8:オムライス、オムそば、おむすび
本編から20年ほど後のお話。6、7よりちょっと前くらいかな……。
「竜胆くんをください」
「ぶっ!!???」
紅晴市内、個室完備の居酒屋。
食事や酒の質をある程度担保しながら居酒屋特有の気軽さも兼ね揃えたそのお店で、四人がテーブルを囲っていた。
一人は襟付きのVネックシャツにストレートパンツを合わせた妙齢の女性──瀧宮梓。乾杯早々に爆弾発言をかましながら、涼しい顔で注文したビールをちびちびと飲んでいる。
一人は二人掛けの長辺を一人で占領したスーツ姿の男──波瀬疾。梓の発言にも動じず、手に持つロックグラスを一息で空にした。
一人は梓の隣に座るポロシャツにズボンの男性──竜胆。梓の発言に思い切り動揺して飲みかけていたビールを盛大に咳き込む。
そして最後の一人はテーブルの短辺、いわゆる末席に座る男性──伊巻瑠依。飲みかけのビールを思いっきり吹き出す。が、即座に構築された障壁が正面から受け止めて反射させた結果、自分で拭いた酒を自分で頭からひっかぶった。
「うぎゃあ!?」
「げっほ、ごっほ……!」
瑠依が悲鳴をあげる。竜胆は未だ咳き込みながらも、瑠依におしぼりを投げて渡した。
隣の惨状に一瞥すらくれず、疾は空になったグラスをテーブルに置いて梓に視線を向けた。
「それは伊巻家か竜胆の上司に言うセリフじゃねえの」
「やっぱりまずは君たちから通すのが筋かなと思ってね。瑠依は竜胆くんの契約主だし──疾くんがいなければ、竜胆くんはこの街で働いてなかったんだろうし」
「さあ、それはどうだろうな」
「ふふ。ほら、鬼狩りの仕事にもそれなりに影響が出るだろうし、やっぱり筋は通しておくべきでしょ」
「なるほどな。……ま、その点は好き勝手やってる俺が口出せる筋合いでもねえし、竜胆も仕事を疎かにするようなやつでもない。契約相手としての力量も十分だ、問題はねえだろ」
「そう言ってもらえると嬉しいわね」
「一応型通り言っておくか、婚約おめでとう」
「あはは、ありがとう」
テンポよく話が進みまとまったところで、梓がタブレットに手を伸ばす。
「食事はコースにしたんだけど、〆のご飯だけ選べるんだって。オムライス、オムそば、おむすびの3つから選ぶんだけど何がいい?」
「その文化、未だに分からねえんだよな……どれでも良いぜ」
「じゃあおにぎりにしようぜい。たまーに食べると妙に美味しくない?」
「それは分からんでもない」
「「いやいやいや!?」」
ようやく竜胆と瑠依が復活した。
「流石、息ぴったりね」
「それ、竜胆に対するかなりの侮辱じゃねえか」
「複雑な気分にはなったけどそこじゃねえ!」
「さりげなくディスられたけどホントそこじゃない!!」
温度差を塗りつぶすように瑠依が身を乗り出した。
「竜胆をくださいって何!? 普通逆じゃねえ!?」
「梓、いくらなんでも単刀直入すぎる! 冥府にとっちゃ大事件だからなこれ!? 疾も疾で普通に進めるな!」
「あとこんな大事な話からの流れでメニューの相談する!?」
ようやく得たツッコミの機会をここぞとばかりに主張する二人に、注文用のタブレットを操作していた梓とウイスキーのおかわりを注いでいた疾は平然と首を傾げた。
「一家総出で「こんなので心苦しいがどうかうちの息子をもらっていただけませんか」と懇願された奴の台詞とは思えねえな」
「なんで知ってんの帰りたい!?」
「言われた本人が言いふらしてたぜ」
「常葉あの野郎!?」
「注文しないとコース料理始まらないわよ。注文せずに居座る客って迷惑じゃーん」
「それはそうだけどよ、だったら尚更切り出すタイミングがおかしいだろ!?」
「大事件ったって、たかが結婚話よ。あたしが冥府に突撃したことよりはマシじゃない?」
「あれがとんでもなくありえねえだけだからな!?」
「そもそもその件は既に手打ちになってんだろ」
ピタッと会話が止まった。疾が薄く笑う。
「どうかしたか?」
「いや……その……」
「手打ち」の詳細をいやになるほど知っている瑠依と竜胆だが、以前に疾から当事者である梓をはじめとした面々には言わないように釘を刺されている。それ故に本人の前でどう言葉を選んでも地雷を踏みそうでまごつく二人を横目に、疾はグラスを傾ける。
「冥府の反応が心配なら、適当な理論武装していきゃいいだろ。瀧宮羽黒の監視に有用とか、逆に一族に連なるものを外に出すメリットとか何でもいい。つーか襲撃の後も我が物顔で鬼狩りぶっ飛ばして遊んでんだから、ゴリ押しでもどうにかなるだろ」
「発想がポンポン出てくるなあ……」
「最終的にゴリ押しなの超帰りたい……」
流れるような言葉に慄く二人を見て、疾は呆れ顔になった。
「あと一応解説してやると、本来冥府で暮らす竜胆が梓と結婚するとなれば、事実上冥府の所属から外れる形になる。もちろん体質上契約は必要だが、契約者が冥府と縁のない鬼狩り以外の人間になるからな──基本的に俺や瑠依と同じ、鬼狩りの任務を持つ人間として生きることになる。人の街で生活することも含めて、冥府との関わりはかなり薄くなる。それこそ国跨いで嫁ぐくらいの扱いにはなるから、こいつの発言は妥当だな」
「ほえー……よく分からん」
「心配するな、馬鹿に理解出来るとは思ってない」
「いっつも失礼なやつだなほんと!」
「事実じゃんねえ」
「そういえば、楓と悠希がどっちからプロポーズするかでケーキバイキング賭けてたな。結果報告する気があるならしてやれ」
「いいねえ、あたしも久々にがっつりケーキ食べちゃろ」
梓が楽しそうに笑ったところで、竜胆が肺の空気が空になるまで息を吐き出した。
「あーもう……今日この場を、俺がどんだけ緊張して迎えたと……」
「そもそもここ数年てめえらよくつるんでて、周囲からは普通にそういう扱いだったろ。多分今後どこに報告しても「やっとか」って反応じゃねえの」
「それはそれでちょっと気恥ずかしいわね」
「だからなんでそんな普通に……!」
「竜胆だからだろ」
その言葉は、ひどく簡単に放り投げられた。
「人の印象なんざ、見え方一つで変わるどころか、他人に流されてコロコロ変わるような当てにならない代物だが。少なくとも学生時代から今に至るまで、竜胆はその馬鹿の面倒を見ていたことも含めて評価が高い。梓もこの街に来てから広く人脈を築いているが、その中で竜胆を知ってる奴は悉くが好印象だ。その二人が結婚話をすれば、まあ祝われるだろ」
酒を片手に、ごく当たり前のようにそんなことを言う疾に、竜胆は言葉を失う。
「まー確かに、竜胆はおかんだからな!」
「それ言いふらしてたの瑠依よね」
「馬鹿を見捨てもせずせっせと面倒を見ていたせいですっかり定着しちまったよな」
「何が言いたい!?」
「馬鹿がどうしようもなく馬鹿で傍迷惑で呼吸をするようにやらかしてたっつう事実だが」
「帰りたい!!」
「お、流石に否定はしなくなったわね。これも竜胆くんの成果じゃない?」
騒がしいやり取りもいつも通り。当たり前のように竜胆を輪の中に入れる彼らの言葉に、竜胆はなんとも言えずにただ、笑った。
瑠依が無邪気に笑う。
「とりあえずあれだな、二人にはおめでとうだな!」
「ありがとー」
「……おう、サンキュ」
かつて化け物と蔑まれ、利用され、道具のように扱われてきた時期の方がずっとずっと長いのに、もう遥か昔のことのように感じている自分に、やっと気づいた。
「疾も、ありがとな」
「はっ」
いつも通り鼻で笑ってから、疾が珍しく皮肉の混ざらない、揶揄うような笑みを浮かべる。
「婚約おめでとう」
そう言って持ち上げられたグラスに、全員が思い切りぶつけ返した。
めいめい空になったグラスのおかわりを注文したところで、疾が人の悪い笑みに戻る。思わず身構えた竜胆に、爆弾が雨あられのように落とされた。
「つーか、むしろここからの挨拶回りの方が大変だろ。こんな場で緊張してて身が保つのか」
「そう? 父様はそりゃ妖怪嫌いだけど、今更うるさいこと言わないだろうし。白羽ちゃんも同様よ。クソ兄貴の意見はどうでもいいし」
「お袋様は間違いなくお祝いだって張り切るよなー。俺の時より喜びそう……」
「本決まりになったら香宮にも一応報告……は、当主殿とケーキバイキングするならその時で良いか。そうなると冥府から許可もぎ取る時が一番大変そうだな」
「フレア様おっかねえもんなあ」
「最低でも瀧宮関連担当の死神局長と、竜胆の上司である鬼狩り局長の許可はいるだろ」
「その上は?」
「……あの野郎と交渉するのは本気でおすすめしないが、やるならいっそ3人まとめてやっちまえ」
「うわ想像しただけで帰りたい……」
「うーん、どうしよっか竜胆くん」
「聞いてるだけで胃が痛くなってきたんだが……!?」
上げて落とすをえげつない高低差で行われた竜胆は、胃の上を押さえながら呻いた。