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前編

悪意というものには質量がある。絢爛たる謁見の間のなかで一段高くなった場所にある玉座には国王夫婦。そしてところ狭しと立ち並ぶ貴族。その只中。


わあわあとなにか喋る顔覚えがあるような。ないような。たぶん此の世界的にはイケメンな部類の青年。

その青年にべったりくっついてる黒く染めたのが丸分かりの髪を派手に飾り立てた娘さん。


あ、人の胸見て。いま勝ち誇った顔をした。よーし、敵だな??貧乳を笑うなコノヤロウ。お前の乳をもぐぞと肩にのし掛かるような悪意に晒されながら私は愚痴を心のなかで吐く。


「偽りの花巫女!!我らを欺いたことは甚だ赦しがたし!!」


しかし情け深い我らに感謝せよ。貴様を流刑するだけで赦してやるのだからな。


「偽りの花巫女よ。貴様の流刑地はムスペルヘイムなり!あの灼熱の地で己が犯した罪を悔いるが良い!!」


私、天野雫は。遠い異世界でやってもいない。というよりもまったく身に覚えのない罪でどうやら流刑される立場に立たされたらしいと。日本人の標準装備のアルカイックスマイルを放棄し。なんか頭痛いなと嘆息した。




スーパーで見掛けた枯れる手前のプチトマトの苗をつい買ってしまったのは。三十路手前の御一人様な自分に重なって見えてしまったというのもあるけれど。実家の庭を思い出したからでもあったのだろう。


私、天野雫の母は緑の指の持ち主で。娘である私が学校から持って帰ってきた朝顔を子供特有の熱中癖があって。ついなにかに夢中になって朝顔の世話をすっぽかす娘に代わり世話をして。何時もわっさり生やすタイプの人間だった。


手の掛かる植物ほど母とは相性が良いらしく。実家の庭は母が育てた珍しい植物が生い茂り。四季折々に様々な花が咲いていた。咲くというか。生い茂ると言った方が良いかもしれない。


子供の頃、秘密の花園に憧れたのだと語る母は気付くと何時も庭弄りをしていて。

そんな母を見て育った私は。何度も植物の世話をしようとしたけれど。根が大雑把なのが影響しているのか。私が世話をした植物は大抵枯らしてしまう。


あの生命力の強いミントすら枯らしたことに落ち込む娘を見た母がこれならどうかと任せたのはプチトマトだった。

トマトは南米ペルーのアンデス高原地帯が原産地であるナス科ナス属の植物だ。原種は小さいサイズの実を付ける。


リコピン、カロテン、ビタミンCなど栄養が豊富だ。ヨーロッパではトマトが赤くなると医者が青くなるという言葉があるほどに栄養価が高い野菜だと知られている。


英名のトマトは現地の言葉でホオズキの実を意味するトマトゥルから来ていて。日本では赤茄子、或いは唐柿とも呼ばれているけれども。これらの異称は日本には最初観賞用として持ち込まれた際につけられた。


世界には8000種を越えるトマトの品種があり、日本では120種のトマトが品種登録されている。

プチトマトという呼称は平成まで苗を販売していたメーカーが小さなトマトにつけた商品名のことで。


現在、スーパーに流通する小さなトマトは総じてミニトマトという呼称になっているという。

小さなトマトをプチトマトと呼ぶか。ミニトマトと呼ぶかで世代が分かれる為。意図せず年齢の炙り出しに使えてしまうものでもある。


当時に倣って聞き馴染み深いプチトマトと呼ぶけれども。母から渡されたプチトマトは大変強かった。

雑なお世話にもへこたれず。わっさわっさと成長して赤い実を沢山着けてくれた。私は感動し。同時にこの大量のプチトマトをどーしたものかと頭を悩ませた。


私はプチトマトがすごく苦手だったからだ。


先ず、青臭いし。中身の種の回りのどぅるっとしたゼリーの部分がもう苦手だ。しかし、自分が育てたプチトマトなら食べられる筈だともぎたてを口にし。


敢えなく轟沈。


市販されたプチトマトより、自家栽培したプチトマトは野趣溢れる。壮絶に青臭いものだった。母はポソリとちょっと品種改良してみたけど野生に返しすぎちゃったかしらとなにやら怪しいことを呟いていた。


ところでプチトマトは100個程実を実らせることは御存知だろうか。

実りに実りまくったプチトマト。腐らせるのは勿体ないと連日に渡ってプチトマト祭りが開催。


苦手は克服されず。より一層プチトマトが不得手になった。人間、どーにもならないもんはあるんだなぁと痛感した出来事だった。


そのプチトマトが植わっていた実家の庭は残念ながらもうない。

地域再開発の区画に入ってしまい。実家は建て壊されて。両親はマンションに引っ越し。今はベランダでプランターの植物を育てるだけになっていた。


庭に咲いていた珍しい植物は。近くの植物園や知り合いに譲られ。今もきちんと咲いてはいるそうだけれども。

庭で土を弄り。今年はなにを植えようかと楽しそうにしている母が寂しい思いをしていないかと。


労働基準法なーにそれとばかりにブラックな弊社からの帰り道。立ち寄ったスーパーの入り口。

ストロングな某お酒片手にお会計の列に並ぶなか売れ残りのプチトマトの苗と目があった気がして。


なんとなく列を抜け出して手にとってしまったのは。今にも枯れそうなプチトマトが三十路手前。不本意ながらに御一人様謳歌中の我が身に重なったからでもあり。気づけばレジに通していた。


「···如雨露、買わないとだ。それから鉢植えも。後は土かな。」


葉っぱは萎れ。端は黄ばみ。枯れそうなプチトマトはやっぱり頑丈だったようで。ホームセンターで買ったテラコッタの鉢植えに植え替えて。支柱を立てる。


土が乾けば水をやり。時々栄養剤を差せば。あっという間にプチトマトの苗は子供の背丈程に大きくなる。仕事を終え。

自宅アパートの庭で育つプチトマトの苗に水をやるのが私の日課になった。


うん、この調子なら実も付きそうだと。やっぱりホームセンターで買った銀色の如雨露片手に水をやっている最中。私は異世界。ヨルムンガンドに召喚された。


正しくは枯れてしまった世界樹ユグラドシルの代わりとして召喚されたプチトマトのオマケで。


そう、異世界召喚の対象はプチトマト。私はオマケだ。


召喚陣の真ん中で如雨露片手に固まる私と沸き立つ人々。

よく分からないままあれよあれよと謁見の間。


畳み掛けるようにあれこれと王と宰相を名乗る人物に詰め込まれた話をかい摘まむと。

この異世界ヨルムンガンドは魔法有り。謀権術数有りの。俗に言うダークファンタジーな世界らしく。巨人族という敵対種族と千年単位で争って来たんだとか。


巨人族は剛力無双。知恵もある。そんな巨人族に人間族が何故滅ぼされていないかというと世界樹ユグラドシルがあるからだ。


一度、壊滅まで追い込まれた人間族が神に祈ったところ。世界樹ユグラドシルが与えられて。ユグラドシルを植えたところ人間族が住まう地域一帯を結界が包んだ。それ以来、人間族はユグラドシルの庇護を受け生きてきた。


ただ、この世界樹ユグラドシルは百年周期で枯れてしまう。なのでその都度、新たなユグラドシルを召喚するという。


最初のユグラドシルも実は別の。恐らく私が生きていた世界から召喚されたものらしく。


それ以来、百年周期でヨルムンガンドの人たちは世界樹ユグラドシルとして私の生きていた世界から色々な植物を召喚してきたんだとか。

その都度。ユグラドシルの世話係りも含めて。


というのも世界樹ユグラドシルとなった植物をお世話出来る人間は同じ世界に居た人間だと定められていた。


このヨルムンガンドの世界に世界樹の世話を完全に任せてみたら世界樹の権利を主張して色々ないざこざがあったから。二代目以降世界樹ユグラドシルの世話係りが自動的に一緒にヨルムンガンドに召喚されるようになり。


私は自家栽培していたプチトマト(世界樹)と共にこの異世界ヨルムンガンドにやって来た訳だ。


ヨルムンガンドには大小併せて、様々な国が存在している。そのうち中つ国。ミズガルズと呼ばれる国の王宮。その最奥。

世界樹ユグラドシルの為の祭壇。まぁ、花壇に現在プチトマトは植え直され。


私はプチトマトの世話係り。此方の言い方では花巫女として(その呼称に数多の乙女ゲームをやりこみ、色々と。本当に色々と迷走した古のオタクの記憶がパカンと開いて全身を掻き毟りたくなったTHE黒髪黒目の日本人顔な平凡な人間であることはさておき)。


日に三度、水遣り。そしてプチトマト(世界樹)に祷りを捧げることになったのだけれども。なにを祈れば良いのか分からないので。


取り合えずプチトマトがすくすく育つこと。此の世界の人たちが健康に暮らせますようにと祈っている。

果たしてこれであっているのだろーかと不安に思うこの頃だ。


プチトマト(世界樹)のオマケで異世界ヨルムンガンドに来て数ヵ月も経てば色々なことが見えてくるもので。花巫女はミズカルズ国の国賓扱い。

対応もダークファンタジーの世界にしては良い。

これは花巫女にはユグラドシルの守護が掛かっているからだ。


過去に花巫女に酷い対応をしたところミズガルズに疫病が流行り。王様が死んだり。


結界が綻び巨人の国と接しているミズガルズはあわや滅ぶという騒動があったからだと初日、王様たちとは個別で詳しい話を宮廷魔術師だという糸目のおにーさんがしてくれた。


なので、まあ。丁重に扱われていることは有り難いけれども。ミズガルズにおいて花巫女の存在は政治の道具。


交渉ごとの手札のひとつだからか。ミズガルズを傾かせる為に花巫女の命を狙うという人たちもいるらしく。花巫女には護衛の騎士が就いている。


「へぷっ!!」


『花巫女殿、お手を。』


ずべしゃあと盛大に絨毯敷の長い廊下で転けた私に。フルアーマーの背が高い騎士が黒い鎧を鳴らし。膝を屈めて手を差し出すなか。私は鼻の頭を擦りながらお手数、お掛けしますと身体を起こした。


視界、滲む。ぼんやりとした世界のなかで。大きな真っ黒いひとが私の心の拠り所だった。

実は私。とっっても視力が低かったりする。元の世界では眼鏡を愛用していた。でも召喚されたとき。揉みくちゃにされるなかで眼鏡が外れ。思いきり踏まれて眼鏡は粉々に。


その結果、身の回りも覚束ない有り様で。頻繁に茶会に招いてくるミズガルズの王族らしい人が居るのだが。メイドさんがた曰く評判の美男子らしいけれども。


常に曇りガラスの視界では美男かどーか分からない。そんな状態だから護衛役のウートガルザという人が私を見かね。こうしてよく手助けをしてくれるようになったのだけども。


ガルザさん(どうにも此方の世界の名前は発音しにくいので愛称で呼ぶ許可を貰った)には迷惑かけっぱなしだなーと反省する日々だ。


彼、ガルザさんは護衛という役職柄か常に竜の意匠が施された甲冑を身に纏い。顔は兜で隠されているので素顔を見たことはまだなく。


その大柄な体躯に見あわず物静かな人というのが私がガルザさんに抱いた印象だった。

差し出された手を取ってプチトマト(世界樹)の植えられた祭壇に向かう道すがら。

隣に並ぶガルザさんは見上げないと視線があわない。


聞いた話によれば元々彼は騎士団の団長で。長く巨人族との戦いの最前線に居た人らしく。ミズガルズ随一の勇者であり救国の英雄だと讃えられていたんだとか。


そんな人が騎士団から花巫女の護衛になったことを王宮に居る人たちは左遷だと話していた。詳しい事情はわからないけれども。孤児院の出ながら戦功を挙げ。


騎士団長にまで出世したガルザさんをよく思わない上層部が花巫女の護衛という権威を伴わない名誉職に彼を追いやったらしい。


(異世界も世知辛いというかなぁ。夢がない。現実はそーいうものっちゃそうなんだけど。真面目で不器用な人が割りを食うのは嫌なんだよなぁ。)


花巫女。私が現れなければ。彼は今も騎士団長の立場で居られたにも関わらず。腐ることなく。職務に勤しみ。手の掛かる私の面倒もそれとなく見てくれる彼は真面目で優しい人だと思うのだけれども。


隣からビシビシ突き刺さる視線に狼に四隅に追い詰められた兎の気分になる。なんだか見られている。ものすごーく見られているけれども何故だろうかと俯きながら冷や汗を流す。


護衛という役職上。常に私の側近くに居るガルザさんは。無口で寡黙であるけれども。視線で色々と物語る人だった。なにかをしようとすれば視線が刺さる。


いや、なにもしなくても視線が飛んでくる。日本人は視線察知力は高い人種だ。

ビシビシ突き刺さる視線にどーしたものかと悩んでいた。


此方の世界の常識には疎い。いや、まったく知らない私は無自覚になにか失礼なことをしてしまったのかもしれない。謝りたくとも。花巫女という立場にある私が不必要に謝罪を告げれば。


それを良いことに非礼のお詫びと称して無理難題を押し付けられるかもしれないから。あまり簡単に謝罪を口にしてはいけないと注意してくれたのはガルザさん本人。


実際、当たり屋かなという接触を何度か受けた身だから。ガルザさんの言うように必要な時以外は日本人特有のはぐらかし言葉で対処している。


(まさか目があって。微笑んだら夜のお誘いになるなんて思わなかったんだよなぁー!!)


夜、寝室には護衛のガルザさんが待機してくれているから未遂に終わったし。偶々通り掛かった糸目のおにーさんが押し入ろうとした男の人を此方で処理しようと引き摺っていったけれども。


異世界って怖い。いや元居た世界の常識が通じないのって困るなと実感した日だった。


ちなみにガルザさんが言うには。目線があって先に私が微笑(ただの愛想笑いだ)してしまったことで夜のお誘いになったんだそうで。ポイントは女性側からの微笑み。


基本的に夜のお誘いの決定権は女性にあるらしく。男性は女性からの誘いは断らないものという風潮がある。もっとも意中の相手が居たり。年齢的に見て不適切だったり。


身分を盾にされて無理矢理ということがないよう。これを出されたら諦めろというお断りの文言が決まっている。ガルザさんが教えてくれたものは短い言葉だった。


『愛が欲しいと言うのならば私の為にムスペルヘイムで作られた氷菓を贈りなさい。』というものだ。


ムスペルヘイムは巨人の住んでいた国。巨人との戦いでミズガルズの領地になったけれども草木も生えない灼熱の大地で。

到底、人間が住める気温ではないという。


だからムスペルヘイムで氷菓なんて作れる筈はなく。不可能なことを吹っ掛けることでお誘いをお断りをするのだそうな。此方の世界のスカボロー・フェアみたいなものかなぁと呟くとガルザさんが興味を示したので。


パセリ、セージ、ローズマリーにタイムと口ずさみ。騎士がスカボロー市に住む昔の恋人への言伝を旅人に頼む歌で縫い目のないシャツを作ってこいと歌のなかで無理難題を吹っ掛けられると話した。


スカボロー・フェアはスコットランドの古いバラッドだ。元の題名はエルフィン・ナイト。


エルフィンは妖精。ナイトは騎士。スコットランドでは妖精は亡くなった人の霊、悪霊だ。つまりこの歌は既に亡くなった騎士が恋人に自分と結ばれたいならばと無理難題を告げるが。


恋人も負けじと無理難題を返すという内容。節目、節目に パセリ、セージ、ローズマリーにタイムと旅人が唱えるのはこの四種のハーブが魔除けだから。


名前を唱えて騎士を追い払おうとしていると付け加えて説明するとガルザさんは此方の世界のものと発想が似ているなと頷き。


目線があったときの対処法として目線があったらそれとなく外し。会釈程度に収めれば問題はないと教えてくれた。お国柄というか。目線があえば反射的に愛想笑いを返しがちだとガルザさんに言うと。


人と接するとき。目線があうと。それとなく咳払いしたり。私の前に立って目線を遮ってくれるようになった。

申し訳ないと思いながらも有り難い配慮だったけれども。


いっそガルザさんのように兜を被ってしまえば視線を気にしなくても良いのではと閃き。兜を貸して欲しいと頼み込んだがガルザさんは頷いてはくれなかった。ダメかー。フルメット装備は。良いアイデアだと思ったのだけれども。


『兜を被るというのは悪くはない発想です。しかし、その。花巫女殿の愛くるしい顏を見ることが出来ないのは酷く物寂しい。』


いえ、花巫女殿の願いであれば叶えられるよう努力致します。ですが御身の安全は私が守ります故。


『どうか兜の件はご一考頂ければと。』


後から同じ内容のことを数倍、畏まらせ。慇懃にした言葉でミズガルズの王宮の人たちにたしなめられた。ようは花巫女のイメージを損なうことはするなと。


ガルザさんには申し訳ないことをした。私と王宮の人たちの間に挟まれ。さぞ困惑し。頭を悩ませた筈だ。


考え込んでいたら祭壇の前に来ていた。天井は採光の為にガラス張り。空から燦々と光が祭壇もとい花壇に植えられたプチトマト(世界樹)に注ぎ。


なんだか神々しい気もしなくもないプチトマト(世界樹)に。

この異世界ヨルムンガンドに来たとき手にしていた如雨露(何故か何時も水が満たされていて使っても使っても空にはならない特別仕様になった)でプチトマト(世界樹)に水をやる。


今日もすくすくと。本当にすくすくと育っていまやプチトマト(世界樹)はガルザさんの背丈程にまでなっていた。


ガルザさんは自販機より大きい。日本の自販機は大体183センチ。

ガルザさんは更に目測で17センチ高い。つまりプチトマト(世界樹)は現在2メートルあることになる訳だが。


これ、ユグラドシル化した影響かなぁと。水をやるとキラキラ発光するようになったプチトマト(世界樹)を見ながら。


この子どこまで育つのだろうと風もないのにわさわさ葉を揺らすプチトマト(世界樹)に疑問を抱きつつ。朝のお祈りをした。元気に健やかに育ってねーと。


お祈りを終えたら朝食の時間だ。与えられ花巫女の部屋に戻れば。メイドさんたちがミズガルズの朝食の定番だというミルク粥とパンとチーズ。それと野菜のスープ。薫製したお肉をテーブルに並べていた。


毒味を兼ねてガルザさんも一緒に朝食を取る。この時、兜の一部を動かし口元が露になるガルザさん。ぼんやりとしか見えないが口だけでも美人な気配がすると。


木目が美しい木皿にほかりと湯気を立てるミルク粥を食べながら。なんとはなしにガルザさんの口元を眺めた。


ミルク粥は見た目より甘くはなくて。シチューにご飯を入れてくたくたに煮たような味わい。お肉が入っていることもあるけれども。基本、魚の切り身が入っていて。


下処理が良いのか生臭さはなく。ほろっと匙で崩せるほど柔らかな魚は旨味がとても強い。味が近いのは鮭だろうか。


ガルザさんに聞くと川魚で。これは養殖したものらしく。本来の旬は秋で川に群れとなって遡上してくるという。

ガルザさんの地元ではよくハーブを練り込んだバターと一緒に。聞けば日本に生えている朴の木に似た葉でくるんで囲炉裏の灰のなかで蒸し焼きにしていて。


秋に遡上してくるものは養殖ものとは比べようがないほどより旨味が強く。

あれこれ味付けする必要がないため。バターだけで十分なんだとか。また保存食として魚の頭は塩漬けにしたり。切り身を薫製にしたりする。


皮を剥いで加工したベルトや財布、靴といった細工物は街の市場に卸され冬の間の貴重な収入源にもなるのだとガルザさんは語る。


「ガルザさんの地元というと。」


『···今はどの地図からも消えた村です。十歳より以前はミズガルズの端にあるその小さな村に両親と暮らしておりました。木々以外にはなにもない。しかし本当に美しい村でした。』


珍しい。ガルザさんの口数が多い。基本、寡黙なガルザさん。

聞いたことは話してくれるけれどもなかなかガルザさん自身のことは聞かせてくれないからなんだか嬉しい。


なにせ私の情報源は限られている。ガルザさんが現状、最大の情報源だ。彼の僅かな話から此の世界のことをそれとなく探らなくてはいけない。

地元の話を聞けるぐらいには。どうにか距離を詰められたらしいと内心しめたと思う。


(ミズガルズの人たちは花巫女である私を丁重に扱うけれど何時までも外の人という態度だしなぁ。)


言わば私はミズガルズの人たちにとっての“異人”。マレビトなのだろう。共同体の外から来た人でありながらも人ではない存在という扱いだ。


この場合、国だが。ムラにやって来た異人。マレビトは禍福を与える人あらざる存在という位置付けで饗応されるというのが昔話のセオリーだ。


私の場合はプチトマト(世界樹)を育み守ることで彼ら、ミズガルズの人たちが欲する世界樹ユグラドシルの庇護という福を与えるからこそ。

この三食オヤツ付な実に快適な生活を与えられている訳だけど。


六部殺しの例があるから楽観視は出来ないなと大学生時代に聞き齧った民俗学の知識が親切の裏に意図がないかと疑っている。見返りを求めない親切というものはきっとない。


旅の六部が自分たちを饗応した村人に持っていた財を殺されて奪われてしまったように。同じことが自分に起きないと楽観視することは出来なかった。


花巫女というのは果たして、世界樹ユグラドシルを育むだけの存在なのかという疑念が私のなかにはあるのだ。


ただ、それだけの存在を何故ミズガルズの人たちは此処まで丁重に扱うのか。過去、花巫女を蔑ろにした結果。滅びかけたことの反省によるものだと言われたらそこまでだけど。本当にそれだけだろうか。


まだあるような気がするのだ。花巫女を丁重に扱う理由が。


願わくば幾つか想定した最悪なパターンのどれかでなければ良いと拭えない不安を。プチトマト(世界樹)には伝えてる。


いざとなったらプチトマト(世界樹)も連れて逃げるからあんまり大きくならないでねー。あと逃げる時は上手くいきますようにと最近は健康祈願と生育祈願と共に真剣に祈っている。考えすぎであれば良いのだけれども。


なにせ聞き齧るだけでもダークファンタジーの世界だと察する程度に物騒な感じがするこの異世界ヨルムンガンド。だって敵だという巨人の子供を奴隷にしたり。見せしめに闘技場で戦わせたりするという。


なら魔術で人を洗脳したりは普通にありそうで怖い。人の親切は疑いたくはないけれど。如雨露を除けば身一つで此方に飛ばされた私が持っているものは“私”自身だけだ。


私は私を損うことは避けたかった。


ようはまあ。出来るだけ私は私のままでありたいのだ。だから私は胸のなかで何度も繰り返す。私は日本という国に住む天野雫。ただの人間だと。


(いや、うん。ただの人間というにはなぁ。読めないはずの此方の世界の文字が読めたりするし此方の世界に来たらなーんか若返っちゃって。いま十六歳ぐらいの見た目になってるんだよねぇー。)


さて。一日、三回あるプチトマト(世界樹)のお世話の隙間時間。王宮から出ることを許されていない私は部屋で読書をする。


ガルザさん以外の貴重な情報源として恋愛小説を読んでいるのだ。手っ取り早く此の世界のことを知るためにもっと幅広い本を読みたいところだが。


王宮の人たちはあまり花巫女が此の世界の知識をつけることをよく思っていないらしく。本を読みたいと粘りに粘って。私が読むことを許されたのが恋愛小説だった。


恋愛小説ならあまり情報を読み取れないと思ったようだけど。案外恋愛小説というのは情報の宝庫だ。


その国の価値観、風習、言葉、文化を探るには恋愛小説は専門書より理解しやすかった。ちなみに本を読み終えて枕元に置いておくと朝になれば次の本が置いてある。


一度、寝ずに見張っていたのだが。パッと本が消えたと思ったら新しい本が現れたので。魔法を使える誰かが本を差し入れてくれているらしい。


頭に浮かんだその誰かに何時か、きちんとお礼をしたいとガルザさんには話してあるが。

ガルザさんは物質転移を使えるのはあの人ぐらいだが。本当にあの人がそんなことをと。なんだか半信半疑という様子だった。


此の世界でも市井の少女が貴族。或いは王族に見出だされるシンデレラストーリーは定石らしく。

下町や貴族の常識や教養が一挙両得で学べるのでその手の話を紙に書いてリクエストして差し入れて貰い。よく読む。


更に読みたいと要求するとこの日本人特有の幼く見える容姿から単純に恋愛に憧れる御年頃なのだろうと警戒されていないらしく。

望めば恋愛小説に限ってだが差し入れられるのでしめたものだと今日も城下で流行りだと本に挟んであった紙に書いてあった恋愛小説を読んでいる。


ヨルムンガンドに来るまで恋愛小説の類いはあまり読まなかったけど。結構、嵌まりそうな自分が居るのは内緒だ。





長椅子に腰掛け。黙々と小説を読む少女が視界に入る位置に下がり。ゲルダ・ウートガルザは誰に知られることもないと胸のなかで今日も花巫女殿が愛くるしいと感情を爆発させていた。


彼女、万夫不当。勇者のなかの勇者であると市井の人々に讃えられる豪傑ゲルダ・ウートガルザ(二十八歳)は小さき生き物が好きな女性であることを知るものは元直属の騎士団の一部の配下たちしか知らないことだった。


ゲルダはミズガルズの端の端。僻地にある寒村で産まれた。ゲルダの母は美しい女性であったが父よりも背丈が高く。身体には無数の鞭で打たれた傷があった。


凄まじい膂力を持っていたが。それをひけらかすことはなく。むしろひた隠そうとしていた。その母と生き別れたのはゲルダが十歳になった時だった。


村が巨人たちに襲撃されて壊滅し。ゲルダの両親の所在が分からなくなった。

ゲルダはこのとき父から頼まれ。村の工芸品を街の問屋に卸す為に村を離れて居て難を逃れた。

帰ってきたゲルダが見た村は酷い有り様だった。


生きているものは村にはいなかった。人間も家畜も。等しく頭を潰されて殺されていた。

青々と生い茂る草木には夜露の代わりに真っ赤な血が滴る地獄のような光景にゲルダは嘔吐し。ただ、泣き叫んだ。それだけしか幼いゲルダには出来なかったから。


奇しくも世界樹ユグラドシルが枯れた年。


綻びた結界を破り巨人はゲルダの暮らしていた村を襲ったのだとゲルダは後に知った。

たった一人、生き残ってしまったゲルダは馴染みの問屋の主人が暫く面倒を見てくれたが。


同い年の子供より高い背丈と強靭な肉体。桁外れの膂力を問屋の主人の妻子に気味悪がられ。ややあって問屋の主人に頭を下げられ。ゲルダは街の孤児院にやられた。


孤児院の人々は気の良い人間ばかりだったが。孤児院の経営は芳しくはなく。食事は一日に二回。だがその二回とも麦粥を薄めに薄めたもので。味付けは塩のみ。


常にゲルダたち孤児院の子供は腹を空かせていた。服は襤褸切れ。建物はすきま風が吹き込み。雨漏りする。薄くて穴が空いた毛布を他の子供たちと分けあいながら。ゲルダはそんな暮らしでも死ぬことがない自分の頑丈な身体を疎ましく思った。


騎士団に入れば一日に三食、満足いくまで食事を貰えると聞いて。ゲルダや孤児院の子供たちは騎士団の入団試験を受けたのだ。

巨人との戦いが激化するなか。入団試験は名ばかりなもので。名前さえ書ければ誰でも騎士団に入れた。


騎士団に入り。ゲルダたちは最低限の剣術を叩き込まれ。即座にミズカルズの防衛最前線に送られた。ゲルダは巨人と戦うことに恐怖はなかった。


ただ満腹になるまで食事をしたかった。すきま風が入らない家屋のなかで温かい毛布で寝たい。ゲルダが望んだことはそれだけだった。


戦場では年若いものから死んでいく。ゲルダと同じ時期に騎士団に入った若手は五年後。数える程度しか残ってはいなかった。ゲルダは人並み外れた膂力と強靭な肉体。


そしてゲルダ自身も知らなかったが剣術の才があったことで気づけば騎士団の団長にまで登り詰めていた。そこは別に問題ではない。ゲルダが女だとミズガルズ国上層部が誰も知らないことが問題であった。


騎士団の入団条件は十三歳以上の男だったのだが。ゲルダは読み書き出来なかったのでそんな条件があるとは知らず、入団試験を受けた。


名前だけは書けたので入団試験に受かってしまったゲルダ。また当時、髪が短く。十分な栄養が取れなかったので痩せていたゲルダは少年にしか見えず。


戦場で武勲を挙げる度に増えてく鎧で身体の凹凸は完全に隠れ。騎士団の団長となる頃にはゲルダは剛力無双、万夫不当の勇者。男のなかの男と讃えられ。


特例で黒い鎧を身に付けることを国から許され。名誉なことだと聞かされながらもゲルダは沈痛な顔をしていた。


ゲルダの性別を知っている直属の一部の部下は腹を抱えて笑っていた。団長は男より男らしいですからねぇと。

ゲルダは嘆息した。国随一の英雄となったゲルダには貴族の娘との縁談が山程持ち込まれた。


けれどもゲルダは女であるし。貴族たちのミズガルズ随一の英雄を自分たちの派閥に取り込み。派閥争いを有利にしたいという考えが透けていて辟易した。


この縁談にはゲルダの首に枷を嵌めておきたい国の思惑も絡んで見えた。巨人との戦いで数多の功績を挙げ、市井の人々に英雄と讃えられるゲルダは国の上層部からすれば厄介な存在だった。


もし、ゲルダが国に反乱を起こせば市民はゲルダを支持するのではないかと危険視する声があったのだ。

ゲルダが孤児院の出身であることをよく思わない人間も居るなかで。


仮にゲルダが女だとバレたならば。ゲルダを蹴落としたいものたちはそれをこぞって叩くことは目に見えていた。地位には差ほど興味はない。


だが自分を信じてついてきた部下に咎めがあったらと思うと性別を隠すしかなかった。


常にゲルダは甲冑を身につけ。素顔すら兜の下に隠した。声は元から低いし。兜でくぐもって男のように聞こえた。そうしてミズガルズ随一の偉大な英雄が出来上がったのだが。


枯れた世界樹に代わる新たな木々を。ミズガルズの宮廷魔術師たちが召喚することになり。ゲルダは世界樹と共に召喚される花巫女の護衛の任に就くことになった。


実質的に左遷だ。花巫女の護衛は栄誉なことだが。権威を一切持たない役職である。何時までも一人身のまま。どの貴族の派閥にも属さないゲルダを疎んじてのことだった。


憤る配下を宥めて花巫女の護衛になったゲルダは恋という花蜜の味を知ることになる。


《後編に続く》

 

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