第12話 「30位」
「アレクっ! 今日こそ「うん」と言わせて見せますわっ! ワタクシの護衛になりなさいっ!」
あれから1週間、ジュリアは毎日のように牧場へとやって来てアレクにそんな事を言っていた。……少なくともアレクの出勤日には毎回来ている。
「ヤダってば」
「何でよっ⁉ 何が気に入らないのっ⁉ 給料だって倍……いえ、3倍は出すわっ! こんな臭くて汚い仕事もしなくて済むんですわよっ⁉」
ジュリアのしている事はアレクの引き抜きだった。……初対面の去り際に言っていた「目にもの見せる」とは一体何だったのか?
しかし牧場主の娘が、牧場の仕事を「臭くて汚い」などと罵るとは……。
軽く癇癪を起こすジュリアに対して、アレクの態度は素っ気ない。
「だってボク、ここの仕事好きだし。それに護衛って言っても、ジュリアは別に誰かに狙われてるワケじゃないんでしょ?」
「お嬢様の護衛」という響きには少し惹かれるが、現在護衛を務めているレオナルドに話を聞いてみれば、仕事の内容は外出中のジュリアについて回るだけだ。
今までに起きた最大の事件が、先日の暴れ馬騒動らしい。
これでは「物語のような事件」などが起こるのは期待薄だ。退屈極まりない仕事なんかより、動物たちの世話をしている方がよっぽど楽しい。
だからアレクは、ジュリアの誘いに乗る気は一切無かった。
「ワタクシはボーグナイン伯爵令嬢よっ⁉ ワタクシの誘いを断る気っ⁉」
「うん」
ジュリアが貴族だというのは出会って2日目に聞いている。このやり取りも何度目だろう?
数日に渡って繰り返される問答だったが、実際にはアレクの行動は危うかった。
アレクも貴族令嬢ではあるが、その位は「子爵」。「伯爵」よりも下だ。もしジュリアがその気だったのなら、ややこしい事態に陥っていても不思議では無かった。
そもそもジュリアは、アレクが貴族である事も知らない。「ややこしい事態になる」などとも思わず、アレクを罰していたとしてもおかしくはない。
だが幸い、ジュリアは貴族の権威を振りかざしてはいるが、その権力を行使しようとまではしなかった。
「ジュリアはなんで、そんなに必死にボクを勧誘するのさ?」
「それはアナタが強いからよっ! ……レオナルドっ」
「ハッ。……先日の馬をも支える膂力、人間のものとは思えません。このレオナルド、同じ事をしようものなら大地に赤い染みを作る事になるでしょう」
連日続くジュリアの強引な勧誘の理由は単純なものだった。
ジュリアに名前を呼ばれたレオナルドは、アレクの「強さ」を説明するように語りだした。確かに『根源魔法』による身体強化の事を知らない2人からは、アレクは人外の強さに映るだろう。
しかしレオナルドのこの語り……。これは素なのだろうか?
「えっと、褒めてくれてるんだよね?」
「まさしく。より正っ確に物申すなら、賞賛というより驚嘆と言った方が正しいでしょう」
「うん……? ありがとっ」
レオナルドの話す言葉は難しくて、アレクには今一つよく分からない。が、何となくなら理解は出来る。だからアレクは素直にお礼を言った。
「ワタクシ、強い男が好きなのよ。だからアレク、ワタクシのものになりなさいっ!」
「ってコトは、レオナルドも強いの?」
元々、護衛というくらいなのだから腕に覚えもあるのだろう。しかもジュリアは「強い男」が好きだと言っているのだ。
もしかするとレオナルドは実は強いのかも知れない。……先日、馬に跳ね飛ばされた姿からは想像も出来ないが。
「僭越ながら、かつてエストレーラ王室の近衛兵を務めておりました。近衛の中での強さは、30番目……、といった所でしょうか」
予想外のセリフがレオナルドから放たれる。
王族の護衛である近衛といえば兵隊の中でもエリートだ。家柄・実力の双方が優れていなければなれるものではない。
30番目、という順位が高いのか低いのかは分からないが、こうして自信満々に自分から言うくらいだ。きっと、少なくとも100人くらいはいるのだろう。
「へぇ~っ! 実はスゴイんだっ? 近衛って何人くらいいるの?」
「30名です」
「…………」
レオナルドの返答に、さしものアレクも絶句する。
最下位だというのなら、なぜ自分からアピールしたのだろうか?その理由はいくら考えても分からない。
だからアレクは答えを求めて、無言でジュリアを見つめた。
「な……、なによ? ワタクシは「強い男が好きだ」と言っただけで、レオナルドが強いなんて一言も言ってなくってよっ?」
「お嬢様、その評価は心っ外です。このレオナルド、武器を持たぬ一般人相手なら鎧袖一触にしてみせる自信がございます」
「レオナルドっ! アナタは黙っていなさいっ‼」
「ハッ!」
アレクの視線に、ジュリアはまるで言い訳をするように言葉を紡ぐ。だがレオナルドはここでも余計な口を挟む。素手の一般人相手に勝つ自信のない護衛などいるのだろうか?
ジュリアとレオナルドの、まるでコントの様なやり取りを見たアレクは……。
「プッ……」
「……アレク、今アナタ笑ったわね? 不敬よ?」
思わず漏れた音を、ジュリアが敏感に指摘する。しかしこのやり取りを見て笑うなという方が無理だろう。
そして「不敬」などと言ってはいるが本気で言っていないのは、わざとらしく膨らませた頬と不満気に睨んでくる眼を見れば分かる。本気ならもっと「敵意」を込めてくる筈だ。
「ゴメンゴメン。でも、2人のやり取りがあんまり面白かったからさ」
「……フンっ。まぁ、許してあげてもよくってよ。その代わり……、ワタクシの護衛になりなさいっ」
ジュリアが本気で怒ってはいない事を分かっているアレクは軽い気持ちで謝罪する。それに対するジュリアは「許す代わりに護衛になれ」と言ってきた。
……何が何でもアレクを護衛に欲しいらしい。
しかし、いくら言われてもアレクの気持ちは変わらない。牧場で動物たちの世話をするのは楽しいし、退屈な護衛なんて真っ平ゴメンだ。
だけどジュリアは強引だけど思ったほどワガママではないし、レオナルドとのやり取りは見ているだけで楽しい。
だからアレクは……。
「護衛はイヤだけど、友達ならいいよっ」
「……とも……だち?」
「うんっ。ジュリアは友達じゃ、イヤかな?」
アレクの提案に、ジュリアは驚きに目を見開く。答えを迷っているのか、キョロキョロと周りを見て落ち着かない。
それでも辛抱強く待っていると、やがてアレクを見つめて口を開いた。
「……ぃ……いい……わよ」
「やったっ! じゃ、今日からボクたち、友達だねっ」
「……こ、光栄に思いなさいっ! 平民ごときが、このワタクシの友人になれるのだからっ!」
屈託なく笑うアレクとは対照に、ジュリアは照れを隠すように叫んだ。……ツンデレか。
ともあれ、こうしてアレクは新たな友達を獲得した。
「ジュリアお嬢様に友人が……。このレオナルド、感っ激っにございますっ!」
そんな2人を見て、天を仰いで感涙するレオナルドの姿は滑稽だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「俺の実力を見てみてぇ、って……。どういう意味だよ?」
「言葉通りだ、ユーキ。君の戦闘技能に興味がある。盗賊や魔物と戦った事もあるんだろう?」
メルクリオとの対談も5回目になる頃、おもむろに彼がこんな事を言い出したのだ。
しかし、いきなり「実力を見せろ」と言われても困る。ユーキは今まで実戦と模擬戦闘くらいしかやって来ていない。「人に見せる」為の訓練なんかした事が無いのだ。
「つっても、演武とか出来ねぇぞ? レンガでも割るか?」
「んなモン、戦闘能力と関係ねぇわな。ワシなんかレンガみてぇな硬ぇモン、割れる気せんぞ? それでも若ぇモンに負ける気はせんがの」
レンガ割りを提案してみるが、それはギルド長に却下される。確かにレンガを割ってもそれで分かるのは腕力だけだ。強さの証明とはならない。
だがギルド長の言う「若い者」とはユーキの事だろうか?ギルド長には確かに底知れないものを感じるが、この老躯で本当に強いというのだろうか?
そんな対抗心を僅かに感じていると、メルクリオから案が提示された。
「模擬戦はどうだ? 今ならこの庭園には誰も近寄らん。広さも十分だろう?」
今日はメルクリオの体調も良いらしく、野外での対談となっていた。確かに駆け回っても十分な広さがある。
しかし模擬戦をするとなれば問題は場所だけではない。
「誰と戦わせる気だよ? ギルド長か?」
「ワシャ、最近は腰が痛くての。いやぁ~、歳には勝てんの~」
「ギルドちょー、かぁいそーなの~」
「さっき「若いモン」に負けねぇって言ったばっかねぇか……」
当然、対戦相手が必要となるが、ギルド長は無理のようだ。……いや、本当に無理かどうか疑わしいのだが。
しかし対戦相手がいなくては模擬戦など出来ない。誰かを連れてくる気だろうか?メルクリオを疑う訳ではないが、あまりベルを知る人間を増やしたくはないのだが。
そんな事を考えながらユーキは紅茶のカップを手に取り、口に含む。
やはりフランチェスカの淹れた紅茶は美味い。香りが素晴らしいのはもちろんだが、不思議なのが飲み込んだ後に余韻を残した後、香りの痕跡を口内に残さない事だ。そのおかげで2口目には、また新たな気持ちで紅茶を味わう事が出来る。
今日は野外という事もあり、いつもより新鮮に感じる。やはり「食」を楽しむという事は、周囲の環境も重要なのだ。
……模擬戦の対戦相手の事を考えていた筈なのに、紅茶に口をつけた瞬間にそのような事は頭から吹き飛んでしまっていた。
「ユーキには近衛騎士の30位を相手にしてもらおう」
「近衛……。30位って強ぇのか?」
「近衛の中では最下位ではある。しかし王族の護衛だからな。一騎当千……とまではいかんが、雑兵とは比べられんぞ?」
メルクリオは、どうやら対戦相手に近衛騎士を用意するつもりのようだ。
近衛騎士といえば王族の直属の騎士だ。メルクリオの説明では対戦相手は近衛の中では最弱であるようだが、決して弱いなどという事は無いだろう。
ユーキは気を引き締めつつも、再度紅茶に口をつける。
先ほど飲んでから幾時も経ってはいないというのに新鮮な香りが鼻へと吹き抜ける。一体どうやったら、この様な紅茶を淹れる事が出来るのだろう?
フランチェスカから指導を受けてはいるが、全然思うようには進歩しない。まだ数回なのだから当然とも言えるが、美味しく淹れる為の取っ掛かりさえ掴めないでいるのだ。
……この男は落ち着いて考え事もできないのだろうか?
「あんまりベルを知ってる人間を増やしたくねぇんだけどなぁ。疑うワケじゃあねぇけど、その騎士って信用できんだろうな?」
数度に渡るメルクリオとの対談で、ベルを知っている城内の人間はメルクリオとフランチェスカの2人だけだと聞いている。
まぁ、こちらに黙って言い触らされていても分からないのだが、それでもポーズは必要だ。「ベルは知られたくない」という意思を伝えるのが重要なのだ。
そんな意味があるのか無いのかよく分からない駆け引きをしながら、ユーキは再三紅茶を飲もうとした時……。
「それなら問題ない。ユーキの相手はフランだからな」
「ブッ⁉」
「わっ⁉ ユーキ、きちゃない~っ」
あまりにも予想外の、そして衝撃の発言にユーキは口に含んだ紅茶を噴き出してしまう。飛沫がベルにかかってしまったようでユーキに抗議してくるが、そのような事に構ってはいられない。
「どっ、どういう事だよっ⁉ 俺の相手がフランチェスカっ⁉」
「言った通りだが?」
慌てて確認をするがメルクリオ王子は追認をするだけだ。それだけではユーキは理解が出来ない。いや、受け入れる事が出来ない。
だから傍らに立つフランチェスカの顔を見上げたのだが……。
「僭越ながら、改めて自己紹介をさせて頂きます。エストレーラ王国が近衛騎士、第30位。そしてエストレーラ王国第一王子、メルクリオ・ルノー=エストレーラ殿下の専属メイドを兼任させて頂いておりますフランチェスカ=ボーグナインです」
「…………」
そう言いながら深く頭を下げるフランチェスカ。カーテシーではなく、右手を胸に当てているのは騎士団流という事なのだろうか?
そんな下らない事を考えながらもユーキは、フランチェスカの名乗った「ボーグナイン」という名を聞き逃す事は無かった。




