第54話 「心の形」
「シンディ、退院おめでとうっ!」
「ん、ありがと」
先の騒動から1週間、退院したシンディを祝う為に本日の昼食会の食事は少し豪勢だった。もちろん、用意をしたのは大半がユーキである。
ユーキたちは卒業が近い事もあって、それぞれが勉強や仕事などで忙しく、最近は中々全員が集合する事は少なかったが、今日は少し無理をして予定を空けた。
「ちょっと兄さん、あたしのはブロッコリーいらないって言ったでしょっ⁉」
「好き嫌い言うなって。シンディを見て見ろ、文句言わずに食ってるだろーが」
「……ん、ユーキお兄ちゃんのゴハン。おいしい」
「お兄さまっ。わたしだって、好き嫌い言いませんっ」
雨降って地固まる、というやつだろうか。ぎこちないながらもユーキと会話をするようになっていたカーラとシンディだが、先の事件以降は更に打ち解けた様に感じる。
カーラの「兄さん」呼びも違和感を感じる事も少なくなったし、シンディの口数も、心なしか増えた様に感じる。
「おい、ユーキ……。オメェよぉ……」
「何だよ、ロドニー? まさかお前も好き嫌いか? デケェ図体して、情けねぇな」
「ちっげーよっ! オメェ、何なんだよっ⁉ 妹ハーレムでも狙ってんのかぁ、あぁっ⁉」
そう言われて周囲を見渡せば、仲間たちが一様にユーキを見ている。
改めて左右を見て見れば右隣にはミーア、左隣にはシンディ、その隣にカーラが座っている。奇しくも3人ともユーキを「兄」と呼ぶ少女たちだ。
当然、彼女たちとは血は一滴も繋がってはいないのだが……。いや、この場合はむしろそれが問題なのでは?
「い、いや……。俺はコイツらにそう呼ばせた覚えは……」
「ユーキくん。悪いけど、全然説得力ないわよ」
「っスね。傍目からは、年下の女の子たちを侍らかすプレイボーイにしか見えないっス」
言い訳をするユーキだが、クララとヴィーノに一刀両断されてしまう。
特にヴィーノの言葉が心に刺さる。ユーキは彼女たちを侍らせているつもりも、プレイボーイになったつもりも微塵も無いのだ。そんな評価は、断じて受け入れられない。
「おいっ、エメロンも何とか言ってくれよっ」
「えっ? う~ん……、諦めた方が良くない?」
「エメロン……、お前だけは味方だと思ってたのに……」
1番頼りになる親友のエメロンに助けを求めるが、早々に諦められてしまう。
エメロンにすら匙を投げられては、一体誰がユーキを助けてくれるというのか?
「ダイジョーブっ、ユーキはなにも悪いコトなんてないよっ」
「……アレク」
そんな時、アレクからの言葉が心強かった。
決して頼りになるとは言い切れないが、自分の味方が1人でも居る……。自分を信じてくれる人間が居るという事実は、想像以上にユーキの心を力づけた。
「だって「英雄、色を好む」って言うもんねっ」
「アレ、ク……」
「……アンタ、それ意味解って言ってるの?」
もう1人の親友による裏切りに、ユーキは崩れ落ちる。
リゼットがアレクに何かを言っているが、既にユーキの耳には届いていない。
「お、お兄さまっ、わたしは何があってもお兄さまの味方ですからっ」
「……ミーア。……ありがとよ。……でも」
自分の味方になってくれるのは嬉しい。……でも、それがミーアとなれば素直に喜べない。それではロドニーの言う「妹ハーレム」とやらを認めてしまっている様なものでは無いか。
「あたしは兄さんのことなんて、何とも思ってないんだからっ。ミリアリアと一緒にしないでよねっ。今日だって、シンディの退院祝いだからって来ただけだしっ」
「……カーラ」
つっけんどんに言うカーラだったが、そのセリフは逆効果だ。どう聞いても照れ隠しに言っている様にしか聞こえない。まるで恋愛小説のツンデレヒロインの様ではないか。
そんな風に、賑やかにお喋りをしながら昼食会は進む。
話題はもちろん、先の事件が主となる。そうなればアベルの話題は避けて通れない。
「それで、アベルくんは盗賊だったって? わたしたち、騙されてたの?」
「うん……。そうなる、ね……」
「アレクたちを誘拐しようとしたんだろ? あのヤロォ……、最初っからイケ好かねぇと思ってたんだっ」
しかし、この話題となると気まずくなるのはカーラだ。
カーラは、アベルと結託してリゼットの誘拐に手を貸した。いや、手を貸したどころか、主犯と言っても過言ではない。アベルに唆されたのは事実だが、カーラにはそれをする動機があり、自らの意思で行動をしたのだから。
そして、それを知っている人物はリゼットとシンディの2人だけだ。ユーキたちも感づいているかも知れないが、ハッキリとは知らない筈だ。……リゼットが話していない限り。
今、話題はアベルへの非難となっている。誰1人として、カーラには意識を向けてはいない。……このまま黙っていれば、自分の悪事が周知に晒される事も無い。
そう思って俯いていた時、右手の袖が軽く引っ張られた。
「カーラちゃん……。ありがとうと、ごめんなさいはちゃんと言わなきゃ……」
そう言ったのは隣に座っていたシンディだった。まるでカーラの心情を読み取ったかのようなセリフに、鼓動が早鐘を打つ。
そう言えば自分はちゃんと謝っていない。今、この場で言えというのか?そんな事をすれば、自分はどう思われるだろう?先程までと同じように接してもらえるか?……無理に決まっているだろう。……でもシンディにこう言われては、黙ってなどいられない。
だって、シンディは人前でもちゃんと謝ったのだから……。だって、自分はシンディのお姉ちゃんなのだから……。
「……あのっ。……リゼットっ」
「ん……? なに、カーラ?」
意を決してリゼットに話しかける。リゼットはまだ、カーラが何を言おうとしているのか気付いていない。心臓が、うるさいくらいに鳴っている。暑さとは無関係に汗が流れる。でも、ここまで来たら腹を括るしかない。
「あの時は……、ごめんなさい……っ!」
全員の視線が頭を下げるカーラに集中する。視線が後頭部に突き刺さるのを感じる。汗が、ポタリポタリと地面に落ちる。
ちゃんと伝わっただろうか?言葉を間違ってはいないだろうか?「誘拐してごめんなさい」と言うべきだっただろうか?でも、そこまでハッキリと言う勇気は、無かった。
……たった数秒の沈黙が、何分にも感じられる。
「カーラ」
沈黙を破ってリゼットが話しかける。だが、カーラはリゼットの顔を見ることが出来ない。
「そのままでいいから聞いて。あの時も言ったけどアタシ、カーラの気持ちは分かるのよ。だから怒ってないわ。それよりベルのした事、もう1度謝らせて。……アンタの友達、死なせちゃってごめんなさい」
リゼットの言葉は優しい……、けど、ズルい。……なんて、ズルくて辛い事を言うのだ。
ベルのした事は許せない。そのおかげでレックスが死んだのだ。許せる筈が無い。けど、リゼットはカーラに怒っていないと言って謝ってくる。これではリゼットはもちろん、ベルに対してだって怒れないでは――。
「勘違いしないでよね。アタシやベルを許して、なんて言うつもりはないのよ? ただ……、アンタには幸せに生きて欲しいの。出来れば、恨みとか復讐とかに捉われた人生を歩んで欲しくないの」
そんな事を言われても、一体どうすればいいというのだ?
ベルが憎い。憎くてたまらない。それこそ、殺してやりたいくらいに……。この気持ちを忘れて生きろと言うのか?忘れれば、笑って生きていけるとでも言うのか?
ポタポタと雫が地面に落ちる。それは、汗では無かった……。
「……リゼット。……頼みがある」
2人の会話に唐突に口を挟んだのは、ユーキだった。
いつになく真剣な表情で、ユーキは端的に頼み事を言った。
「ベルに、会わせてくれ――」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
昼食会を暗い雰囲気で終え、一行はシュアーブ西の森へとやって来た。もちろん、『階段』でベルを『上』から連れてくる為だ。
リゼットが『階段』を出現させる為、光の尾を引いてクルクルと飛び回る。その光景は、本当におとぎ話のようだった……。
「……キレイ」
「スゴイっス……」
そんな感想を述べる者たちもいるが、カーラなどは心中穏やかではいられない。もうすぐ、レックスの死の元凶との対面なのだから。
「みんなはここで待ってて。30分くらいで戻ると思うから。……滅多に無いとは思うけど、万が一魔物が降りてきたらユーキたち、お願いね」
「あぁ、なるべく早く頼むぜ」
魔物が徘徊する森を移動する危険性は、嫌と言う程身に染みている。万が一魔物が降りてきたとしても、待ち構えていれば奇襲を受ける事は無い。
リゼットが1人でベルを迎えに行き、他の面々はこの場で待機するのが最善だと判断したのだ。
リゼットを待つ間、ユーキやカーラなどは緊張を保っていたが他の面々、特にアレクやロドニーなどは普段通りの雰囲気で雑談をしていた。
そんな中で不意にロドニーが、シンディの包帯を巻いた額を指差して言った。
「大丈夫なのぁ、見りゃ分かるがよぉ。アトが残ったりしねぇのか? ……その、女の子だしよぉ」
「ロドニーにしては気が回るっスね」
「……お医者さんの話では、傷痕は残っちゃうってさ」
エメロンの話によれば、シンディの傷は頭蓋骨の一部を削る程のもので、その傷痕は完全に消える事は無いらしい。あと数ミリ、傷が深ければ助からなかっただろうという話を聞けば、運が良かったと言えるのかも知れない。
しかし、女の子が目立つ場所に傷痕が残ると言われればさぞ落ち込むだろうと思っていたが、シンディはと言えば……。
「……ん。……ダイジョブ。モンダイない」
「何言ってるのっ! 大問題じゃないっ! こんなに可愛いのにキズが残るなんて……っ! ちょっと男子っ、もっとシンディちゃんを気遣ってあげてっ!」
無表情で問題なしと言うが……、それを聞いて大騒ぎをしているのはクララだ。
まるで演劇のように大袈裟に両手を広げ、シンディに抱きつく。これには男性陣のみならず、カーラも若干引き気味だ。
とはいえ皆は、シンディが言うように問題なし、とは思ってはいない。
決して男女差別をする訳では無いが、女性の容姿の重要度は男性のそれに比べるべくもない。交際や結婚相手はもちろん、就職にだって影響する可能性が高い。
まだ8歳のシンディには理解できないのかも知れないが。
ちなみにユーキにも幼い頃に、野犬の魔物につけられた傷が左頬に残ってはいるが、誰も気にも留めない。冒険者ギルドの職員はもちろん、仕事先の職場でも誰も話題にもしなかった。
男でも、顔にこんな傷痕のある者はあまりいないと思うのだが……。ユーキは少しだけ、釈然としない気分を味わった。
「なんとか化粧で誤魔化せないかしら……。シンディちゃん、ケガが治ったらわたしがお化粧を教えてあげるっ」
「……いらない。……わたし、ユーキお兄ちゃんみたいな冒険者になるから」
シンディの宣言で場の空気が凍る。いや、そう感じたのはユーキだけだったのかも知れない。
なぜシンディが冒険者などに?まだ将来を決めるには早すぎるだろう。というか、冒険者だって戦うばかりではない。普通の仕事だって……いや、そちらの方が多いのだ。なら、やっぱり傷痕は問題では無いか?
混乱するユーキを尻目に、シンディに問いかけたのはカーラだった。
「なんで冒険者? シンディ、そんなこと一言も言ってなかったじゃない」
「……カーラちゃんを、守りたいから」
ただ一言……、そう言ったシンディに、カーラは目を丸くする。
カーラがアベルに攫われた時、シンディはただ見ている事しか出来なかった。その後も、自分では何も出来ずにユーキに頼る事しか出来なかった。レックスの時も同じだ。野犬に、大亀に襲われても、シンディは2人に守られている事しか出来なかった。
もう、大事なものが奪われていくのを見ているだけなんて嫌だ。
それはレックスの死後、シンディが初めて想う強い願いだった。
もう、死んでも構わないとも、死にたいとも思わない。だって、死んでしまったら大事なものを守れないから……。
壊れた心は、強い願いの力で元とは違う、全く別の形へと姿を変えた。決して元通りになった訳では無い。だがその心はもう、壊れてはいなかった。
「……シンディっ!」
きっと、カーラにシンディの気持ちは正しく伝わってはいないだろう。でも、シンディがカーラを大事に、強く想っている事だけは伝わった。
感極まったカーラはシンディを抱きしめ、縋りつくようにして大量の涙を零した。
「……ねぇ、どうしたのコレ?」
その時、予想より随分早くベルを連れて帰って来たリゼットは、状況が理解できずにアレクに問うが……。
「ん~、よく分かんないや」
聞く相手を完全に間違えていた。いやしかし、誰に聞いても答えはそう変わりはしなかっただろう。なぜなら当の本人でさえ、なぜ泣いているのかを理解してはいなかったのだから。




