第25話 「決闘と、噓吐きのキス」
「何だ、キサマは?」
突然「ふざけるな」と叫びを上げたユーキに、そう問いかけたのはハルトムートだった。
彼も直前までユーキと同じセリフを上げようとしていた。だが、自分のセリフを遮られては面白くない。それが執事服を身に包んだ若造であるなら尚更だ。
「アンタにゃ関係ねぇよ。俺が用があんのはそこのオッサンだ」
「な……っ⁉」
ユーキのあまりに無礼な振る舞いにハルトムートは言葉を無くす。そのセリフを聞いていたボーグナイン伯爵も同様に驚きに目を見開いていた。
「フランを側室にだぁっ⁉ テメェ、フランを何だと思ってんだっ⁉ 父親だか知らねぇが……いや、父親ならフランの幸せを考えねぇのかよっ⁉」
「な……なんだねっ、君はっ⁉」
早口で捲し立てるユーキにボーグナイン伯爵は対応が追いつかない。
そんな、今にも胸倉を掴みそうな勢いのユーキに割って入ったのはフランだった。
「そこまでです。ユーキ様、お下がりください」
「フ、フラン……?」
「皇太子殿下御一行の前で無礼ですよ。殿下、失礼をいたしました」
いつものような他人行儀ながらもどこか優しさを内包した物言いではなく、冷たい態度でフランはユーキを突き放した。
フランの為に怒りを顕わにしたユーキだったが、当のフラン本人に窘められて動揺を隠せない。だが、そう簡単に引き下がる訳にはいかなかった。
「まてよっ、俺は……っ」
「お黙りなさい。貴方には関係の無い事です」
「……っ」
引き下がれない。そう思っていたユーキだったが、フランの一言でその覚悟は簡単に揺らいでしまった。
「関係ない」。
ユーキのフランへの想いも、ボーグナイン伯爵への怒りも……。その一言だけで無に帰してしまったような気がした。
今度呆然としたのはユーキの番だった。
フランの事が好きなのに……愛しているのに……。メルクリオ王子の事が好きなのを知っているのに……。だから、政略結婚なんて止めさせようとしたのに……。
それをフランは「関係ない」と言い切ったのだ。
完全に勢いの止まったユーキの前に、今度はフレデリックが割って入る。
「お久しぶりです、ジークムント殿下」
「……其方はフレデリックか。そこの無礼な男はお前の関係者か?」
恭しく頭を下げたフレデリックにジークムントが応える。
どうやら2人は顔見知りのようだ。そして当然のようにユーキの事を問い質す。
「恐れながら知人であります。願わくば、寛大な処分を……」
「良い。無暗に王国民を罰しようなどとは思っておらぬ。だが、2度目は無いぞ?」
「ありがとうございます。ユーキ君、行くぞ」
「えっ? ちょっ、俺はまだ……っ」
短いやり取りをして、フレデリックはユーキの腕を掴む。しかしユーキが素直に応じる事は無い。
まだ何も解決していないのだ。このままではフランが政略結婚の道具にされてしまう。そんな事は許せない。
だが、ユーキのそんな想いに対してフレデリックは無情にも言い放つ。
「いい加減にしたまえ。君の行動が彼女の迷惑になっているのが分からないのか?」
「……っ」
本来頭の良いユーキに理解が出来ない筈がない。ここで食い下がっても平民のユーキには何の力も無いし、フランの迷惑になっている事だって分かっている。
それでも、簡単に諦めるなんて事はしたくなかった。
「ふん……。無礼な男よ、安心するが良い。余はまだ誰も娶ろうとは考えておらん。そこの娘にも興味は無い」
愚図るユーキに声を掛けたのは、意外にもジークムントだった。
その言葉にユーキは心底安心する。ボーグナイン伯爵がいくら結婚を迫ろうとも、皇太子にその気がないのなら破談に終わるのは目に見えている。
だがユーキが希望に安堵した時、ジークムントの言葉に口を挟んだ者がいた。
「まあ待て。その縁談、オレが受けてやってもいいぞ」
「なに?」
口を挟んだのはジークムントの隣の大男……帝国第2皇子のバルタザールだった。
バルタザールの言葉にユーキの希望は打ち砕かれ、同時にボーグナイン伯爵の顔には嬉色が浮かぶ。
「ほ……本当でございますかっ?」
「無論だ。何なら、キサマを帝国貴族に戻れるよう取り計らってやってもいい」
バルタザールの言葉にボーグナイン伯爵は口端が上がるのを抑えられない。
帝国貴族への復帰。まさしく、それを狙って政略結婚を持ちかけたのだから。
しかし、浮かれるばかりのボーグナイン伯爵と絶望に沈むユーキは別として、他の者たちはバルタザールの真意が分からない。
「裏切り者」「臆病者」と蔑まれ、おまけに実質的に領地を失ったボーグナイン伯爵を取り込むメリットなど殆ど無い。おまけに現状ではエストレーラ王国の貴族となっているのだ。問題や軋轢が生まれない筈がない。
どう考えてもデメリットの方が大きい。
まさか、フランチェスカに一目惚れしたなどという事も無いだろう。
「バルタザール、何を考えている?」
「なに、面白い余興が見れるかも知れんとな」
ジークムントの質問にもバルタザールはハッキリとは答えない。
だがその態度と物言い、そしてその性格から、ジークムントはバルタザールの狙いを把握した。
「ここは王国内だぞ?」
「だがオレは帝国皇族だ。さて、王国貴族にオレを止めるような骨のあるヤツがいるのかも見物だな?」
「……国交に悪影響が出ると見たら止めるぞ?」
もはやこの兄を止める事は不可能だと判断したジークムントは、それでも最後に釘を刺す。
兄の余興などで王国との講和を台無しにされる訳にはいかない。
だが弟のその言葉を承諾だと判断したバルタザールは大きく息を吸い込み、会場中に響こうかという大声を張り上げた。
「クライテリオン帝国第2皇子・バルタザール・D=クライテリオンが宣言するっっ‼ オレはこの娘……。おいお前、名は何と言ったか?」
「……フランチェスカ=ボーグナインでございます」
「フランチェスカ=ボーグナインと婚約を結ぶ事とするっっ‼」
空気を震わせる大音声に会場中は静まり返る。
多くの者は驚きに戸惑い、ただバルタザールに注目していた。
本来ならこのような暴挙は許されるものではない。
帝国の人間が、何の根回しもせずに王国貴族を娶ろうと宣言しているのだ。見方を変えれば誘拐宣言をしていると捉えられてもおかしくはない。
だが……。誰1人、声を上げる事は無かった。
帝国皇族と事を構える事を躊躇したからか、バルタザールの佇まいに恐れ慄いたからか、それとも相手が「裏切りのボーグナイン」だからか……。
動きの見えない王国貴族たちを一瞥したバルタザールは、少し落胆しながらも鼻を鳴らして続きを叫んだ。
「異議申し立てのある者は名乗り出でよっっ‼ 決議は『決闘裁判』にて執り行うっっ‼」
それを耳にした聴衆は更にザワつき始める。
『決闘裁判』……。
それは正誤を、正邪を、「決闘」で決めようというものだ。『決闘裁判』においては勝者こそが正義とされ、敗者には一切の抗弁が許されない。そして、そこには身分差は考慮されない。例え相手が奴隷でも、平民でも、貴族でも。
かつては大陸中で行われていたとされる『決闘裁判』だが、現在では採用されている国の方が圧倒的に少ない。エストレーラ王国も百年以上も前に廃止している。
だが、クライテリオン帝国は『決闘裁判』が制度として残っている数少ない国の1つだ。残っているというだけで、実際に行われる事など殆ど無いのだが……。
それをバルタザールは、事もあろうに王国の王宮内で行うと宣言したのだ。暴挙に次ぐ暴挙である。
だが、それを耳にしても動きを見せる王国貴族はいなかった。
ある意味予想通りの展開にバルタザールは溜息を吐く。
やはり王国貴族など軟弱の集まりだ。だからバルタザールは、「もう1つの期待」が自分の予想通りの反応かを確かめる為に、無礼な男……ユーキへと目を向けた。
ユーキは、バルタザールが叫び出してから動きを止めていた。
決して驚いたり、慄いたりしたからではない。怒りの為だ。
バルタザールはフランの名前を憶えてもいなかった。それなのに婚約をすると宣言をしたのだ。
名前すら憶えていない相手を愛し、幸せにするなど出来る筈がない。愛する事が出来たとしても、それはきっと「愛」ではない。幸せに出来たとしても、それは相手を思いやってのものではない。
名前も知らない相手の、いったい何を愛せるというのだ? どうやって幸せにするというのだ?
自分ではフランを幸せには出来ない。そうする為には、フランの事を何も知ら無さ過ぎる。それでも知っている事もある。フランが誰を愛しているのかを……。
フランを幸せに出来るのは、フランをよく知り、フランが愛している男だけだ。断じて、名前を覚える事も出来ないような男ではない。
その時、怒りに震えるユーキとバルタザールの目が合った。
挑発的な視線……。まるで「文句があるなら、かかって来い」とでもいうような。
……「いうような」ではない。事実言っていたではないか。「異議申し立てがあるなら名乗り出ろ」と。
だからユーキも、バルタザールに負けない程の大声で叫んだ。
「テメェなんかがフランと結婚なんざぁっ、俺が絶対ぇ認めねぇっっ‼ 決闘でも何でも、俺がやってやるっっ‼」
聴衆の注目を一身に浴びながら、ユーキは全力で宣言した。
その雄叫びを聞いたバルタザールが満足気に笑ったのが、無性に気に入らなかった――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「それで、さっきの騒ぎか。ユーキ、あまり無茶をしてくれるなよ?」
「んなコト言ったってよ……。フランが政略結婚させられるのを黙って見てろってのかよ?」
決闘は少し後……。帝国側が用意したデモンストレーションとやらの後に行うという事で一旦解散となり、ユーキたちはメルクリオの元へと帰って来ていた。
「ユーキ様、私は黙っていてくださいと言いましたが? ……殿下、申し訳ございません。ユーキ様を止める事が出来ませんでした」
「黙ってられない」と言うユーキに、フランが冷たく言い放つ。
その言葉に少しだけ傷つくが、「黙ってろ」と言われたくらいで黙るくらいなら最初から口出しなどしていない。
「お姉様は……よろしいのですか? その、皇子殿下との結婚は……」
「貴族の家に生まれた以上、仕方のない事です。ジュリア、貴方も心得ておきなさい」
妹のジュリアが不安げに尋ねるが、フランはあくまで「貴族子女」としての立場を崩さない。貴族家の……特に女は、家の為の道具となる事など当然だ、と考えているのだろう。
だが当然、ユーキはそんな考えなど受け入れられない。例え、好きな女性の考えだろうと絶対に受け入れられるものではない。
「仕方ねぇなんて、俺は絶対認めねぇ。大体いつの時代の話だよ? フランは現代を生きろよ」
「ユーキ様は現実を見て下さい。貴方のお陰で大変迷惑しております」
どこまで行っても2人の主張は平行線だ。
だが、お互いの意見は受け入れられなくても、お互いを想い合っている事は理解している。だからか、悪態のような軽口を叩き合いながらも空気はどこか穏やかだ。
「いやぁ、しかし結婚を阻止しようと決闘とは……。まるで小説か演劇ですなっ。このレオナルド、感っ激っでございますっ!」
「レオナルド、アナタは黙ってなさいっ!」
「ハッ!」
茶化すように声を上げたレオナルドをジュリアが叱責する。
レオナルドが元近衛騎士であり、フランの先輩であった事を聞いたユーキは複雑な気持ちで2人を見ていた。
「それで、殿下。陛下はこの件には何と仰っておられましたか?」
「特例として認めると仰られたよ。ただし死人は元より、怪我人も出さぬよう配慮せよとの仰せだ」
事の顛末を聞いたメルクリオは父王へと伺いを立てに向かっていた。
当然、王は良い顔をしなかったが、相手は帝国の皇子だ。いくら王国で決闘が禁止されているとはいっても、あそこまで大体的に宣言されて強引に反対をすれば軋轢が生まれるだろう。
それに、当の決闘相手が平民であるユーキだったのも大きい。
大っぴらに言う訳にはいかないだろうが、平民であるユーキなら万が一命を落とすような事があっても大きな問題にはならないと考えられる。
そんな国王の思惑を予想したユーキが、己の考えを皆に伝えた。
メルクリオも苦笑いをするだけで否定はしてこないので、大きく間違ってはいないのだろう。
だが、そんなユーキの考えに疑問の声が上げられた。
それはジュリアと共に行動していた令嬢・サンディ……に扮したアレクだ。
「それって皇子さまがケガしたら問題じゃないの……ですか?」
アレクは未だにユーキに正体を明かしていなかった。ただ単にタイミングを逃してしまっただけだが。
「あー……。それなんですが、相手方は代理を立てるそうですよ」
サンディの正体がアレクだと気付いていないユーキは、令嬢に失礼にならないように気を遣いながら答えた。
正直、メルクリオ相手にも普段通りの口調で話しているのを見られているので、何とも言いづらい居心地の悪さを感じる。ペルソナの付け替えが面倒で仕方ないのだ。
「ユーキの相手は帝国の新型人形兵器だ。我が国に売り込もうと持参してきたようだな」
メルクリオがユーキの言葉を引き継いで、決闘相手の詳細を語る。
人形兵器……。
『ボーグナイン紛争』で帝国が大量に導入し、王国に大きな被害をもたらした自律兵器。それを王国に売り込もうとは、大胆というか何というか……。
ただ、その戦力は侮れない。高い生産性と攻撃力・防御力を兼ね備え、何より人的損失を抑える事が出来るというのが大きい。『一般魔法』で動いているらしく、動力が魔石で済むのも数を揃えやすい利点だ。
戦争の戦力として、これほど優れた兵器は存在しないだろう。
それを数年前まで戦争をしていた、仮想敵国と言っても過言ではない王国に輸出しようとする帝国の本心は分からないが、それはユーキの考える事では無い。
ユーキにとって重要なのは、これから行われる人形兵器との決闘だ。
「大丈夫なのですか? 鹵獲された物を見た事がありますが、全身金属の塊でしたよ? 倒す事は難しいのでは?」
「あぁ、実体験済みだよ」
フランが声を上げるが、ユーキもそんな事は分かっている。去年、故郷に現れた盗賊団と戦った際に、ユーキは人形兵器とも戦った事があるのだ。
攻撃に関しては注意を怠らなければ避ける事は容易だ。だが、人形兵器の装甲を抜く事はユーキだけでは出来なかった。あの時、ユーキがトドメを刺す事が出来たのはエメロンのおかげだ。
そして決闘の勝敗は「降参」か「戦闘不能」によって決まる。
人形兵器が降参をする事は無いだろう。なら戦闘不能にするしかないが、硬い防御力がそれを阻む。
「ユーキ……さま、なにか作戦はあるの……ですか?」
アレクが喋りにくそうに問いかける。
ユーキはそれを見て(戦いとか苦手なのかな? 大人しそうなお嬢さんだしな)などと考えていた。
だから年下の女の子を安心させようと、精一杯の笑顔を作って自信満々に返した。
「任せて下さいよ。我に秘策アリってな」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「シルヴィア様、この様な場所でよろしいのでしょうか?」
エメロンは少し不安になりながら尋ねた。
ここはパーティースタッフの控室として用意された王宮の一室だ。普段は執事やメイドたちなど、下働きをしている者たちの食堂として使用しているらしい。
仮にも王城なので決してみすぼらしくなどは無いのだが、高貴な身分の者が居座るのに相応しいとは言えない。
ここに連れてきたのは、シルヴィアから「なるべく人気の無い、落ち着ける場所に案内しろ」と命令されたからだ。
しかしただの平民であり、王城に訪れるのも初めてのエメロンには他に選択肢など無かった。
「構いません。それよりエメロンは疲れていませんか? ここまで私を運ぶのは大変だったでしょう?」
「い、いえ、これでも鍛えてますので。それに、シルヴィア様はお軽かったので……」
「足を挫いた」と嘘を吐いたシルヴィアを、エメロンはここまで抱き上げて連れてきた。いわゆる「お姫様抱っこ」というやつだ。
長いスカートのドレスを着ていたシルヴィアを背負う訳にもいかず、運ぶには他に方法が無かったのだ。
「「…………」」
互いに気まずい沈黙が流れる。
エメロンは元より、シルヴィアも恥ずかしかったのだ。いくら皇族とはいえ、あのような抱かれ方をされる事など初めてだ。「お姫様」だからといって「お姫様抱っこ」など、小説などでしか見た事が無い。
それを衆人環視の中で、初対面の男性にされてしまったのだ。恥ずかしく思うのも当然だろう。
だが、いつまでも黙っているのも気まずい。
だから話題を探して、思い切って声を掛ける事にした。
「「…………あのっ」」
「……何ですか、エメロン?」
「いえ……、失礼しました。シルヴィア様からどうぞ」
「私は後で構いません。エメロンから話しなさい」
話しかけるタイミングが重なってしまい、互いに譲り合う。だが、この譲り合いは相手を気遣ってのものではない。
お互いに初対面の相手に距離感を測っているのだ。相手が動かないのなら自分が動くしかないが、相手が動くというのなら様子見ができる。そんな利己的な考えから相手に先手を譲っているのだ。
そしてその様な場合、最終的な決定権を持つのは権力が高い者の方だ。
強い口調で先手を譲られたエメロンは、自分から話す事を余儀なくされた。
「その、足のお加減はいかがでしょうか?」
「足……? そ、そうですね。……っ。動かすと少し痛みます」
もちろん足に痛みなど無い。だが、今エメロンと離れるのは困る。「精霊の啓示」によれば、今からシルヴィアを危険が襲い、エメロンが助けてくれる筈なのだ。
だからシルヴィアは全力で演技をした。
「思ったより重傷かも知れませんね。医者を呼んできます」
「だっ、大丈夫ですっ! もう少し休めば、良くなると思いますのでっ」
エメロンの提案にシルヴィアは焦った。
医者などに診られれば足を捻っていない事がバレてしまう。何より、いつ来るか分からない危険を前にエメロンと離れる訳にはいかない。
だが焦るシルヴィアを、エメロンは冷たい視線で見つめて口を開いた。
「やっぱり「足を挫いた」というのは嘘なんですね? さっき降ろした時も足を庇っているように見えませんでしたし。……どうして嘘を?」
「……っ」
突然の追及にシルヴィアは言葉を失う。
嘘は全てバレていたのだ。ならばエメロンの疑問は当然、「なぜ初対面の相手に嘘を吐いたのか」というものになる。
だがシルヴィアは答えを返す事が出来ない。
「精霊の啓示」があったなどと言っても簡単に信じられるものではないし、その内容はエメロンを危険に巻き込むものだ。仮に理解を得られたとしても、きっと協力は得られない。
それに何より『精霊魔法』を使えるという事実を話す事は、兄のジークムントに禁じられている。
しかし、いつまでも黙っている嘘吐きの少女に構っているほどエメロンはお人好しではない。
例えシルヴィアが貴族であっても、これだけの貴族が集まる中では無法は振る舞えないだろう。何より「嘘」の理由など、きっとロクでもない事だ。むしろ長居する方が危険かもしれない。
「足が大丈夫なら僕が一緒にいる必要はありませんよね? では、僕は仕事がありますので……」
一方的にそう言って、エメロンは踵を返す。
それを見たシルヴィアの心は焦りに支配された。
(このまま行かせちゃいけないっ! 何とか、何とか引き留めなきゃっ! でも、どうやって……っ⁉)
説明は出来ない。嘘を吐く作戦は失敗した。物理的に拘束する力など、非力なシルヴィアには無い。
それでも、このままエメロンを行かせればシルヴィアの命は恐らく無い。
精霊の告げる危険まで、もう時間が無い。
きっとあと数十秒……。たった1分ほどの時間を稼げればそれでいいのだ。
「まっ、待ってっ!」
切羽詰まったシルヴィアの引き留める声に反応して、エメロンが振り返る。
エメロンは、相手が話そうとしているのなら無視などしない。自分の話を聞いて貰えない辛さを誰よりもよく知っていたから。
そんなエメロンの反応を見たシルヴィアは覚悟を決める。
これが最後のチャンスなのだ。ここでエメロンを引き留める事に失敗すればシルヴィアに未来は無い。
だから――。
「何で、んぐ――っ⁉」
「ん……っ」
シルヴィアは、振り返るエメロンの口を自らの唇で塞いだ。
全ては自分の保身の為。相手への愛はもちろん、気遣いすらも全く無い。むしろ、危険に立たせようとしているのだ。
シルヴィアの初めてのキスは、嘘吐きの味がした……。




