘たちを遺してなど死ねない。息子にもまだまだ教えなければいけない事が山程ある。愛する妻を未亡人にする訳にもいかない。必ず幸せにすると、周囲の反対を押し切って結婚したのだ。
「父さんは必ずここに帰ってくる。だから大丈夫。大丈夫だよ……」
泣き続ける姉妹をあやすように、レクターはひたすらそう言い続けた……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「エメロン、しばらく留守にする。今度は少し長くなる」
珍しく親子揃っての夕食の時に、父・ブライアンがそう言った。
父と共に食事をする事など年に数回しかないエメロンは、やや緊張しながら尋ねる。
「……仕事?」
「それ以外、何がある?」
息子に対するブライアンの態度は冷たいものだ。温かみを感じられない、と言ってもいい。だからエメロンは父親を恐れていた。この静かに冷たい父が、母を追い出した時の激昂……。それがいつ自分に向けられるのかと思うと、気が気ではなかった。
しかし、いやだからこそ同時に憧れてもいた。アレクの家のような優しく穏やかな家庭に。ユーキのような無遠慮に罵り合う事の出来る親子の関係に。
だから、意を決してエメロンは父に問いかけた。
「もしかして、戦争に……、関係ある?」
普段なら父の仕事の内容に口出しなどしない。でもエメロンは知りたかった。父の仕事の事を。心配だったのだ。戦争の起こる中で町を出る父を。
しかしそんなエメロンの心中などお構いなしのように、ブライアンは”ギロリ”とエメロンを睨む。その形相はおおよそ、10歳そこそこの息子に向ける顔ではない。
「誰に聞いた?」
「だ、誰にも……。ただ……、心配で……」
「お前には関係無い。それと、商売において情報は武器であり財産だ。外で私の仕事を言い触らすなよ」
「はい……。ごめんなさい……」
ブライアンは自分の息子に対して「関係無い」と切り捨てた。
その言葉はエメロンの胸に重く、冷たく突き刺さった。




