第30話 「人食いのアリ」
『オオアギトヒトクイアリ』
全高約3m、全長約5mの巨体を誇る巨大なアリ。通常のアリとは違い、コロニーを持たず単体で行動します。非常に凶暴な肉食の昆虫で野生動物や家畜はもちろん、人間を襲う事でも有名。ノコギリのような牙と、人間を襲う姿から『オオアギトヒトクイアリ』と名付けられましたが、省略して『オオクイアリ』と呼ばれる事もあります。
ブラムゼル大陸の各地で目撃情報が見られますが、その生態の多くは謎に包まれています。前触れなく現れ、討伐後には付近に巨大なトンネルが見つかる事から通常のアリと同じく地中に巣を作っていると思われていますが、調査ではトンネルから他の個体や卵などは見つかってはいません。
巨体に見合わず俊敏で、顎の力は一噛みで成木を嚙み千切る事が可能なほど強力です。甲殻は硬く、弓矢などでは貫く事は難しいでしょう。また強力な蟻酸を吐く事もあるので注意が必要です。
不運にもこの怪物と遭遇してしまった場合、無暗に動いてはいけません。このアリは素早く動くものに敏感に反応し、攻撃を開始する習性を持ちます。ゆっくりと動き、見つからないようにやり過ごすのが得策でしょう。
『大陸の危険な生物』より一部抜粋
△▼△▼△▼△▼△
「マ……マジかよ?」
光と共に現れた巨大なアリ。ユーキはその巨貌を見上げて呟いた。
その顔は、威嚇をするように剣のような牙を打ち鳴らしながら周囲を見回している。幸いというべきか比較的近くにいるユーキたちは、その巨体故に視界に映ってはいないようだが、その眼は……紅い。
「あれは『オオクイアリ』か? それにしてもデカイな……」
「アンタ、知ってんのかっ⁉」
「騒ぐな。気付かれるぞ」
巨大アリを見て呟いたバルタザールにユーキが噛みつく。だがバルタザールは冷静にユーキを窘め、その言動を制した。
「1度だけ討伐に参加した事がある。人食いの巨大アリだ。しかもあの巨体に魔物化までしているとはな……。ヘタを打つと王国が滅ぶぞ」
「タイヘンじゃないかっ! 何とかしないとっ!」
いくら凶暴な猛獣だろうと、食事の為に人間を襲うのならその被害には限度がある。普通なら腹が一杯になればそれ以上は襲う事は無い。
だが相手が魔物であれば話は別だ。魔物は人間に対して異常な程の殺意を向ける。
そして、ここにはエストレーラ王国の王族や貴族が集まっている。万が一彼らがその被害に遭い全滅などという事にでもなれば、バルタザールの言う事も決して大げさではなかった。
(あんなバケモンを相手にすんのはゴメンだが、さすがに放っとけねぇしな。それにまだ周りは混乱してっし、マトモに武装してんのは多分、俺だけだ)
観客席では帯剣をしている騎士たちがゴブリンたちと戦っているようだが、剣を持っているというだけで完全武装をしている訳では無いし、何より数が少ない。
今、巨大アリの対処が出来るのは自分たちだけだ。
「よしっ、アレクっ! 俺たちであのアリをブッ倒すぞ!」
「うんっ!」
「なら、オレも加勢しよう」
2人の決意にバルタザールが協力する事を宣言する。
素手でゴブリンを薙ぎ倒していたバルタザールの実力は本物だ。正直、加勢はありがたいのだが……。ユーキは疑問をぶつけずにはいられなかった。
「アンタ、帝国の皇子だろ? 逃げた方がいいんじゃないのか?」
「戦わずして逃げては『豪鬼』の名が廃るからな。得物が無いゆえ囮くらいしか出来んが、邪魔にはならんぞ?」
「王国に恩を売ろうってコトか?」
「売るなら王国より、お前たちの方がよいな。この件が片付いたらオレの部下にならんか?」
「アンタはそればっかりかよっ⁉」
「ユーキっ! アリが動いたよっ!」
バルタザールの真意を探ろうとしてツッコミを入れていたユーキにアレクが叫ぶ。見てみれば巨大アリは観客席へ向けて動き始めていた。狙いは観客席に残っている人たちだろう。
「ギャーッ⁉」「ギャッギャッ⁉」
闘技場内に残っていたゴブリンに見向きもせずに巨大アリは進み、その足元にいた数体が轢き潰されている。
ゴブリンが巻き添えを喰らっているのはむしろ好都合だが……黙って見ている訳にはいかない。
「チっ、作戦でも立てたい所だが……。行くぜっ!」
「『オオクイアリ』の甲殻は強固だっ。並の攻撃では通らんっ。オレとアレクは囮だ。ユーキ、お前が止めを刺せっ!」
無策で突撃する覚悟を決めていたユーキに、バルタザールが地を蹴りながら手早く作戦を決める。
これが場数の差という事なのだろうか。バルタザールの指示は的確に思えた。
「うんっ、わかったっ! ユーキ、任せたよっ!」
「お前たちは左右に散開しろっ!」
何より一刻を争うこの場でいちいち異論など唱えてはいられない。
ユーキは短く頷いて左に、アレクは右へと別れた。
そして真っ直ぐアリへと向かっていたバルタザールは「武器」を拾う為に少しだけ曲がる。
「まずは注意をこちらへ向けんとな……。ふんっ!」
「ギャッ⁉」
「ぬうぅんっっ‼」
拾った「武器」……いや、ゴブリンを力任せに放り投げる。
ゴブリンのリーダーが行っていた攻撃と同じだ。違う点は、武器として扱われたゴブリンが仲間ではないという事か。
まるで物のように扱われたゴブリンは高速で回転をしながら真っ直ぐに巨大アリへと飛んで行き、その頭に当たって地面に落ちた。
間違いなくゴブリンは絶命しただろう。だが、その事は問題ではない。
ゴブリンがぶつかった衝撃で少し頭を揺らした巨大アリは動きを止める。そしてゆっくりと振り向き、その紅眼がバルタザールを見下ろした。
予想通りではあるがゴブリンが衝突したダメージは見られない。そして目標をバルタザールへと変えて、6本の脚を動かし始めた。
「なるほど、魔物化しても行動パターンはそう変わらんな」
魔物化をした生物は、力と共に凶暴性が大きく増すという。
元々が草食獣などだった場合は行動パターンが変わる場合も多いのだが、この巨大アリは変化が無いようだ。元々、人食いの猛獣だからだろう。
力が増してもパターンが同じなら、対処法も同じで良い筈だ。
かつて一度『オオクイアリ』の討伐の経験があったバルタザールは確信し、距離を取る。
「あのオジサン、スッゴイや。よーし、ボクだってっ!」
バルタザールの力任せの攻撃に感心の声を上げ、アレクが巨大アリへと駆けた。
巨大アリの視線は真っ直ぐにバルタザールへと向けられている。今なら無警戒のところへ一撃を喰らわせる事が出来る筈だ。
「でやあぁぁーーっ‼」
アレクの動きは速い。僅かに『根源魔法』で強化された脚力で、ドレス姿の小柄な少女である事を忘れさせるかのような速度で駆ける。
巨大アリを射程に捉えたアレクは高く跳び、そのままの勢いで剣を振るった。
”ガインッ‼”
「硬ったぁ~っ⁉」
あわよくばそのままユーキの出番を奪おうと考えて全力で剣を振ったが、巨大アリの甲殻を貫く事は出来ず、その表面に僅かな傷を付けただけだった。
アレクは巨大アリの腹の上に乗ったまま、あまりの硬さに驚愕する。
だが再び巨大アリの動きは止まった。しかも今度は攻撃の正体が分かっていないのか、足を止めて周囲を見渡している。腹の上のアレクが見えていないのだ。
「よしっ。アレクっ、振り落とされんなよっ!」
バルタザールとアレク。2人の攻撃のおかげで巨大アリの動きも読めた。
動きを止めて他に気を取られている今なら、ほぼ無条件で攻撃が当たる。そしてユーキの「炎の剣」は文字通り必殺だ。人形兵器の金属製の装甲も一撃で貫くその威力は、いくら硬くても生物が耐えられるものではない。
ユーキは聞こえはしないと理解しながらも、アレクへ向けての注意を声に出して駆け出した。……仮に振り落とされても、アレクの『根源魔法』による身体強化なら大ケガをする事は無いとは思うが。
「ん? 少し動きが鈍いか?」
剣を片手に走るユーキを見てバルタザールは呟く。人形兵器との戦いでは、もっと素早く動いて銃撃を躱していた筈だと。
疲れか、負傷か、とバルタザールは考えたがそうではない。
バルタザールは知る由もない事だが、ユーキの「炎の剣」は同時に3つもの魔法陣を起動している。
1つの魔法陣でさえ長時間の集中が必要とされるのが一般的だ。それを3つ……。いかに魔力制御に長けたユーキでも、動きが鈍るのは避けられなかった。
とはいえ巨大アリは無警戒だ。少し速度が落ちても近づくのは難しくない。
あと数mの距離まで迫ったユーキは剣に魔力を流し、同時に炎が噴き出した。
「喰らい……」
”ズザザザザザッッ‼”
「うぇっ⁉」
剣を振りかぶった瞬間、巨大アリが凄まじい動きでユーキから距離を取った。今まで見せていなかった、巨体を感じさせないその動きにユーキは呆然と立ち尽くす。
「な、何だってんだよ急にっ?」
「どうやら『オオクイアリ』は火を恐れるようだな。そういえば昔に戦った時も火に過敏に反応していた」
「知ってたんなら先に言えよっ!」
隣に現れ、解説をするバルタザールに文句を放つ。だがこれは八つ当たりだ。
ワザと黙っていた訳ではない事くらいユーキにだって分かっている。
「確信は無かった。許せ」
「く……。そん時はどうやって退治したんだよ?」
「単純に物量作戦だ。当時の『オオクイアリ』はアレより二回りは小さく、魔物でも無かったが、4人の死者が出た」
仲間内で争っていても仕方がない。そう思ってバルタザールの経験から活路を見出そうとするユーキだったが、その内容は参考にはならなかった。
当時の詳しい状況は分からないが、死闘であった事は窺える。それより遥かに脅威の高い魔物が王城の敷地内にいるのだ。本当に王国が滅んでもおかしくはない。
「じゃあっ、どうしろってんだよっ⁉」
「言っている場合では無いぞ。……避けろっ‼」
会話の最中で叫んだバルタザールに反応してユーキが横に跳ぶ。巨大アリが口から何かを吐き出して飛ばしてきたのだ。
その何かはユーキの元居た場所に”ベシャッ”という音と共に着弾した。
「何だ、コレ? キタね……臭っせぇっ⁉」
「蟻酸だ。間違っても被るなよ? 骨まで溶けるぞ」
黄土色のゲル状の液体。そこから放つ刺激臭が鼻を突く。
例え危険が無かったとしても、こんなものを受けたくはない。
「油断するなっ! 次が来るぞっ!」
「げっ⁉」
その言葉の通り、巨大アリがユーキに向けて次々に蟻酸を飛ばしてくる。
ユーキは走り続け、とにかく回避をする事に専念した。
「クソっ、何で俺ばっかりっ」
そんな愚痴を零すが、理由など分かり切っている。巨大アリはユーキを脅威だと認めたのだ。
だから他には目もくれず、ユーキだけを狙って蟻酸を吐き続けている。
「アギャッ⁉ アギ、ギ、ア、ァァァ……」
ユーキが躱した蟻酸がゴブリンに直撃する。胴体に直撃したゴブリンは悲鳴の声が小さくなっていき、程なくして地に伏した。
チラリと横目で見てみれば胴の3分の1ほどが溶けている。同時にかかったであろう腕も肘から先が無い。とんでもない溶解力だ。
「とにかく避け続けろっ! 流石に無限には吐けん筈だっ!」
バルタザールがそう言いながら、先程と同じようにゴブリンを捕まえて巨大アリに投げつけているが全く反応しない。完全にユーキをターゲットにしている。
そしてユーキを自身の間合いに近付けるつもりは無いのだろう。先程から大きく動く事なく、ユーキを近付けないように蟻酸による攻撃を続けている。
(クソっ、これじゃ近付けねぇ! 言われた通り、アリの限界が来るまで避け続けるしか……。ん?)
為す術なく、いつ訪れるかも分からない弾切れを待つしかないという状況で、巨大アリの背に立つピンク色のドレスがユーキの目に映った。
「アレクっ⁉ 何してんだっ‼」
先程までは巨大アリの陰になって気付かなかったが、アレクはずっとその背にしがみついていたのだ。
そして動きを止めた巨大アリの背を移動し、木の幹のような太さの脚に腕を回す。
「ふんっ、ぎいぃぃっ!」
”ボギィッ!”
そのまま背後に捻り上げ、力任せに脚をもぎ取った。
鈍い音が響き、すかさずアレクは隣の脚にも手を伸ばす。
「もう、一本んんんっっ‼」
”ベキィッ!”
「何という怪力だ……」
その様子を見たバルタザールが感嘆……いや、驚愕の声を漏らす。
あのような芸当は『豪鬼』と呼ばれるバルタザールにも不可能だ。それをやっているのが幼いとも呼べる容姿の少女なのだから、その驚きは如何ほどのものだろうか。
当然、アレクのこの力は『根源魔法』の身体強化によるものだ。バルタザールはそれを知る由もない事だが。
「アレクっ‼ 離れろっ‼」
「ふぇっ? ぅわわっ⁉」
ユーキが声を放つのとほぼ同時に巨大アリが暴れ出した。先程までとは違い、地面を転げまわる様に藻掻く。3対6本の脚の、片側を2本ももぎ取られたのだから当然の結果である。
魔物は四肢を失おうと、その死の最後まで人間を襲うという話だが、このような姿になればマトモに立つ事も出来はしない。
「あでっ⁉ いっつぅ~っ!」
巨大アリから振り落とされたアレクが地面に落ち、頭を擦る。
身体強化による防御は間に合わなかったが、運良く重傷ではなかった。だが……。
「アレクっ‼ 避けろっ‼」
「ててて……、んべっ⁉」
ユーキが指示を飛ばしたが、アレクは反応する事が出来なかった。
アレクの胸元に、黄土色の液体が直撃する。
「アレクぅっっ⁉ て……んめえぇぇっっ‼‼」
ユーキは地面を這う巨大アリに向かって突撃した。脚を2本失った巨大アリに逃げる術は無い。
剣を振りかぶりながら魔力を流す。3つの魔法陣の輝きと共に炎が生まれ、剣を振るう。
巨大アリはそれでも抵抗しようと刃のような牙を向けたが……その牙ごと「炎の剣」は巨大アリの頭部を両断した――。
「何という……。しかし……」
巨大アリ――『オオアギトヒトクイアリ』は動きを止めた。確実に倒したのは間違いない。
2人の活躍にバルタザールは感嘆の声を漏らすが、代償もあった。
「あ……アレク……」
振り返ったユーキは、変わり果てた親友の姿を直視する事が出来なかった……。




