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第27話 「魔物転移と、美しき暗殺者」


 真っ二つに両断された人形兵器を見たユーキは、自分の「新技」の成果に満足していた。


 半年ほど前に盗賊たちの人形兵器と戦った時、ユーキには決定打を与える方法が無かった。結果的にはユーキが止めを刺したが、それはエメロンの火の魔法で熱されて脆くなっていたからだ。自分1人の勝利ではない。

 エメロンの活躍を否定する訳では無いのだが、ユーキは1人では勝てなかった事が悔しかったのだ。


 結果、思いついたのが「火の魔法と斬撃を合わせる」という事だった。


 だが、この思い付きの実現は簡単ではなかった。

 まず、刀身を火の魔法の熱から守る必要がある。剣が溶けてしまっては元も子も無い。そして、剣を持つ手も熱から守らなければならない。

 これらの問題をクリアする為、ユーキは「火」「耐熱」「断熱」の3つの魔法陣を同時に発動する事を考えた。


 しかし本来、『戦闘魔法』を近接戦闘で使用する者は多くない。魔法の発動には高い集中力が必要だ。これをするのには高度な訓練か、生まれ持ったセンスが必要だからだ。

 2つの魔法を同時に使用する者は更に少ない。これが出来るのは生まれ持ったセンスを持ち、更に厳しい訓練を積んだ者だけだからだ。

 3つの魔法を同時に、しかも近接戦闘で使用するなど前代未聞と言っても過言ではなかった。


 これを可能としたのはもちろんユーキのセンスや努力もあるが、エメロンの存在が大きい。

 「何でも知る事の出来る能力」を持つエルヴィスから魔法を学んだ3人の、特に地頭の良いエメロンの『象形魔法』への理解は、大陸の標準的な魔法技師の知識を遥かに超えていた。

 そのエメロンが、ユーキの為だけの魔法陣を構築したのである。


(エメロンも見てくれてっかな?)


 「新技」の成果、それを完成させる大きな助けとなってくれた親友への感謝の気持ちを抱きながらユーキは観客たちを一瞥(いちべつ)する。

 エメロンの姿は見つけられなかったが、代わりに――。


”うおおおおぉぉぉぉっっっ‼‼”


 空気を揺るがす程の大歓声が響いた。貴族も、平民も、男も、女も関係ない。その場の全ての観客が一斉にユーキを称えて声を上げた。

 驚きに見回してみればメルクリオ達も歓声を上げてくれているのが見える。別の所を見れば皇太子一行が驚いたような目で見てくるのも確認できた。視界の端に映ったボーグナイン伯爵が呆然としているのがいい気味だ。


 そして間もなくして大男……第2皇子のバルタザールがユーキに近付き、話しかけてきた。


「驚いたぞ、まさか一撃とはな。銃撃に対する立ち回りも見事だった」


 バルタザールの惜しみない賞賛にユーキは戸惑い、返す言葉が見つからない。

 ユーキにとって、この男は敵だった筈なのだ。フランを(めと)ろうと、フランの幸せを妨害しようとする、紛れもない敵だった。

 その敵から褒められても何と返せば良いのか分からない。


「出来ればお前のような部下が欲しいものだ。どうだ? 帝国に来てオレの下で働かんか?」


「は? いや、俺は……」


 突然のスカウトにユーキは理解が追い付かない。

 ユーキはフランを守る為に戦ったのだ。そしてこの男は敵だった筈だ。それがなぜ、敵の下で働く事になるのかが分からない。

 だがバルタザールは、ユーキの混乱もお構いなしに話を続ける。


「あぁ、あの娘か? 安心するが良い。お前は見事に決闘に勝ったのだ。あの娘はお前のものだ」


「ちょっ⁉ そんな話じゃ……っ」

「お前は平民だったな? だが、オレは血統より実力を評価する。お前ほどの男ならすぐにでも兵士長にしてやっても良いぞ。どうだ? ん?」


 ユーキを完全に無視してバルタザールは話を続ける。

 フランとバルタザールの結婚を阻止しようとしただけなのに、「フランがユーキのもの」となる理由も分からない。それを慌てて否定しようとするが、全く話を聞いていない。


 全く話にならないバルタザールを前にユーキが困惑していた時、予想外の方向から助け船がやって来た。


「バルタザールっ、いい加減にせよっ! さっさと勝ち名乗りを上げ、余興を終わらすが良いっ!」


 声を上げたのは皇太子・ジークムントだった。

 彼は観客席から声を上げ、バルタザールに決闘の締めを執り行うようにと()かす。


 ジークムントからすればこの決闘はまさしく余興であり、本来の目的である王国との講和とは関係が薄い。むしろ関係が悪化する要因ともなり得る。

 王国内で勝手に廃止されている決闘を行い、更には王国民をヘッドハンティングするなど、王族の不興を買ってまで行う事では無いのだ。


 一応はその事を理解しているバルタザールは、渋々ながらジークムントの指示に従った。


「やれやれ……、仕方あるまいな。おい、名前を聞いていなかったな」


「え、あぁ。ユーキ=アルトウッドだ」


「ほぉ。お前もしや、あの『疾風のサイラス』の(せがれ)か?」


「親父を知ってんのかっ?」


「うむ。何度も部下にと誘ったのだが断り続けられたものよ。冒険者が性に合っていると言ってな」


 ここに来て初めてユーキの名を聞いたバルタザールが、納得したように語りだした。逆に、それを聞いたユーキは驚きしかない。

 自分の父親が帝国の皇族にまで名前を知られていたなど考えもしなかった。しかも部下にと誘われ、断っていたなど初耳だ。


 今は亡き父の話に、バルタザールへと興味が向いたユーキだったがそれは再びジークムントの言葉で遮られる。


「何をしておるっ! 余はさっさと締めよと申したぞっ!」


 いつまでも勝ち名乗りを上げず、雑談などを始めようとする2人に痺れを切らしたのだろう。少し距離がある為、ジークムントまで2人の会話が聞こえなかったのも原因かもしれない。

 それを聞いたバルタザールは、今度こそ観念したかのように大きく息を吸い込んだ。


「諸君っっ‼ 見ての通りだっっ‼ 決闘の勝者はこの男、ユーキ=ア……」




◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 幼馴染の勇姿を目の当たりにしたアレクは震えていた。


 アレクにとってユーキは『英雄』だ。その事実は初めて会ったあの頃から変わらない。

 だが今のユーキの姿は、誰の目から見てもまさしく『英雄』そのものだった。


 炎の魔剣を携え、頑丈な敵を一刀の下に両断する。

 この姿が『英雄』でなくて一体何なのか?


 もはやユーキはアレクだけの『英雄』ではない。きっと、この場に居る全ての人がユーキを『英雄』だと(たた)えるだろう。

 周囲を見回してみると、祖父や従兄弟も、ジュリアもフランも、王子さまもギルド長も、全員の視線がユーキに釘付けだ。


 少し遅れて、大歓声が鳴り響く。アレクの予想の通り、誰もがユーキを『英雄』と認めているのだ。

 その事実がアレクの身体を震わせる。


 やっぱりユーキはこうでなくてはいけない。

 ユーキは強く、賢く、勇敢な、本物の『英雄』なのだから。


 やがて身体の大きな皇子がユーキの側に立ち、何か会話をした後に大声で声を張り上げた。


「諸君っっ‼ 見ての通りだっっ‼」


 どうやらユーキの勝ち名乗りを上げるようだ。どう見ても勝敗は決しているのだから当然だろう。

 全員の注目を浴び、今まさに主役となったユーキを見て、アレクは誇らしくなる。


 だけど自分も負けてはいられない。

 『英雄』の隣に立つのは、やはり『英雄』が相応しいのだ。『聖女』など他にも候補がありそうだが、それより自分も『英雄』がいいと、アレクはそう考える。


 しかし皆に認められる『英雄』になる為には、それだけの実績を見せつける必要がある。ユーキが今、それをしたように。

 『英雄』の実績……。それはやはり前線に立ち、強大な敵を打ち倒す事だろう。


(『敵』かぁ……。やっぱ魔物かな?)


 そんなアレクの考えと同時に、身体の大きな皇子……バルタザールがユーキの名を宣言しようとした時だった。


「決闘の勝者はこの男、ユーキ=ア……っ⁉ なっ、何だっ⁉」


 その場にいた全員の目が、閃光に焼かれた。

 決して失明などを心配するような強力な光ではないが、照明があるとはいえ夜の闇に慣れた目を眩ませるには十分な光量だった。


「いきなり何ですのっ⁉」


「おいっ、押すなっ!」


「し、失礼しましたっ!」


 周囲もザワつき、混乱している声が聞こえる。間もなくして光は消えたが、視力の回復には今しばらくの時間がかかるだろう。

 周囲の状況が分からず戸惑う状況の中、アレクの耳は喧騒とは違う「声」を拾った――。


「ギ……、ギギャ」


 僅かに聞こえた「声」は、明らかに人間の発したものとは違う。そして、その「声」は1つでは無かった。


「みんなっ、なにかヘン――」

「いやああぁぁぁぁっっ⁉」


 知り合いたちに異変を告げようとした時、それを搔き消すように悲鳴が木霊(こだま)した。

 悲鳴の位置は少し離れている。ようやく回復し始めた目が状況を映すが、それを理解するのには更に幾ばくかの時を要した。


 悲鳴を上げたのはドレス姿の貴婦人。口元を両手で押さえ、蒼白の顔で自らの足元を見つめている。

 その視線を追うと、貴婦人の足元にはタキシードを着た壮年の男が横たわっていた。

 彼の胸元には矢が刺さっている。恐らく、それが原因で倒れたのだろう。それは理解できる。


 だが、何故矢が刺さっているのかは分からない。先程の閃光も分からない。

 状況の一部が分かっても、それでも何が起こっているのか分からないアレクだったが、考える必要も無く答えは目の前に現れた。


「ギャ、ギャギャーッ‼」


 アレクの目の前に居たのは、浅黒く汚れた肌、小柄な体躯に武具を身に着け、紅い瞳で睨みつけて来る生物だった。


「ゴ、ゴブリンっ⁉」


 アレクが戸惑ったのも無理はない。

 ここはエストレーラ王国の王都、その中心にある王城・エスペランサ城の敷地内なのだ。ゴブリンが、魔物などがいる筈がない。

 いる筈がないのだが……。では、目の前にいるのは一体何なのか?


 動きが止まっていたアレクだったが幸いというべきか、動きなく戸惑っていたのはゴブリンも同様だった。

 ゴブリンは落ち着きなく、周囲をキョロキョロと見渡している。まるで、自分がどこに居るのかが分かっていないかのようだ。


「キ、キャアァァーーっ⁉ ま、魔物よっ⁉」


「ギャッ‼ ギャギャッ‼」


「だ、誰かっ⁉ ワシを助けろっ‼」


 次第に周囲も騒がしくなり始める。ゴブリンは目の前の1匹だけでは無い事がその様子から分かる。

 そして同時に、目の前のゴブリンが幻などでは無い事も理解ができた。


 理解が追い付いたのはアレクだけではない。目の前のゴブリンも、自身の置かれた状況に理解が追い付いたようだ。

 理解ができたなら、ゴブリンの、魔物の取る行動は1つだ。

 「人間への敵対衝動」。時には人間を罠に()める為に逃亡する事すらあるゴブリンだが、この状況で逃げる事は無い。


 ゴブリンは手に持つ短槍を握りしめ、アレクへと飛び掛かった。


 対するアレクには武器が無い。それどころか身に纏っているのは豪奢(ごうしゃ)なドレスで、盾も鎧も無い。

 そしてこの至近距離では魔法を使う暇も無い。アレクの『根源魔法』なら魔法陣も何も無くても使用が出来るが、魔力の集中もせずに使っては自爆してしまうのがオチだ。


「ギャーーッッ‼」


 雄叫びを上げるゴブリンに対し、丸腰のアレクは打つ手が無い……ように見えたが――。


「やっ! っだあぁぁぁっ‼」


 アレクの優れた動体視力と運動神経で短槍を掴み、そのままの勢いで振り返ってゴブリンを地面に叩きつけた。


「ギャッ……ハ……ッ」


 頭から叩きつけられたゴブリンは、短い悲鳴を上げて動かなくなった。

 武器や魔法が無くても、アレクにだってこのくらいは出来るのだ。伊達にユーキやエメロンと何年も一緒に修行をしていた訳ではない。


「アレクサンドラっ! 大丈夫なのかっ⁉」


「うんっ! みんなはっ⁉」


「安心しろ。お祖父様たちが対処してくれた」


 フレデリックの心配に短く答え、見てみると2匹のゴブリンが倒れ伏している。2匹とも首を折られ、既に虫の息だ。


「ランドルフ、年を食っても相変わらずのヤンチャじゃの」


「ギルド長に年の事は言われたくありませんな」


 それを為したのはランドルフとギルド長の2人のようだ。2人のとも息一つ乱す事なく雑談などに興じている。


「ハァッ‼」


「ゲッ⁉」


 掛け声に目を向けると、フランがゴブリンの喉を拳で突いていた。

 そのままゴブリンはうつ伏せに倒れ、痙攣(けいれん)している。


「フランの嬢ちゃんも中々やるの。黄色い悲鳴を上げてくれてもいいんじゃぞ?」


「これでも近衛の末席を汚しておりますので。心配はご無用です」


 少し遅れてゴブリンを倒したフランも、突然の事態に動じる事も無く冷静なものだ。

 だが戦闘経験など皆無の者たちはそう余裕ではいられない。とりわけ落ち着きを無くしているのはジュリアとフレデリックだ。


「お、お姉様……」


「ジュリア、気をしっかり持ちなさい」


「お、お祖父様、これは一体どういう状況でしょうか? なぜ、いやどうして魔物が突然……」


「フレデリック、お前も落ち着かんか。理由は分からんが、とにかく魔物が現れた。儂らがすべき事は非戦闘員の避難と救助じゃ」


 震えるジュリアと狼狽(ろうばい)するフレデリックをそれぞれが(なだ)め、ランドルフが早急に方針を打ち立てる。それに追従し、言葉を発したのはメルクリオだ。


「ならば王城に逃げるのが良いだろう。中も安全とは言い切れんが、こう戦況が入り混じっていては被害が収まらんだろう」


「へ、陛下と王太子殿下は?」


「問題ありません。お二方とも、私より上位の近衛が付いているはずです。それに恐らく陛下も同様の判断を下されるかと思います」


 フランに言われて国王の居た筈の場所を見てみれば、騎士たちが円陣を組んで王城へと向かって下がっているのが見えた。恐らく中心に国王がいるのだろう。

 それを確認したランドルフが全員に向かって号令を出した。


「よしっ、お前たちも下がれっ。救助は儂とギルド長が行うっ!」


「えーっ⁉ ボクだって戦うよっ!」


「アレクサンドラ、お前は殿下たちの護衛じゃ。丸腰で戦うのは危険すぎるわい」


 ランドルフの指示は順当と言えた。

 いくら相手がゴブリンとはいえ、このような混戦では何が起きるか分からない。それに避難組の護衛も必要だ。アレクとフランを護衛に回し、ランドルフとギルド長がその場に残るのが最善だった。


 だが、アレクは納得しない。今まさに『英雄』となれる機会が訪れているのだ。今、力無き人の為に戦わずに『英雄』になどなれる訳が無い。


 それにアレクは師匠のバルトスから素手の戦闘訓練も受けている。武器が無くてもゴブリンくらい大した事は無い。

 何より、「武器」ならここに――。


「来いっ! ≪栄光の道程(スターロード)≫っっ‼」


 先程から≪栄光の道程(スターロード)≫を使う為の魔力を練っていたのだ。アレクの剣はリッジウェイ侯爵家に預けてあった。エスペランサ城からは約5km。アレクの魔力なら何でもない距離だ。


 アレクの叫びに合わせて眩い光が辺りを包む。

 何事が起きているのか理解ができない面々は呆然と立ち尽くし、光が止んだ後には剣を手にしたアレクの姿があった。


「よしっ! それじゃ、みんなを助けて来るねっ!」


 アレクは返事も聞かずに、呆気にとられる者たちを置き去りにその場から飛び出して行ってしまった。

 それを見たランドルフはハッと正気に返り、素早く指示の訂正を行った。


「ギルド長、殿下たちの護衛をお願いできますか?」


「構わんが……。跳ねっ返りの御守りでお主も苦労しとるのぅ?」


「なんの、馬鹿な孫娘ほど可愛いというやつですわい」


 あくまで余裕の態度を崩さず、短くギルド長とのやり取りを済ます。


 アレクが冒険者をしている事はランドルフも知っている。魔物や盗賊との戦闘経験がある事も聞いている。先程のアレクの身のこなしも、実に鮮やかなものだった。近衛騎士のフランと比べても遜色(そんしょく)はない。

 恐らく、ゴブリンごときに後れを取る事は無いだろう。とはいえ放ったらかしにする訳にはいかない。


「おいっ! アレクサンドラっ‼ 少し待たんかっ‼」


 だからランドルフは、可愛い孫娘を追って走り出したのだった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 エメロンは困惑していた。自分の唇に訪れた、初めての感触に。

 暖かく、柔らかい感触が唇に押し付けられる。相手の呼吸が肌をくすぐる。甘い匂いが鼻腔(びくう)に訪れる。

 唇だけではない。相手は腕をエメロンの背に回し、身体全体で抱きついてきた。少女の柔らかい身体の感触が肌に伝わる。互いの体温が衣服を通して交換される。


 エメロンの脳は思考を放棄して、何も考える事が出来なかった。指の1本も動かす事が出来なかった。


 十数秒して、ようやくエメロンの脳が動き出す。

 思考が回復したエメロンは、慌てて少女の――、シルヴィアの肩を掴んで突き放した。


「何を……っ? 一体、何のつもりですっ⁉」


 エメロンは口元を袖で拭いながら強い口調で問い質した。

 シルヴィアとは10分ほど前に出会ったばかりなのだ。このような行動を取る理由が分からない。一目惚れされた、なんて事もないだろう。そんな素振(そぶ)りは見えなかったし、仮にそうだとしても性急すぎる。


 では、ただ揶揄(からか)われただけか? それとも何かの策略か? などとも考えたが、シルヴィアの様子を見て否定する。

 エメロンから1歩離れたシルヴィアは俯いて目を逸らし、顔を紅潮させている。まるで初心(うぶ)な乙女の反応だ。しかも、肩が震えていた。


「何か事情があるのですか? その、誰かに脅されているとか……」


 エメロンの出した結論は、「先程の行為はシルヴィアの本意ではない」という事だった。

 シルヴィアの意志ではないのなら、誰かに命令されたのかも知れない。そう考えて尋ねたのだが、シルヴィアからの返事はない。

 相変わらず俯いたままでこちらを見ない。だが、エメロンの腰に回された腕だけは放そうとはしなかった。


「あぁら? やぁっと見つけたと思ったら、ひょっとして逢引(あいびき)の最中だったかしら?」


 動くに動けないエメロンに女の声が届く。

 驚いて振り向くと、そこには真っ黒なドレスを纏った妙齢の女性がいた。その女性には見覚えがある。顔を合わせたのは1度だけだが、こんなに印象的な人物を忘れられる訳がない。


「マリア……さん……」


「あら? 貴方、エメロン君? こんなところで会うなんて奇遇ねぇ?」


 まるで道端でバッタリ出会ったかのような軽い口調でマリアが言う。

 だが、そんなマリアの態度とは裏腹にエメロンの緊張は増していく。それは、未だにエメロンから離れないシルヴィアの恐怖がエメロンに伝播(でんぱ)したのかも知れない。


 シルヴィアは確信した。精霊の伝えてきた「危険」とはこの女だ。

 「マリア」と呼ばれた、この女がシルヴィアを殺しに来たのだ。


「エっ、エメロンっ! おっお願いっ、助けて……っ!」


 マリアは普通ではない。精霊の警告がそれを伝えてくれる。マリアの手にかかれば、シルヴィアは虫を殺すように容易く殺されてしまうだろう。

 シルヴィアはただ恐怖に震えながら、エメロンに懇願(こんがん)する事しか出来なかった。


「エメロン君、その子を渡してくれないかしら?」


「……事情をお聞きしても?」


 エメロンはマリアとの距離を少しずつ離しながら問いかけた。

 シルヴィアの態度が尋常ではないのは明らかだ。初めて会った時からマリアには危険な気配を感じていたが、今感じる脅威は以前の比ではない。


「事情ねぇ。お仕事なのだけど、それじゃあ納得してもらえないかしら?」


「へぇ、どんな仕事ですか? シルヴィア様の護衛とか?」


 きっと話し合いでは済まない事態になる。だが部屋の唯一の出入り口はマリアに塞がれている。窓はあるが、シルヴィアを連れて逃げるのは難しいだろう。

 だからエメロンは、自分の荷物を入れたロッカーに近付く為に時間稼ぎをしたのだ。


「うふ。エメロン君の眼は「察しがついてる」って言ってるわよぉ?」


「出来れば答えをお聞きしたいですね。僕の考えが外れているかも知れませんから」


 だがマリアの様子がエメロンの焦燥(しょうそう)を強くさせる。

 その言葉、態度は、エメロンの考えを見通しているかのようだ。見通した上で、エメロンの好きに行動させているように映る。


「いいわよぉ? 私のお仕事は、その子の暗殺。大人しく引き渡してくれればエメロン君は見逃してもいいのだけど?」


 まるで世間話をするかのような口調で「暗殺」と言ってのけるマリア。

 マリアはエメロンの知らない世界の住人だ。その実感と共に、マリアに感じていた脅威の理由を理解した。


「堂々と暗殺なんて言う人の事を信じろと?」


「うふふっ。それもそうよねぇ。それじゃあ、エメロン君はどうするのかしらぁ?」


「もちろんっ、全力で抵抗させてもらいますっ‼」


 宣言と共にエメロンは自分のロッカーを開け放ち、中から愛用の杖を取り出してマリアに向けた。

 その宣言と行動を見たマリアは……。


「いい眼ねぇっ! エメロンっ。貴方、私の好みよっ!」


 歓喜に顔を歪ませながら、ピックを手にエメロンへと飛び掛かった――。


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