第10話 「奉仕労働と紅茶・後編」
「それで……、ユーキの仕事は無期延長?」
「……め、面目ねぇ」
宿に帰って来たユーキは、エメロンに平謝りした。
適度に不祥事を起こし、仕事を打ち切る作戦だったのに、あろう事か紅茶の味に目が眩んで完全に失念してしまったのだ。
……本来ならユーキの醜態は、意図せずとも充分に不祥事と呼べるものだったのだが、なぜか不問にされて仕事の延長となってしまった。
秘匿義務がある為、仕事内容も職場もエメロンに話す事は出来ないが、そのおかげでユーキは自身の失態を事細かに説明できない。それに少しだけ安堵するユーキは小心者だった。
「どーせ、また料理か何かに目が眩んだんじゃないっスか?」
「おまっ……」
「……もしかして当たりっスか? はぁ~っ、相変わらずっスねぇ~」
「ヴィーノ、すごいのっ。なんで分かったの~っ?」
ヴィーノがユーキの失態の原因を鋭く言い当てるが、別に確信があった訳ではない。ただの当てずっぽうと言っても良かった。
だがヴィーノも、他の面々と同じく8年にもなる付き合いだ。ユーキの性格や行動パターンなんて大体知られている。確信では無くても、それなりの根拠はあったのだ。
「……まぁ無期限とは言っても、ずっとって訳じゃないだろうし、まずはリングを手に入れてから考える。で、いいんじゃないかな?」
ユーキを責めるような流れに、エメロンが助け舟を出すように提案してくれた。
……まぁ問題の棚上げというか、先送りにしかなっていないが、現状はどうしようもないのも事実だ。
「そのリングっスけど、どうやって探すんっスか? アレクの持ってる地図じゃ、エステリアにある事しか分からないんっスよね?」
エメロンの話の流れに乗り、ヴィーノが疑問を投げかける。
アレクの持っている『リングの位置を示した地図』は大陸全体を表示している為、縮尺が小さい。常にリングの現在地を示すとはいえ、その細かな位置までは分からないのだ。
まったく……。地図の作成者も、もう少し考えて作ってくれれば良いものを……。作成者の性格を考えるとワザとそうした可能性も高いのだが……。
恐らく、地図だけではリングを見つける事は困難だろう。いや、殆ど不可能と言っても良い。
だが、ユーキたち「インヴォーカーズ」には頼もしい仲間が居た。
「そこはベルの『精霊魔法』でな。……ベル、一応確認すっけどリングは見つかってないか?」
「ううんっ。いわれたとーり、ときどきせーれーにきいてるけど、みつからないの~」
ベルの『精霊魔法』は探し物を見つける事が出来る。魔物などの索敵や、失せ物探し、人探しなど、非常に便利な魔法だ。
リングもベルに頼んで探して貰っているのだが結果は芳しくないようだ。
「ベルはリングの実物を見た事ないっスよね? それでも探せるんっスか?」
「大体の特徴が分かれば大丈夫らしいよ。幸い、リングには分かり易い特徴があるからね」
「うちがわに『あべりちあ』ってかかれてる、うでわでしょー?」
「『アヴェリツィア』、な」
リングの内側には文字が彫り刻まれている。そして、その文字も『リングの位置を示した地図』に描かれている。エステリアにあるリングには『アヴェリツィア』と刻まれいている……、筈だ。
ただ、ベルの『精霊魔法』も万能ではない。
まず距離の制限があるという事だ。対象があまりにも離れていた場合、それを見つける事は出来ない。
そして一番の問題は、その探知距離が対象次第によって大きく変わるという事だ。探し易いものは遠くでも分かり、探し難いものは近くでも見つけられない。
しかも、どれが探し易くてどれが探し難いものか、術者であるベル本人にもよく分からないらしいというのが最大のネックだ。
とはいえ、ベルの魔法の精度は高い。「見つからない」場合はどこにあるのか見当がつかないが、「見つけた」なら間違いなくそこに在るのだ。
少なくとも足を頼りに目視で探すよりは、よほど可能性は高いと言えた。
「っつーワケで、リング探しはベル頼りだな。頼むぜ?」
「ぼくにおまかせなのーっ」
「それでエメロンの方はどうだったんっスか? カリーチェと一緒にレストランで働いたんっスよね?」
「あぁ……。まぁ、想定範囲内……、かな」
リング探しの件は理解したという事で、今度はエメロンとカリーチェの仕事の方へと水を向ける。
しかし、エメロンの返事は歯切れが悪い。だが、まぁ何となく察しはつく。
「やっぱ文字が読めねぇと問題あったか? それとも体力不足の方か?」
「……両方、かな」
歯切れ悪くそう言ったエメロンだったが、その内容は予想の通りだ。
カリーチェは読み書きが出来ない……。その為オーダーミスを乱発し、注文客からのクレームもあったらしい。
そして案の定レストランは人手不足で、1日中走り回ったカリーチェは疲れ切って、現在は自室でダウン中だ。
「……それ、クビにならなかったのか?」
「初日だからって事で大目に見て貰った感じかな? ……でも、これが続くと危ないかもね」
予想通り……、ではあるが、エメロンの話によると結構ギリギリのようだった。
クビになりたいユーキが気に入れられ、カリーチェがクビ寸前にまでなるとは……。何たる皮肉だろうか。
「それ以前にカリーチェのメンタルの方が心配っスね。「仕事に行きたくない」とか言い出すかもしれないっスよ?」
「ま、そうなったら仕方ねぇだろ? 働きたくねぇっつぅなら冒険者を続ける意味もねぇし、パーティから抜けてもらってお別れ、だろ? 貸した金は返ってこねぇけどな」
「……ユーキ、カリーチェに対してちょっと冷たくないっスか?」
ヴィーノがカリーチェのメンタルを気にするが、それに対するユーキはあまりにもドライだ。
確かにユーキの言う通りではあるのだが……。仮にも同じパーティメンバーに向ける言葉としてはあまりにも冷たい。
いや、借金を無理に取り立てようとは考えていない辺り、一応優しいと言えなくもないのだろうか?
「ヴィーノのいうとーりなのっ! フランにはあんなにじょーねつてきにせまってたのに~っ」
「「フラン?」」
「ちょ……っ⁉ おいっ、ベルっ!」
仕事の話は秘密だというのに、ベルはあっさりとフランの名前を出してしまった。……しかも、誤解を招きかねないセリフと共に。
こうなってしまっては仕方がない。弁明もせずにいてはあらぬ誤解を招いてしまう。王城や王子の事を話さなければ問題無いだろう。
そう考えたユーキは、職場でフランという女性に出会い、この世の物とは思えない程の紅茶を口にした事を説明した。
「はぁ~……、今度は紅茶っスか? まぁユーキらしいっちゃ、ユーキらしいっスねぇ」
「それで? 「情熱的に迫った」っていうのは?」
「いや……、それは覚えがねぇっつぅか……」
呆れながらも納得するヴィーノとは違い、エメロンが鋭く突っ込んでくる。が、肝心のユーキには心当たりが無かった。
手を握り、身体にしがみついて懇願までしておきながら無自覚とは……。ほとほと呆れ果てた男である。
口ごもるユーキにエメロンの視線が突き刺さる。
珍しい光景にヴィーノの興味は尽きなかったが、その時、元気な声が部屋に響いた。
「たっだいまーっ! ねー、晩ゴハンはっ? ボク、もうお腹ペッコペコだよっ」
「アレクっ! それより先にお風呂だって言ったでしょっ⁉ アンタ、ケモノ臭いわよっ⁉」
牧場での仕事を終えたアレクが帰ってきたのだ。牧場の仕事と言えば過酷な肉体労働の筈だが、アレクは元気一杯だ。
ただリゼットの言った通り、アレクの身体から動物臭がする……。恐らく家畜の臭いが移ったのだろう。本人は気にしていないように見えるが……。
「……とりあえず、俺たちも風呂に行くか。アレク、カリーチェも誘って一緒に入ってこいよ」
「うんっ。あー、混浴だったらみんなで一緒に入れるのになー」
「「「…………」」」
アレクの、年頃の女の子の発言とはとても思えない言葉を聞いて男性陣は言葉を失う。
その感情の大半は呆れに占められていたのだが、ユーキだけはエメロンの追及が躱せた事に少し……、ほんの少しだけ、アレクに感謝したのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……っつーワケでよ、俺のダチは今、高等学校の入学試験の真っ最中の筈だ。……こんな話聞いて、面白いか?」
4日後、ユーキとベルは再びギルド長と共にエスペランサ城へとやって来ていた。
ユーキは、これまでの自分の経緯を簡単に説明していた。……本当に簡単で、仲間たちと共に冒険者となって旅に出た事と、ヴィーノが今日、入学試験を受けている事くらいしか話していない。
妖精の件は大半をはぐらかし、旅の目的には一切触れていない。
最も関心を惹くであろう妖精の話が適当では、何も面白くないだろうと考えたユーキの疑問は当然だったと言える。
「いや、興味深いな。その友人も、冒険者仲間というのもユーキの幼馴染なのだろう? 幼馴染とは、どういった感じなんだ?」
「どうっつってもなぁ……」
ユーキの予想に反して、メルクリオは「幼馴染」という存在に興味を示した。
考えてみれば相手は一国の王子……。一般庶民とは感覚が違うのかも知れない。
しかし返答に困り、口籠るユーキだが、これは別に演技ではない。
確かに王子の話にはあまり付き合わず、適度に不興を買おうとしていたのは事実だが、何でもかんでもだんまりを決め込もうという訳ではない。
ただ単純に「幼馴染はどんな感じだ?」と聞かれても答えが分からなかっただけなのだ。
「メルにはおさななじみ、いないの~?」
逆にメルクリオにそう尋ねたのはベルだ。
しかし一国の王子に対して愛称で呼ぶとは……。流石のユーキも、そこまでする勇気はない。
だが、メルクリオはそんなベルの不敬にも一切不快を見せる事なく返した。
「ふむ……。幼い頃から共に過ごした、という意味ではフランがそうだな。だが、主人とメイドという立場では幼馴染とは呼べないだろう?」
「そうか? ダチっつっても関係は色々だろ? 雇用関係でも、ガキの頃から知り合ってりゃ幼馴染でいいんじゃねぇ?」
そんな感じでユーキとベルは、メルクリオ王子と特に身の無い会話を繰り返す。
友人の事……、教会学校の事……、シュアープの事……、冒険者の事……。
話したくない事には、口を閉ざせばメルクリオは深く追及はしてこない。
これで報酬はキッチリ出るのだ。こんなに楽な仕事はない。
ふと我に返り、(一体、俺は何をしているんだろうか?)などという疑問も浮かんでしまう。
そして同時に、(この雑談の目的は一体何なのだろうか?)という疑問も浮かぶ。
「なぁ王子さま。カネを払ってまで俺らと話すのは何でだ?」
ここまでの会話の感触で、問い質しても不興は買わないだろうと感じたユーキは思い切って疑問を口にした。
「それは私を憐れんだギルド長の図らいだよ。ですよね、ギルド長?」
「そう自分を卑下するモンじゃありませんぞ、殿下?」
「……憐み?」
予想の通り、メルクリオはにこやかにユーキの質問に答えた。しかしその答えは別の疑問を生み出す。
ギルド長が舞台をセッティングしたというのは理解したが、「憐み」とは一体何なのか?
ユーキが疑問に首を捻ると、メルクリオが答えを付け足した。
「私は生まれつき身体が弱くてね。子供の頃は何度も熱を出しては生死の境を彷徨ったものだよ。おかげで、この歳になってもロクに王城の外に出た事が無い」
「メル、かぁいそーなの~っ」
「ふふっ、ありがとうベル。でも最近は体調も良くて熱を出す事も殆ど無くなったんだ。……しかし、役割の無い生活は退屈でな」
確かに言われて見てみればメルクリオの身体の線は細い。病的……とまでは言わないが、体力がありそうには見えない。
そして続く言葉で、ユーキたちの仕事がメルクリオの退屈凌ぎである事が明かされる。
ただ、更に新たな疑問が沸いて出た。
「その、「役割がねぇ」ってのは?」
「私はエストレーラ王家の第一王子ではあるが、王太子ではない。……身体の弱い者には務まらんからな。いや、いつ倒れるか分からん者に務まる仕事など無いという事だろうな」
「……それ、俺が聞いても問題ないヤツ? 口封じとかされねぇだろうな?」
「……政治か、王室に興味あるモンなら誰でも知っとるわい。お前さんもちっとは勉強せぇ」
メルクリオの告白に、ユーキは自身の身の危険を感じる。が、それはどうやら取り越し苦労のようだ。
しかしメルクリオは王族らしくないと感じてはいたが、そんな事情があったとは……。
「んで、何で俺が王子さまの話相手に選ばれたんだよ?」
「そりゃ、ボウズがこのちっこいのを連れてたからじゃろ。お前さん自身も、思った以上に面白いボウズじゃったがの」
「つっても、俺は傷害沙汰を起こしたんっすよ? 普通、王子さまの話相手に選びます?」
「そりゃお前さん、ワシの見る目を信じなせぇっつーこったな」
メルクリオに対して放った質問に答えを返してきたのはギルド長だった。ユーキを紹介したのはギルド長なのだから、その答えを返すのも当然だろう。
だが、ユーキは自分で言うのも何だが暴行事件を起こしたのだ。そのユーキを王子さまに紹介したというのに、「見る目を信じろ」と言われても開いた口が塞がらない。
「王子さまは、それで良いのかよ?」
「さっきも言ったが、王子と言っても役割の無い穀潰しだからな。私に何かあっても王室は揺るがんよ」
「それ、自分で言うか? まぁ何もしてねぇなら、確かに穀潰し……」
”カチャンッ!”
ユーキが言いかけた時、乱暴にティーポットがテーブルに置かれた。それと同時に強烈な殺気がユーキを襲う。
殺気を放っているのは、当然メイドのフランだ。
「……代わりのお茶です」
一言だけ、そう言いながらユーキを睨みつけてくる。
そもそも「穀潰し」と言い始めたのは、ユーキではなくメルクリオなのだが……。しかし、そんな言い訳をしてもフランにはきっと通用しないだろう。
「……そ、そういや、フランさんは王子さまと幼馴染なんですって?」
露骨な話題逸らしである。……下手糞か。
ユーキの言葉を聞いたフランは、眉根を寄せて不快感を露わにする。……何か言葉を間違ったのだろうか?
「……フランチェスカとお呼び下さい。貴方にフランと呼ばれる理由はございません。それと、敬語と敬称も不要です」
「あ……。すいま……、悪い……」
ユーキの質問には答えず、自分の主張だけをキッパリと言い放つフラン。
どうやら目上であるメルクリオに敬語を使わず、メイドであるフランに敬語を使っているユーキが不満のようだ。ついでに愛称で呼ばれる事も拒否された。
……というかユーキはフランの本名がフランチェスカである事も知らなかったのだが、そのユーキは不満に感じる事も無く……。
(フランチェスカ……。フランチェスカ、か……)
と、フランの本名を反芻していた。
「それで、今日からユーキはフランの指導を受けるのだろう?」
不意にそう言ったのはメルクリオだ。
先日、ユーキの懇願に根負けして、メルクリオとの対談の後の30分だけフランから紅茶の指導を受ける約束を取り付ける事に成功していたのだった。
だが、今更になってフランが反対の意見を口にした。
「その事ですが……、私はやはり反対です。こんな得体の知れない者を水場に通すなど……。もし毒でも入れられたらどうするのです?」
「いや俺、ここに来るまでにハンカチ1つ持ち込めねぇんだけど……」
その声に力は無いが、ユーキの抗議は正しい。
ユーキはエスペランサ城に入る度に持ち物も衣服すらも外し、フランの目の前で全裸になっているのだ。動機もないが、そもそも毒を持ち込むなど不可能だ。……そう思ったのだが。
「腹の中に毒入りの小袋を隠す事も出来るでしょう?」
「できねぇよっ⁉ 何だよソレっ⁉ 発想が怖ぇよっ⁉」
ツッコミ3連発である。
しかし思わず突っ込んでしまったものの、よくよく考えてみれば有り得る話ではある。本当に暗殺を目論んだ場合、暗殺者とはその位はやりかねないのかも知れない。
もちろんユーキはそんな事はしないし、暗殺の手口なんてものも知らないが。
しかし、今更約束を反故にされるなんてユーキが黙っていられる筈が無い。
その後しばらく、「教える」「教えない」と2人の間で問答があったのだが……。
「万一そうじゃったとしても、腹から取り出そうとすりゃ不自然な動きになるわい。フランの嬢ちゃんが気を付けてりゃ問題なかろ?」
ギルド長の、この一言で決着が着いたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
紅茶の指導を始める事となり、ユーキはまずフランに「紙とペン」を要求した。教わった事をメモに書いておきたかったからだ。
ユーキの要求にフランは一瞬だけ顔を顰めたが、程なくしてメモ帳と羽ペンを持ってきてくれた。
普通のペンなら武器に使用する事も出来てしまうが、これなら脆くて折れやすいし、武器にするのは困難だ。そう考えて羽ペンを用意したフランに抜かりはない。
「……待ってください。貴方、一体何をしているのですか?」
そうして紅茶の指導が始まったのだが、フランは困惑の言葉をユーキに向けた。
疑問に思ったのも無理はない。「まずはユーキの淹れ方を確認する」と指示されたユーキは、茶葉を取り出すでも、コンロに火をかけるでもなく、メモ帳に何かを書き始めたのだ。
「いや、そのコンロ『一般魔法』だろ? 俺、何年も『戦闘魔法』だからよ」
そんなユーキの言葉の意味が分からず、メモ帳を覗き込むフラン。
メモ帳に書かれた図形の意味を理解した時、フランの顔面は蒼白となった。
「……っし! 簡単だけど、まぁこんなモンだろ……と、うぉっ⁉」
即席の火をおこす魔法陣を描き上げ、満足気に体を起こしたユーキ。
だがその直後、身体をフランに突き飛ばされてメモ帳を奪われてしまった。
「ぁ……あ、貴方っ! やはり、殿下を害そうと……っ!」
盛大な誤解である。誤解だが……、これはユーキが悪い。
ユーキの紅茶を極める道は、険しく、遠かった……。




