第34話 「戦力外の意地」
メルクリオたちは絶体絶命の危機に陥っていた。
ギルド長はマリアの≪針を飛ばす魔法≫で重傷を負い、メルクリオには戦う力は無い。エメロンも負傷と度重なる魔法の行使で満身創痍だ。
そして彼らに対峙するマリアはといえば、余裕の笑顔だ。
それも当然だ。
マリアにとって手負いのエメロンやギルド長に止めを刺すのは難しい事では無い。メルクリオも赤子の手を捻るように倒されてしまうだろう。
その後にフランたちが帰って来ても後の祭りだ。
フランが強いとは言っても3人の足手纏いを連れて、この悪魔のような美女に勝てるとは思えない。
現在の状況と彼我の戦力を分析したメルクリオの考えに間違いはない。そして至る結論は「全滅」の2文字だ。
完全に判断ミスだった。
今この場にフランがいれば話も違っただろう。そもそもメルクリオがこの場に留まらなければ、ギルド長が負傷する事も無かった筈だ。
「さぁ、エメロン。残った眼は綺麗にくり抜いてあげるわ」
事態の悪化を嘆くメルクリオを無視して、マリアはエメロンへ向けて一歩踏み出す。戦力外の男など眼中に無いという事か。
だが、このままエメロンがやられるのを指を咥えて見ている訳にはいかない。
この事態を招いたのはメルクリオの判断ミスなのだ。それにエメロンは、唯一の友であるユーキの1番の親友なのだ。
「待てっ! これ以上エメロンを傷つけるのは許さんっ!」
メルクリオは、エメロンとマリアの間に割って入ってそう叫んだ。
戦う力が無いとか、王子としての立場だとかは関係ない。メルクリオは自分の判断の責任を取る為、ユーキとの友情を守る為にマリアの前に立ちふさがった。
「い、いかん……。殿下……お逃げ下され……」
「お爺さんの言う通りよぉ? 怪我をしたくなければお下がりなさいな、王子様」
床に伏したまま、ギルド長が掠れた声でメルクリオを止める。エメロンも未だに膝をついたまま動けない。やはり、今マリアを止める事が出来るのはメルクリオしかいないのだ。
しかし、マリアのセリフにメルクリオは違和感を感じた。
なぜ「下がれ」などと言ったのだろう? そのような事を命令せずとも、その手に持ったピックで一突きをすればメルクリオは為す術なく倒れるだろう。
「怪我をしたくなければ」という言葉も、逆に言えば「怪我をさせるつもりは無い」という風にも受け取れる。
全てただの憶測だ。だがメルクリオには、そこに光明を見出すしか手段は無かった。
「貴女の目的はシルヴィア皇女の命だろう?」
「今さら隠す必要も無いわねぇ。その通りよぉ」
一か八かの賭けではあった。話しかけても無視して攻撃される可能性が高かった。だがマリアは会話に応じた。
メルクリオは最初にして最大の賭けに勝った。だが本当の賭けはこれからだ。
「皇女の命を狙う理由……それは王国と帝国の講和の妨害ではないか?」
「そう聞いてるわねぇ。ま、私怨もありそうだけど」
マリアの回答はメルクリオの予想通りのものだった。
やはりマリア自身にはシルヴィアを殺す強い動機は無い。ただ依頼されただけだと分かる。
そして、そのセリフを吐いた時、マリアがつまらなさそうな表情をしたのを見逃さなかった。
話の流れから「私怨がある」というのは雇い主の事だろう。そしてマリアはその人物の事を快くは思っていない。
ならば付け入る隙があるはずだ。
「それなら、私の首を獲って依頼の達成とするのはどうだ?」
「でっ、殿下っ⁉」
いきなりのメルクリオの提案にエメロンが声を上げる。ギルド長も同様だ。
だがマリアは表情を一変して、興味深げにメルクリオを見つめた。
「へぇ、どういうつもりかしら?」
「私は皇女殿下と婚姻を結ぶ予定だった。それをもって両国の講和の証とする予定だったのだ。だから……」
「王子様がいなくなれば証が立たない。そういうワケねぇ?」
一応の理屈は通る。だがそれは「講和の妨害」という一点のみについてだけだ。
マリアが言っていた「私怨」とやらはメルクリオを殺しても果たせないだろうし、それら以外にもシルヴィアを狙った理由があるのかも知れない。
だがメルクリオは、マリアが雇い主の事を語った時の表情に賭けた。
「王城内にも、外にも兵はいる。あまり時間を掛けない方が良いのではないか?」
更にメルクリオは兵士の存在を仄めかしてマリアに決断を迫る。
だがそれは、ほとんどハッタリだ。
城の内外に兵士がいるのは事実だが、ゴブリンの襲撃で今どうなっているのかは分からない。
いずれは破壊された窓や扉を見つけて兵がやっては来るだろうが、それが当てに出来るかどうかなどメルクリオには判断ができる筈がなかった。
だがそれでも、マリアが「兵士が来る前に任務を終わらせよう」と考えてくれるのならば……。「帰って来るまで数分はかかるシルヴィアを待つより、メルクリオを始末しよう」と考えたなら、そして「任務を終えたなら、いち早く撤退しよう」と考えてくれたのなら、皆が助かる筈だ。
それは仮定に仮定を上塗りした、何の根拠も無いただの希望だった。
しかし、戦う力を持たないメルクリオには自分の命を差し出しても尚、ただの希望に縋るしかなかった。
「いっ……いけませんぞっ! グ……っ、ガハッ……」
「無理をしない方がいいわよぉ。その位置、肺に刺さってるんじゃないかしら?」
血を吐きながら叫ぶギルド長に、マリアは気遣うような言葉を投げかける。だがそれは勝者の余裕だ。
もはやこの場にマリアを止める事の出来る者はいないと分かっているから、このように悠長に構えていられるのだ。
例え、今この場にフランたちが帰って来ようともマリアは止められない。
『精霊魔法』も駆使すればシルヴィアを逃がす事も無いだろう。
だからマリアは、メルクリオの心中もおおよそ察してはいた。
「兵士がやって来る」などというのも只のハッタリだ、と。
「自分の命を犠牲に仲間を守ろうと? 普通、逆じゃないのかしら? 貴方、王子さまでしょう?」
「王族ゆえに国を思えばこそだ。私1人の命より、皇女殿下、フレデリック殿、ギルド長を助けた方が国益になる」
噓ではない。何の役割も無い、ただ血筋が王族というだけの男より、リッジウェイ侯爵家の跡取りや、冒険者ギルドの長の方が何倍も価値がある。
それに帝国の皇女が王国内で暗殺されたなどとなれば、それこそ戦争の恰好の火種だ。
嘘では無いが……メルクリオが本当に助けたかったのは「唯一の友」の親友であるエメロンと、「幼馴染」のフラン。そしてその妹・ジュリアだ。
彼らを助ける事が出来るのなら、役立たず1人の命など安いものだ。
「うふっ。王子様、貴方も良い男ねぇ」
「そろそろ決断をした方が良いのではないか?」
話に乗って来てくれたのはありがたいが、いつまでも時間を掛けてはいられない。
フランたちが帰ってくれば、このような交渉など絶対に許さないだろう。だが魔法の拘束が外され、ギルド長も倒れた今、フランだけでマリアに勝つ事など絶望的だ。
時間を掛けていられないのはマリアも同じ筈だ。
フランはともかく、ハッタリで言った兵士だって本当にやって来る可能性だってある。
そして、ここまで話に付き合ってくれた以上、きっとこちらの提案に乗って来る。そのようにメルクリオは考えていた。
そうでなければ、さっさと3人に止めを刺してしまえば良いだけの話なのだから。
メルクリオの推察は正しかった。だから、賭けに勝った。
「いいわぁ、貴女の提案に乗ってあげる。エメロン、貴方の左眼も王子様に免じて見逃してあげるわ」
その言葉を引き出したメルクリオは安堵し、胸を張ってマリアの正面に立った。
生まれて初めて、誰かの役に立ったのだ。きっと帝国との講和は流れてしまうだろうが、それでも皇女暗殺の汚名を着せられるよりはマシな筈だ。
戦争も、きっとギルド長やフレデリックが証言をすれば回避できる。
何より「友の親友」を守る事が出来た。「幼馴染」を守る事が出来たのだ。
ならば、この役立たずの人生にも意味はあったのだ。
そう満足したメルクリオは、制止するギルド長とエメロンの声を聞きながらそっと目を閉じた――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
一方その頃、王都の街にある大衆浴場の前でカリーチェはリゼットと2人で話し込んでいた。
「今頃3人は王宮のパーティーかぁ。ちょっと羨ましいなぁ」
「なによ、カリーチェは興味あんの?」
「だってパーティーよ? そういうリゼットこそ興味無いなんて意外なんだけど?」
「昔、見世物にされたコトがあんのよ。だからいい思い出が無いのよねー」
2人は王宮に魔物が現れた事も、暗殺者が現れた事も知る由もない。
だから呑気にこんな事を話していたのだ。
とはいえ、不意にリゼットからされた告白に少し重い空気が流れる。
軽く言ってはいたが、「見世物にされた」なんて言われると返す言葉を失ってしまう。
「そ、それはそうと、ヴィーノくん遅いわよねー」
「アイツ、男のクセに長風呂なのよ」
話題を変えたカリーチェに、リゼットは風呂好きの男性が聞けば怒り出しそうなセリフで返す。男が早風呂など、とんだ偏見だ。
2人は今、ヴィーノが風呂から上がって来るのを待っていた。
ヴィーノはすでに高等学校に入学を果たしていて、宿から寮へと住居を移していた。しかし今回アレクたち3人がパーティーに行くという事で、外泊許可を取って1日だけ宿で過ごす事になっていた。
理由はカリーチェを1人にさせるのは不安だとヴィーノが言い出したからだ。
王都の治安は決して良くはない。それは1ヵ月ほど前にヴィーノが荒くれ者たちに絡まれた事からも明らかだ。
だから帰りが遅くなる3人の代わりに、ヴィーノがカリーチェと一緒に行動しようと言い出したのだ。
仮に暴漢などに襲われた場合、ヴィーノは戦力にはならない。
それでも「1人より、2人で行動した方が絡まれにくい」と主張したのだ。
「でもまぁ、たまにはこんなのもアリよね。外食も美味しかったし」
「それ、ユーキが聞いたら落ち込むわよ?」
「べっ、別にあいつの料理が不味いなんて言ってないわよっ?」
ヴィーノを待ちながら、2人の女子トークは続く。
リゼットがいなければ退屈な時間を過ごしていたかも知れない。ヴィーノがいなければ夜の街に不安を抱いていたかも知れない。
思えば、リゼットはカリーチェを気遣って残ってくれたのかも知れない。ヴィーノは言うまでも無いだろう。
カリーチェは、リゼットとの会話を楽しみながらもそんな事を感じていた。
だが、楽しい時間は唐突に終わりを告げる。
「あっれーっ? ひょっとしてソコにいんの、チエちゃんじゃーん?」
背後から声を掛けられてカリーチェは驚きに振り向き、リゼットは咄嗟に身を隠す。
そこにいたのは髪を金髪に染めた青年だった。
「……あ、あんたっ⁉」
「やぁーっぱそうだっ。奇遇じゃん? それとも運命ってヤツ?」
青年の登場に戸惑うカリーチェだが、青年の反応は顔見知りに対するものだ。
リゼットはカリーチェの緊張を感じ取りながら、『透明のフード』で身を隠したまま耳打ちをした。
「ねぇ、知り合い?」
「リゼットは黙って隠れててっ」
「んー? 何か言った?」
「何でもないわよっ! それより、どうしてここにあんたがいんのよっ?」
「そりゃあコッチのセリフっしょ? 何で王国なんかにいんの?」
2人の会話から知り合い同士である事は疑いようが無い。だが、その態度は対照的だ。
馴れ馴れしく話す青年に対して、カリーチェは身構えて一定の距離を保っている。
「あんた……。まだ、あいつらとつるんでんの?」
「そりゃあ、他にアテなんかねぇーもん。そっちこそ金も無くて苦労したんじゃね? オレたちのトコから出てって2ヵ月くらいだろ? いやぁ、心配したんだぜー?」
「心配っ、なんて……っ!」
黙って聞いているリゼットには2人の関係と距離感が分からない。
青年は親しげに話しているが、カリーチェは緊張を解いていない。しかし、決して青年の言葉を無下にしているようにも見えなかった。
「いい加減にあいつらとは縁を切りなさいっ! 《《ここ》》はゲームやマンガの世界じゃないのよっ⁉」
「……現実が見えてねぇのはそっちじゃね? 金もねぇ、文字も読めねぇ、常識も知らねぇで、どうやってオレたちが生きてくんだよ?」
カリーチェの言葉に青年の声のトーンが下がる。
だがカリーチェは、そんな青年の変化にもお構いなしに言葉を続けた。
「そんなの、どうにだってなるわよっ! 現にあたしは何とかしてるし、あんただって……」
「お待たせっスーっ。……あれ? 知り合いっスか?」
しかしその時、カリーチェのセリフを遮って現れたのは風呂から上がって来たヴィーノだった。
ヴィーノは剣呑な空気に気付かず、見知らぬ青年に疑問の声を上げた。
勢いの殺されたカリーチェはセリフが止まってしまう。
だがヴィーノの登場を見て、青年はある答えに辿り着いた。
それは非常に短絡的で、カリーチェを侮辱した答えだった。
「ふぅ~ん、そっかぁ。そういうコトかぁ。そのオトコに養ってもらってんだ? いや、いいねぇ~。オンナは生きてくのが楽そうでさ」
青年の出した答えは間違いだ。とんだ勘違いであり、カリーチェのみならず女性全体への侮辱とも言える。
「そんなワケ……っ」
「あ~あ~、言い訳はいいって。分かってっから。そりゃ、オンナが1人で生きてこうってんなら他に手段はねぇもんな?」
カリーチェが否定をしようとするが青年は聞く耳を持たない。
そして青年の標的は、未だに事態を把握できていないヴィーノへと向かった。
「なぁ、あんた。ワリーけど、このオンナ譲ってくれよ。セフレの1人くらい構わねーだろ?」
「は? セフ……? カ、カリーチェの事っスか?」
「ぶふっ。ンな名前を名乗ってんの? そうそう、そのカリーチェちゃんだよ。いいだろ、な?」
青年は勘違いを正す事もしないまま、ヴィーノに「カリーチェを譲れ」と要求する。まるで物扱いだ。
「ふざけた事言ってんじゃ……っ」
当然カリーチェは反発する。あり得ない侮辱を受けて、物扱いをされて黙っていられるほど、お上品な生まれはしていない。
だが、その言葉を最後まで言い終わる事は出来なかった。
なぜならセリフの途中で青年が一瞬で詰め寄り、その拳をカリーチェの腹にめり込ませていたからだ。
「あ……ぅ……。ろ……」
意識が急速に遠くなるカリーチェを、青年が肩に担ぎ上げた。
「話は後で聞いてやっから少し眠ってな。んじゃ、あんたもコイツが世話んなったな」
気絶したカリーチェを担いで、早々に去ろうとする青年。
だが、そのような暴挙を目の前で行われて黙っていられるほど、ヴィーノは臆病者ではない。
「ま、待つっスっ‼」
「んあ? まだ何かあんの?」
「『何かあんの?』じゃねーっスっ‼ カリーチェを置いて行くっスっ‼」
事情を把握できた訳ではないが、青年の行いはどう見ても人攫いだ。しかも攫おうとしているのがカリーチェとあっては見過ごす訳にはいかない。
だが青年には、自分の行いが他人からどう映っているかの自覚は無いようだった。
「ンなコト出来るワケねーっしょ。あんたみてぇーなオトコに、このコを預けるワケにゃいかねぇの。分かる?」
それどころか自分の邪魔をしようとするヴィーノを、まるで悪人かのように言い放つ。
「こっちこそ、いきなり暴力を振るうような男にカリーチェを連れてかせる訳にはいかねーっスっ!」
「だって、しょーがねーだろ? オレの話、聞かねぇーんだもん」
「話を聞いてないのはそっちの方っスっ!」
どう考えても正論を言っているのはヴィーノの方だ。
青年は勝手な想像で相手を決めつけ、カリーチェの話も途中で遮り、思い通りにする為には暴力まで振るう始末だ。
だが、そんな青年に正論を説いても意味は無かった。
「だからさ、ゆっくり話ができる場所に行こうっつー話よ」
「そんなムチャクチャな話……」
「あんたも話し足りねーみてぇーだし、しょーがねーから一緒に連れてってやるよっ!」
「ぉぐ……っ⁉」
「ワリーね。一応、秘密の隠れ家なんで寝といてくれよ」
青年はカリーチェを担いだまま、目にも止まらぬ動きでヴィーノに一撃を加えた。
その常人離れした動きにヴィーノは反応する事も出来ずに崩れ落ちる。
「サイアク……。何なのよコイツ?」
両肩に2人を担いで凄まじい速度で街を駆ける青年。
そのカリーチェの衣服に潜んだまま、リゼットは呟いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「お待たせしましたっ! 殿下、ご無事ですかっ?」
ロープを片手にスタッフルームへと戻ったフランが目にしたものは、膝をついたままのエメロンと、仰向けに倒れたギルド長だった。
「嬢ちゃん……か……? スマン……」
「無理をしないで下さい。僕が説明します」
掠れた声で謝罪するギルド長に、エメロンが気遣いの言葉をかける。見てみればギルド長の身体には数本の針が刺さっていた。
だが、そんな衝撃的な光景を目にしても尚……いやだからこそ、フランの疑問は別に向いていた。
「殿下……は……?」
そう、部屋の中にいるべき人間がいない。それはメルクリオとマリアの2人だ。
その事実がフランに焦燥感を募らせる。
答えを知りたい。でも聞きたくない。いや、聞かなければならない。
そんなフランの心中を察したエメロンは、まず結論から述べる事とした。
「メルクリオ殿下は、賊に誘拐されました……」
その言葉を聞いた後、フランはしばらく動く事が出来なかった。
続いて部屋に入ってきたジュリアたちの言葉も、全く耳に入る事は無かったのだった。




