第40話 「遺言と約束」
お昼前に宿へと戻ったアレクは自室の扉を開けた。
しかし中には誰もおらず、ヴィーノが泊まっている筈の男子部屋にも誰もいない。
「ヴィーノとカリーチェ……出かけてるのかな……」
静かな部屋でアレクは呟く。しかし返事をするものは無く、聞こえるのは外から漏れる喧騒だけだ。当然、リゼットがどこかに隠れているという事も無い。
3人がいなければ、昨晩の顛末を説明するというアレクの役目は果たせない。
手持ち無沙汰になったアレクは、部屋の隅で座り込んで考え事に耽った。
(ボクは、自分の事ばっかりで……。人の言う事も聞かずに、お爺ちゃんを死なせちゃったんだ……)
アレクの思考は昨晩から停滞したままだった。
自己嫌悪と自罰思考……。そればかりが頭をぐるぐる回る。それは決して反省などというものではない。
自身に対する罰を欲していた。ただそれだけだった。
アレクは祖父・ランドルフを死なせたという罪を犯した。ならば罰が与えられて然るべきだ。
なのに皆、口を揃えて「アレクのせいじゃない」と言ってくる。唯一厳しい態度を見せたフレデリックも、まるで「アレクに構っている暇は無い」とでもいうような態度だ。
こんな事で許される筈がない。許されていい筈がない。
だが何をすれば許されるのか、いくら考えても答えは出なかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
やがて陽が傾くほど時間が経っても、アレクは未だに部屋の隅で蹲っていた。
暗くなっても灯りも点けず、薄暗い部屋で座り続ける。
いくら考えても答えは出ず、時間だけが無為に過ぎていった。
だがそんな、時間の感覚さえ見失いそうな時も終わりを告げる。
部屋の窓から”コンコン”とノックをするような音が聞こえたのだ。
「……リゼット?」
窓を覗いてみれば、まるでアレクを急かすように何度も窓を叩くリゼットの姿があった。
アレクはゆっくりと立ち上がり、窓を開けてリゼットを部屋に招く。
「いるなら灯りくらい点けなさいよっ! 誰もいないと思って焦ったじゃないっ!」
「ゴ、ゴメン」
中へと入ったリゼットは激しい剣幕でアレクを責める。
なんだか焦っているようにも見えるが、何か起きたのだろうか? そんなアレクの疑問は、続くリゼットの言葉で解消された。
「そんな事を言ってる場合じゃないのよっ! ヴィーノとカリーチェが誘拐されたのっ!」
「へっ……?」
「昨夜にヘンな男に気絶させられて、街の外へ連れてかれたのっ!」
「な、なんで?」
「カリーチェの知り合いらしいけど……。あーっもーっ、そんなコトは後でいいでしょっ⁉」
全くの意味不明だ。
なぜカリーチェの知り合いが本人を……しかもヴィーノまで誘拐するというのか? そもそも知り合いが誘拐するというのも意味が分からない。「迎えに来た」の間違いではないのか?
リゼットの説明は要領を得ず、しかしふざけているようには見えない。
「ユーキとエメロンはっ⁉」
「2人とも、今は……」
「がーっ! 役立たずの男どもねっ! アレクっ、行くわよっ!」
「ど、どこに……」
「2人を助けに決まってるでしょっ!」
リゼットの言葉に思考が追い付かない。
そういえば2人とも帰りが遅い。どうしたのだろうか?
当たり前のように「行く」と言うが、どこへだろう?
2人? ユーキとエメロン? いや、話の流れからヴィーノとカリーチェ……?
アレクの頭は重く、上手く動いてくれない。
それでもゆっくりと考え、理解したが……。
「ダメだよ、リゼット。ユーキとエメロンが帰って来るのを待とう」
「2人とも、すぐ帰って来るのねっ?」
「ううん。でもボクが勝手に動いたら、2人とも心配しちゃうよ」
「そんな悠長なコト言ってる場合じゃ……っ」
そう言いながらリゼットは、アレクの様子の異変に気付く。
普段のアレクなら、こんな時に躊躇はしない。「誘拐された」と聞いた瞬間に、目的地も分からずに飛び出すに違いない。こんなに落ち着いた、冷静なアレクなんて見た事ない。
冷静……? 落ち着いた? 違う、そうではない。
今のアレクの声には覇気がない。目に力がない。気力を感じない。
「ア、アレク……アンタ……」
「ボクが勝手に動いちゃダメなんだよ。きっとまた、迷惑をかけるから」
「アンタ、どうしちゃったのよっ⁉」
「ユーキとエメロンを待とう。2人なら、ボクと違って間違えないから」
アレクは無意識に言葉を選んでいた。
本当に恐れているのは「迷惑をかける」事などではない。「傷つけてしまう」事だ。「死なせてしまう」事だ。
もし今度、自分のミスで誰かを……ヴィーノやカリーチェを死なせてしまったら……。そう思うと動けない。
だから誰かに……。ユーキとエメロンに判断を……決断をして欲しかったのだ。
「ちょっとアレクっ!」
「大丈夫だよ、ユーキとエメロンなら上手くやってくれるから」
リゼットもようやく、アレクの様子が尋常ではない事に気付く。
これは「喧嘩をして落ち込んだ」などというものではない。父親のレクターが死んだ時だって、こんな様子は見せていなかった。
「アレクっ! しっかりしなさいよっ!」
「大丈夫だって。ユーキとエメロンに任せれば安心だからさ」
全く話が通じているように思えない。アレクはまるで呪文のように、ユーキとエメロンの名前を繰り返す。いったい一晩でアレクに何があったというのか?
そしてこんなアレクを放っておいて、ユーキとエメロンは何をしているのだろうか?
リゼットは、そんな疑問と苛立ちを言葉に乗せた。
「~~っ。あのバカどもはどこで何をやってんのよーーっ‼」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「すっかり遅くなってしまったな。すまないな、エメロン君」
「いえ。でも、フレデリック様がわざわざ送って下さらなくても……」
リッジウェイ侯爵家の馬車に乗って、エメロンはフレデリックと共に宿へと向かっていた。
医者の到着が遅れ、診察が終了した頃には陽が傾きかけていた。
そこへ王城から帰って来たフレデリックと鉢合わせ、こうして馬車で宿まで送ってもらっているのだ。
もちろんエメロンは遠慮したが、強引に押し切られてしまった。
「なに、アレクサンドラの様子見のついでだ。お祖父様の遺言も伝えねばならんしな」
「ランドルフ様の遺言、ですか?」
「私が再会した時、お祖父様はまだ生きてらしたのだ。そして今わの際でアレクサンドラへ言葉を遺されたのでな」
「そう、ですか……」
それを聞いたエメロンの内心は複雑だ。
今朝見た雰囲気ではアレクはまだ立ち直っていない。明らかに気落ちした状態だった。そんなアレクに祖父の遺言など、さぞ重いものだろう。
立ち直る切っ掛けになるかも知れないし、逆になる可能性もある。どう転ぶかは神ならぬ身であるエメロンには分からない。
ただエメロンは決意だけをする。
どんな状況になろうと、どんな状態になろうと、アレクだけは自分が守る、と――。
「それより、君の傷は大丈夫だったのか?」
「はい。薬も効いたようで、もう痛みもほとんどありません」
「何かあったら遠慮せずに我が家を尋ねてくれ。君の傷は名誉の負傷だからな。侯爵家として支援は惜しまないつもりだ」
「勿体ないお言葉です」
そうして、2人を乗せた馬車は目的の宿に着いた。
馬車を宿の前に待たせ、2人は部屋へと入る。そこに飛び出してきたのは、姦しい妖精だった。
「エメロンっ! 今までどこで何して……っ、アンタ顔の包帯は何よっ⁉ ケガしてんの⁉ ユーキは一緒じゃないの⁉ アンタらバラバラで、いったい何してんのよっ⁉」
「ずいぶん賑やかな歓迎だな」
「ってあれ、アレクの従兄も一緒?」
エメロンを見るや否や、怒涛の勢いで捲し立てるリゼットにフレデリックは呆れ気味だ。
とはいえ、リゼットの性格を知るエメロンは特に驚きはない。
それよりも……と、アレクの姿を見つけ互いに目が合うが、相変わらず目に力がない。むしろ今朝より悪化しているようにさえ感じる。生気がないと言っても良いほどだ。
それにリゼットの口では、アレクから事情は聞いていないようだ。その事からも立ち直ってはいない事が窺える。
「ユーキもまだ帰ってないんだ? ヴィーノはもう学校の寮に帰ったのかな? カリーチェは?」
「そうよっ‼ のんびりしてる場合じゃないのよっ‼」
姿の見えない3人の名前を出すと、リゼットが慌てた様子で叫んだ。
事情を知らないエメロンとフレデリックは最初、キョトンとするだけだった。しかしリゼットの話を聞き、徐々に事態の深刻さを理解して表情を険しくさせる。
エメロンは状況を整理して、行動の方針を考える。
ヴィーノとカリーチェは街から離れた場所に監禁されている。そこまでの場所はリゼットが知っているので、向かうのは容易だ。
しかしリゼットの話では誘拐犯は只者ではないらしい。できればユーキが帰って来るのを待ちたいが、いつになるかも分からないしヴィーノとカリーチェは一刻を争うかも知れない。
しかし、こうなるとアレクが落ち込んでいたのは不幸中の幸いだったかも知れない。
普段のアレクなら、エメロンの帰還を待たずに1人で突っ走っていたかも知れない。もしそうなっていたなら事情を知る者は誰もいないまま、アレクとリゼットだけで危険な目に遭っていたかも知れないのだから。
2人の救出は、本来なら騎士団や憲兵に頼るのが良いだろう。
だが今は……。
「エメロン君、すまないが……」
「フレデリック様、分かっています」
今は無理だろう。なぜなら、この国の第1王子が誘拐されているのだから。
そちらに人員を割くのが優先だ。平民の救助に割ける余力はない。
だから、エメロンが取れる手は1つしかなかった。
「リゼット、行こう。案内をお願いできるかい?」
「それじゃ、まずは東門から街を出てっ……って。アンタ、ケガしてるんじゃないの?」
「大丈夫だよ。それより2人が心配だ」
片目が使えない以上、もちろん万全ではない。昨晩の疲労も抜けきってはいない。
それでも、幼い頃からの親友と仲間を見捨てる事など出来ない。
「エメロン、ボクも……」
エメロンが動き始めるのを見て、静かだったアレクが声を上げる。
だが、そんなアレクを見てエメロンは首を振った。
「アレクはここでユーキを待っててくれないか?」
「でも……エメロンだけじゃ……」
「大丈夫。絶対に無理はしないから。アレクは僕を信用できないかい?」
我ながら卑怯な物言いをしたものだ、とエメロンは自嘲する。
アレクが自分を信用できないなんて言う筈がない。それを分かっていてこんな事を言う自分は、なんて卑怯なんだろう。
しかし、今のアレクを連れて行く気にはなれない。本調子ではない状態で危険な場所になど連れて行けない。
好きな女の子を守る為なら、卑怯者だって構わない。
「アレク、いいね?」
「……うん」
その返事を聞いて、エメロンは安心と不安を同時に抱える。
アレクは素直な子だ。1度交わした約束を簡単に破ったりはしない。
しかしこんな約束を簡単にするのは、それだけ重症だという事だ。
「リゼット、まずは東門だね?」
「そうよっ、急ぎましょっ」
しかしエメロンは不安を振り払い、親友と仲間を助ける為に部屋を出た。
僅かに疼く、右眼に顔を顰めながら……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「行ってしまったが……良かったのか、アレクサンドラ?」
エメロンとリゼットが出ていって、2人きりになった部屋でフレデリックがアレクに問う。
「だって、エメロンが……」
賢いエメロンが「ここで待て」と言ったのだ。
エメロンは自分と違って判断を間違う事など無い。今まで間違った事を言った事なんて1度も無い。
そのエメロンが言ったのだから「待つ」のが正解なのだ。
「私としては身内のお前が危険な目に遭わないというのなら、その方が良いのだがな」
アレクの重い頭では、フレデリックが何を言いたいのかが分からない。
エメロンの意見に賛成という事だろうか? しかし、その割には不本意そうに喋っているように見える。
「お前は本当にそれでいいのか?」
アレクの鈍い頭では、フレデリックが何を聞いているのか分からない。
いいも悪いも無い。ただエメロンが言った事に従っただけだ。それの何が悪いのだろう? エメロンの判断は「いい」筈だ。
何も言わず、何も反応しないアレクを見てフレデリックは溜息を吐く。
どうやら想像以上に重傷のようだ、と。
正直、このような状態のアレクにランドルフの遺言を伝えるのは気乗りしないが……。しかし伝えない訳にはいかない。
その為に徹夜明けの身体に無理を押して足を運んだのだし、なにより祖父の最後の願いなのだから。
「アレクサンドラ。お祖父様の遺言だ。心して聞きなさい」
「お、爺ちゃん……?」
遺言という言葉に反応してアレクが上を向く。
その心は不安と恐怖が渦巻いていた。
何を言われるのだろうか? お説教だろうか? それとも恨み言だろうか?
聞くのが怖い。でも聞かない訳にはいかない。だって、お爺ちゃんを殺したのは自分なのだから。
冷静な思考を失い、視野狭窄に陥ったアレクに正常な判断は出来ない。
もちろんランドルフの遺言はアレクが想像したようなものではなく……。
「『過ちを畏れよ。しかし失敗を恐れるな』。これがお前に遺されたお言葉だ」
「……どういう、意味?」
危惧していたような言葉ではなかったが、その意味が全く理解できない。
「過ち」と「失敗」は同じ意味ではないのだろうか? それを「おそれよ」「おそれるな」とは矛盾ではないか?
言葉の意味をフレデリックに尋ねるが、残念ながら明確な答えはなく……。
「私にもお祖父様の真意は分からん。もう、知る事も叶わん」
その通りだ。ランドルフは死んでしまったのだから言葉の意味を問う事はできない。自分の頭で考えるしかないのだ。
しかし、いくら考えても答えが見えない。明らかに矛盾したこの言葉に答えなどあるのだろうか?
それでもアレクは考える事を止める事はできない。これは、自分が殺してしまった祖父の遺言なのだから。
そんなアレクを見てフレデリックは更に大きな溜息を吐いた。
遺言の意味など、フレデリックには簡単に分かっている。だがそれはアレクが自身で答えを出さなければならない。
そう考えていたのだが、事態は今まさに「アレクの岐路」に立っている。ここで放っておく事はランドルフの遺志に反するだろう。
「『過ち』とは過去の間違いだ。『畏れ』とは畏れ敬う事だ。そしてお祖父様の言う『失敗』とは未来の事だ。『恐れ』とは恐怖する事だ」
仕方がない。とでも言うようにフレデリックはアレクにヒントを与えた。
それをアレクは一言一句、聞き漏らさないように頭に刻む。
今のアレクにとっての「過ち」とは、もちろんランドルフの死だ。
そして「畏れる」という事は、心に刻んで忘れない事だ。
この言葉はアレクの心にストンと落ちた。
絶対に自分の過ちを忘れない。同じ事は繰り返さない。その決意が、澱んだアレクの瞳の奥に光を灯し始める。
では「失敗」とは……? 「恐れ」とは……?
今アレクが恐れているのは、自分の判断ミスで仲間が傷つく事だ。だから判断を全てエメロンに任せたのだ。
だが、ランドルフは「失敗を恐れるな」と遺した。
いやだ……。怖い……。「失敗」が「過ち」になるのが怖くて仕方がない。だがランドルフはそれを「恐れるな」と言う。
なぜ、こんなに辛い言葉を遺したのだろうか?
輝きを取り戻し始めた瞳が、再び澱み始める。
だが、揺れ動くアレクは1つの答えにたどり着いた。
(そっか……。これが『罰』なんだ……)
そう納得したアレクは、受け入れがたい恐怖を胸の内に押し込む。
「犯した罪には罰を」。それはアレク自身が望んでいた事だ。この恐怖が「罰」だというのなら受け入れなくてはならない。
(失敗を……恐れるな……。恐れるな……恐れるな、恐れるな)
何度も祖父の遺言を反芻し、アレクは自身の恐怖と戦う。
「失敗」が怖い。「過ち」が怖い。いや……それでは駄目なのだ。「過ち」は畏れるものだ。恐れるものではない。そして、「失敗」は恐れてはいけない。
だから「失敗」を恐れて、ユーキやエメロンに判断を委ねてはいけないのだ。
1つの結論に達したアレクは顔を上げる。
その碧瞳は、すでに揺らいではいなかった。
その姿を見たフレデリックは、最後に小さな溜息を吐いた。
「答えは出たか?」
「うん。フレデリック従兄さん、ボク行ってくるっ!」
それだけを宣言して、アレクは部屋を飛び出した。
その背中に向けてフレデリックが言葉を投げる。
「絶対に無事で帰ってこいっ! これは私との約束だっ!」
「うんっ!」
振り向く事も無く、大きな声で返事をしながらアレクは駆ける。祖父の遺言と、従兄との約束を抱いて。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
すっかり陽が落ちて、真っ暗になった王都の東門の外。
門から少し離れたそこには、エメロンとリゼットの2人しかいなかった。
「ヴィーノたちが居る場所は結構遠いんだよね?」
「えぇ。歩きなら半日近くかかると思うわよ」
「なら、飛んで行くか」
そう言ってエメロンは魔力の集中を始める。
これはユーキと2人で行う『浮遊魔法』だ。本来ならエメロン1人で行うものではない。姿勢の制御はユーキの分担の筈だ。
それを無しで飛ぼうとするエメロンに、リゼットが心配の声を掛ける。
「それ、1人で大丈夫なの? ユーキと2人で使う魔法でしょ?」
「少しくらいなら大丈夫だよ。練習だってしてたからね」
本音を言えば不安はある。練習をしていたのは事実だが、集中の続く短時間ならという限定付きだ。
それでも歩くより余程速く移動できる『浮遊魔法』を使わない手はない。
そう考えていたエメロンだったが……。
「お~~いっっ‼ エメローーンっっ‼」
遠くから、聞き慣れた高い声が響いてきた。
自分の名を呼ぶその声はどんどん近づいてきて……。
「アレクっ⁉」
「へへ、来ちゃった」
そう言って、いつも通りの無邪気な笑顔のアレクは、今まで見た事の無いような強い意志を瞳の奥に輝かせていた。




