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三題噺  作者: 吾桜紫苑
5/15

5:懺悔、徹底抗戦、AI

3のつづきです。

 指定された日時に転移したノワールは、目の前のドアチャイムを鳴らした。転移の時点で察知していたのだろう、チャイムが響くか否かのタイミングでドアが開く。

「よう、来たな」

 瀧宮羽黒が満面の笑みでノワールを出迎えた。この男と最後に顔を合わせたのはいつだったかと記憶を探りながら、ノワールは物言いたげな視線を向ける。

「……随分と楽しそうだな」

「はっはっは。おまえさんがどんな顔して現れるかと楽しみにしてたんだが、意外と普通だな」

「……まあ」

 言葉を濁すノワールに、羽黒は軽薄に笑って中へと招き入れる。やや落ち着かない気分になりながら、ノワールは羽黒の後をついて廊下を通り、リビングへと足を踏み入れる。

「ノワールおじさん! お久しぶりです」

「ようこそ」

 元気よくソファから立ち上がって手を振るのは、黒いセーラー服を纏った白銀紫だ。やたら楽しそうなのは相変わらず。彼女の傍らに立っているのは、黒の上下に白のエプロンを身につけた白銀もみじ。こちらもどことなく楽しそうである。

 約一名との酷い温度差を感じつつ、ノワールは二人の挨拶に軽く頷いて答えた。そこから奥に視線を動かした先、件の約一名を見つけ、無言でその姿を眺める。

「…………」

 不本意と不機嫌と屈辱と諦念を絶妙な塩梅でかき混ぜた仏頂面を浮かべた幼児が、無地のトレーナーとズボン姿で立っていた。

 おおよそ予想通りの反応に表情の選択を迷いつつ、ノワールは外見に似合わぬ表情を浮かべた子供──都合4度目の転生を果たした疾を観察した。

 年の割には小柄で細身だが、血色はいい。羽黒が強引に保護してから少し経つが、体調管理は問題ないらしい。魔力はこの時点では一般人同然……僅かに反応があるのは、彼等と共に過ごしている影響か。いずれにせよ、記憶にある魔力や異能と寸分たりとも変わらない。やはり今回も同様の状況らしい。

 この原因不明の転生もどき自体も悩みの種ではある。あるのだが、今はそっちじゃない。

「…………」

「…………」

 室内に異様な沈黙が漂う。傍で羽黒が心底楽しそうにニヤニヤしているが、下手な反応を示す気にはならない。というか、目の前で疾が突き刺すような眼差しを向けていて、それどころではない。

 疾の態度を責める気はノワールにはない。もし疾の立場だったらと考えると、よく耐えている方だろう。仮にノワール自身が瀧宮羽黒に保護される事になれば徹底抗戦する。よりにもよって無力な幼児だったせいで抗う術がないことも含め、気の毒に、これに尽きる。

 が、それを口にしようものなら、確実に色々とギリギリだろう疾の逆鱗に触れる。ノワールが保護できなかったことを誠心誠意詫びても多分切れる。というかこの顔を見るに、何を言おうが罵詈雑言の嵐だろう。

 「言いたいことがあるならさっさと言え」と雄弁に物語る炯々とした眼差しに、適切な言葉を見つけることの出来なかったノワールは、視線を逸らすという戦略的撤退を選択した。

「……頼まれていた分だ」

 虚空間から書類を取り出して手渡す。ほぼ冊子となってしまったそれをむしり取るように受け取ると、疾はノワールの脛を力一杯蹴飛ばしてから、近くのソファによじ登ってページを繰り始めた。

「……」

「ぶっ、くく……っ」

 隣で耐えきれずに吹き出している羽黒に言いたい事はあるが、下手なやり取りは飛び火しかねない。見た目からは想像がつかないような鋭い蹴りだが、身体強化が常時かかっているノワールにはほとんど痛みもない。八つ当たりは甘んじて受け入れることにした。

「んで? 最近はお前さん何かやってんの?」

「特には。……ああ、3年ほど前に、魔術師連盟から少し複雑な魔道具の解析を依頼されたか」

「お前さん、だんだんあのじーさんに似てきてんなあ……」

「後を引き継いで狭間の管理をやっている以上、ある程度は仕方ないだろう」

 ノワールの師匠だった人物も、しばらく前にノワールに役割の全てを引き継いだ。居住区に備えていた全てを残していったのは、かの師匠からのノワールと、そして疾への気遣いなのだろう。

「……ほぼ予想通りか」

 冊子に目を通し終えたらしい疾が溜息混じりに言う。答えるより先、ソファから下りてこちらに背を向けた。

「おいおい、せっかくのお客さんだぞ。どこ行くん?」

「地下。データ入力だけ済ませてくる」

 羽黒の問いかけに簡潔に答えると、返事も待たずに姿を消した。なんとなしにそれを見送って、軽く息を吐く。

「……予想していたよりは健康そうだな」

「伊達に神様の恩恵をたっぷり浴びた土地じゃねえよ。食べ物一つとっても霊気たっぷり含んでるからな。肥え太らせちゃろと結構食わせてるし」

「肥え太らせるまではいらんだろう」

「身長の伸びも遅れてるし、多少肥えるくらいで丁度いいだろ」

「疾さん紫のこと、度を越した大食いだの歳をわきまえない食べ盛りだの、めちゃくちゃ言うんですよ! 身内としてひとこと言ってやって欲しいです!!」

「諦めろ」

 疾の口の悪さについての苦情は一切受け付ける気はない。あんなの身内だからどうにかなるものでもない。引き取ったならその辺りは必要経費だ。

「口はともかく、手はかからないだろう」

「かからなさすぎるくらいだな。うちに来てから基本的にはこっちの生活リズムにきっちり適応してるし、口は悪いが文句も言わん。かと思いや唯一の要望は、「研究用の設備投資」だぜ。ワークステーションから始まり怒涛の専門用語の羅列で、途中から異世界の呪文に聞こえたわ」

「表の仕事に技術職を選んでいたくらいだからな」

「言われるままに揃えたら揃えたで、後の請求額に目ん玉飛び出たぞ。スペックとやらにこだわるとパソコンってあんなに高いのな」

「ワークステーションをパソコンと言うと馬鹿にされるぞ」

 そう言ってノワールはもう一度空間を開き、連絡を受けた際に頼まれていたものを羽黒へと投げて渡す。受け取ったそれを見て、羽黒が眉を寄せた。

「あいつ名義の通帳? ……いや何だこの額、桁おかしくねえか」

「転生騒動後、魔道具の販売で稼いだ金を投資に回して膨らませたらしい。ここにいる間の養育費用には十分だろう」

「うわ可愛げねえ」

「相手を誰だと思っているんだ……」

 外見はともかく中身は災厄とまで言われた男だ。少なくとも、瀧宮羽黒に力づくで保護されたからといって、何もかも世話になり通しに甘んじるような性格ではない。

「しっかし、生前の財産は全部手放してんだろ? そこからよくもまあここまで……基本鬼狩りしかしてねえんだよな?」

「冥府と狭間を往復しつつ、任務と研究漬けだ。魔道具は気分転換に作っていただけの、ほぼ暇つぶしだな」

「暇つぶしでうちの家族を10年は余裕で養えそうな額稼いでポンと渡すの、まあまあ頭おかしいだろ」

 呆れ交じりにそう言って、羽黒はノワールに通帳を投げ返した。

「……何の真似だ」

「ガキ一人養うのに、ガキ本人から金もらうほど落ちぶれちゃいねえんだわ」

「中身で判断すればいいだろう」

「ガワがガキだからこそ困ってたんだろ。WINGの経営はお陰様で黒字万歳だ、どうしてもというならあいつの小遣いとして渡してやれや」

「…………」

 別にもらって困るものでもないものを妙なこだわりで拒絶する理由がわからず目を細めたが、疾が戻ってきたので後にする。

 会話が止まったのを察知した紫は、キラキラした目でノワールに問いかけた。

「ねえねえ、ノワールおじさん」

「なんだ」

「お土産はないですか!?」

「……」

 直球すぎるおねだりに、ノワールは無言で紫を見下ろした。疾が呆れ顔を向ける。

「随分とお育ちのいい発言だな」

「だってパパよく言ってるですよ、よそのお家にお邪魔するなら手土産は絶対持って行けって!」

「それは一つの文化として認めるが、客側から土産をせがむのは図々しいと言うんだ」

「でも、なんとなくノワールおじさんから美味しそうな匂いがします!」

「せめて意地汚さを少しは隠そうとする努力をしろ」

 ……ノワールにとっては意外なことに、紫とは案外上手くやっているらしい。会話だけを聞いていたら、確実に外見年齢は真逆を想定するだろうが。

「それに土産っつうならさっき俺にデータよこしたろ」

「疾さんだけ!? こういうのは美味しいものが鉄板だってママから聞きました! そしてやっぱり美味しそうな匂いがするです!」

「瀧宮羽黒、こいつ実は最近生まれたてのガキンチョじゃねえのか」

「自己紹介か?」

 楽しそうだな、という言葉をかろうじて飲み込み、ノワールは紫の問いかけにようやく答えた。

「……一応あるぞ」

「ほら!!」

「あん? お前があ??」

「正確には俺ではないが」

 言いながら、ノワールはテーブルに向けて軽く手を振った。

「ほぁああああああ!」

 歓喜の声が上がる。紫がキラキラした目でテーブルに駆け寄っていった。

「ケーキですケーキ!! レモンタルトにレアチーズケーキ、アップルパイ、ザッハトルテ!!」

「しかも今どき滅多にお目にかからん8号ホールケーキじゃねえか、どうしたこれ?」

 歓喜の踊りらしきものを踊る紫を尻目に、羽黒が唖然とした顔でケーキを眺めていた。一方疾はケーキを一瞥すると、呆れを全面に押し出して溜息をつく。

「……まだやってんのか、あいつ」

「見ての通り、洋菓子作りに久々に夢中だそうだ」

「マジで何やってんだ……」

 ノワールと疾のやりとりに、羽黒が怪訝な顔をする。

「ん? なんだ? 店主と知り合いか?」

「あんたも知ってる。──楓だ」

「は??」

「えっ??」

 羽黒と紫が同時に丸い目をノワールに向けた。

「……とりあえず、お茶を淹れますね」

 もみじが不思議そうな顔をしながらもキッチンへ向かう。それを横目に、ケーキが4つ置かれてもまだ余裕のあるテーブルに移動する。

 紫がケーキにほぼ目を奪われながらも口火を切った。

「えっと、転生ってことです?」

「違う。まだ冥府にいるんだ」

「は? こっちの知り合いですらもう全員転生したぞ? そもそも冥府で働く必要あったんか」

 羽黒の問いかけに疾とノワールが若干微妙な顔をした。

「一応、あれでも元香宮当主なんだが」

「まあ……問題を起こすだけの武力はないのも確かだがな」

「ある意味すげえわ」

 羽黒の言う通り、当時の香宮を取りまとめる当主としては異例中の異例だろう。それでも回していたのだから、ある意味大したものなのだろうが。

「事実、本人に罪状はない。ただ、楓は異世界渡航歴がある。それが輪廻に影響を与えないよう観察期間が必要だった」

「異世界渡航? 魔術使えないのにか?」

「……紅晴で妙な体質を発揮して、「神隠し」の要領で異世界に落ちていた」

「……よく生きてたなあ……」

 羽黒がしみじみと言った。ノワールも過去巻き添えで異世界に落ちた事があるが、落ちた先が上空1000メートルだったのは流石に驚いたし、「これはまだマシな方」などと言い出したものだから、当時もこいつよく生きているなと思ったものである。

「まあ、そういうわけで冥府預かりが決まったわけだが……鬼狩りは当然として、死神も初期研修の時点でつまづいたらしい」

「つまづく?」

「戦闘に出ない死神にも、最低限の戦闘訓練がある」

 羽黒が疾の補足に微妙な顔をする。

「……。昔白羽に、あの嬢ちゃん大浴場で滑ってすっ転んだって聞いたぞ」

「……訓練の最初の段階で駄目だったらしい」

 地獄局など、「このようなか弱いお嬢さんを、刑を重ねたものたちの中で働かせるのはあまりにも心苦しい」という言葉と共に断られたらしい。流石にこの場で言うのはノワールでも気が引けたが。

「でも書類仕事なら問題ねえじゃん」

「最初はそう判断されたらしいが……」

 流石にこの先を本人抜きで話すのもどうかと少し迷ったが、疾があっさりと明かした。

「冥府も事務作業の近代化が進んでいる。AIも導入されて書類作業が簡略化されたのは利点ではあるんだが、システムを回すのに魔力が必要になった」

「あっ、察した」

「勤務初日、オリエンテーションが大半を占めるにも関わらず、勤務時間終了前に魔力切れを起こしてぶっ倒れたんだと。結果、全職場からの戦力外通告だ」

「うわあ……」

 白銀家の3人が同様のなんとも言えない表情になる。とは言えこちらも似たようなものだ。

 ……仮にも紅晴市の術者を統べる立場である香宮の当主が、冥府で出来る任務がない。いくらなんでもどういう事だと、冥府の役人達も困惑したらしい。

「結果、料理なら出来るということで鬼狩り局の食堂で働くことになった」

「その分任期は少し長くなったが、せいぜい10年が20年になる程度だっつうのにな」

 疾がカップを両手に持ちながら、呆れ切ったため息を漏らす。

「……元々あいつの趣味は料理だ。当主をしてる間は流石に毎日料理をする時間はなかったし、引き継いだ後は年齢が年齢で、体力的に作れねえものも多かったらしい」

「なんか読めてきたな」

「想像の通り、予算も設備も材料も潤沢で一日中好きなだけ料理に明け暮れる日々に夢中になりやがった」

 香宮当主という重い肩書きから解放された反動なのか、異様な熱意をもって料理に明け暮れている従妹に、ノワールとしてもどうしてそうなったという感想しかない。ましてや実の兄である疾は色々と複雑だったようで、開き直ったように話を引き継ぐ。

「冥府は冥府で、量が売りだった一般食堂に、各国料理が定期的に入れ替わりつつ無駄に高いクオリティで取り揃えられ、デザートまで充実したことで大喜びしたらしい。最初に俺が冥府に戻った時、お前の妹が先頭になって鬼狩り総出で立食パーティやってたからな。酒片手に大騒ぎをしてんの見た時は、マジで戻る所間違えたかと思った」

「身内の話として大分聞きたくねえ話きたなぁ……!」

「梓さんらしいと言えばらしいですが……」

「死神局からも知り合いをガンガン誘って評判を広め、地獄局にも自慢話をしに行って誘い出した結果、各局からわざわざ足を伸ばす常連が出来てる」

「マジで何してんだあいつ」

「局だけではないだろう。俺が顔を出した時、明らかに別宗教の死神が来ていたな」

「そもそもノワールおじさんが顔出せてるのからしておかしくないです??」

「どうせ他所からも色々来てるから大丈夫と、疾経由で誘われた」

「本当に大丈夫なのか、それ」

「管理者である鬼狩り局長はしょっちゅうブチ切れてるが、焼け石に水だな。徐々に業務拡大して居住区域にも分店を展開、人気のあまり任期を終えても続けて欲しいという嘆願書の山、本人は本人でメニュー開発が出来るならと乗り気。冥府を上げての大盛り上がりの結果、気づけば150年越えだ。ばっかじゃねえの」

 ヤケクソのように洗いざらい吐き出した疾が顰め面で紅茶を煽った。つられてノワールも紅茶に口をつけたところで、紫が勢いよく手をあげる。

「とにかくこれは150年近く腕を鍛えた楓おばさんの傑作なんですね! 早速食べましょう!!」

「会話中に一人で食い出すかと思いきや、待つという概念を知ってたのか」

「紫、「待て」はちゃんと出来るですよ!」

「お前が犬ならハスキーっぽいな」

「どういう意味です!!??」

 疾の毒舌に元気よく言い返しながらも、紫が切り分け用のナイフを手に取った。



 ケーキはあっという間に食い尽くされた。ほとんどが紫の胃におさまるのを見て、ノワールは「どれだけ持って行っても大丈夫らしいから!」という預かり際の言葉の意味を理解した。

「聞いてはいたが、本当によく食うな」

「えっへん!」

「毎回言うが褒められてねえぞ」

 白い目で釘を刺す疾に、羽黒が苦笑して宥めるように言う。

「まあ紫にとっちゃあ魔力の素だしな。疾だって珍しく結構食ったろ」

 その言葉に引っかかったノワールが視線を向けると、疾は顔を顰めるところだった。

「普段もうんざりするほど食わせようとしてきやがるくせに、何言ってやがる」

「小さめとはいえ各ケーキ一切れずつ、自主的に食ってたじゃねえか。普段は無理やり食わされてるって顔してるくせに」

「……うるせえ」

 不機嫌な顔でそれだけ言うと、疾は紅茶を飲み干す。その際僅かに顔を顰めたのを見て、ノワールはふと過去の会話を思い出して理由を察した。

 ほとんど表情が動いていないにも関わらず、羽黒がノワールに視線を向ける。少し迷ったのち、ノワールは久々に通信魔法を使う。

『推測でいいか』

『助かる。最初の頃はなんでもガツガツ食ってた割に、最近あんまり食いつき良くねえからちょっと気にしてたんだわ』

 表向きでは紫の子供時代の食事量について回想する羽黒に、紫ともみじが合わせるように会話を広げていく。呆れ顔で会話に参加している疾を確認して、魔法を介して予測を伝える。

『味覚と嗜好が食い違っているんだろう』

『あん?』

『これまで10歳前後で保護していたが、保護直後に一度「ブラックコーヒーが飲みたい」とボヤいていた』

『あー……そういや味覚って甘味から順に育っていくって聞いたことあんな。あと、確かにもみじの料理はちょっと薄味だわ』

『今の年齢だと甘いものや味の濃いものの方が食べやすいだろうな。さっきから紅茶も微妙な顔をして飲んでいるから、苦味渋みがきつく感じるんじゃないのか』

『黙って飲んでるから平気なんかと思ってたわ……言えば普通にジュース出すのに』

『出されたものに文句を言わないは家のルールだったからな。それに元々疾は甘いものがそこまで好きじゃないし、甘い飲み物は特に嫌いだったはずだ。濃い味のものが好きというわけでもない。食べたいと思うものは不味く感じて、食べたくないものが美味い。その齟齬のせいで今一つ食欲が湧かないんじゃないのか』

『なるほどな……ん、じゃあケーキはなんで食えるんだ?』

『……楓の趣味で食べ慣れているのと、ケーキの中では疾が比較的好んで食べるものだな』

『ほー。嬢ちゃん優しいじゃん』

『4つのうち2つは』

『判断に迷う比率……んじゃたまには俺が肉でも焼くかね。とりあえず肉だろ』

『乱暴な……まあ、試す価値はありそうだな』

 羽黒が納得したところで通信を打ち切る。羽黒が適当に話をまとめ上げにかかる傍ら、疾がノワールを睨んだ。まだ魔力探知が出来る状態ではないだろうし、羽黒もノワールもやり取りを悟られるようなそぶりを見せるような未熟さはない。だが、それで誤魔化される疾ではないことはノワールも分かっている。それでもこの場で口に出されるよりはマシだろうし、証拠もない上で言及するような墓穴は掘らない。その結果がこの刺すような視線だろうが、ノワールはあえて何も返さずに立ち上がった。

「通信環境は整えたんだろう。地下でいいのか」

「……ああ」

 疾は不機嫌そうに頷いて、椅子から滑り降りた。

 今回は第一段階として通信環境の整備を行う。事前にそう聞かされていたノワールは、準備しておいた魔法陣を端末に組み込み、魔石を設置した。魔力を供給された魔法陣が発動し、端末が問題なく動かせることを確認して作業を終了する。

「後は向こうに戻ってから連絡を取る」

「頼む。こっちはこのままデータ解析に入る」

 そう言ってひらりと手を振る疾に軽く手を上げて返し、ノワールは階段を上がった。

「お前らあっさりしてんなあ」

「見送りなんてするわけないだろう……」

 互いに束の間の別れを惜しむような性格でもないし、ましてや顔を見ない間を寂しがるわけもない。そう言い返すと、羽黒は軽薄に笑って言う。

「どんだけ必死で探しても、見つからなかったのにか?」

「……捜索と保護には、感謝している」

 初めてこの異常事態が発生した時も、疾の魂は文字通り冥府を上げて捜索されていた。あの時15年も見つけられなかったのは、地獄に迷い込んだと思い込まれて現世にいる事に気づくのが遅れたというのが大きい。実際にノワールは、疾のいる地域に行って直ぐにその魔力と異能の気配に気付けた。その後も、転生後1、2年程度で見つけ出していたのだ。

 だが今回、5年かけても疾を見つけ出せなかった。時間を見つけてはあちこちに転移して魔力探知を行なっていたにも関わらずである。危機感が募る中、月波市付近で瀧宮羽黒に見つけ出されたのは運が良かったのか、他に要因があるのか。

「お前も目で確認してたが、呪いの類はなかったぜ」

「そうだな、それだけは幸いだった」

 疾が抱える異常事態で一番の問題は、契約魔術が全て引き継がれてしまうことだ。どこぞの魔術師に囚われ、隷属系の魔術をかけられると死んでも消えない魔術となってしまう。成長すれば疾自身の異能で打ち消すか、ノワールが強引に解除できるものがほとんどだが──上位魔王の呪いであれば話は別だ。未来永劫、魔王に隷属させられてしまう。

 その危険性故に情報は極力伏せられ、少数で極秘裏に研究してきた。今回は身柄の保護を優先すべきと判断した冥府側が動き、瀧宮羽黒を巻き込む事となった。疾には話を聞いて面白がって参加という形に見せているらしいが、強引に里親申請を行った事以外は予定調和だ。

「……まあ、疾の性格を考えても、騒がれたり同情されたりは願い下げだろう。淡々とやるべきことを進めている」

「ほーん」

 自分で聞いておいて無関心そうに相槌を打つと、羽黒はひらりと手を振った。

「ま、そういうことならこっちはこっちで楽しくやらせてもらうわ」

「あまり揶揄ってやるなよ……」

 その分のストレスが全てノワールに流れてくる懸念も含めて釘を刺すが、羽黒は楽しげに笑うだけで何も言わない。半ば諦めて溜息をつくと、ノワールは玄関で靴を履いてから振り返った。

「またそのうち顔を出す」

「おう。土産期待して待ってるわ」

「……気に入ったのか」

「めちゃくちゃ美味かった。人気なのも納得。次は甘いもん以外も希望っつっといてくれ」

「下手をすると重箱が来るぞ」

「どうせうちの食い盛りが全部食うからヘーキヘーキ。なんなら材料提供もするぜ?」

「……。まあ、構わないが」

 着実に食材配達員扱いされている気がするも、大した手間でもないので深く気にしないことにする。

 軽く溜息をついて、ノワールはドアを開けた。そのまま転移しようとして、背後から声をかけられた。

「ノワールおじさん!」

 振り返ると、紫が羽黒の隣で手を振っていた。

「疾さんのことは任せてください! 紫、ちゃんと守るですよ!」

「…………」

 本人が聞いたら凄まじい顔になりそうな事を笑顔で言い切る元気娘に、ノワールは僅かに眉を寄せる。

「……何故」

「疾さんは紫の恩人ですから」

 その言葉に顔を上げるも、紫も羽黒も笑うだけだった。本人たちには伝わらないように香宮でも配慮していたはずだが……時を経てどこかから情報が漏れたらしい。

「でかい借り抱えて死なれちまったと思ってたからな、いい機会だ」

「……一応、こちらとしては時計の礼でもあったんだが」

「そりゃミアの嬢ちゃんのお陰だろ」

「……」

 ある意味、瀧宮羽黒らしい。今回のやけに手厚い協力の理由が少し分かり、ノワールは小さく息を吐いてから、軽く頭を下げた。

「……頼んだ」

「はいです! お任せあれです!」

 笑顔で頷く紫に片手をあげて、ノワールは狭間へと転移した。

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