第4話 「女に甘い男」
「……はぁ~っ。やぁ~っと着いた~っ!」
レダの村に到着して、そんな言葉を吐いたのはカリーチェだった。
自分で村を抜け出しておきながら、一仕事を終えたかのような達成感を醸し出すカリーチェに、ユーキは何とも言えない理不尽な気持ちが湧く。
だから少しだけ、意地悪な事を言いたくなってしまった。
「お疲れのところ悪ぃがよ、村の人たちに謝りに行けよな」
「へっ? 何でよ?」
「「何でよ?」じゃねぇよ。お前が勝手に抜け出したから、村の人たちに迷惑かけたんだろーが」
少し意地悪の気持ちがあったのは確かだ。しかし、ユーキの言う事は正しい。
ユーキたちは宿屋の主人にしか会ってはいないが、彼の話では村人総出でカリーチェの捜索をしていたそうだ。無事に帰還した以上、カリーチェ自らが謝罪に向かうのが筋というものだろう。
「ほら、さっさと行けよ。グズグズしてると日が暮れるぞ?」
「……ぐぬぬ」
カリーチェにもユーキの言っている事が正しい事くらいは理解している。だが、その物言いが気に入らない。女の子に対する配慮が足りないのだ。
アレクはユーキの事を「女の子に甘い」などと言っていたが、この男のどこが甘いものか。
「ユーキ、そんな言い方しちゃカワイソウだよ。カリーチェ、疲れてるかも知れないけど、ボクも一緒に行くから頑張ろう?」
「……アレクくん。……うん」
ユーキの無体な物言いに、アレクがカリーチェを気遣う。
これだ。女の子に優しいとはアレクのような事を言うのだ。断じてユーキは女の子に優しい男などでは無い。アレクこそが、女の子に優しい男の子なのだ。
……くどいようだが、アレクの性別は「女」である。
「……チっ、アレクと2人だけじゃ心配だな。エメロン、一緒に行ってやってくれるか?」
「うん。いいけど、ユーキは?」
「俺は先に宿に帰ってヴィーノと合流しとく。リゼットもこっちに来いよ。これ以上、人に見つかるのは勘弁だ」
「きょ、今日のは2回とも不可抗力でしょっ⁉」
そんな事を言いながらも、リゼットは素直にユーキの衣服のポケットへと潜り込む。そしてユーキは、1人(正確には妖精と3人)で、さっさと宿へと向かってしまった。
「……~~っ。何なのよっ、あいつっ!」
偉そうに説教じみた事を言いながら、面倒事は仲間に丸投げだ。思えば魔物との戦闘でも、自分は大した事はせずに仲間に頼りっきりだった。
ああいうのを「口だけ男」というのではないだろうか?
「カリーチェ? ダイジョーブ?」
「えっ……。う、うん、大丈夫よっ。い、行きましょっ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「本当に、ご迷惑をおかけしましたっ」
「いや、いいんじゃよ。そりゃあ、目が覚めたら知らない家で寝かされていれば、気も動転するじゃろうて。それより、無事で一安心じゃわい」
カリーチェは村の人たち1人ずつに、こうやって頭を下げていた。レダの村人たちは誰1人、カリーチェを責める事なく無事を祝ってくれた。本当に良い人々だ。
「それじゃあ、僕たちはこれで失礼します」
「あぁ、困った事があったら、何でも言っておいで」
エメロンがそう言って、老人の家を後にする。……本当に良い人たちだ。
「すっかり暗くなっちゃったねー」
「もうヘトヘトよ……。早くベッドで横になりたいわ……」
宿への道すがら、アレクとカリーチェのそんな声が聞こえた。その言葉でエメロンはハッと気付く。
暗くなった事では無い。重要なのはカリーチェの発言だ。
「そういえば……、カリーチェは今晩、どこに泊まる気?」
「……え?」
エメロンの質問に虚を突かれたカリーチェは素っ頓狂な声を上げる。
カリーチェは今朝、村に保護されてそのまま脱走した。宿を取っているとは思えない。エメロンたちも正確にはまだ取っていないが、そこはヴィーノが何とかしているだろう。最悪、野宿でも構いはしない。
「ど、どうしよう……?」
「ダイジョーブだよ。ボクたちの他には村の人しかいなかったし、きっと部屋は空いてるよっ」
「そうじゃなくて……。あたし……、お金、持ってない……」
「…………」
衝撃の告白にエメロンは絶句する。
荷物も持たず、お金すら無しで、カリーチェは一体どうするつもりだったのか?いや、今までどうしてきたのか?そもそもレダの村から最も近い、王都のエステリアでも徒歩で3日もかかるのだ。
カリーチェはどこから、どうやってこの村までやって来たのだ?
「エメロン……、カリーチェの分の宿代、払ってあげたらどうかな?」
「え……っ? ……いいの?」
カリーチェの懐事情を知ったアレクが、そんな事を言い出してくる。それを聞いたカリーチェは期待に満ちた表情だ。
しかしエメロンは即答しない。カリーチェの素性が未だにハッキリとしないからだ。
悪人では無いと思う……。しかしその目的も経緯も謎だらけだ。本音を言うと、エメロンはこれ以上カリーチェと関わるべきでは無いとすら考えていたのだ。
「ねぇ、エメロン。ダメかな……?」
「アレク……」
しかし、エメロンはアレクに惚れている。……好きな女の子に、こうもお願いされてしまえば無下には出来ない。エメロンも健全な男の子なのだ。
なお、カリーチェの目には男同士にしか見えていない。
「……わかったよ」
「やったねっ! よかったね、カリーチェっ!」
「うんっ。ありがとう、アレクくん。エメロンくんもっ」
「ただし……、ユーキがいいって言えばね」
いくらアレクのお願いでも、この一線だけは譲れない。自分たちは3人のパーティ「インヴォーカーズ」なのだ。ユーキ抜きで、勝手に決定する訳にはいかない。
エメロンのその言葉に、浮かれていたカリーチェの表情が一気に沈む。
「心配しなくてもダイジョーブだよっ。言ったでしょ? ユーキは「なんだかんだ言っても女の子に甘い」って」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ダメだダメだっ! ソイツにゃ迷惑しかかけられてねぇじゃねーかっ。何でこの上、宿代を恵んでやんなきゃなんねぇんだよっ⁉」
謝罪を終えて宿に帰り、カリーチェの事情を聞いたユーキの第一声がこれだった。
ちなみに、アレクたちの部屋はヴィーノが既に取ってくれている。やはり今は、他に旅人は居ないらしい。
「お客さん……。何でしたら、お1人分くらいサービスしても……」
「好意はありがたいけど、そいつは俺たちの話の後にしてくれ。これは俺たちの規律の問題なんだ」
ユーキは何も、宿代が惜しくて言っている訳では無い。これからも「インヴォーカーズ」というパーティでやっていく以上、例えリーダーだとしてもアレクの勝手など許す事は出来ない。
「さっき魔物と戦ってたんっスよね? ホント、よくやるっスねー」
「ホンット、融通の利かない男よねー」
「このおまめ、おいしいの~っ」
なお、ヴィーノと妖精の2人はテーブルに着いて塩茹でされた豆を頬張っている。完全に他人事だ。
「だってユーキ、カリーチェは無一文なんだよ?」
「んじゃ何か? これから俺たちは、文無しを見かけるたんびに施しをしなきゃならねぇってのか? 俺たちは慈善団体でも聖人でもねぇんだぞ?」
ひたすら情に訴えるアレクに対し、ユーキの理論武装は簡単には崩れない。
「だいたい、エメロンもエメロンだ。何だってそっちについてんだよ? どうせ、アレクにゴリ押しされて断り切れなかったんだろうが」
「いや、……あはは。……ゴメン」
ユーキの不満は当然の如く、エメロンにも飛び火する。
付き合いの長いエメロンの行動など、ユーキにはお見通しだ。エメロンは愛想笑いをして、短く謝る事しか出来ない。
……実際には「ゴリ押し」という程の事すらされていないのだが。少しお願いされただけでエメロンは容易く陥落してしまったのだ。
「そもそもお前、これからどうするつもりなんだよ? 金も何も無しで、この村に居候でもする気か? それとも、どっか行く当てでもあんのかよ?」
それは、この場の全員が疑問に思っている事だった。
村から逃げていた以上、ここに居着くつもりは無いだろう。……村の人たちには「起きたら知らない場所で動転してしまった」などと苦しい言い訳をしてきたらしいが。
金も荷物も無しで、行く当てがあったとは思えない。
ユーキたちが発見した時の反応からは、何処かから……、もしくは誰かから逃亡してきたように映った。
「…………」
「ちっ、都合が悪いとだんまりかよ? そんなんで人様に金を出して貰おうなんて、少し図々しいんじゃねぇか?」
ユーキの指摘は厳しい。甘いなんて、とんでもない。ただ……、至極真っ当な意見ではあった。
そういう意味では、むしろ甘いのはカリーチェの方だ。だが、カリーチェはその事に気付かない。気付いたとしても、直視できない。
「……だったら、返せばいいんでしょっ⁉」
「はぁ……?」
カリーチェの突然の発言に、ユーキは前後の会話が繋がらず間抜けな声を上げてしまう。
「働いて、ちゃんと返せば……いい……ん……」
だが、続けて言うカリーチェの言葉は、次第に小さくしぼんでいく。
カリーチェは話している最中に気付いてしまったのだ。自分が、どれほど恥知らずな事を言ってしまったのかを。
借りた金を返せばいい。それなら対等だ。などと考えるのは大きな間違いだ。
対等になるのは金を返し終わった後の話であり、現時点ではカリーチェは、ユーキに貸して貰わなければならない立場だ。本来なら頭を下げてでも、お願いしなければならない筈だ。
「……お前、働くっつっても何する気だよ?」
だがユーキは、あえてカリーチェの無礼には触れずに話を続ける。その質問に、カリーチェは自信なさげに小さな声で答えた。
「……ぼ、冒険者……とか?」
確かに、12歳でも冒険者なら出来る。この村にはギルドは無いが王都のエステリアならば当然あるし、子供であっても仕事探しは難しくは無いだろう。
「……いいぜ」
「えっ?」
「その条件、乗ってやる。ただし、王都までは俺たちと同行して貰うぜ。逃げられちゃ困るからな」
そんな事を言いながらも、ユーキの本心は別にあった。
エステリアまでの3日間の食事はどうする?食事だけじゃない。テントは?毛布や寝袋は?ケガや病気をしたらどうなる?薬や包帯、傷薬や消毒液は持っているのか?1人で行動して、また魔物に出会ったら?
そんな心配をするくらいなら、一緒に行けば良い。カリーチェの提案は、むしろユーキには「渡りに船」といった所だった。
……本当にアレクの言う通り、ユーキは「なんだかんだ言っても」女の子には甘い男だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
こうして「インヴォーカーズ」一行は、新たな旅のお供のカリーチェを加えて翌朝にレダの村を後にした。
そして3日後の晩……。
「お前、いつまで食ってんだ? さっさと食い終わってくれねぇと食器が片づけられねぇだろっ」
「そんな事言ったって……、疲れて食欲が湧かないのよ……」
一行は、未だにエステリアへの旅路の途中だった。
カリーチェは歳相応に……、いや、歳の事を加味したとしても体力が無く、旅の行程を大きく遅らせていた。移動時間の多くを荷車の上に乗せていたにも関わらず、である。
「アンタ、ちょっとカリーチェに厳しいんじゃない?」
「そうっスよ。それにオイラは、このくらいのペースの方が楽でいいっス」
しかしユーキに対して、リゼットとヴィーノがそんな事を言ってくる。
別にカリーチェに対して悪く思っているつもりは無い。旅が遅れるのも気にしてはいない。元々、一刻を争うような旅では無いのだ。
ただ、せっかく作った料理を不味そうに食っているのが気に入らない。それだけだ。
しかし、確かに少し言い過ぎたかもしれない。相手は年下の女の子なのだ。
それに何者かに追われていたかのような言動に、運動をした事が無いかのような体力の無さ、手の指もまるで働いた事が無いような綺麗な指をしている。
「お姫様」は流石に無いだろうが、貴族のお嬢様あたりの可能性は高い。……まぁ、貴族のお嬢様にもアレクのような例外もいるが。
「……悪かった。俺は先に片付けとくから、お前はゆっくり食ってていいぞ」
「…………」
別にユーキは権力におもねた訳では無い。ただカリーチェを、旅に出る為に何年も訓練をしてきた自分たちと比べるのは間違いだと反省をしただけだ。
「あ、ユーキ。僕も手伝うよ」
「サンキュ、エメロン」
そしてユーキとエメロンは離れた場所へ移動し、食器を洗い始める。その場に残されたカリーチェは、手の中の料理を見つめた。
食器の中に一杯に注がれたシチュー。そこから本来なら食欲をそそる良い香りが立ち込めている。だが、今のカリーチェには吐き気を催す邪悪な匂いだ。色とりどりの野菜も、ゴロっとした肉も、見ているだけで気持ちが悪い。
「カリーチェ、ダイジョーブ?」
「アレクくん……」
「ホントにムリなら、残したってユーキは怒んないよ?」
辛そうなカリーチェを見かねてアレクが声をかける。
だが、その内容にカリーチェは素直に頷き辛い。既に「ユーキは女に甘い」という評価は覆された後だからだ。アレクはきっと、ユーキに騙されているのだ。
そんなカリーチェの心情を知らず、アレクは話を続ける。
「ユーキはね、ホントに料理が好きなんだ。プロの料理人を目指してたくらいにね」
「料理人……?」
そう言われてカリーチェは、ユーキが長いコック帽を被っている姿を想像する。……絶望的に似合わない。
そもそも、あの鋭い目つきと、頬についた大きな傷痕では、目にした客が一目散に逃げてしまうだろう。オープン型のキッチンは無理だ。厨房の奥深くに隠しておけば、まぁ容姿は問題では無くなるだろうが。
「だから食べ物を粗末にすると、すんごく怒るんだ。でも、身体にムリをしてまで食べて欲しいなんて思ってないよ」
続いたそんな言葉で、カリーチェは家族を思い出してしまう。
カリーチェは幼い頃、「好き嫌いをしてはいけません」「農家の人に感謝して食べなさい」「でも、無理をしてまで食べなくてもいいんだよ」などと言われて育ってきた。
今は遥か遠くにいる家族を想い、カリーチェの瞳が潤む。
「……カリーチェ?」
「……ダイ……ジョウブ。ダイジョウブ……ダイジョウブ……」
大丈夫、大丈夫と、念仏のように唱えるカリーチェ。……彼女は今、軽いホームシックと戦っていた。
考えてみれば無理も無い話だ。仲間も、身寄りも、保護者も無く、お金も何も無い状態で、まともに精神を保つのは例え大人であっても難しい。
そんな時、不意に家族の事を思い出してしまえば涙腺も緩もうというものだ。
しかし、カリーチェは強かった。もちろん身体では無く心が。
自らの内に沸いた望郷の念を押さえ、消化し、呑み込む。ここで泣き喚いても故郷には帰れない。……家族に再会は、出来ない。
今は何よりもまず出来る事……、生き延びる事を考えなくてはならない。生きる為には……、食べなくてはならない。
そう結論付けたカリーチェは、再びシチューへと目を落とす。
自分を苦しめる巨大な敵……。これを打ち倒すのが今、自分に課せられた使命だ。負けてなど、いられない。負けてなど、やるもんか。
そんな、傍目からは意味不明な理屈と決意を持って、カリーチェはシチューを己の口へと掻き込んだ。
「カ……、カリーチェ……?」
「がっ……、かっ……、ぐぁっ……く……」
弱気に負けず、周囲を省みる事も無く、負けん気のみで一心不乱に戦いに挑むカリーチェの心は確かに強い。
……ただ、その食事風景は、年頃の少女には似つかわしくない姿だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
カリーチェの食器を除いて一通りの洗い物を済ませた頃、ちょうどそこへ最後の洗い物が現れた。
「お? 思ったより早かったな? やっぱ少し多か……」
「……ふぅっ、……ふぅっ、……ぅぷっ」
そこに現れたカリーチェの姿は鬼気迫る表情で、息を荒くして立っている。
予想より早く現れた事に、ユーキは食事を残したものと思ったが、カリーチェは元々釣り上がった目を更に厳しくして、無言で空の食器を差し出した。
「全部、食ったのか? いや、そんな無理しなくても……」
「カリーチェ、大丈夫かい? その、すごく辛そうな顔してるけど……」
「……ふっ、……ふっ。……わだ、じの……、がぢよっ!」
カリーチェを気遣う言葉をかける2人だが、当の本人には全く通じていない。「勝ち」などと言っているが、一体誰と、何の勝負をしたというのか?
エメロンは控えめに「辛そうな顔」などと言ったが、今のカリーチェの顔はそんな可愛らしいものではない。顔色は悪く、目は血走り……、元々の可愛い顔の面影も無い。
「…………うっ⁉」
「お、おいっ! 大丈夫かっ⁉」
肩で息をしていたカリーチェの動きが突然止まり、短い呻き声を上げた。
これには流石のユーキも動転し、カリーチェの身体を支えようとした、のだが……。
「ぅおぼろろろろろろ…………」
カリーチェの口腔から、大量の吐瀉物がぶちまけられる。……その先は地面ではなく、ユーキの身体だった。
「…………」
「ろろろろろろ…………」
無言でその場に立ち尽くすユーキ。まるで抱きつくように、ユーキの腹へと顔をうずめるカリーチェ。
周囲にはユーキの作ったシチューと、カリーチェの体内で作られた胃液の臭いが立ち込める。
「……なぁ。この女、張っ倒していいか?」
……そこに「女の子に甘い男」は居なかった。




