第24話 「皇族との邂逅」
「……まるで見世物だな」
王国貴族たちの集うパーティー会場に足を踏み入れたクライテリオン帝国の皇族一行。
会場中の視線を浴びる中で口を開いたのは第6皇子・ハルトムートだった。
「いいではないか。奇異の視線、敵意の視線、大いに結構っ! 何せ我らは、少し前まで敵同士だったのだからなっ!」
うんざりしたように呟いたハルトムートに対し、第2皇子・バルタザールは豪快に笑う。
神経質なハルトムートに、豪胆なバルタザール。母は違えど、兄弟である筈の2人は全く対照的だった。
そして2人の兄とはまた違った性格の第11皇子、皇太子・ジークムントが最年少ながらも2人の兄を窘める。
「2人とも、気を引き締めよ。特にバルタザール、余らの目的を履き違えるなよ?」
「わかっておるわ。王国との講和だろう?」
「分かっているのなら不用意な発言は控えよ。兄上は声が大きい故な」
不謹慎とも取れる発言をしたバルタザールへは、特に注意を促す。
だが「声が大きい」と言われたバルタザールは「確かになっ」と言って鷹揚に笑った。
その大声に顔を顰めたハルトムートは、この場に居ない最後の皇族の行方をジークムントに尋ねる。
「しかし、その講和だが……。シルヴィアはどこへ行った? あ奴は講和の重要な材料であろう?」
ハルトムートの疑問は尤もだ。
シルヴィアの輿入れと、帝国からの「武器」の輸出……。この2つを条件として王国との講和を結ぶ予定なのだ。そのシルヴィアが行方知れずではお話にならない。
「緊張からか、会場に着くなり「腹が痛む」と言い出してな。その内、帰ってくるだろう」
「なんだ、便所か? 1人で行かせたのか?」
ジークムントの返答に、今度はバルタザールが疑問を挟む。
彼の言いたい事は分かる。「護衛も付けずに1人で行動させて大丈夫なのか?」と聞いているのだ。それは当然の疑問だ。
だが、ジークムントは事も無げに答えた。
「問題無かろう。シルヴィアも、もう15だ。それに他国とはいえ、このような公の場で滅多な事を起こす馬鹿はおるまい」
「…………」
ジークムントの言葉にハルトムートは内心、焦りを募らせる。
なぜなら、まさにハルトムートこそが「公の場で事を起こそうとしている」のだから。
「馬鹿」という言葉にも、ハルトムートはグッと堪える。
「ん……?」
「どうした、ジークムント?」
そんな話をしながら歩く一行だったが、不意に何かに気を取られてジークムントが足を止める。
バルタザールが声を掛けるが、無反応で返事が無い。仕方なしにその視線の先を追ってみると、1人の壮年の男が歩み寄って来ていた。
不審な男の接近に、護衛とバルタザールがジークムントを庇うように立ちはだかる。
だが男はそれを見ても構いなく、ジークムントたちへと語りかけた。
「お久しぶりでございます。第2、第6、並びに皇太子殿下。覚えておいででしょうか? 帝国臣民のボーグナインでございます」
「……ボーグナイン?」
疑問の声を上げたのはバルタザールだけで、ジークムントとハルトムートは名前を聞いただけで即座に男の素性を理解した。
しかし、あの「裏切者のボーグナイン」が帝国臣民を名乗るなどと……。図々しいにも程がある。
「それで? 「裏切者のボーグナイン」が私たちに何用があって声を掛けたのか?」
「裏切者などと……。私の心は常にクライテリオン帝国と共に……」
「御託は良い。私は何用かと聞いたのだ」
ボーグナイン伯爵に、厳しい言葉を投げたのはハルトムートだ。
だがハルトムートの態度は帝国の皇族としては正しい。一度は帝国を捨てて王国に降った男が、今更皇族に遜ろうなどと……。醜悪な悍ましさすら感じる。
「は、実はご提案が……。おいっ、フランチェスカっ!」
ハルトムートの詰問にも動揺する事無く、ボーグナイン伯爵は振り返って女の名前を叫んだ。
この男、どうやら経歴から察する以上に恥知らずのようだ。いや、たとえ皇族とはいえ、王国内で帝国の人間が強権を振るえる筈が無いというだろうという計算だろうか……?
どちらにしても、その胆力だけは相当のものだ。
ボーグナイン伯爵に呼ばれて1人の女性が動き出し、それに釣られる様に複数人の男たちも近寄って来た。
その男たちの中には先程ジークムントと目の合った、頬の傷痕が目立つ男もいる。
「私の娘のフランチェスカでございます」
「……お初にお目にかかります。フランチェスカ=ボーグナインでございます」
ボーグナイン伯爵が自分の娘の紹介をする。だが他の者はともかく、ジークムントは彼らには興味が無かった。
ただ、頬傷の男がボーグナイン伯爵を驚きの目で見ていたのが何故か気になった。
「いかがでございましょう? 身内の目から見ても娘は器量良く……」
「御託は良いと言っただろうっ。さっさと用件を言えっ」
ボーグナイン伯爵の言葉に被せるように、ハルトムートが苛立ちに声を荒げる。バルタザールのような大声では無いが、心を乱しているのが表に出過ぎている。
(愚か者め。ここまで聞いて、この男の目的が分からんのか?)
ジークムントは、冷たい視線で愚鈍な兄を見つめた。
王国に降りながらも皇族に媚びる態度……。娘の紹介……。しかも「いかが」と来たものだ。
ボーグナイン伯爵の目的など、1つしか考えられない。
「ぜひ、娘のフランチェスカを御三方いずれかの側室に迎えて頂ければ、と……」
ようやく用件を口にしたボーグナイン伯爵だったが、その内容は予想通りの下らないものだった。
確かにクライテリオンの皇族は側室を持つ事が許されている。正室ともなれば条件も厳しくなるが、側室であれば市井から選ばれる事も多い。
例え、曰く付きの貴族であるボーグナインであっても、側室であれば可能だろうと、そうなれば帝国貴族に返り咲けるだろうと……、そんな打算なのだろう。
だがボーグナインの曰くはそれほど軽いものではない。そして、ここはエストレーラ王国の王宮だ。
そのような提案など受け入れられる筈が無い。
どうやらボーグナイン伯爵はその事を理解していないようだった。
「ふ、ふ……っ」
あまりにも厚顔無恥な申し出に、ハルトムートが顔を紅潮させている。
今にも「ふざけるな」と叫び出しそうな様子だ。
「ふざっけんなっっ‼」
だがジークムントの予想通りのセリフは隣にいる兄の口からではなく、正面にいる男の口から放たれた。
先程から気になっていた、左頬に傷痕のある若い男。執事服の男は、鼻息を荒くしてジークムントたちに近寄って来たのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ユーキはただ、立ち去るタイミングを失っただけだった。本来ならさっさと飲み物を取って、5分もかからずにメルクリオの元へと帰るつもりだったのだ。
だが、フランやフレデリックと出会い、老紳士の正体がランドルフだと判明し、困惑している所へ帝国の皇太子たちの姿が見えた。
一瞬「父の仇」と思いもしたが、すぐに思い直した。
戦争は誰か1人の責任ではない。1人の力では戦争という大きな力の前では無力だ。皇太子とはいえ、国の全部を思い通りに動かしている訳では無いだろう。
見てみれば皇太子は自分とそう変わらない歳に見える。戦争当時はまだ子供だった筈だ。
それに……。アレクの父親の遺書にも「帝国を恨むな」というような事が書かれていたのを忘れてはいない。
そう考えている内に、ランドルフと一緒にいた壮年の貴族が皇太子たちに向けて歩き出していた。
自分とは関係無い筈だ。このまま立ち去っても問題は無いだろう。
そう思いながらもユーキの足は動かず、その目は事の行く末を見守らずにはいられなかった。
……それは、一種の予感だったのかも知れない。
壮年の貴族は、自らを「ボーグナイン」だと名乗ったのだ。
ユーキは驚きに振り返り、フランを見る。フランはそれに気付いて静かに首を縦に動かした。
「ボーグナイン伯爵」……。フランの父親……。
かつてのフランとの賭け試合の報酬で、ユーキはフランの境遇を知っている。
幼いフランをたった1人で王都へと人質に出し、その後に一家が王都へ来るまで会いに来る事もしなかった……。
その背景に、天災や戦争があったとしても到底許される行為ではない。例えフラン自身が納得していたとしても、ユーキはフランの父親を許す事が出来なかった。
だが……。いくら憤慨していたとしても、ユーキがフランの父親を糾弾する事はスジ違いだ。
ユーキには直接関係の無い話だし、何よりフランはそのような事を望まないだろう。ましてや、パーティー会場なんていう公の場でそのような事をすれば、罰せられるのはユーキの方だ。
だからユーキは、歯軋りをしながらも事の成り行きを見守っていた……。
「ユーキっ、ユーキってばっ!」
そんな時、懐のボケットに入っていたベルが突然声を上げた。今まで騒ぐ事も無く大人しくしていたというのに突然だ。
「あのオジサンがリ――」
「ベル、黙ってろっ」
だがベルの行動は気になるが、今は相手をする事は出来ない。周りには多くの人がいるし、小声で話しても不審に思われるかも知れない。
だからユーキはポケットの上からベルを抑え、強制的に黙らせた。
何より、今はベルの相手をしている場合ではなかった。
なぜならボーグナイン伯爵が振り返り、フランを呼んだのだから。
「おいっ、フランチェスカっ!」
呼ばれて前に進むフランの後をつけるように、ユーキも皇太子たちに近付く。それにつられてか、フレデリックやランドルフ、レオナルドもついてきた。
その状況を察してくれたのか、ベルは大人しくしてくれた。
ユーキの胸中には不安が渦巻いていた……。
ボーグナイン伯爵が話している相手は帝国の皇族……。そこへフランを呼びつける……。
ユーキの頭と心はとっくに答えを導き出していたというのに、胸の内だけがそれを否定し続けていた。
そして当然の様に、ユーキの予想した答えは的中してしまっていた。
「ぜひ、娘のフランチェスカを御三方いずれかの側室に迎えて頂ければ、と……」
ボーグナイン伯爵のセリフを聞いた瞬間、ユーキの頭は沸騰し、視界は真っ暗なカーテンに覆われる。予想していた答えだが、ユーキの心は何の準備も出来ていなかった。
(フランを、側室に? 皇族の……? 何の為に? 政略……結、婚……?)
ありえない……。ありえない、ありえない、ありえないありえないありえないっ‼
子供のフランを人質に出し、ロクに会いにも来ず、更に政略結婚の道具に使うなどと、親のする事では無い。
こんなにも強く、優しく、美しいフランに……。凛として、職務に厳しく、融通が利かなくて、どこか間が抜けてて……。不器用で……、それでも懸命なフランにこの様な仕打ちなんてありえない。
何よりフランは……。
(メルクリオ王子の事が好きなんだぞっ‼)
ハッキリとフランが態度に出した事は無い。それが親愛か、恋慕かも判断はつかない。
だが、それでもフランの「1番」が誰なのかなど、考えるまでも無かった。気付かない筈がなかった。
なぜならユーキは……、フランの事が好きになっていたのだから。
「ふざっけんなっっ‼」
だからユーキは全力で叫んだ。
ここがどこか、相手が誰かも分かっている。きっと貴族や皇族にこのような無礼を働いた自分は只では済まないだろう事も理解している。
それでもユーキは叫ばずにはいられなかった。
愛する女性に政略結婚を強いるなど、死んでも我慢が出来なかったから――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「本当にこっちで良いのかしら?」
僅かに不安を感じながらも、帝国第13皇女・シルヴィアはパーティー会場を1人で歩いていた。
連れも付き人も無く、1人のシルヴィアは本来なら目立つ事この上ない。だが周囲の人間は誰1人、シルヴィアに気付く事は無かった。
王宮に到着してすぐに、兄のジークムントへと「事情」を説明して単独で行動を開始したシルヴィア。
シルヴィアの「能力」を知るジークムントは「事情」を理解し、2人の兄や他の者たちへの言い訳を引き受けてくれたのだ。
「それにしたって、お花摘みはどうかと思うわ」
他に適当な理由が見つからなかったのも理解は出来る。シルヴィアだって他の言い訳なんて思いつかなかった。
でも15の乙女の気持ちも少しは考えて欲しいものだ。
そんな事を思いながらもシルヴィアは口元を緩くする。
予定通りに王国の王子への輿入れが決まれば、シルヴィアは帝国に帰る事は無い。そうなれば、愛する兄とは今生の別れとなるかも知れないのだ。
兄との最後の思い出がこんなに間抜けなものになれば、どんなに可笑しい喜劇だろう?
そうなれば年老いてから周りに言い触らしてやろうと思う。「帝国皇帝のお兄さまは、私がトイレに行ったと嘘を吐いたのだ」と。
そうすれば、プライドの高いお兄さまは王国まで顔を真っ赤にしてやって来るかも知れない。その姿を想像しただけで笑いが込み上げてくる。
「それにしても、それらしい方は見当たりませんわね……。もう一度、聞いてみようかしら?」
誰にともなく、独り言ちるシルヴィア。その言葉は周囲の人間の耳には入っても、認識する事は無い。
シルヴィアには特別な能力があり、その能力は2種類の効果を発揮する事が出来る。
その内の1つは、「自身の存在を周囲に認識され辛くする」効果だ。それほど万能ではないが、気休め以上程度の効果はある。
そして、もう1つの効果は……。
「〈≒▲♯≧θ♭$>……?」
シルヴィアは、言葉にならない呪文を唱えた。
彼女の持つ、特別な能力とは『精霊魔法』……。大気に漂う『精霊』を介して使用する魔法だ。
『精霊魔法』の効果は使用者によって千差万別だ。
『象形魔法』のように風を起こしたり、水を操ったりも出来る場合もあるし、他では聞いた事が無いような効果が発現する場合もある。「自身の存在を周囲に認識され辛くする」という効果も、その1つだ。
そしてシルヴィアの『精霊魔法』の、もう1つの効果は「精霊の啓示を受ける」というものだった。
非常に曖昧なその効果はシルヴィア本人にしか実感は出来ない。「啓示」というのも具体的な内容ではない上に「命の危険が迫った時、最善の道を示してくれる」という、なんとも曖昧な上に汎用性に欠けたものだった。
だがシルヴィアは、この啓示を疑う事は無い。
幼い頃……、母と一緒の所を襲撃されて、この2つの能力のお陰で生き延びる事が出来たのだ。その時に母は亡くなってしまったが、8歳だったシルヴィアにはどうする事も出来なかった。
母は救えなかったが、この2つの能力はシルヴィアの身だけは確実に守ってくれる。どんな騎士の護衛よりも信頼できる力だ。
「後ろ……? きゃっ⁉」
精霊の啓示に従い、後ろを振り返ったシルヴィアは何者かにぶつかった。
予期しなかった衝撃に、シルヴィアは尻餅をついてしまう。しかし精霊の啓示がシルヴィアを裏切る事は無い。
「もっ、申し訳ありませんっ! 大丈夫ですか……?」
シルヴィアにぶつかった何者かは慌てた様子で謝り、倒れたシルヴィアへと手を差し伸べた。
彼は「敵」ではない……。いや……、精霊は、彼の元へとシルヴィアを導いたのだ。
精霊の、声にはならない意思を聞く事の出来るシルヴィアはそう確信した。
「貴方……、お名前は……?」
青年の手を取る事もしないまま、シルヴィアは名を尋ねる。
その質問を聞いた、給仕の制服を身に纏った青年は少し考え込み、やがて覚悟を決めたように名乗った。
「……エメロン=ウォーラムと申します」
精霊はシルヴィアの身の危険を報せていた。そして彼……エメロンの元へと導いたのだ。
間違いない……。このエメロンという青年が、シルヴィアを危機から守ってくれるのだ。
ならばここで別れる訳にはいかない。
だからシルヴィアはエメロンに嘘を吐いた。
「……足が痛くて歩けません。エメロン、罰として私の足になりなさい」
足に痛みなど無い。だがこう言えば、恐らく平民のエメロンは逆らう事は出来ない。なぜなら、このパーティーに参加しているシルヴィアが貴族かそれに準ずる高い地位を持っているという事は、誰にでも分かる事なのだから。
少しだけ顔色を悪くしたエメロンに対して心の中で謝罪をしながら、シルヴィアはエメロンの右手を取ったのだった――。




