第33話 「命取りの判断ミス」
「ユーキ、サンキュっ」
「ったく、少しは自分が女だって自覚を持てよっ。エメロンが見たら卒倒すんぞ?」
ユーキの上着を借りたアレクがキョトンと首を傾げる。
裸でうろつくのが良くないのは分かるが、なぜエメロンが倒れるのだろう?
それに今回は不可抗力ではないか。別に好き好んで裸になった訳ではない。巨大アリの粘液にドレスが解かされてしまったのだから仕方ないだろう。
そんなアレクの反応を見てユーキは溜息を吐く。
自分の上着を着せる事で何とかアレクの肌は隠す事が出来た。2人には身長差がある為、ギリギリ局部も隠れている。
本当なら下にも何かを履かせたいが自分が下着姿でうろつくのは御免だし、死人から拝借するのも気が引ける。ゴブリンから剥ぎ取る事も考えたが……。
「やめておけ。どんな病気を持っているか分からんぞ?」
バルタザールがそう言ったので実行には移さなかった。そんな事を言われて、それでもゴブリンの衣類を身に着ける者は居はしない。
「さて、こうしている間にもゴブリンはあらかた片付いたようだな」
そう言われて周囲を見れば確かに先程までの喧騒が嘘のように静まり返り、視界には大量のゴブリンの死体の山が散乱している。
遠くの方では騎士たちがうろついているのが見え、どうやら彼らが大半のゴブリンを殲滅したようだ。
何人かの犠牲者の遺体も目に映るが、事態は収束したと考えても良いだろう。
「とりあえずアレクの恰好を何とかしねぇとな。おいアレク、着替えは持ってんのか?」
「お爺ちゃんチに戻ればあるけど?」
「んなトコまで行ってられっかよ。しょうがねぇ、更衣室で適当に拝借すっか」
事態が落ち着いたなら、まずはアレクの服の問題だ。こんな格好でうろついていてはまるで変質者だ。
いつもの更衣室なら勝手が分かるし、今は緊急時だ。服の1着くらいは問題にはならないだろう。
「ふむ、オレも一旦ジークムントの所に戻るか。まぁ、ヤツの事なら心配はいらんだろうがな」
「じゃあ、ここでお別れだな。一応、助かったからな。礼を言っとくぜ」
最初はフランと結婚しようなどと言ったバルタザールを敵視していたが、それでも助かったのは事実だ。バルタザールがいなければ巨大アリにはもっと苦戦していたかも知れない。
それに僅かとはいえ言葉を交わした事で、彼の性格も少し掴めた。恐らくフランと結婚すると言い出したのはユーキを焚き付ける方便だったのだろう。……ユーキには良い迷惑だが。
「オレはしばらくは王都の迎賓館に滞在している。部下になる気になったらいつでも訪ねてくるがいい」
「あ、あぁ、気が向いたらな」
「うむっ! 2人とも良い戦い振りだったぞっ! では、待っているぞっ!」
そう言って、バルタザールは豪快に笑いながら2人の元を去って行った。
帝国の皇子……。他の2人は少し喋っただけだったが、バルタザールは明らかに皇子らしいイメージとはかけ離れている。
だがユーキは、そんなバルタザールに少しだけ好感を抱いたのだった。
「と、んなコトより。ベルっ、魔物はまだいるかっ?」
「ん~んっ。さっきしらべたけど、もうマモノはいないの~っ」
アレクと2人になったのなら人目を気にする必要は無い。ベルの『精霊魔法』なら、本当に安全なのかを確認する事も簡単だ。
「ホント、ベルの魔法って便利だよねー。そーいえばエメロンはダイジョーブかなぁ?」
「ちょっとまってね~。▽€◎Й∑£△∇……? ん~とね、あっちのほうなの~っ」
「更衣室とは少し離れてんな。ま、エメロンなら大丈夫だろ? さっさと着替えに行くぞ」
「それもそっか」
3人は、エメロンが今現在マリアという脅威と戦っている事など知る由もない。ただ居場所を知るだけのベルの『精霊魔法』は、アレクが言うほど便利なものではなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
マリアはエメロンの事を見くびっていた。
体術では自分の方に分があるし、狭い室内では大規模な魔法など使用できないと思っていた。
だからマリアは遊んでいたのだ。
だが、まさか自滅覚悟の攻撃をしてくるなど思ってもいなかった。
その為に耳をやられ、平衡感覚まで失った。とはいえ、同時にエメロンの右眼にピックを突きたてたのだから痛み分け……いや、エメロンの方がダメージは大きかった。
無傷とはいかなかったが、勝敗は決した筈だった。そこに余計な邪魔者が現れなければ。
邪魔者も素人では無かったが、マリアには程遠い。エメロンの攻撃によるダメージがあったとしても軽くあしらえる程度の実力だった。
だが邪魔者と戦っている暇は無いとシルヴィアへと標的を変えた時、エメロンの魔法が発動した。
足元に現れた水の塊に気を取られ、瞬く間に大量の水がマリアを襲う。
マリアの身体は、魔力で固定された水の中に囚われてしまった。
「やられたわぁ。まさか、まだ魔法を使えたなんて」
マリアは本心からエメロンを称賛した。
『戦闘魔法』の使用には高い集中力が必要だ。エメロン自身も自爆攻撃の影響を受けた筈だし、右眼を抉られた痛みのせいで、本来なら魔法の集中どころではない筈だ。
「暴れても無駄ですよ。あなたの動きに合わせて水も動かせますから」
そう言ってエメロンが左眼で睨んでくる。ようやく聴力も回復してきた。
確かに言われる通り、水の檻からの脱出は困難だ。首から下は水に包まれ、浮かされた足では地を蹴る事も出来ない。いくら藻掻いても体力の無駄だろう。
それにしてもエメロンの右眼をキレイにくり抜く事が出来なかったのが悔やまれる。「愛する」という程では無いが、愛しても良いと思える程にエメロンは良い男だ。
「本当にもったいないわぁ。エメロン君の事、好きになっちゃいそう」
「…………」
マリアの言葉をどう解釈したのかは分からないが、エメロンは無言で返す。
いつもこうだ。マリアがいくら好意を示しても、相手の男は誰も理解を示そうとはしてくれない。
だからマリアは多くを望まない。ただ相手の視線だけがあればいい。自分だけを見てくれれば、それだけで良いのだ。
「これは、一体……?」
その時、扉を失った部屋の入り口から男の声が聞こえた。ただ事では無い騒音に、中の様子を見に来たフレデリックの声だ。
部屋の中は散乱し、先に突入したフランの他には給仕服の青年が1人、ドレスの少女が1人、そして水の檻に閉じ込められた美女が1人いた。
「ふむ。どうやら片が付いた後のようじゃのう」
すぐ後ろに顔を覗かせたギルド長がそう言って、フレデリックの脇を通り抜けて部屋に入る。
それに続いて、ジュリアやメルクリオまでも中に入って行ってしまった。
「お姉様っ、ご無事ですかっ⁉」
「ええ、問題ありません。それより殿下、この状況をいかがなさいますか?」
一も二も無くフランに駆け寄るジュリアだったが、フランの態度は素っ気ない。
戦闘は女の無力化によって終了したが、彼女が何者か、なぜエメロンと戦っていたのかも分からないのだ。
だがフランに指示を求められたメルクリオはドレスの少女を見つけ、おおよその状況を理解する。
「貴女は……シルヴィア皇女殿下ですね?」
「え、えぇ……。貴方がたは?」
「申し遅れました。エストレーラ王国が第1王子・メルクリオ・ルノー=エストレーラと申します」
メルクリオはシルヴィアの顔を知っていた。以前に国王から結婚の打診を受けた時に写真を見た事があったからだ。
状況から青年はシルヴィアを守っていた事が分かる。ならば、彼と戦っていた女はシルヴィアに向けられた刺客という事だろう。
誰の差し金かまでは分からないが……。恐らく、王国と帝国の講和を良く思わない者の仕業だろう。
「まずはこの女を拘束しよう。君、魔法はまだ保つか?」
「10分程度なら、なんとか……」
メルクリオの状況判断は素早かった。
この場での「敵」はマリアだと推測し、魔法での拘束には制限がある事も理解している。だから魔法の限界が来る前に手錠やロープなどで拘束するのが最善だと判断したのだ。
「フラン、何か縛る物の心当たりはないか?」
「近くの部屋が物置になっています。そちらにロープがあるでしょう」
メイドであるフランはメルクリオの質問に淀みなく答える。
それを聞いたメルクリオは、即座に全員に指示を与えた。
「ではフラン・ジュリア嬢・フレデリック殿・シルヴィア殿下にはロープを探しに行ってもらう。私とギルド長、そして彼は、彼女の見張りだ」
メルクリオはこの分担が最善だと判断した。
物置の場所を把握しているフランを外す事は出来ないし、シルヴィアたち3人に戦闘能力は無い。ロープの捜索に当たって貰うのが良いだろう。
万が一に備え、女の見張りに戦闘が出来る者も必要だ。それはギルド長以外にはいない。
「殿下をこのような場所に残しては行けませんっ!」
だがメルクリオの案に間髪入れずにフランが反対した。
彼女の立場を考えれば当然の主張ではある。それにメルクリオには戦闘能力が無い。この場に残る意味も無い筈だ。
「ワシも嬢ちゃんの意見に賛成じゃの。万一、このボウズの魔法が解けたらどうするつもりですじゃ?」
「その時の為にも私が残ろうというのです。僅かながら私にも『戦闘魔法』の心得がある。彼が力尽きた時は、私が彼女の拘束を引き継ごう」
メルクリオは幼い頃、身体の弱い自分が国の為に何か出来ないかと模索していた時期があった。その時に学んだものの1つが『戦闘魔法』だ。
身体が弱くても戦闘用の魔法が使えれば国の為に戦う事が出来る……。それは子供の幼い考えだった。
例え強力な魔法が使えたとしても、時には立ち上がる事も出来ない程に病弱な少年が戦場になど立てる訳が無い。そして残念ながら、メルクリオの魔力はさほど強力でもなかった。
それでも幼いメルクリオは必死に『戦闘魔法』の訓練を続けた。いつか、これが祖国の役に立つ日を信じて。
そんな日は訪れなかったが、それでも今、その努力が役に立とうとしている。
シルヴィアを狙うこの女は、王国の敵でもある。彼女を拘束する事は国の為にもなる筈だ。
「いけませんっ! それなら私が残りますっ!」
「物置の場所を知っているのはフランだろう? 部屋が分かっても他の者では勝手が分からん筈だ」
仮にフランが物置部屋の場所を誰かに教えても、中がどのようになっているかは分からない。ロープを探すのに時間をかければ拘束の魔法が解けてしまう。
メルクリオの残留の是非は別にして、フランが残るという選択肢は無かった。
「それでも……っ!」
「フランチェスカ嬢、私は殿下の方針に賛成だ。何より言い合っている時間が惜しい」
「そうじゃのう……」
あくまで反対の意思を示すフランにフレデリックが言い放つ。
確かに言い合っている間にエメロンが力尽きてしまえば元の木阿弥だ。その意見にギルド長も同調し始める。
それを見てフランも、自分の行いが事態の悪化を招くだけだと理解をし始めた。
「わかり、ました……」
力なくそう言って、フランは承諾した。
女の危険性は、僅かなりとも手を合わせたフランは承知している。一刻も早く確実な拘束を行った方が良いという事に疑問を挟むつもりはなかった。
その言葉を聞いたフレデリックは迅速な行動を促す。
「そうと決まれば急ぎましょう。シルヴィア殿下、歩けますか?」
「え、えぇ」
「ジュリア嬢も問題ありませんね?」
「は、はいっ」
「では行きましょう。フランチェスカ嬢、案内をお願いします」
フレデリックに誘導されるように、4人は部屋を出ていく。退出する時にフランがメルクリオを、シルヴィアがエメロンを不安交じりの眼差しで見つめていた。
「ふむ、嬢ちゃんらが帰ってくるまで早くて数分かのぅ? ボウズ、大丈夫かの?」
「多分、大丈夫だと思います」
「危なくなったら言ってくれ。私が代わろう」
残った2人がエメロンを気遣う。だがエメロンは幾分か余裕を取り戻していた。
自分の魔法による耳へのダメージは抜けてきた。右眼の痛みは断続的に続いているが、急速に悪化する気配は無い。もうしばらくは問題は無さそうだ。
だからエメロンは、先程から気になっていた事を質問する事にした。
「あの、メルクリオ殿下……なのですよね? ユーキは一緒では……?」
先程、メルクリオは自分の事をエストレーラ王国の第1王子だとシルヴィアに名乗った。それはユーキが付き人をしている人物の名だ。
話を脱線させてしまう為に聞く事が出来なかったが、今ならば問題無いだろう。
それに先程までいたジュリアという少女はアレクの友達だ。話を聞ければアレクの安否も分かるかも知れない。
「ユーキを知っているのか? どういう関係……いや、そうかっ。君はエメロンか?」
「はい。エメロン=ウォーラムと申します」
「そうかっ、君がエメロンかっ。ユーキから聞いているぞっ」
エメロンの名を聞いたメルクリオは驚きと興奮の声を上げる。
ユーキから、エメロンは「1番の親友」だと、「1番頼りになる仲間」だと何度も耳にしていたのだ。
ユーキはメルクリオにとって人生初めての唯一の友だ。例えユーキにとってそうではなくてもメルクリオの気持ちは変わらない。
そのユーキの「1番の親友」のエメロン。1度は会ってみたいと思っていたのだ。
「ユーキは別行動だが、きっと無事だ。それより君こそ、その目は大丈夫か?」
そう言って、メルクリオがエメロンの元へと歩を進めた時だった。
「やぁっと正面に来てくれたわね」
それまで沈黙を保っていたマリアが呟いた。
不穏な言葉を耳にして3人に緊張が走る。それと同時に、マリアの脚部から無数の何かが飛び出した。そして「それ」は、マリアの正面に立つメルクリオへと向かう。
「いかんっ‼」
咄嗟に動いたのはギルド長だった。
呆然と立つだけのメルクリオを突き飛ばし、「それ」の射線から救い出す。……だが、ギルド長の身体は「それ」の射線に取り残されてしまった。
「ぐぅっ!」
呻き声を上げて倒れるギルド長の身体には数本の「針」が刺さっていた。左腕と左脚に1本ずつ、更に胴体には2本の針が刺さっている。
医療の心得の無いメルクリオにはそれが致命傷かどうかまでは分からないが、重傷であるのは間違いない。
「あら、予想通り」
「貴様っ、一体何をしたっ⁉」
「教える必要があるのかしら、王子様?」
マリアの攻撃、それは両脚の義足に仕込まれた≪針を飛ばす魔法≫だった。その構造はユーキの魔法と殆ど同じだ。違いがあるとすれば、ユーキの魔法は針を1本ずつ飛ばすのに対し、マリアの魔法は無数の針を散弾のように飛ばすという事か。
「殿下っ! 彼女の正面に立たないで下さいっ!」
ユーキの魔法を知るエメロンは、マリアの攻撃の正体を素早く判断する。
メルクリオが正面に立つまで待っていたという事は、ユーキのように高精度な攻撃は不可能だという事だ。複数の針を飛ばした事からも命中精度の低さが窺える。
しかし迂闊……いや、不運だった。
『象形魔法』の使用時には魔法陣が光りを放つ。たとえスカートに隠れていたとしても、注意をしていればその光に気付けたかもしれない。大量の「水」に囲まれていなければ。
エメロンの魔法の「水」が、マリアの魔法の隠れ蓑になってしまっていたのだ。
「さぁて、平衡感覚も戻って来たし……。貴方たちを始末してから皇女さまたちが帰って来るのを待とうかしら」
悠然と言ってのけるマリアに、エメロンの緊張が高まる。
だがマリアは依然、エメロンの水の魔法に囚われたままだ。いかな達人でも地に足がつかなければ脱出は不可能だ。
もしかすると風の魔法か何かで水を散らそうと考えているのかも知れない。そう考えたエメロンは更に強く魔力を込め、水の固定をより強固にした。
「絶対に逃がしませんっ」
「うふ。そんなに情熱的に見つめられると迷っちゃうわぁ」
片目でマリアを睨みつけるエメロン。
だが増した水圧が身体を締め付けるのにも関わらず、マリアには苦しむ様子も焦る様子も無い。
そしてマリアは、意味不明な言葉を紡ぎ始めた。
「◆≒▲♯★θ♭〓∞仝……」
「せっ、『精霊魔法』っ⁉」
意味は不明だが、エメロンにはどこか聞き覚えのある呪文だった。
ベルが使う『精霊魔法』。それと似たような響きの音がマリアの口から放たれたのだ。
マリアが呪文を唱え終わるのと同時に部屋の気温が下がる。季節は初夏だというのに、まるで真冬のようだ。
”……キ。……パキパキパキ”
そんな音がどこからか聞こえ、エメロンの左眼に異変が映る。
マリアを拘束している水が揺らぎを止め、徐々に白化していく。エメロンは変わらず魔力を送っているが、それで起きた変化ではない。
それどころか、水を動かそうとしても全く応える様子はない。もはや完全に水はエメロンの手を離れてしまっていた。
そして……。
”パキィィィン”
甲高い音と共に、マリアを包んでいた「氷」は粉々に砕けた。
「さぁ、エメロン。残った眼は綺麗にくり抜いてあげるわ」
スカートが少し破れただけで濡れ後の1つもない、美しい暗殺者は何事でもないように、満身創痍の2人と、戦う力を持たない1人にそう言ったのだった。




