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第50話 「人の心は雲翻雨覆」


「ふ~ん。それじゃ、お父さんは貴族じゃなくなっちゃったんだ?」


 厩舎(きゅうしゃ)の掃除をしながらアレクは、隣で家畜の寝藁を懸命に運ぶジュリアを見ながらそう言った。


 ジュリアの側に護衛のレオナルドは当然いない。

 パーティーの騒動に乗じて貴族を襲い、あまつさえランドルフ前侯爵を殺害した容疑で指名手配されているのだから当然だが。


「えぇ、その通りですわ。ワタクシも、これで平民の身分となりますわね」


 ボーグナイン伯爵はレオナルドの一件に加え、家宅捜索の際にいくつかの脱税の証拠が見つかってしまい、結果として伯爵位を剥奪される事となってしまった。

 そうなれば当然、娘のジュリアも貴族ではなくなってしまう。


 しかし、ジュリアの口調はどこか安堵したかのように聞こえた。


「ジュリア、あんまり落ち込んでないよね? 大変なんじゃないの?」


「一応、お父様が事件には関与していないと認められましたから。そうでなければワタクシも今ごろ獄中ですわ」


 最悪の場合、一家揃って処刑される可能性もあった。その事を考えれば爵位を失ったとしても命があるだけ上出来だろう。

 それに貴族位も資産の多くも失ってしまったが、この牧場の経営権はなんとか手放さずに済んだ。路頭に迷うような事はないだろう。


 しかし当然というべきか、今までと同じとはいかない。


「それで牧場の仕事を手伝おうって思ったんだ?」


 ジュリアの姿は、いつものような豪奢(ごうしゃ)な服装ではない。厚手の作業着を身に纏い、髪をまとめた姿はどう見ても農家の娘だ。


「ワタクシも遊んで……いられませんもっの……。……ふぅっ。結構、重労働ですのね」


 牧場の仕事は肉体を酷使する重労働だ。生き物の世話をする以上、匂いもすれば(フン)などの汚い事もある。家畜の死を目の当たりにする事も当然あるだろう。

 決して、若い娘が好んでするような仕事ではない。


 しかしジュリアはその事を理解しつつも、それでも牧場の仕事を始めようと決心していた。


「何ですの? ワタクシをじっと見て……」


「ん~ん、何でもないよっ」


「アレクはね、アンタが偉いなって感心してんのよ」


 アレクとジュリアの会話に突然混ざったのはリゼットだ。

 他の牧場夫たちから隠れながら、放牧中の動物たちに挨拶していたはずなのだが帰ってきたようだ。


 しかしリゼットの姿を見たジュリアが凍り付く。


「な、ななな……」


「リゼットっ、もういいの?」


「どーせ、まだ時間はあるんでしょ?」


「なんなんですのーーーーっっ‼」


 ジュリアの叫びにもアレクはどこ吹く風だ。

 そしてたった今気づいたかのように、呑気なセリフを口にした。


「あれっ? そういえばジュリアはリゼットのコト、知らないんだっけ?」


 その後、ジュリアからリゼットの件について激しく問い詰められたのは言うまでもない。

 そして数時間後……。


「ちょっとリゼットっ! オヤツの前には手を洗いなさいませっ!」


「アタシ、病気とかならないんだけど」


「そういう問題じゃありませんわっ。食事の前には手を洗うっ! これはマナーの問題ですわっ」


 午後の休憩のオヤツの時間、すでに2人は打ち解けていた。たった数時間の間にすっかり仲良くなったものである。


「それで、アレクたちは3日後には王都を()つんですわよね?」


「ほひ? ふぉーらふぇろ?」


 オヤツのまんじゅうを頬張ったまま、アレクが頷く。

 ジュリアはそれを見て呆れながら、アレクが飲み込むのを待ってから続きを話した。


「どちらまで行かれますの?」


「ラフィネの聖都だよっ! そこに何とかって祭壇があるんだってっ」


「ホントは後回しでもいいんだけどね~。アレクが見に行きたいって聞かないのよ」


「どーせ、エメロンを帝都で待つ事になるんだからいいじゃんっ」


 ジュリアが聞いても旅の目的はハッキリとは言わなかったが、どうやらアレクたちはラフィネ聖王国やクライテリオン帝国まで回るつもりらしい。

 例え寄り道せずに移動したとしても1年はかかる長旅だ。


「いつごろ、帰ってきますの?」


「え、ん~……。いつごろだろ?」


 少なくとも年単位で再会はできない。しかし、これが最後の別れになどしたくはない。

 そう考えたジュリアは、アレクと再会の約束をする事を思いついた。


 しかしただの口約束では心許ない。

 だから……。


「アレクの旅に、馬は必要ありません……?」


「ウマ?」


「か、勘違いなさらないでっ。差し上げるわけではなくってよっ。ちゃんと返して下さいましねっ」


 アレクの返事もロクに聞かずに矢継ぎ早に話すジュリアを見て、リゼットはニヤけながら呟いた。


「あ、やっぱこの子もツンデレだわ」




◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「…………」


 病室でエメロンと2人きりになったユーキは、すぐに言葉を発する事ができないでいた。

 静かな時間が、2人の間を流れる。


「……ユーキ?」


「あ、あぁ。悪ぃ……」


 エメロンの問いかけにユーキの歯切れは悪い。

 「今後について話し合う」と言って残ったのだが、ユーキには話を切り出す一歩が踏み出せなかった。


 先ほどまでは「幼馴染の気持ちが分かるのはお前たちだけじゃない」などと対抗心を燃やしていたのだが、いざとなると言葉に出せない。

 ユーキは、自分の臆病さを呪っていた。


 だが、いつまでも黙っているわけにもいかない。それにこれは絶対に確認しなければならない事だ。

 そう決心したユーキは、口内の唾を飲み込んでから口を開いた。


「エメロン……。目が良くなるってのは……ウソ、なんだろ……?」


 ユーキは、エメロンの左眼に突き刺さった石片を間近で目撃している。あの石は、眼球の奥まで深々と突き刺さっていた。元に戻るなんて思えない。


 右眼もそうだ。

 ユーキが見た時はすでに包帯が巻かれていたから、傷の深さは分からない。分かるのは《《エメロンが》》「大丈夫」だと言った事だけだ。

 しかしエメロンは左眼を「治る」なんて嘘を()いたのだ。右眼もそうじゃないなんて言いきれない。


 決して確証があるわけではなかった。勘違いだと思いたかった。キョトンとした顔をして「何を言ってるんだい?」なんて返して欲しかった。

 でも、そんな事はありえないとユーキは確信していた。


「やっぱり、ユーキには隠し事はできないね」


 それでも直前まで(勘違いであってくれ)と思っていたユーキの願いは、エメロンの言葉一つで無に帰した。


「やっぱり……その……」


「うん、僕の目はもう見えない。両目とも、元には戻らないってさ」


「たっ、旅はどうすんだよっ! 帝都で合流するって約束はっ⁉」


「ごめん」


 エメロンの言葉の1つ1つが、ユーキの脳を揺さぶる。

 最初から、そうじゃないかとは疑ってはいた。それを今回、覚悟を持って話を切り出したつもりだった。

 しかし、ユーキはすでに「自分だってエメロンの事なんてお見通しだ」という気持ちなんて吹き飛んでしまっていた。


「その、少し……くらいは……」


 それでも女々(めめ)しくも、ユーキは僅かな希望に(すが)りつく。

 完全には元通りにならなくても旅を続けられるくらいに……。せめて、日常生活に支障がない程度には……。


 そんな事を考えながらも、頭のどこかで否定している自分もいる。

 旅が続けられるなら、謝ったりしない。日常生活が送れる程度なら、エメロンは隠そうとしたりしない。


「もう、見えねぇのか……?」


「うん、失明だってさ。これじゃユーキたちの邪魔になるだけだし、旅なんて無理だね」


「邪魔、なんて……」


 あるわけがない。たとえ目が見えなくても、エメロンがいてくれるだけでどれだけ心強いものか。

 しかしユーキは、続きの言葉を発する事ができなかった。


 そんな慰めを言ったとして何になる? 現実問題として、目の見えない人間と旅をするのは無謀だ。周囲の人間だけでなく、本人の負担も計り知れないだろう。

 それに町の外には魔物だっている。常に護りながら戦うのなんて現実的ではない。


 どう考えても、エメロンにこれ以上の旅は不可能だ。


「それじゃ、帝都の約束はどうするんだよ?」


「盲目の1人旅じゃ、定期便も断られるだろうからね。帝国までは行けないよ」


 いくつもの町を経由すれば、自分の足で歩かなくても帝国まで行く事は可能だ。

 しかし道中でどんなトラブルがあるかも分からないのに、障害者を好んで同行させる者なんていない。


 ユーキは旅を()める事なんて出来ない。

 ならば、エメロンとはここで別れるしかないのだ。


「……アレクには何て言うんだよ?」


「今は、ちょっと言えないよね。吹っ切れたように見えるけど、ランドルフ様の件もあるし」


 確かにその通りだ。

 ランドルフが死んだ後のアレクの落ち込みようは酷いものだった。せっかく気を持ち直したというのに、エメロンの話を聞いてしまえばまた塞ぎ込みかねない。

 それはユーキにとっても本意ではない。


「だから、折を見てユーキから伝えておいてくれないかな?」


「おまっ……。それ、俺に頼む?」


 本意ではないが、なぜ自分がそんな貧乏くじを引かなければならないのか?

 ユーキはそう考え、理不尽な頼み事をしてくる親友に向けて呆れの眼差しを向けたが、すぐに諦めた。

 目の見えないエメロンが無反応だったからではない。他に適役がいなかったからだ。


 そして、いつの間にかユーキの心からは先ほどまでの深刻さは消えていた。

 「失明した」と言ったエメロン自身が、まるで何でもないかのように普段通りの振る舞いをしていたからかも知れない。


「この借りは高くつくぞ? んで、エメロンはこの後どうすんだよ? 帝国に向かわねぇなら、シュアーブに帰んのか?」


「…………いや」


 だが「これから」を問い質した途端、エメロンの口調が暗く沈んだ。

 ユーキは疑問に思うが、心当たりはない。


 帝国までなら長い旅になるし、盲目の人間が1人で行く事は難しいだろう。しかしシュアーブなら、ここから10日ほどで着く距離だ。

 そのくらいならどうとでもなる。何なら、一度エメロンを送るために引き返しても良い。


 だがエメロンの歯切れは悪い。

 シュアーブには帰らないつもりなのだろうか? 王都に滞在するつもりか?


 ユーキにはエメロンの考えが分からない。

 だが、言いたくない事を無理に聞く事はないだろう。そんな風に軽く考えたユーキは、話を少しだけ変えた。


「ま、いいや。それより旅が終わったら、またみんなで会おうぜ。エメロンの目は、俺が神様に頼んで治してもらってやるよ」


 アレクの願いは「この世から戦争をなくすこと」だ。ユーキの願いも同じだ。

 2人の願い事が同じなら願いが1つ余る。なら、それはエメロンの為に使おう。


 それはユーキにとっては、至極自然な結論だった。

 しかし、エメロンにとってはそうではない。


「ユーキ……! それは駄目だ。自分の願いは、自分の為に使うんだ」


「俺の願い事がエメロンの目なんだよ」


 ユーキの心に迷いはない。

 リングを集めて神に願いを叶えてもらうという、旅の目的は何も変わっていない。そこに「エメロンの目を治す」というのが加わるだけだ。

 なら、何も迷う事はないはずだ。


 エメロンの心は混迷が渦巻いている。

 なぜ自分なんかにそこまで? たった1度の、何でも願いが叶うという権利を使ってまで。

 自分にそんな事をする価値はない。《《罪人》》の自分なんかに……。


 そんな事を許して良いはずがない。許されるはずがない。

 自分は、《《自分たち》》は、許されない罪を犯したのだから――。


 ずっと、ユーキとアレクに伝える事のできなかった事実がある。

 それを伝えれば、一緒に旅を続ける事ができなくなってしまうから言う事ができなかった。


 しかし、こうなってしまっては伝えないわけにはいかない。

 そうでもしなければユーキの願いを撤回させる事はできない。それにどうせ、もう一緒に旅を続ける事はできないのだ。


「…………ユーキ、僕は君たちに言わなきゃ――」

「ただいま~っ、なの~っ!」


 だが、長い沈黙の末に決意を固めたエメロンが口を開いたのと同時に、病室にベルの明るい声が飛び込んだ。

 その直後に、ヴィーノが松葉杖を必死に動かしながら病室に駆け込んでくる。


「ベルっ、部屋に着く前に飛んだら目立つっス!」


「だいじょーぶだよ~。ちゃんと、まわりに人がいないのはかくにんしたの~」


「んなコト言って、見落としてたらどうすんっスか!」


 2人の登場で急に騒がしくなり、先ほどまでの重苦しい雰囲気は霧散してしまった。


「ひょっとして……まだ話、終わってなかったっスか?」


「……いや、さっき終わったところだよ」


 決意を削がれたエメロンに、ヴィーノたちの前で告白する勇気はすでになかった。

 この()に及んで自己保身に走る自分に虫唾(むしず)が走る。


 今、少しホッとしていなかったか?

 ヴィーノたちがいても伝える事はできるだろう?

 嫌われる覚悟を決めたんじゃなかったのか?

 まだ、親友たちを騙し続けるつもりか?


 次々に、自分を(けな)す言葉が浮かぶ。

 それなのに、エメロンは口を開く事ができなかった。


「それよりユーキ、出発の準備はいいんっスか?」


「いけねっ、そろそろ買い出しにいかねぇとな。アレクとカリーチェなんかに任せらんねぇし」


 大雑把なアレクと、旅慣れしていないカリーチェに準備を任せるなど無謀すぎる。ユーキも旅慣れているなどとは言えないが、2人よりはよほどマシだろう。


「今日はそのまま宿に戻っから、また明日な。ベル、行くぞ」


「は~い、なの~」


「ぁ…………」


 それだけを言って病室を去るユーキを追う手が虚しく空を切った。


 さっき、告白する事ができなかったのは迷いがあったからだ。

 本当の事を打ち明ければユーキを傷つけてしまうから。


 ……いや、そうではない。エメロンは怖かったのだ。

 真実を知ったユーキが怒り、軽蔑し、離れて行くのを。それだけは、嫌だ。


 しかしユーキは、自分の目の為に願いを使うという。

 こんな咎人(とがびと)の自分に、そんな事をしてもらう資格なんてない。絶対にさせてはならない。


「エメロン? どしたっスか?」


 だから明日こそ、何があっても本当の事を伝えよう。

 3日後にも、出発の前に見送る時間があるはずだ。アレクにも伝える必要がある。


 2人には嫌われてしまうだろうが……もう、誤魔化せない。

 そして、みんなには別れを告げよう。それが、罪人の宿命だ。


「ううん、何でもないよ」


 再び、自らの罪を告白する事を決心したエメロン。

 だがしかし、その決意が果たされる事はなかった……。


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