第31話 「舞台裏」
巨大アリ……『オオアギトヒトクイアリ』が出現する少し前。
「まったく、アレクサンドラはどこ行った? こうなるとフレデリックの事も笑えんのう」
勝手に突っ走ったアレクを見失い、ランドルフは会場内を移動していた。
そこら中にゴブリンの死体が散乱している。他の騎士たちにでもやられたのだろうか? だが、ランドルフは決して無造作に歩みを進めたりはしない。なぜならば……。
「ん? ホレっ!」
「ギャッ⁉」
ランドルフは唐突に手に持った剣でゴブリンの死体を薙いだ。いや、死体ではない。ゴブリンは「死んだ振り」をしていたのだ。
これがゴブリンという魔物が危険視される大きな理由だ。
ゴブリンは他の魔物と違い、人間を騙して罠に掛けてくるのだ。とはいえ、ただの死んだ振りくらいなら見破る事は難しくはない。
道中でゴブリンから奪った粗末な剣でも、ランドルフの手にかかれば首をはねる事くらいは容易い。
ランドルフにとってゴブリンは決して脅威ではなかった。
だがアレクは死んだ振りに気付かない可能性もあるし、不意を突かれれば怪我を負う可能性もある。
だから一刻も早くアレクを見つける必要があったのだが……。
「しかし、ふふっ。ほんにエリザベスにそっくりじゃのう」
奔放なアレクを思いだし、ランドルフは笑っていた。
現状を楽観している訳では無い。ただアレクの性格が、その母・エリザベスとあまりにも似ていた為に笑いが込み上げてきたのだ。
エリザベスが幼い頃にはあまりのお転婆ぶりに手を焼いたものだったが、嫁に出て、遠くの町に引っ越して会う事も少なくなった。たまに会っても、すっかり大人の女性に成長した娘・エリザベス。
そんな娘に瓜二つの孫娘が現れたのだ。つい懐かしくなって頬が緩むのも仕方のない事だろう。まぁエリザベスはアレクみたいに、男の子のような口調と格好はしてはいなかったが。
「っと、いかんいかん。懐かしむよりアレクサンドラを見つけんとな。……ん?」
気を取り直そうと、そう呟いた時だった。ランドルフの耳が甲高い小さな音を拾う。
その音は”キン、キィン……キン”と、不規則に続いていた。間違いなく剣戟の音だ。何者かが剣で打ち合っているのだ。
「騎士と打ち合えるほどのゴブリンか? どっちにしろ、放っては置けんか」
ゴブリンの多くは単体では非力だ。だが人間と同じく、ゴブリンの強さも均一ではない。
力の強い者、足の速い者、『戦闘魔法』の扱いに長けた者。中には一流の剣士のようなゴブリンがいても不思議ではない。
だが、音の方へと駆けつけたランドルフが目にしたものは人間とゴブリンの戦いではなく、人間同士の戦いだった。
「申し訳ございませんが、遊んでいる暇はありませんのでなっ。拙っ速っ!」
「ブレスト様っ、お逃げ下さっ――‼」
それは丁度、決着の付く瞬間だった。横薙ぎの一撃で、敗者の頭部は上下に2分割されてしまった。最後の言葉も言い切る事が出来ず、まるで正座のように頭部の半分を失った身体が座り込む。
切り口から噴き出す血を僅かに浴びた相手の男は、悪魔のような笑みを湛えていた。
その場には、悪魔のような男の他に2人の男がいた。2人とも……いや、悪魔のような男にも見覚えがある。
1人はブレスト=フェルベーク伯爵。もう1人はボーグナイン伯爵。そして悪魔のような男は、ボーグナイン伯爵の付き人だ。
「これは一体、どういう事じゃ⁉ ボーグナイン伯爵っ⁉」
「ち……違うっ。わ、私は……何も……っ。全部、レオナルドが勝手に……っ」
それぞれの関係性を鑑みればボーグナイン伯爵に質問するのが一番だ。ランドルフがそう考えたのも無理はない。
だがボーグナイン伯爵は、狼狽えながらも自身の関与を否定した。全て付き人の男……レオナルドの独断だと断言したのだ。
本来ならそのような事は簡単には信用できない。レオナルドという男が騎士を斬り殺したのも、その雇い主がボーグナイン伯爵である事も曲げようのない事実だ。
だがボーグナイン伯爵のあまりの狼狽えようと、後に続くレオナルドの言葉と態度が、ランドルフにボーグナイン伯爵の言葉を信じさせた。
「これはこれはランドルフ元侯爵閣下、先ほど振りですな。本来なら先ほどと同様に、主と共にもてなさねばならぬ所ですが……。残っ念っ! 貴方様のお相手をしている時間は無いのでございます」
「時間が無い? その口振り……もしやゴブリンを喚び出したのはキサマか?」
「おぉっと、これは失っ言っ! ですがお答えする義理は無いのでございます」
慇懃ながらもクセのある口調でレオナルドは語る。だがこの会話で僅かながら騒動の原因、その糸口が見えてきた。
最初から自然現象の可能性は低いと思ってはいたが、やはりゴブリンは「何者か」の意思で召喚されたのだ。そしてその「何者か」とは目の前のレオナルドか、その仲間に違いない。
「何が狙いじゃ? 国家転覆でも謀っておるのか?」
「まさかまさかっ。そのような些事に思われるとは、心っ外っ!」
「では何が……っ!」
目的を探ろうと会話を続けるランドルフ。幸いにも、レオナルドは会話に乗って来た。だがその最中に突然、前触れもなくレオナルドは手に持つ剣を投擲した。
臨戦態勢を取っていたにも関わらず、ランドルフには予備動作が見えなかった。だが、それが自身に向けての攻撃だったなら躱す事も出来ただろう。しかし狙いはランドルフではなく……。
「ィギッ‼ ぎ、が、ああぁァァッッ‼」
「おやおや。胴体を狙ったのですが、脚に当たってしまいましたか。他人の武器とはいえ、未っ熟っ!」
狙われたのは、この隙に逃げ出そうとしていたフェルベーク伯爵だ。右太腿に剣が刺さり、悲鳴を上げて蹲った。
そしてレオナルドはすかさず先ほど殺した騎士の剣を取り、フェルベーク伯爵に歩み寄ろうとする。
「待てっ! これ以上好きにはさせんぞっ!」
「ふむぅ、私はランドルフ様には用は無いのですが……。どうか見逃しては頂けませんかな?」
「何を戯けた事を……」
「見逃して頂けるのなら貴方はもちろん、そちらのお二人にもこれ以上の危害は加えないと約束しましょう。即ちっ、宣っ誓っ!」
考えるまでも無い。このような提案に乗る手は無い。だが、それでもランドルフは思案した。
このレオナルドという男、ふざけた喋り方だが剣の腕は一流だ。まともに対峙した場合、ランドルフに分が悪い。
だから、あえて提案に乗る事とした。
「なら、お主はこのまま立ち去るという事か?」
「えぇ。ただその前にフェルベーク伯爵の懐にある腕輪を頂いてから、ではありますが」
「腕輪?」
「肯っ定っ、でございます。そちらを頂ければ、すぐにでも立ち去りましょう」
腕輪と聞いて、ランドルフの脳裏にはアレクたちが言っていた「リング」が連想される。
まだ確信には至った訳ではないが、レオナルドの真意が朧気ながらも見えてきた。
「ブレストっ、聞いておったか? その腕輪とやらに心当たりはあるか?」
「う……っ、こ、こんなもの……っ」
脚を剣で貫かれ、倒れたままのフェルベーク伯爵が呻き声を上げながら懐から腕輪を取り出した。
そしてそのままランドルフに向けて腕輪を放り投げる。
腕輪を受け取ったランドルフはその内側に彫られた文字を確認した。
そこには「アヴェリツィア」と、アレクたちの言っていた通りの文字が彫られている。
間違いない。アレクたちが探していた「リング」とは、この腕輪の事だ。
となれば、自然とレオナルドの目的も見えてくる。
アレクたちと同様に、『ブライア神』に会って願い事を叶えるつもりだ。何を願うつもりかまでは分からないが。
その為に、王宮内にゴブリンまで喚び出したのだ。
どう考えてもロクな願い事などでは無い。アレクたちが探しているから、という事を考慮に入れなくても素直に「リング」を渡すなど考えられない。
それにこの男を放置すれば、いつか「リング」を巡ってアレクたちと衝突する可能性も高い。
「こいつを渡せば、本当に手出しはせんのじゃな?」
「えぇ、もちろん。偉っ大っなる『ブライア神』に誓ってっ!」
この男は危険だ。王宮内であっても人を斬る事に躊躇が無い狂人だ。しかも剣の腕は一流ときている。
可愛い孫娘の為にも、この危険人物は排除しなければならない。
「……よかろう。ゆっくりと放り投げるから、受け取るが良い」
「お互い、無用な血を流さずに済みましたな。まさにっ、賢っ明っ!」
だからランドルフは「リング」を囮に使う事にした。
どんな達人でも虚を突かれれば隙が出来る。例え警戒が解けていなくても、「リング」を受け取ろうとしていれば反応が遅れるはずだ。
ランドルフの手を離れた「リング」は、ゆっくりと弧を描いてレオナルドへと向かう。そして丁度、2人の中間地点を超えたタイミングで……。
(今じゃっ!)
ランドルフは身体を深く沈め、全力で疾走した。
「リング」がレオナルドに到達するのと同じタイミングで斬りかかる事が出来る。
「……っ‼」
レオナルドが気付いて剣を構えるが、一瞬遅い。
完全にランドルフの狙い通りだ。この一撃で深手を負わせれば勝敗は決まる。
「もらっ……っ⁉」
勝利の確信をしたその時、ランドルフに……いや、周囲に異変が起きた。
決闘を行っていた闘技場が突如、眩い閃光を放ったのだ。
ランドルフも、レオナルドすらも知らない事だが、これは巨大アリ『オオアギトヒトクイアリ』が召喚された光だった。
その閃光はランドルフの眼を焼き、逆光となってレオナルドの姿を隠す。逆に、光に背を向けていたレオナルドには何の影響もなかった。
一瞬動きが止まり、それでもランドルフはそこに居る筈のレオナルドに向けて剣を振るう。だが、何の手応えも返ってはこなかった。
その代わりに……。
「ぐぅっ‼」
腹に鋭い痛みが走る。光で眩んだ視界が、今度は真っ暗なカーテンに覆われる。
痛みと視界不良で数秒立ち尽くし、少しずつ視力が回復した時、レオナルドは数歩下がった場所で手にした「リング」を眺めていた。
「ぐっ……。不覚を取ったわ……」
「いやはや、危ない所でした。ですがこれぞっ、天っ祐っというものですなっ!」
ランドルフにとっては必殺の、レオナルドにとっては致命のタイミングだった。謎の閃光が起きるまでは。
だが結果は全くの逆だ。
ランドルフは致命の一撃を食らい、レオナルドは無傷で「リング」を手に入れた。
これが「運の差」ならば、なんと無情なものだろう。それともレオナルドの言う通り「神の悪戯」なのか。
いずれにせよ反撃の手段を失ったランドルフは動く事も出来ず、ただレオナルドを睨む事しか出来なかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「殿下、城内にまではゴブリンはいないようです」
前方を警戒しながらメルクリオにそう言ったのはフランだ。
どうやらゴブリンたちが現れたのは闘技場とその周辺だけのようだ。避難の為にエスペランサ城に入ったのは正解と言える。
「不幸中の幸いというやつかな。ギルド長、これからどうするのが良いと思われますか?」
「そうじゃの。まずは陛下たちと合流するのが良いと思いますかの」
メルクリオに尋ねられたギルド長の判断は無難だ。
行動を共にしている5人の内、メルクリオ・フレデリック・ジュリアは戦う力を持たない。フランとギルド長にしても武器も無く丸腰だ。
国王の元には武装した騎士たちが居る筈だし、護衛対象は集中していた方が守りやすい。
「本来なら、緊急時の避難場所は庭園が指定されていた筈ですが……」
一応、火事や地震などの災害時の避難場所の指定はあった。
だが庭園に集まるなど出来ない。自分たちは今まさに、そちらからやって来たのだから。
「で、ではどうしますのっ?」
「ジュリア嬢、大丈夫だ。恐らく陛下は謁見の間におられる。皆さま、そちらへ向かいましょう」
不安に震えるジュリアを落ち着かせるようにフレデリックが宥める。仕事柄、王宮に出入りする機会の多いフレデリックは複数の避難場所を全て覚えていた。
謁見の間なら数百人が入れる間取りになっているし、要人を守りやすい造りにもなっている。避難先としては最も可能性が高い場所だ。
「では参りましょう。私が先導しますので、皆さまは少し離れてついてきてください」
「その事だが、フラン。君には頼みがある」
先程までと同じようにフランが先導する形で先を進もうと宣言した時、メルクリオが声を上げた。
「フランには騎士団の詰め所に向かってもらい、武器を用意して来てもらいたい」
騎士や護衛としてではなく、貴族令嬢として参加したフランは当然武器を持っていない。
だが仮にも近衛騎士に所属するフランの戦闘能力は馬鹿には出来ない。その力を十全に発揮できれば、攻めにも守りにも大いに戦果を期待できる。
決して過信ではなく、そう理解していたフランはメルクリオの指示に従う事にした。
まずはメルクリオたちの安全を確保し、その後に戦力の確保、そうすれば如何に大量だろうとゴブリンを殲滅させるのも時間の問題だ。
「畏まりました。殿下たちを送り届けた後、詰め所に向かいます」
「いや、今すぐに向かってもらいたい」
だがフランの考えとは裏腹に、メルクリオの出した指示は「今すぐに」というものだった。
真意を図りかねるフランは眉を顰め、続きの言葉を待つ。
「そしてそのまま、ユーキの援護に向かってもらいたい。ユーキの気性では1人で逃げ出すとは考え辛いからな。今もまだ戦っているかも知れん」
思ってもみなかったメルクリオの指示に、フランは目を大きく見開く。
ユーキの実力なら1人でゴブリンの群れを突破するのは可能だろう。だがメルクリオの言う通り、それを良しとする気性ではない。それはフランにも同意できた。
だが、その指示に従う事は出来ない。なぜならば……。
「私は近衛騎士であり、殿下の専属メイドです。殿下を置いて他に向かうなど考えられません」
最優先するべきはメルクリオの安全だ。それを確保できない内から他に向かうなど、例えメルクリオ自身からの指示であっても従えない。
「しかし王宮内の保全は近衛騎士の使命ではないか? 民間人のユーキにのみ戦わせるのは騎士の矜持に関わらんか?」
「いいえ、最優先すべきは御身の安全です。それにユーキ様でしたら心配は無いでしょう」
何を言われてもフランの優先順位は変わらない。騎士の使命も矜持も、メルクリオの身には代えられないのだ。
それにユーキは少し向こう見ずな所もあるが、フランよりも強いのだ。それは数度の模擬戦で証明されている。ゴブリンごときに後れを取るとも思えなかった。
「私なら大丈夫だ。城内に魔物はいないし、ギルド長もいる。それよりもユーキの方が心配ではないか?」
「魔物がいないといっても隅々まで確認した訳ではありませんし、ギルド長とはいえ御1人では万が一もあり得ます」
「お、お2人ともその辺で……」
この緊急時に長々と言い合いをしている2人にフレデリックが割って入ろうとする。だが、その声を無視してメルクリオの叫び声が上がった。
「万が一と言うならユーキの方だろうっ⁉ なぜ心配ないと言い切れるっ⁉」
メルクリオの疑問の叫びに答える者は誰もいなかった。対抗する答えが見つからなかったからではない。感情を顕わにして叫ぶメルクリオの姿に戸惑ってしまったからだ。
「なぜ国のお荷物でしかない私がフランに守られて、ユーキは1人で戦わなければならないっ⁉」
皆、頭では反論も思いついてはいる。近衛騎士のフランが王族のメルクリオを守るのは当然だし、戦っているのは決してユーキ1人だけではない。
だがそんな理屈など通用しない雰囲気がメルクリオからは漂っていた。
「私は、大丈夫だ……。だから、ユーキを……我が友を助けてくれ……。フラン……頼む……」
消え入りそうな声で懇願するメルクリオに、誰も言葉を発する事が出来ない。
この場の全員がそれなりにメルクリオの人柄は知っていた。だが誰もが、こんなに感情を顕わにする姿など見た事が無い。
それは、最も付き合いの長いフランも同様だった。
各々がこの状況を整理しようと考えを巡らす。
「こんな事をしている場合では無い」と思う者。「どうするのが最善か」を模索する者。
「お、お姉様……」
しばらくの沈黙の末、最初に言葉を発したのは「ただ狼狽えるだけ」の者だった。
恐らく、感情的になっているメルクリオを説得するのは容易ではない。それはこの場にいる全ての者の共通の見解だった。
だから会話の鍵を握るフランへ注目が向いたのも当然ではある。
「そ、それでも私は……」
初めて目にするメルクリオの姿にフランは狼狽する。だがそれでも1番大切なものを見失う訳にはいかない。
だからフランは「それでも」としか言えなかった。
その時――。
”ドンッ‼‼‼‼”
凄まじい轟音と共に、通路の先の扉が吹き飛んだ。
「なっ、何じゃっ⁉」
「殿下っ、お下がりくださいっ‼」
突然の異変に、一同に緊張が走る。
そしてその数秒後。
「……ぐぁっ!」
部屋の中から、短く男の悲鳴が聞こえた。何か、尋常ではない出来事が起こったのは間違いない。
当然、見過ごす事など出来ないと考えたフランは先程までの議論を棚上げして中の様子を窺う事にした。
「私が様子を見て参ります。ギルド長は殿下たちをお願いします」
「うむ。気を付けるんじゃぞ」
流石にこの状況で異論を挟む者は現れない。それは先程まで叫んでいたメルクリオも同様だ。
全員の同意を得たと確認したフランは、ゆっくりと扉の無い部屋の前まで進む。そして覗き込んだ室内に居たのは――。
「危ない所だったわぁ。惜しかったわね、エメロン」
黒いドレスを纏った女と、片目を抑えて蹲る様に対峙する青年。その青年の後ろにいる少女の3人だった。




